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ダニエル書 註解

🔷聖書の知識102-ダニエル書注解


あなたの国には、聖なる神の霊のやどっているひとりの人がおります。あなたの父ネブカデネザル王は、彼を立てて、博士、法術士、カルデヤびと、占い師らの長とされました。彼はダニエルという者ですが、このダニエルには、すぐれた霊、知識、分別があって、夢を解き、なぞを解き、難問を解くことができます。ゆえにダニエルを召しなさい。彼はその解き明かしを示すでしょう(5.11~12)


【ダニエル書の全体像】


<概観>

『ダニエル書』は、ユダヤ教の分類では「黙示文学」として「諸書」に入り、題名はこの書の主人公であるダニエルに由来します。ダニエルとは「神は審きたもう」という意味です。


彼は前605年の第一次バビロン捕囚の時、ネブカデネザル王によってバビロンに連行されました。ベルシャザル、ダリヨスを経て、ペルシヤの王クロスの第3年(前536年)には、まだ生きていましたので(10.1)、彼の活動は70年前後にも及びました。


家族関係についてはほとんど知られていませんが、ユダ部族の属する貴族の生まれであり、心身ともに優れていました。(1.3~6)


捕囚の民の一人としてバビロニアに連行されたダニエルですが、その賢明さによって、友人3人と共にネブカドネザル2世に重用されました。


聖書学の高等批評的研究によって、本書はマカベア書の時代(アレキサンダー大王時代)に書かれたものであるという学説もありますが、福音派の中には、その説を退ける教派もあり、マカベア書の時代よりかなり前に書かれたものであると思われます。


書かれた言語としては、ヘブル語で書かれている部分(1.1~2.3及び8~12章)、とアラム語で書かれている部分(2.4~7.28)があり、その理由は、契約の民イスラエルに関する部分はヘブル語で書かれ、異邦人に関する部分は、当時の共通語であるアラム語で書かれたと言われています。


【ダニエル書の目的と特徴】


<目的>

ダニエル書は、イスラエルの人々に神への忠誠と献身を促し、イスラエルに対しては神の約束の確かさを、異邦人諸国に対しては神の主権の絶対性を示す目的を持って書かれました。


<特徴ー黙示文学>

ダニエル書は、いわゆる黙示文学であり、他に黙示文学としては、エゼキエル書(37~48章)、ゼカリア書(1.7~7.8)、そしてヨハネ黙示録があります。


黙示とは、「覆いを取る」「秘密の暴露」「啓示」などの意味があります。無論、聖書全体が神の啓示であると言えますが、啓示の様態が特殊なものを黙示と呼んでいます。


黙示は、初期のユダヤ教およびキリスト教において、神が選ばれた預言者に与えたとする「秘密の暴露」、またそれを記録したもので、黙示を記録した書を黙示文学と言われています。


黙示文学の特徴としては、神の幻を見た者がその内容を書き記し、しかも表現に象徴(シンボル)やしるし(サイン)が多用されていることです。特に、選民イスラエルの将来に関する啓示が多く、散文形式で書かれています。


黙示には聖書の奥義や暗号が含まれており、主観的解釈を慎み、バランスよく、深い聖書研究をしなければ、黙示文学の解釈は不可能であると思われます。即ち、神霊と真理を以て正しく解釈しなければなりません


黙示文学は、迫害を避けるために、あからさまに書けない事柄を、象徴や比喩で暗示的に表現したという一面があり、また黙示表現には想像やインスピレーションを掻き立てる効果があります。


<ダニエルとヨセフ>

ダニエルとヤコブの息子のヨセフは、よく似ています。二人とも秀麗で信仰心も旺盛であり、双方異郷において、神に忠実でありました。


王の夢や幻を解き明かしたことにより、王の信頼を得、王によって高い地位に上げられました。双方、夢見る人であり、夢の解き明かしの賜物を持っていました。


【ダニエル書の内容について】


ダニエル書は、二部に分かれ、一部(1~6章)は主として伝説による歴史的な物語で、二部(7~12章)は、主としてダニエルに与えられた幻について述べています。


即ち、a.バビロン捕囚と宮仕えについて(1章)、b.巨大な像などの幻の解き明かし(2~4章)、c.壁に書かれた文字の解き明かし(5~6章)、d.来るべき御国の幻(7~12章)という構成になっています。


1章では、ダニエルと3人の友人(ハナニヤ、ミシャエル、アザリヤ)の4人がバビロニアへ捕囚された後、バビロニアの王ネブカドネザル2世に用いられて仕える経緯が記録されています。


2章では、ネブカドネザル王の夢(巨大な像の幻)についての解き明かしが書かれています。


王は自分の見た夢に思い悩まされますが、どんな夢か思い出せず、夢およびその解き明かしを賢人達に求めましたが誰も答えられません。あやうく皆殺し寸前の所で、ダニエルが夢とその解き明かしを王に告げるという物語です。


ネブカデネザルが見た夢は、将来起こる異邦人の4帝国(バビロン、ペルシャ、ギリシャ、ローマ)の運命について預言され、その後とこしえの国が立つことでした。


3章では、ハナニヤ、ミシャエル、アザリヤの3人が、王の造った金の像を拝む事を拒否したために、

燃え盛る炉に投げ込まれる話しです。三人は神の加護により、奇跡的に生還しました。


4章は、大きな木の夢の話しです。王はまた夢を見ますが、今回は内容は覚えており、その解き明かしを求めますが、ダニエルにしか答えられませんでした。そしてダニエルは王にその解き明かしをします。


ネブカドネザルは打たれますが、正気になって悔い改め、神を称えました。


5章では、壁に字をかく指の話しです。


ベルシャザル王の宴会で突然人の手の指が現れ、壁に「メネ、メネ、テケル、ウパルシン」という文字が書かれ、王はひどく取り乱しますが、今回も解き明かしはダニエルにしか出来ませんでした。


内容は傲慢になった王のバビロニア帝国の終わりを意味しており、その夜の内にベルシャザル王は殺され、ダリヨスという人物が国の統治権を得ることになりました。(キュロス2世による新バビロニア征服)


ベルシャザルの王(レンブラント画)   ライオンの穴(プリントン・リヴィエル画)


6章では、冤罪で獅子の洞窟に投げ込まれるダニエルの話しが出てきます。ダニエルは事なきを得て、王はダニエルと神を讃えました。


7章では、四つの獣の幻の話しです。ベルシャザル王の元年にダニエルが見た幻は、「鷲の翼を持つ獅子」「三本の肋骨を咥えた熊」「翼と頭が四つある豹」「十の角と鉄の歯を持つ恐ろしくい獣」の4つの大きな獣が海から上がってくる話しです。


これらの獣は、それぞれ バビロン、ペルシャ、ギリシャ、そしてローマの四つの帝国を象徴していると言われています。つまり世界の覇権国の変遷の預言であり、神は、異邦人の帝国をも支配しておられ、その神のゴールは、メシア的王国であります。


8章は、雄羊と雄やぎの幻で、将来の帝国の預言が示されました。雄羊はメディアとベルシャの王、雄やぎはギリシャの王を意味すると言われています。


9章は有名な定めの七十週の記録が書かれています。


ダリヨス王の治世の第一年にダニエルに生じた出来事で、ダニエルがエレミヤ書を読んだ後にヤハウェに懺悔の祈りをしていると、ガブリエルが飛んできてメシアが来るまでの期間についてのお告げがありました。


「それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう」(9.25~26)


10章から12章は、終わりのときについての幻であり、メシア的王国におけるイスラエルの祝福を預言しています。


「その時あなたの民を守っている大いなる君ミカエルが立ちあがります。また国が始まってから、かつてなかったほどの悩みの時があるでしょう。しかし、その時あなたの民は救われます。(12.1~2)


【ダニエル物語からの教訓】


ダニエル書は、全ての知恵、信仰、勇気、決断は、すべからく神を知ることから始まることを教えてくれる教材であります。


<神を知ることは知識のはじめ>

ダニエル書2章、4章にある通り、神はダニエルの祈りに答え、ネブカデネザルが見た夢と、その解き明かしを示してくださいました。


ネブカデネザルが見た夢というのは、バビロン、ペルシャ、ギリシャ、そしてローマの四つの帝国が次々に世界を治め、その後、神の国が始まるというものでした。これは、神が、ネブカデネザルの夢を通して、神の世界支配についての計画を示されたものでした。


しかし、ダニエルに王の夢の解き明かしを与えたのは人ではなく神でした。


「王が求められる秘密は、知者、呪文師、呪法師、星占いも王に示すことはできません。しかし、天に秘密をあらわすひとりの神がおられ、この方が終わりの日に起こることをネブカデネザル王に示されたのです。」(ダニエル2.27)


ダニエルは、神を知る人であったゆえに、神の計画を知ることが出来ました。神を知ることによって、どんな哲学者・思想家・科学者であっても知り得ない、世界の意味、歴史の意味、人生の意味を知ることができるというのです。


「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである」(箴言9:10)とある通りです。


<自分の神を知る人は、堅く立って事を行なう>

またネブカデネザル王は、自分の像をつくり、それを人々に拝ませました。しかし、ダニエルの友人であるハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤは、その像を拝むことを拒否しました。


「王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」(ダニエル3.16~18)


彼らは、死も恐れず、王に立ち向かったのです。このような勇気はどこから来たのでしょうか。それは、神を知り、神に立つことから来ています。


これは、冤罪で獅子の穴に入れられ、無事生還したダニエル(6.22)にも言えることですが、彼らは、神こそがすべてのものの上におられる絶対者であることを、深く知るものでありました。単に、強い信念を持っていたというだけではありません。神への人格的な信頼と深い愛がありました。


3人は、神が彼らを守ってくれたから神を知ったのでも、神が彼らを高官に用いてくれたから信じたのでもありませんでした。彼らは、神を知ること自体が最高の喜びであり、神を信じること自体が祝福であると考えていました。


「火は彼らのからだにはききめがなく、その頭の毛も焦げず、上着も以前と変わらず、火のにおいもしなかった」(ダニエル3.27)


それは、「自分の神を知る人たちは、堅く立って事を行なう」(ダニエル11:32)とあるように、神を知り、神に立つことを第一義とすることから始まるというのです。



以上の通り、ダニエル書を見て参りました。私たちは、この書から多くの霊的意味を汲み取ることができるでしょう。次回はホセア書の解説です。(了)