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1サムエル記 注解 - ハンナの祈りとサムエルの召命、王サウルとダビデの召命

  • 2021年5月9日
  • 読了時間: 16分

更新日:2月15日

🔷聖書の知識84-1サムエル記注解ーハンナの祈りとサムエルの召命、王サウルとダビデの召命


わらべサムエルは、エリの前で、主に仕えていた。そのころ、主の言葉はまれで、黙示も常ではなかった。主はきて立ち、前のように、「サムエルよ、サムエルよ」と呼ばれたので、サムエルは言った、「しもべは聞きます。お話しください」その時、主はサムエルに言われた(1サムエル3.1~10)


プロローグ


士師記の時代は約300年間続きましたが、混乱した時代で、政治的、宗教的、道徳的崩壊が進み、それぞれが思い思いの道を歩んだ時代でした。士師記最後の21章25節には、「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた」とある通りです。


また「そのころ、主の言葉はまれで、黙示も常ではなかった」(1サムエル記3.1)とあるように、ヨシュア以来、大預言者は現れず、神の言葉もありませんでしたが、遂にサムエルが召されました。1サムエル記には、サムエル、サウル、ダビデという3人の摂理的人物が出てきますが、今回は特にこの3人の「召命」に注目して見ていきます。


【サムエル記について】


『サムエル記』は旧約聖書におさめられた古代ユダヤの歴史書の1つで、上下にわかれていますが、これはギリシャ語聖書以来の伝統で、本来一つの書物と言われています。


タイトルは最後の士師であり、かつ預言者であったサムエルに由来し、ユダヤ教の分類では『ヨシュア記』『士師記』『列王記』と共に「前の預言者」にあたります。この書物の原作者は、それぞれサムエル、ナタン、ガドであるとの説があります(1歴代誌 29:29)が定説はありません。サムエル記全体は、前1120年頃から約150年間の出来事を記し、士師の時代から王政時代への移行を説明する非常に重要な書で、1サムエル記は、サムエル、サウル、そしてダビデの物語であります。


【ハンナの祈りとサムエルの召命】


冒頭に記しましたように、士師時代は祭司たちでさえも堕落した時代であり、国が崩壊の危機に直面しました。


大祭司エリの二人の子ホフニとピネハスは、シロの幕屋における祭司でありましたが、彼らは「ならず者で主を知ろうとはしなかった」(1サムエル2.12)とあり、また、神への供え物の最も上質な部位である脂肪を自分のものとしたり(同2.14)、幕屋で働いていた女性と性的な関係を持つ(同2.22)というような、不正なふるまいで聖職に従事したために批判され、神の裁きを受け殺されています(同4.11)。


ちなみにサムエルの二人の息子で祭司のヨエルとアビアも不信仰者で「父の道を歩まず、不正な利益を求め、賄賂を取って裁きを曲げた」(1サムエル8.3)とあります。偉大な祭司エリとサムエルの息子でさえ「道を曲げる」という事実は、信仰は血統では世襲されないという厳然な事実を述べており、ここに聖書的リアリズムを見るような気がします。


このような中で、遂に神の介入があり、神はサムエルをイスラエルに送られました。「ハンナの祈り」に神が答えられたのです。


<ハンナの誓願>


1サムエル記冒頭のハンナの誓願とサムエルの誕生物語は、ひときわ感動的な美しい聖書の話しです。


エフライムの山地に、エフライムびとでエルカナという人があり、エルカナには、ふたりの妻があり、ひとりの名はハンナといい、ひとりの名はペニンナといいました。ペニンナには子どもがいましたが、ハンナには子どもがいませんでした。エルカナはハンナを愛していましたが、不妊の女であり、ペニンナのひどい陰湿ないじめに遭っていました。


ハンナは、シロにある幕屋で祈り、主に一つの誓願を立てます。即ち、もし男の子が与えられるなら、その子を幕屋で仕える者として捧げる、つまり、その男の子を「生まれながらのナジル人」にするという誓願でした。 「ナジル人」とは「主のものとして身を聖別するため特別な誓いをした人のことをいいます。また葡萄酒を飲まず、カミソリを頭に当ててはならないとあります(民数記6.2~6)。ちなみにナジル人には、他にサムソン、洗礼ヨハネらがいます。


「ハンナは心に深く悲しみ、主に祈って、はげしく泣いた。そして誓いを立てて言った、『万軍の主よ、まことに、はしための悩みをかえりみ、わたしを覚え、はしためを忘れずに、はしために男の子を賜わりますなら、わたしはその子を一生のあいだ主にささげ、かみそりをその頭にあてません』」(1サムエル1.10~11)


そうして神は、遂にハンナの祈りを聞かれ、男の子が誕生しました。サムエルと命名され、これは「神が聞いてくださった」という意味であります。


「エルカナは妻ハンナを知り、主が彼女を顧みられたので、彼女はみごもり、その時が巡ってきて、男の子を産み、『わたしがこの子を主に求めたからだ』といって、その名をサムエルと名づけた」(1サムエル記1.19~20)


ハンナは、祈りが聞かれた喜びと感謝を捧げました。ハンナの賛歌です。この賛歌は、人生の試練を経験した者が主の恵みをほめ歌ったもので、新約聖書のマリアの賛歌(ルカ1.46~55)は、ハンナの賛歌から影響を受けていると言われています。


ハンナの賛歌(抜粋) 


 わたしの心は主によって喜び、わたしの力は主によって強められた、わたしの口は敵をあざ笑う、あなたの救によってわたしは楽しむからである。主のように聖なるものはない、あなたのほかには、だれもない、われわれの神のような岩はない。.....主は殺し、また生かし、陰府にくだし、また上げられる。主は貧しくし、また富ませ、低くし、また高くされる。貧しい者を、ちりのなかから立ちあがらせ、乏しい者を、あくたのなかから引き上げて、王侯と共にすわらせ、栄誉の位を継がせられる。(1サムエル記2.1~10)  

ちなみにマリアの賛歌の冒頭は次の通りです。


 するとマリヤは言った、わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救主なる神をたたえます。この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです。そのみ名はきよく、そのあわれみは、代々限りなく主をかしこみ恐れる者に及びます。 (ルカ1.46~50)


そしてハンナは、わらべサムエルが乳離れした時(3才くらい)、誓願通りサムエルを主の宮(幕屋)に仕えるものとして捧げました。

「わが君よ、あなたは生きておられます。わたしは、かつてここに立って、あなたの前で、主に祈った女です。この子を与えてくださいと、わたしは祈りましたが、主はわたしの求めた願いを聞きとどけられました。 それゆえ、わたしもこの子を主にささげます。この子は一生のあいだ主にささげたものです」(1サムエル記1.26~28)

こうしてわらべサムエルは育っていき、神にも、人々にも、ますます愛せられ、偉大な士師、祭司、預言者となっていきました。


左から(ルブラント・エークハウト画、ジョシュア・レイノルズ画、ジョン・コプリー画)


<サムエルの召命>


幼子サムエルは、主の前に仕え、肉体的にも知的にも成長し、神と人とに愛される人物となっていきました。まさに時代は、祭司たちの時代から、預言者たちの時代に移行しようとしていました。


ある日サムエルは合計4回の主からの声を聞くことになります。最初の3回は祭司エリからのものと錯覚しましたが、遂に4回目の神の呼び掛けで、この声の主が神であることを悟り「お話しください。しもべは聞いております」と応答しました。サムエルの召命です。この時から、サムエルは祭司として、また預言者として働くようになりました。


「主はきて立ち、前のように、『サムエルよ、サムエルよ』と呼ばれたので、サムエルは言った、『しもべは聞きます。お話しください』。その時、主はサムエルに言われた、『見よ、わたしはイスラエルのうちに一つの事をする。』」(1サムエル記3.10~11)


そうしてサムエルは育っていき、主が彼と共におられて、その言葉を一つも地に落ちないようにされました。かくしてダンからベエルシバまで、イスラエルのすべての人は、サムエルが主の預言者と定められたことを知っていきました。そして主はふたたびシロでサムエルに自らを現され、こうしてサムエルの言葉は、あまねくイスラエルの人々に及びました。(1サムエル記3.19~21)

【サウルの物語】(1サムエル記10章15章)


前述したように、大祭司エリの2人の息子同様、サムエルの2人の息子(ヨエルとアビヤ)も、罪を犯していました。サムエルも年老いていき、後継者がいない状態の中で、民は、他の異邦人の国民のように、王を求めました。政治的、軍事的リーダーが欲しいという求めでした。


<王を求めるイスラエル>


「この時、イスラエルの長老たちはみな集まってラマにおるサムエルのもとにきて言った、『あなたは年老い、あなたの子たちはあなたの道を歩まない。今ほかの国々のように、われわれをさばく王を、われわれのために立ててください』」(同8.4~5)


しかしサムエルは、内面の改革をしないで、外面だけを整えようとする動きを喜びませんでした。王を求めることは、神を拒否したことにつながり、また王は、民に大きな犠牲を強いかねないからです。しかし神は意外にも、イスラエルに王が必要となることを知っておられ、サムエルとサウルの出会いを用意されることになります。


「サムエルは民の言葉をことごとく聞いて、それを主の耳に告げた。主はサムエルに言われた、『彼らの声に聞き従い、彼らのために王を立てよ』」(同8.21~22)


<サウルの召命>


ベビアミン族キシにはサウルという名の子がいました。若くて麗しく「イスラエルの人々のうちに彼よりも麗しい人はなく、民のだれよりも肩から上、背が高かった」(同9.2)とあります。


サウルは父キシのろばを探すためにツフの地にきた時、神の人(先見者)がいることを知り、町に会いにいくことにしました。そしてサウルが町の中に入ろうとした時、サムエルは高き所(礼拝所)に上るため彼らの方に向かって出てきました。サウルとサムエルの出会いです。こうして神はサウルとサムエルの出会いを用意されたのです。


実はサムエルは、サウルが来る一日前に、既に主の言葉を聞いていました。


「あすの今ごろ、あなたの所に、ベニヤミンの地から、ひとりの人をつかわすであろう。あなたはその人に油を注いで、わたしの民イスラエルの君としなさい。彼はわたしの民をペリシテびとの手から救い出すであろう。わたしの民の叫びがわたしに届き、わたしがその悩みを顧みるからである」(同9.16)


サムエルはサウルに、自分がその先見者(預言者)であることを告げ、高きところで食事を共にしました。そしてあくる日、サムエルはサウルに神の言葉を知らせることになり、こうしてサムエルはサウルに油を注ぎました。ちなみにヘブル語のメシアという言葉は、「油注がれた者」という意味です。


「その時サムエルは油のびんを取って、サウルの頭に注ぎ、彼に口づけして言った、『主はあなたに油を注いで、その民イスラエルの君とされたではありませんか。あなたは主の民を治め、周囲の敵の手から彼らを救わなければならない』」(同10.1)


そしてサムエルはすべての民に「主が選ばれた人をごらんなさい。民のうちに彼のような人はないではありませんか」と告げ、民はみな「王万歳」と叫びました。(同10.24)


この後、サウルは、アンモンびととの戦いに勝利し、民の信頼を得ました。ギルガルで王権の更新が行なわれ、民は和解のいけにえを捧げ、「契約の食事」によってこれを喜びました。サウル王の誕生です。


「こうして民はみなギルガルへ行って、その所で主の前にサウルを王とし、酬恩祭を主の前にささげ、サウルとイスラエルの人々は皆、その所で大いに祝いました」(同11.15) 


<サウル王の不信仰>


さて、王となったサウルでしたが、次第に高慢になり、主の前に罪を犯すことになります。


先ずサウルは、ギルガルでの祭祀に際して、サムエルの到着を待ちきれず、自ら全焼のいけにえを捧げました。この行為は王と言えども祭司の領域を犯す越権行為になります。


「サウルは、サムエルが定めたように、七日のあいだ待ったが、サムエルがギルガルにこなかったので、民は彼を離れて散って行った。そこでサウルは言った、『燔祭と酬恩祭をわたしの所に持ってきなさい』。こうして彼は燔祭をささげた。その燔祭をささげ終ると、サムエルがきた」(同13.8~13.10)


サムエルはサウルに言いました。「あなたは愚かなことをした。あなたは、あなたの神、主の命じられた命令を守らなかった。もし守ったならば、主は今あなたの王国を長くイスラエルの上に確保されたであろう。しかし今は、あなたの王国は続かないであろう」(同13.13~14)


次にサウルは、アマレクを聖絶せよとの命令に違反しました。遊牧の民アマレク人は、エサウの子であり (創世記36.12)、かってエジプトを出て荒野を旅する民を背後から襲った(出エジプト17.8~16)民であります。


主はアブラハム契約のゆえに、アマレク人の聖絶をサウルに命じましたが、しかしサウルは、最上の羊を残し、王アガグを生かしておきました。これらの罪により、神はサウルを王としたことを悔られ、サウルが王座から追われることが決まりました。


「しかしサウルと民はアガグをゆるし、また羊と牛の最も良いもの、肥えたものならびに小羊と、すべての良いものを残し、それらを滅ぼし尽すことを好まず、ただ値うちのない、つまらない物を滅ぼし尽した」(同15.9)


「その時、主の言葉がサムエルに臨ん、『わたしはサウルを王としたことを悔いる。彼がそむいて、わたしに従わず、わたしの言葉を行わなかったからである』」(同15.10~11)


【ダビデの物語】(1サムエル記 16章 ~ 30 章)


さて神はサウルをみかぎられ、次に王になるべき人物をサムエルに示され、油を注ぐことになりました。


<ダビデの召命と油注ぎ>


主はサムエルに、次期の王が誰であるかを示され、ベツレヘムのエッサイの息子で8人兄弟の末っ子のダビデが選ばれました。


「さて主はサムエルに言われた、『あなたをベツレヘムびとエッサイのもとにつかわします。わたしはその子たちのうちにひとりの王を捜し得たからである』」(同16.1)


「そこで人をやって彼をつれてきた。彼は血色のよい、目のきれいな、姿の美しい人であった。主は言われた、『立ってこれに油をそそげ。これがその人である』サムエルは油の角をとって、その兄弟たちの見守る中で、彼に油をそそいだ。この日からのち、主の霊は、はげしくダビデの上に臨んだ」(同16.12)


一方、サウルから主の霊は離れ、むしろ主から来る悪霊が彼を悩ますことになります。


さてサウルは、抑圧、不安、うつ状態、自殺願望、被害妄想の幻聴に悩まされたので、家来たちが琴の名手を呼ぶことを提案しました。今で言う音楽療法であります。家来の中にダビデのことを知っている者がいて、ダビデを推薦しました。まさに神の摂理です。


サウルの家来たちは彼に言いました。「ごらんなさい。神から来る悪霊があなたを悩ましているのです。どうぞ、われわれの主君が、あなたの前に仕えている家来たちに命じて、じょうずに琴をひく者ひとりを捜させてください。神から来る悪霊があなたに臨む時、彼が手で琴をひくならば、あなたは良くなられるでしょう」(同16.15~16)


<王宮での奉仕>


ダビデを紹介した若者は、ダビデのことをこう描写したました。「琴がじょうずで、勇気もあり、いくさびとで、弁舌にひいで、姿の美しい人」(同16.18)。


ダビデはまだ戦いに出たことはありませんでしたが、しかし、ライオンや熊などの野獣と戦っていたので、戦士と呼ばれたのです。サウルはダビデを気に入り、道具持ちとして召し抱えました。道具持ちとは、文字どおり王の武具を運ぶ者で、それはまた近衛兵でもあります。 この時は、ダビデが次期王としてサムエルから油注ぎを受けていることは、サウルはまだ知りません。まさにダビデが宮廷に住むのは、王になるための訓練でもありました。


サウル王とダビデ(アーンシュト・ユーセフソン画)、ダビデとゴリアテ(アントン・レインウェーバー画)


<ゴリアテとの戦い>


さてダビデの名声を高める話に、有名人な巨人「ゴリアテとの戦い」の物語があります。


ペリシテ人は、代表戦士同士の戦いによる決着を提案してきました。ペリシテ側の代表戦士は巨人ゴリアテ。身長は3m近くあり、50kgを超える青銅の鎧で、完全武装をしていました。 イスラエル人は意気消沈し、非常に恐れましたが、ダビデは自分がゴリアテと戦うと申し出たのです。


サウルは、ダビデに自分の鎧を与えましたが、ダビデはそれを脱ぎ、使い慣れた武器(石投げ)を使い、万軍の主の御名によって戦って、遂にゴリアテを倒しました。


「そのペリシテびとが立ち上がり、近づいてきてダビデに立ち向かったので、ダビデは急ぎ戦線に走り出て、ペリシテびとに立ち向かった。ダビデは手を袋に入れて、その中から一つの石を取り、石投げで投げて、ペリシテびとの額を撃ったので、石はその額に突き入り、うつむきに地に倒れた」(同17.48~49)


<サウルの嫉妬とミカルとの結婚>


ダビデは、サウルによって職業軍人として召し抱えられ、これ以降、サウルの側近として生活するようになりました。サウルの息子ヨナタンは、ダビデを自分と同じほどに愛し、ダビデと兄弟契約を結びました。内村鑑三の洗礼名はヨナタンですが、王の息子でありながら、ダビデを最後まで愛し友情を示すヨナタンの心に共感したからと言われており、この二人の友情は美しい聖書の話です。


しかしサウルは、嫉妬からダビデを疑いの目で見るようになっていきます。そうして槍でダビデを殺そうとしました。


「その時、サウルの手にやりがあったので、サウルはダビデを壁に刺し通そうと思って、そのやりをふり上げた。しかしダビデは二度身をかわしてサウルを避けた」(同18.10~11)


またダビデをペリシテ人との戦いに出し、戦死するように画策したりもしたというのです。サウルは、もし勝利すれば、娘のミカルを与えると約束しましたので、結局、ミカルは戦いに勝ったダビデの妻となりました。


<逃亡生活とサウルの死>


サウルは再びダビデを殺そうとしましたが、ヨナタンがダビデの逃亡を助けました(同20章)。そしてダビデは、ノブとガテに逃れていきます(同21章)。 そうしてペリシテの地での生活が始まります。( 同27. 1 ~ 30. 31 )


さてギルボア山でのペリシテ人との戦いで、サウルの4人の息子のうちヨナタンを含む3人までが戦死しました。またサウルは、ペリシテ軍の集中攻撃を受け、重傷を負い、剣の上に倒れ伏して自殺を遂げることになります。 ペリシテ人は、サウルの首を切り、サウルの首は、ダゴンの神殿にさらされ、首から下はベテ・シャンの城壁に打ち付けられました。サウルの3人の息子たちの遺体も、その城壁に打ち付けられました。


【論考ーダビデの忠誠とサウルの悪意(嫉妬)】


このように1サムエル記にはダビデを裏切ったサウル王の話が出てきます。ダビデは悪霊に苦しむサウル王のために竪琴を弾いて癒し(同16.23)、ペリシテのゴリアテを倒し(同17.49)、何度も出陣して王国を救い(同18.5)、心身共にサウル王に仕えました。しかしサウルはそのダビデを妬み、何度も殺そうとしたのです(同18章~26章)。まさにこれ以上ない忠誠と、これ以上ない裏切り、即ち「恩を仇で返す」典型であります。

 

サウルは既にサムエルから油を注がれていたダビデを(同16.13)、自らの地位を簒奪するかもしれない者として霊的に感知していたのかも知れません。サムエルがダビデに油を注いだあと、主の霊がはげしくダビデの上に臨み、逆に主の霊はサウルを離れ、悪霊が彼を悩ましたとある通りです(同16.14)。

 

ダビデは2度もサウルを殺せる機会を得ますが(同24.8、26.9)、だがダビデ曰く、「彼を殺してはならない。主が油を注がれた者に向かって、手をのべ、罪を得ない者があろうか」(同26.9)と。そして更に曰く、「主は生きておられる。主が彼を撃たれるであろう」(同26.10)とも。即ちダビデは自分を殺そうとするサウルの運命を神に委ねたのでした。聖書に「復讐するは我にあり」(申命記32.35)とある通りです。

 

こうしてダビデは、何度も自分を殺そうとするサウルを神の手に委ね、まさに「恨みに報ゆるに徳を以てす」(老子第63章)との精神を発揮しました。結局サウル王はペリシテ軍に追い詰められ、ヨナタンなど3人の息子共々悲惨な死を遂げます(同31.4)。しかしダビデはサウルとヨナタンの死を聞いて、追悼の歌『弓』を捧げたといいます(2サムエル1.17)。


以上が1サムエル記の解説です。今回は登場人物のサムエル、サウル、ダビデの3人について、特に彼らの「召命」に焦点を絞って見て参りました。この3人には、明確な神の「予定と選び」があり、確かな「召命」がありました。そしてこの3人には、神の霊が激しく注がれました。


これを受けて次回は、主にダビデの治世を記した「2サムエル記」の解説です。(了)



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​ユニバーサル福音教会牧師
​家庭連合ポーランド宣教師
   吉田 宏

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