🔷聖書の知識111-ゼパニヤ書注解
「イスラエルの残りの者は不義を行わず、偽りを言わず、その口には欺きの舌を見ない。それゆえ、彼らは食を得て伏し、彼らをおびやかす者はいない」(3.13)
【概観】
『ゼパニヤ書』は全3章で構成され、ユダヤ教では「後の預言者」、キリスト教では12小預言書に分類されます。
伝統的にゼパニヤが筆者とされ、ヨシヤの時代(在位前640年~前609年頃)にエルサレムで活動した預言者で、本書は前7世紀後半に成立したと思われます。ゼパニヤとは「主が隠される者」という意味です。
筆者とされるゼパニヤは「ユダの王ヨシヤの時代」(1.1)の人で、4代前のユダの王ヒズキヤの子孫といわれ、同時代の預言者としては、ナホム、ハバクク、エレミヤがいます。
これらユダの時代背景として、悪王として名高い南ユダのマナセ王とアモン王による信仰の退廃がありました。
【テーマ】
主なテーマとしては、異邦人諸国とユダに対する神の裁き、及びその後の救いについて語られています。短い書ながら、滅びの預言と救済の預言の双方を備える、典型的な預言書の型を整えています。
その時代に対する彼のメッセージは、「主の日」(大患難時代)であり、世界を襲う神の裁きが来るという警告のメッセージと、神は悔い改める者を赦し回復してくださるという希望のメッセージの闇と光の二面性を持つものでした。
即ち、ゼパニヤ書の執筆目的は、主に同時代のエルサレム住民へ罪の悔い改めを警告することであり、ユダの人々をヤハウェ信仰に立ち返らせ、もって神の怒りを思い留まらせることでした。
またゼパニヤ書は、ヤハウェは、もはや他の異教の神と競合する神ではなく、民族神を越えた唯一神、普遍神として描き出されています。即ち神が自分の民への審判のために異国民を道具として用いることがあるという観念が認められます。
そして、ヤハウェの支配が、イスラエル人だけでなく、他のすべての国民にも及ぶという観念が現れています。
【全体のアウトライン】
先ず冒頭で、ユダの王ヨシヤの世に、ゼパニヤが主の召命を受けます。(1.1)
そして1章では、ノアの時のように、初めに普遍的に人類への裁きが宣言され(1.2~3)、次に、「ユダとエルサレムの全住民」が神の怒りを受ける対象として示され、怒りの日、「主の日」は近づいているといわれます。
「わたしはユダとエルサレムのすべての住民との上に手を伸べる。わたしはこの所からバアルの残党と、偶像の祭司の名とを断つ」(1.4)
13節からは、神の怒りが具体的にどのようなものであるかが示されます。
「彼らの財宝はかすめられ、彼らの家は荒れはてる。彼らは家を建てても、それに住むことができない、ぶどう畑を作っても、そのぶどう酒を飲むことができない」(1.13)
裁かれる人々とは、バアル礼拝者、偶像に仕える祭司、天の万象を拝む者(申4.19)、ミルコムに誓いを立てる者、主に従うことをやめた者、でした。
そして「主の日」が描写されます。主の日とは、地上から罪と罪人を一掃する終末の日です。
「主の大いなる日は近い、近づいて、すみやかに来る。主の日の声は耳にいたい。そこに、勇士もいたく叫ぶ。その日は怒りの日、なやみと苦しみの日、荒れ、また滅びる日、暗く、薄暗い日、雲と黒雲の日、ラッパとときの声の日、堅固な町と高いやぐらを攻める日である」(1.14~16)
次に、2章で、ペリシテの地(イスラエルの西)、モアブとアモン(東)、エチオピヤ(南)、アッシリヤ(北)など、異邦人諸国の滅亡が宣言されます。
「モアブは必ずソドムのようになる。アンモンの人々はゴモラのようになる。いらくさと塩穴とがここを占領して、永遠に荒れ地となる。この事の彼らに臨むのはその高ぶりによるのだ。彼らが万軍の主の民をあざけり、みずから誇ったからである。(2.9~10)
そして3章では、エルサレムの罪が示され、その後、回復が謳われます。
先ず、エルサレムの罪が糾弾されます。(3.1~8)
「わざわいなるかな、このそむき汚れた暴虐の町。これはだれの声にも耳を傾けず、懲しめを受けいれず、主に寄り頼まず、おのれの神に近よらない」(3.1~2)
そしてメシヤの来臨が預言され、イスラエルの回復が告げられます。(3.9~20)
「イスラエルの残りの者は不義を行わず、偽りを言わず、その口には欺きの舌を見ない。それゆえ、彼らは食を得て伏し、彼らをおびやかす者はいない」(3.13)
「シオンの娘よ、喜び歌え。イスラエルよ、喜び呼ばわれ。エルサレムの娘よ、心のかぎり喜び楽しめ。主はあなたを訴える者を取り去り、あなたの敵を追い払われた」(3.14)
以上、ゼパニヤ書の解説です。ゼパニヤは、神の審判と共に、イスラエルの残りの者の救いと回復の希望を語りました。次回はハガイ書の解説です。(了)
上記絵画*預言者ゼパニア(作者不詳)