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スウェーデンボルグの世界① 霊界とは何か

○つれづれ日誌(5月12日)ースウェーデンボルグの世界(1)ー霊界とは何か


またわたしは、天からの声がこう言うのを聞いた、「書きしるせ、今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである」。御霊も言う、「しかり、彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく」(ヨハネ黙示録14.13)


配偶者の死去(聖和)は、霊界を知りたいという筆者の欲求に強い刺激を与えました。一体、死後の世界、即ち霊界とは何んでしょうか、そして死人は何処で何をし、如何なる状態でいるのでしょうか。また、そもそも霊界は存在するのか、等々の問題であります。


そしてこの配偶者の聖和の機会に、これらの問題について再整理しておきたいと思います。何故なら、我々は例外なく、早晩、かしこに行く運命にあるからです。


霊的世界については、『天聖経第七篇地上生活と霊界』や、『地上生活と霊界』(成和出版社)、『霊界の実相と地上生活』(光言社)、などに詳しく書いてある通りですが、一般的には、エマニエル・スウェーデンボルグの霊界に関する著作が最もよく知られています。スウェーデンボルグは、著書『天界の秘儀』『天界と地獄』『霊界日記』などの中で、霊界について詳細に描いています。


スウェーデンボルグは、科学者でありながら何度も霊界に行き、つぶさに霊界を見てきた上、霊界とは何かについて聖書を引用しながら説明しています。そこで今回、スウェーデンボルグの霊界観を、原理との対比を意識しながら考察していきたいと思います。


ただその前に、そもそもスウェーデンボルグとはどういう人物か、どのような経歴を持ち、如何なる神学や思想を持っていたのか、科学者・鉱山技師から神学者への転換はいかにしてなされたのか、などを基礎知識として概観することにいたします。


【スウェーデンボルグについて】


エマヌエル・スウェーデンボルグ(1688年1月29日 ~1772年3月29日)は、スウェーデン出身の科学者・神学者・思想家で、生きながらにして霊界を見て来たと言う霊的体験に基づく著述で知られています。


<略歴>

父イェスペル・スヴェードバリは、ルーテル教会の高位の牧師で、スウェーデン語訳の聖書を最初に刊行した人物であり、その次男としてストックホルムで生まれました。


11歳のときウプサラ大学入学。22歳で大学卒業後イギリス、フランス、オランダへ遊学。28歳のときカール12世により「王立鉱山局の監督官」になります。


31歳のとき貴族に叙され、スウェーデンボリと改姓。数々の発明、研究を行ないイギリス、オランダなどへ頻繁にでかけました。科学者としても第一級の人物でした。


1745年(57才)、イエス・キリストにかかわる「霊的体験」が始まり、以後30年に渡り、霊界に関する重要な著作物を多量に出版し、出版で得た全報酬は寄付したといいます。


ただし、スウェーデン・ルーテル派教会をはじめ、当時のキリスト教会からは異端視され、異端宣告を受ける直前にまで事態は発展しますが、王室の庇護により、回避されました。


イエス・キリストからの啓示をその僕として書き記す霊覚者への転向はあったものの、その後国会議員(貴族院)にまでなっています。


そしてスウェーデンボルグは、当時ヨーロッパ有数の学者として知られ、彼が精通した学問は、数学・物理学・天文学・宇宙科学・鉱物学・化学・冶金学・解剖学・生理学・地質学・自然史学・結晶学など多彩であります。(Wikipedia参考)


そして彼は、84才で霊界に移住するまで、生涯独身を通しました。


<評価>

スウェーデンボルグについての評価には、賛否両論があります。


哲学者イマヌエル・カントは『視霊者の夢』中で彼について多数の批判を試みていますが、一方では、肯定的に評価もしています。


後に、「彼の不思議な能力の非常に多くが確実であり、彼は道理をわきまえ、礼儀正しく、隠しだてのない人物であり、学者である」と率直に語りました。(『スヴェーデンボリ その生涯と教え』トロブリッジ著より)


他に、ゲーテ、バルザック、ドストエフスキー、ユーゴー、ヘレン・ケラーなどに影響を与えています。日本人ては、仏教学者、禅学者の鈴木大拙が影響を受け日本語訳を行い、スウェーデンボルグ『天国と地獄』など著作を出版しています。


ニューエイジ運動関係者、神道系の信者らの中に支持者層があり、キリスト教関係者では、内村鑑三もスウェーデンボルグの著作を評価しています。


一方で、東京神学校助教授・牧師の尾形守は、キリスト教的には異端、思想的には自己啓発の神秘主義といえるニューエイジムーブメントのはしりとして批判し、「霊だからといって、みな信じてはいけません、それが神からのものかどうか試しなさい」(Ⅰヨハネ4.1)、「あなたがたは霊媒や口寄せに心を移してはならない。彼らを求めて、彼らに汚されてはならない」(レビ記19.31)等の聖句を引用して、悪霊によるものであることを示唆しています。


また、米国の福音派などでは、スウェーデンボルグを危険な「非キリスト教的神秘主義」であると評し、その特徴として、三位一体や聖霊の働き、キリストの十字架の贖罪の否定を挙げています。


しかし、キリスト教牧師らの中には、スウェーデンボルグを支持する人々が存在しています。


また、スウェーデンボルグの著作に記されているのは、「唯一なる神を愛すること、隣人愛の実践、不倫などの悪を避けること、誠実に人と接すること」などであり、現実から乖離した狂人・変人、オカルティスト、神秘主義者などではない、とされています。


なお、スエーデンボルグスの死後、彼の思想への共鳴者により、「新エルサレム教会」を創設し、また、別系統の団体として「ジェネラルチャーチ」というグループが存在しています。


日本語訳には、『天界と地獄』『真のキリスト教』『霊界日記』などがあります。


【高橋和夫著『スウェーデンボルグの思想』(講談社現代新書)を読み解く】


以下、高橋和夫著『スウェーデンボルグの思想』を参考にしながら、スウェーデンボルグの霊界論を考察していきます。


高橋教授(文化女子大学名誉教授)は、スウェーデンボルグ研究の第一人者であり、深い洞察力を有した卓越した哲学者であり、筆者は本書から多くの示唆を与えられました。筆者は、20年ほど前に本書を読んだ時、まえがきの空白欄に次のように赤のボールペンでメモっています。


「神とは何か、霊界は実在するか、メシアとは、罪とは、救いとは、人間とは、人生の目的とは、歴史とは....。この確かな実相を知りたい」


<賢人による評価>

上述のように、スウェーデンボルグの思想は、哲学史ではマイナーであり、キリスト教神学的には異端的にみられ、根深い偏見があることは確かです。しかし、現代科学の洗礼を受けた者、即ち優れた科学者が書いた著作であり、十分客観性があると思われます。


日本人でも、鈴木大拙、内村鑑三、賀川豊彦は、下記の通り、高く評価しています。


「神学界の革命家、天界・地獄の遍歴者、霊界の偉人、神秘界の大王、古今独歩の千里眼、精力無比の学者、明敏透徹の科学者、出俗脱塵の高士、此を一身に集めたるをスウェーデンボルグとなす」(鈴木大拙著『スウェーデンボルグ』)


「彼の心は余の構想力を越えた心であった。そして彼の洞察力ははなはだ多くの場合においてまことに驚嘆すべきものである。(中略)あの著しい人の余の思想に及ぼした影響は常に健全であった」(1885年4月19日内村鑑三日記)


「スウェーデンボルグは愛の人、愛の使徒。この愛の賢人を利害しないで、いたずらに異端児することは、文明にとって最大損失である」(賀川豊彦)


<霊への目覚め>

彼の父は、高名な聖職者であり、神学者、教会改革者であり、天使や霊の存在を信じていました。スウェーデンボルグは、55才までは、鉱山技師・科学者であり、イエスをキリストと信じる者でありました。


彼は「自分は他の誰にもまさって無価値であり、最大の罪人であり、頭のてっぺんから足の爪先まで、不潔であり、惨めな被造物である」と罪深さの告白をしています。聖書を読み、祈り、断食をし、讃美歌を歌うキリスト者であり、真の知恵のためには、全知識を放棄してもよいと、「知への殉教」さえ示唆しています。


彼の84年の人生は、前半は科学者、後半は神学者で、ユングは「偉大な科学者にして、神秘家」と評しています。


スウェーデンボルグは、1736年ころ、研究対象をそれまでの鉱物から、「生物」へ転換を諮りました。解剖学、生理学の研究です。彼は科学・工学の研究を続けていく中で,「真理は物質の中にではなく,有機的な生命の中にある」と考えるようになり,生理学や解剖学の研究に転向します。そしてこれは、人体の組織と機能の研究を通じて、最終的に「霊魂」(アニマ)の所在と働きを突き止めるためでした。


「私は可能なあらゆる熱意を持って、霊魂とは何か、肉体とは何か、そしてそれらの間の交互とは何か、さらにまた、肉体の中にあるときの霊魂の状態はどうであり、肉体の生命が尽きた霊魂の状態はどうなのか、これらの探求に乗り出した」(スウェーデンボルグ著『合理的心理学』)


しかし,彼は満足できませんでした。脳と身体の関係をいくら研究してみても,人間の本質にたどり着けなかったのです。真理は,肉体生命の中にはない、そこで彼は,宗教の研究に没頭するようになります。そしていつしか,「霊界に参入する神秘体験」を経験するようになり,58歳のある日,「霊界を証明せよ」とのキリストの命令を受けることになりました。


<霊魂の王国>

彼は、「人体は霊魂の治める王国」であると考え、霊魂の所在を脳に突き止めました。そして更に脳の先にある霊魂は肉体の霊魂ではなく、霊的な霊魂だとしました。


理性の内奥に、理性を超越しつつ理性を原理づけるもう一つの知性、即ち「純粋知性」を探り、それを霊魂の直接的な所産と考えたのです。(『スウェーデンボルグの思想』P70)


この彼の認識は、「人間には、心と体があり、心の上に霊があり、霊の上には神様がいらっしゃいます」(『天聖経第七篇地上生活と霊界』P706)とある通りです。


<召命ー霊的体験>

スウェーデンボルグは、1744年4月6日の「イエスとの霊的体験、幻視体験」について、夢日誌の中で次のように記しました。


「私は頭の下のほうに物音を聞き、凄まじい轟音を伴った強烈な震えが襲った。再び轟音に襲われ、何か聖なるものが私を制していると感じた。そして『おお、全能者イエス・キリストよ。汝は慈悲をもて、かくも大いなる罪人のもとへ来たりたもう。我をこの恩寵に値するものとなしたまえ』と祈った。その刹那、私は彼の胸元にいて、彼と顔を見合わせた」


こうして、睡眠でも覚醒でもないトランス状態を体験し、神学者への転身することになりました。


そして遂に1745年、自宅にて「聖書の真の意味を啓示する使命」をイエスから託されました。ロンドンでの召命体験と回心です。


「私は主なる神、世界の創造主にして贖罪主である。人々に聖書の霊的意味を啓示するため汝を選んだ。この主題に関して何を書くべきかを汝に示そう」


「その夜、霊たちの世界や地獄及び天界がはっきりと開かれ、その日以来、一切の世俗的な著述活動を放棄し、私の研究を霊的な事柄に捧げたのです」(同、P83)


こうしてスウェーデンボルグは、知の巨人であるだけでなく、霊の巨人としての第二の人生が始まりました。そうして彼は、1947年鉱山局を辞職(59才)しました。


【スウェーデンボルグの霊界観】


スウェーデンボルグは、1748年から神学の処女作『天界の秘義』を書きました。 これは創世記と出エジプト記の霊的意味を逐語的に解明する最大の釈義書で、霊的世界に対するあらゆる情報の集成だと言われています。


彼は、神秘的直感や突発的霊感で書くのではなく、常に学問的精神で神学書を書く姿勢に徹していました。聖書の霊的意味を探求するに際して、聖書の文字的な意味や歴史的な意味の背後に内臓された、本来の意味を見出だすというものでした。


彼は、「霊や天使らと間断なく妨害なく交わった」と証言し、様々な霊、死後の霊魂、天国(天界)、地獄、天界全体で承認されている信仰の教説、などを教えられたと告白しました。


<スウェーデンボルグの死生観>

スウェーデンボルグはは、霊魂は「死後に生きる人間そのものであり、霊魂というよりも霊ないし内的人間といった方が適切である」と語りました。つまり、霊とは、「霊的な心身を備えた人間そのもの」であるというのです。霊自体に心身があるという彼の指摘は、「霊人体は生心と霊体からなっている」との原理観と符号いたします。


また、「死とは生の連続であり、別の状態への移行にすぎず、自己同一性を失うことなく、肉体と類似した霊的身体を持って甦る」と語りました。これも、「死とは、宇宙的な地上の母胎から別の世界へ誕生することである」とする文先生の教えと同様てあります。


そして、霊的心身は、生きている時は「肉体と結合している」が、死によって分離して、霊的心身のみとなると指摘しました。これは、死が「肉体と霊人体との分離」だとする原理観と同じ見解であります。


<天界と地獄>

著作『天界と地獄』では、霊界には天界(天国)、精霊界、地獄があるとされています。精霊界とは、天国と地獄の中間の場所であるとされ、原理でいう中間霊界です。


そして霊的身体(霊人体)が生きる世界が霊界であり、地上で生まれて死んだ全ての人間は霊界で生きているとしました。また霊界には時空の観念がなく、霊界は天界と地獄に分離して、成層的(階層)な構造になっているとしました。これも、霊界には、天国・楽園・中間霊界・地獄の階層があるとする原理観と一致いたします。


スウェーデンボルグは、天界に住む人々を天使と呼び、同一の言語を持つ愛と真理の世界であり、想像を絶する美があるとされ、 結婚もあり家庭もあると言っています。天界こそ人間性のあらゆる理想が実現される、永遠に続く至福と平安と美の世界であるとしました。


死とは一つの世界から,もう一つの世界に移住しただけであり、この霊的な体は,神に近ければ近いほど美しく,神から離れるほど醜くなるといいます。


ただ原理では、霊界での結婚や繁殖はないとしています(『天聖経第七篇地上生活と霊界』P726、P736)ので、この点は見解が異なっています。但し近時、清平では霊界祝福結婚の役事が行われていると聞いております。


そしてスウェーデンボルグは、次のように天界(天国)を表現しました。


「天界に住まう者たちは、生命の春に向かて絶えず前進している。彼らは何千年であれ、年齢を積み重ねて生きれば生きるほど、ますます歓喜に満ちた幸福な春へと前進し、これが永遠に続いていく。年老いたり老衰で世を去った女性でも、主への信仰を持ち、隣人を愛して生きたなら、天界で年を経るにつれて、青春の花盛りだった頃の美を回復し、地上で見られるどんな美の概念をも凌駕する美へと前進してゆく」(『天界と地獄』P114)


従って、神の摂理に殉じた信徒は、「主にあって死ぬ死人はさいわいである。しかり、彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく」(ヨハネ黙示録14.13) との世界に導かれるというのです。


<地獄とは>

霊となった人間は、自由意思によって自らの一番居心地の良い場所を求めるといいます。地獄の霊たちは、自ら好んでここに落ち着き、ここが居心地のよい世界だと思っているというのです。


そして霊となった人間の「世俗愛と自己愛」という霊的に転倒した生命から地獄が生まれ、彼らの内面には、傲慢、淫欲、嫉妬、憎悪、復讐心など、あらゆる悪が充満していると指摘します。


ちなみに、愛には、神への愛、隣人への愛、世俗的な愛、自己愛の四種類があり、神への愛、隣人への愛は天界における愛であり、世俗的な愛、自己愛は地獄における愛だとしました。愛の在り方が天界と地獄を分けるというのです。


天界を生かす原理は愛であり、「愛とは自らを他者に与えようと願うことであり、他者に仕えることに喜びを感じること」と定義しました。(『スウェーデンボルグの思想』P113)


そして天界と地獄は、愛の在り方が分岐点となり、場所ではなく、生命の状態をいうと指摘しました。これらは当に、「霊界では生命の要素が愛であり、愛を呼吸して生きる」という文先生の教えそのものであります。


<輪廻転生について>

最後に、インド系宗教に見られる、いわゆる「輪廻転生」について、スウェーデンボルグはどのような見解を持っているのでしょうか。


スウェーデンボルグは「受胎によって両親の霊魂の枝分かれとして新たに創られる人間の霊魂は、一旦創られると不滅であり、死後も人間は完全な霊的身体を持って、霊界で永遠に生きる」と主張しました。


従って、「霊となった人間がこの世に帰還して何かに生まれ変わるということはあり得ない」というのがスウェーデンボルグの結論であります。筆者もこの見解を支持いたします。



以上、スエーデンボルグの人生、業績、召命、思想、著書などを考察し、彼の霊界観を見て参りました。彼の霊界観は、細部の違いはあるものの、基本的なところでは原理と瓜二つです。


彼は、57才で神の召命を受け、霊界の実相と聖書の奥義の解明に、約30年間心血を注ぎ、霊界に関する膨大な著書を残しました。これは、神がスウェーデンボルグを摂理され、彼を通して霊界を見せて下さったのだと信じるものです。モーセやサムエルのように、彼は確かに、神に召された預言者でありました。


死とは結合していた肉体と霊魂が分離して霊魂が霊界へ移行することであること、霊魂は不滅であり霊界は時空を超越していること、霊界は階層になっており愛の深さと神との距離が決め手になること、各階層へは自らが相対する場所に自由意思で赴くこと、愛による霊魂、即ち復活した霊の体は最高の美的存在になること、これらのスウェーデンボルグの霊界観は当に原理が示しているところです。


こうして我々は、霊界をつぶさに見てきたという科学者スウェーデンボルグの霊界観が、細部の違いはともかく、基本的認識では原理と大きな違いがないことに安堵すると共に、原理を補強する一面もあり、霊界の実在に関するより確かな確証を得ることができました。


即ち、彼の霊界見聞の記録と考察は、結果的に原理の霊界観の正しさを弁証し実証するものとなりました。彼は、霊界に関する原理の先駆的、羅針盤役割、即ち霊界に関する洗礼ヨハネと言ってもいいでしょう。かくして、愛に満ちた永遠の霊界は、紛れもなく実在しているとの結論に至りました。


但し、スウェーデンボルグの神学思想は、伝統的なキリスト教神学の三位一体論を三神論として退け、イエス・キリストの代理贖罪説を否定していますので、彼の卓越した霊界論・死生論にも係わらす、異端思想として批判されていることに留意しなければなりません。


次回は、これを踏まえ、 高橋和夫著『スウェーデンボルグの思想』、及びスウェーデンボルグ著『天界と地獄』を更に分析し、より詳細に霊界の実相を考察すると共に、特にスウェーデンボルグの聖書認識、神学思想についても見ていくことにしたいと思います。(了)