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ホセア書 註解

🔷聖書の知識103-ホセア書注解


行って、淫行の妻と、淫行によって生れた子らを受けいれよ。この国は主を見捨てて、はなはだしい淫行にふけっているからだ(1.2)


ホセア書はユニークな書です。神の召しは、ホセアに姦淫の妻を娶り、姦淫の子らを受け入れ、背信の妻を許すことから始まりました。


【ホセア書概観】


<概観>

『ホセア書』は、キリスト教では十二小預言書の一つに分類され、ホセアは、前8世紀末に北イスラエルで活動した預言者でエリヤ、エリシャ、アモスに次いで北イスラエル出身の預言者で、活動の地は、主に北王国イスラエルでした(捕囚期前預言者)。「ホセア」とは、「主は救う」という意味です。


「ユダヤの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの世、イスラエルの王ヨアシの子ヤラベアムの世に、ベエリの子ホセアに臨んだ主の言葉」(1.1)


ホセア書の内容は、神に度々不信仰したイスラエルに対する裁きと滅亡、そして回復の預言であり、北王国の滅亡を預言したという点で、ホセアはアモスの後継者であります。


ホセアは、主を捨てバールを礼拝し,堕落したイスラエルの人々に,不義に対する神の審きと、悔い改めによる罪のゆるしについて説きまし。


構成は、ホセアの召命と悲劇的な結婚(1~3章)、イスラエルの不信仰と叱責(4~10章)、審判・救い・回復(11~14章)という構造になっています。


<時代背景>

8世紀の前半、ヤロブアム2世は北王国に繁栄をもたらし、ダビデ時代の再来を思わせるようでした。しかしヤロブアムの死後、王の暗殺が続き、政治的、経済的試練の時代を迎えました。加えて民の精神的支柱であった宗教が、偶像礼拝によって腐敗し、不信仰が蔓延していたのです。


かくして北王国は、前722年にアッシリアに滅ぼされ、南王国は、アッシリヤの属国となりました。アッシリヤ帝国が、神の裁きの器となったというのです。ホセア書には、北王国の滅亡(前722年)の記事がありませんので、ホセアは北滅亡前までの預言者だと思われます。


ヤロブアムの偶像崇拝(ジャン・フラゴナール画)、予言者ホセアの結婚


【ホセアの召命・イスラエルの罪(姦淫)・回復】


<召し・姦淫の妻>

ホセアの召しは、なんと姦淫の女(神殿娼婦)と結婚を命じられるということから始まりました。


「行って、淫行の妻と、淫行によって生れた子らを受けいれよ。この国は主を見捨てて、はなはだしい淫行にふけっているからだ」(1.2)


ちなみに「姦淫の子ら」とは、娼婦時代にその女が産んだ父親がだれかも分からない子どもたちであります。ホセアは神の命令に従順に従い、ゴメルというディブライムの娘を娶りました。


聖書では、しばしば神ヤハウエとイスラエルの関係を夫と妻の婚姻関係に例え、イスラエルの民は、神の妻であるというのです。上記の聖句は、その神の妻たるイスラエルが、夫たるヤハウエを離れ、他の神々と姦淫(偶像崇拝)に堕ちたことを象徴しています。


ここで「淫行」とは、偶像礼拝のことであり、イスラエルの民は、バアル信仰に走りました。バアルは、カナンの雨・嵐の豊穣神で、性的祭儀を伴う儀式があります。


しかしホセアの妻ゴメルは、3人の子を産んだ後、夫を裏切り、愛人のもとに走るようになります。しかし、神はこの背信の妻ゴメルを買い戻すように命じられます。神はホセアに、自分が偶像崇拝に走った姦淫の妻イスラエルを許し愛したように、不義の妻を許し受け入れよとホセアに命じられました。


「主は言われる。『あなたは再び行って、イスラエルの人々が他の神々に転じて、干ぶどうの菓子を愛するにもかかわらず、主がこれを愛せられるように、姦夫に愛せられる女、姦淫を行う女を愛せよ』と。そこでわたしは銀十五シケルと大麦一ホメル半とをもって彼女を買い取った」(3.1~2)


姦淫の妻ゴメルとの結婚・裏切り・許しという体験を通して,ホセアは、愛するに値しない民に対するヤハウェの許しと愛、そして悲しみを実感しました。 神は、ホセアとゴメルとの結婚・裏切り・許し・再結合を通して、神とイスラエルの関係を語られたというのです。


<イスラエルへの裁きと回復>

ホセアは、申命記で結んだイスラエルの民の契約違反を指摘し、契約違反に対する神の裁きを宣言しました。


「イスラエルの人々よ、主の言葉を聞け。主はこの地に住む者と争われる。この地には真実がなく、愛情がなく、また神を知ることもないからである。ただのろいと、偽りと、人殺しと、盗みと、姦淫することのみで、人々は皆荒れ狂い、殺害に殺害が続いている。それゆえ、この地は嘆き、これに住む者はみな、野の獣も空の鳥も共に衰え、海の魚さえも絶えはてる」(4.1~3)


しかし神はイスラエルに、悔い改めを促されます。


「わたしは彼らがその罪を認めて、わが顔をたずね求めるまで、わたしの所に帰っていよう。彼らは悩みによって、わたしを尋ね求めて言う、『さあ、わたしたちは主に帰ろう。主はわたしたちをかき裂かれたが、またいやし、わたしたちを打たれたが、また包んでくださるからだ』」(5.15~6.1)


神は、イスラエルの民を見捨てず、裁きは、イスラエルの民を悔い改めに導く神の試練でもありました。ホセアが妻との関係を回復するように、神とイスラエルの民の関係の回復を語られています。


「エフライムよ、どうして、あなたを捨てることができようか。イスラエルよ、、どうしてあなたを渡すことができようか」(11.8)


「イスラエルよ、あなたの神、主に帰れ。あなたは自分の不義によって、つまずいたからだ。あなたがたは言葉を携えて、主に帰って言え、『不義はことごとくゆるして、よきものを受けいれてください』わたしは彼らのそむきをいやし、喜んでこれを愛する。わたしの怒りは彼らを離れ去ったからである」(14.1~4)


こうして申命記に約束されている通り(申30:1~10)、イスラエルは究極的な回復を確認することになります。


私たちは、神への信仰と、罪の告白によって、神に立ち返ることができます。何故なら、「主は怒るのにおそく、恵み豊かである。咎とそむきを赦す方であられます」(民数記 14:18)とある通り、神は悔い改める者を許し、罪を告白する者を義とされるからです。


「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」(ヨハネ1.9)



以上、ホセア記を解説いたしました。ホセア記を通して、私たちは神の痛みと慈愛の深さを知ることができるでしょう。次回は、ヨエル記の解説です。(了)