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チャック・コルソンの回心ーボーン・アゲインとは何か 


○つれづれ日誌(令和2年11月18日)-チャック・コルソンの回心ーボーン・アゲインとは何か


人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません(ヨハネ3.3)


今回のテーマは「回心と新生」(重生)です。英語では、「ボーンアゲイン」((Born Again)です。筆者が主宰する聖書セミナーも「新生聖書勉強会」と命名しています。文字通り新生とは新しく生まれることで、これは信仰の目標であり希望です。


【ハーベストタイム・ミニストリーズ】


福音派の中川健一牧師が主宰されている「ハーベストタイム・ミニストリーズ」に掲載される聖書講座(YouTube)は、既に1200本を超え、聖書とは何か、キリスト教とは何かを学ぶためにはこれ以上ない教材であり、筆者も大変参考にさせて頂いています。


ただ、中川牧師は、UCについて、エホバの証人やモルモン教などと並んで、異端との認識に立っておられ、UC創始者を終末に出現する偽預言者(マタイ7.15)と考えられていますので、この点を付け加えておきます。また、時に原理観とは異なる聖書解釈がありますので、この点も考慮する必要があります。


しかしそれにも係わらず、中川牧師の聖書講座は、一級の聖書教材だと認識しており、昨年、恵比寿の集会でお会いした時、「中川先生のYouTubeのお陰で、神学校に行かなくて済みました」とお礼の気持を伝えました。今後、唯一にして創造主たる神を信じ、イエスをキリストと受け入れる者全てのために、超教派の分野でも活躍されることを期待し祈るものです。


さてその中川氏が、創世記講座(17)で、洪水後、ノアが裸で泥酔したことに関し、義人のノアでさえ失敗するのなら、まして私たちはすべからく罪を犯す存在であり、回心し救われなければならない罪人であると強調されました。但し、原理ではノアの裸の泥酔の場面は、ノアの失敗物語というより、神が仕組まれた摂理的状況と解釈しています。またこの聖書箇所はハム(カナン)の同性愛(男色)の場面だとの説もあります。


そしてその回心の一例として、中川牧師が尊敬し高く評価されているニクソン大統領特別補佐官であったチャールズ・コルソン(以下、「チャック・コルソン」と呼ぶ)の回心、即ちコルソンのボーンアゲイン(Born Again)を挙げられました。そこで今回は、ボーンアゲイン(Born Again)とは何かについて、コルソンの回心を題材に考えたいと思います。


【チャック・コルソンの回心ーボーン・アゲインとは何か】


チャック・コルソンは、自らの回心体験を書いた『ボーン・アゲインーウォーターゲート後日物語』(いのちのことば社)という本を出版しましたが、これを契機に、「ボーン・アゲイン」という聖書の用語が、流行語のように全世界に広まることとなったと言われています。いわば「ボーン・アゲイン」の生みの親であります。 


<略歴>


チャック・コルソン(1931~ 2012年)は、アメリカ合衆国のキリスト教右派指導者、伝道者、評論家、作家であります。


コルソンは、ブラウン大学へ進学し、1953年に学士を取得、1959年にジョージ・ワシントン大学において法学博士を取得しました。また1953年から1955年にかけては海兵隊の兵役に就き大尉まで昇進しました。


1969年から1973年までリチャード・ニクソン大統領の特別補佐官を務め敏腕を振るい、ウォーターゲート事件を発端とする一連の事件で有罪となり収監されたことで知られています。ニクソンとは互いに通ずる点があり、ほとんど父子のような強い紐帯で結ばれていたと言われています。


即ち、1974年にウォーターゲート事件への関与により大陪審に起訴された大統領側近の一人であり、事件に直接関わる不法進入や隠蔽工作では有罪を免れたものの、他の審理に関する司法妨害で罪を認めました。1973年にキリスト教に回心した後(42才)、1年~3年の実刑判決(不定刑期)を受けアラバマ州マクスウェル刑務所に7か月間服役しました。


コルソンのウォーターゲイト事件以降の後半生は、服役中の体験をもとに、刑務所の処遇や法制度改革、受刑者をキリスト教によって更生を促す非営利の教役者組織「プリズン・フェローシップ」 (Prison Fellowship) の設立とその活動に捧げられました。囚人のための教役者(教師)組織をつくり、司法制度改革や受刑者を更生・教化するために行動することが、神の召命であるとの確信を深めるようになりました。


今では、アメリカ50州の連邦刑務所の中で「プリズン・フェローシップ」のない刑務所は一カ所もないと言われています。この団体の活動により、刑務所内の環境は大幅に改善され、さらに、多くの受刑者たちが信仰に導かれ、更正した生活を営むようになっています。 


一方コルソンは、1953年に結婚し三児をもうけましたが、家庭を顧みず、過度の飲酒や職場の同僚との不倫によって結婚生活は破綻し 、別居を経て1964年に離婚、同年に不倫相手であったアイルランド系カトリックの女性と再婚しています。

<コルソンの回心>


コルソンは、逮捕を控えていた時、ビリー・グラハムの伝道集会で回心した友人で軍需生産大手のレイセオン社会長「トム・フィリップス」 の導きと、フィリップスから贈られたクライブ・ステープルス・ルイス著『キリスト教の精髄』と出会い、これをきっかけに福音派のキリスト教徒になります。


『キリストの精髄』の次の言葉がコルソンの胸を打ちました。


「世界中の人間がだれ一人として免れることのない一つの悪徳がある。それは傲慢、うぬぼれ、プライドである。それは完全に反キリスト的なものである。プライドはまさに霊的な癌である」


フィリップスから『キリストの精髄』の上記一節を読み聞かせられたその帰途、コルソンの心に何かが流れ込み、涙が溢れてたまらなかったと述懐しました。(『ボーンアゲイン』いのちのことば社P160)


その後コルソンは、ルイスの本の中心課題「イエス・キリストの神性」に圧倒され、遂に1973年8月12日 メイン州の海辺で「主イエス様、あなたを信じます。あなたを受け入れます。どうか私の生涯にお入り下さい。私の生涯をあなたにお委ねします」(『ボーンアゲイン』 P179)という回心の祈りをし、キリストに自らを明け渡して名実共にキリスト者となりました。42才。   


コルソンは著書『ボーンアゲイン』の中で、「ルイスの本の中心課題、即ちキリストの精髄は、『イエス・キリストは神である』(ヨハネ10.30)という主張に要約されている」(P172)と書いています。しかし、それまでコルソンは、「いったい、神を見たり、聞いたり、感じたりすることは可能だろうか」といった疑問を持ち、また「イエスは神の預言者であり教師であって、当代の誰よりも、またどの時代の誰よりもずば抜けた人間である」というイエス像を持っていましたので、イエスが神であるというルイスの主張を完全に受け入れるには、かなりの逡巡が必要だったというのです。


そうして上記の通りコルソンは、長い内的葛藤を経、またクリスチャンの妻パティーの信仰の助けを受けて、遂に「イエスが神である」ことを信仰と理性において受け入れました。この「イエスは神」とのキリスト観を持つに至ったコルソンを決して侮ることはできませんし、このキリスト観がキリスト教の求心力になってきたことは事実でありますが、しかし、これはまたキリスト教神学の限界でもあるというのです。


コルソンはある講演の中で人間の罪の性質に言及し、「全的堕落」という言葉を用いて、人間はすべからく罪人であり、そして罪人の最大の特徴は「自分の罪に気付いていないこと」であると指摘しました。回心後コルソンは多くのメディアを用いキリスト教福音派の世界観から時事問題を論じ、キリスト教の世界観を広めることに尽力しました。15の名誉博士号を受け、1993年には宗教関連で活躍した人物に贈られる「テンプルトン賞」を授与されています。 


そしてコルソンが書いた本は、信仰と知性と行動の絶妙なバランスが宿っていると中川牧師は絶賛され、コルソンの好きな聖句「しかし、わたしにとって益であったこれらのものを、キリストのゆえに損と思うようになった。キリストの故に全てを失ったが、それはキリストを得るためである」(ピリピ3.7~8)を引用されました。(ハーベストタイム「収穫の時」)


【コルソンの回心が語るもの】


さてここで、ワシントンの大物弁護士で、大統領の敏腕の側近であり、ホワイトハウスの祈祷会にも参加しない非キリスト者であった世俗人コルソンが、何故回心して熱心なクリスチャンになり、別人のように後半生を福音宣教に身を投じるようになったのか、という問題を解かねばなりません。


ウォーターゲート事件に巻き込まれて、権勢の絶頂にいた彼のプライドが傷つけられたばかりでなく、全国民が注視の中で、弁護士資格を剥奪され、犯罪人としての烙印を押された被疑者の立場は、想像を絶する追い詰められた心境であったことは確かでしょう。だからこそ、ルイスの「だれ一人として免れることのない一つの悪徳、それは傲慢、うぬぼれ、プライドである」との言葉が素直に入ってきたというのです。その時、過去の恐れを知らぬ不遜な自らの姿が走馬灯のように蘇ってきました。コルソンは「政治の世界は食うか食われるかである」との考え方を持ち、政敵に対しては無慈悲な「ニクソンの刺客」と言われていたのです。


神がコルソンをどん底に追い込まれたのです。彼はそのどん底でキリストと出会いました。ウォーターゲート事件という災難は、コルソンに悔い改めの機会を与え、転じて神との出会いの場となったというのです。そして彼は神が用意した回心の機会を、自らをキリストに明け渡すという決断を以て答えました。そして神はコルソンの高い実務能力を、今度は神の国成就のための奉仕者として用いられだというのです。正に邪悪な殺し屋から愛の宣教師への華麗な転身です。文字通り、神の計りごとは人間の知恵では「測りがたし」(ローマ11.33)です。


コルソンは、自らが神に全てを明け渡すに至った事の顛末を、著書『ボーンアゲイン』に書き記しました。かくしてボーンアゲインという言葉は全米を駆け巡ることになったと言うのです。


【歴史を動かした回心】


ボーンアゲイン(Born Again)とは、悔い改めて回心し、新しく生まれ変わることであります。アメリカの歴史的に有名な回心に、第二次リバイバルの中心人物で、アメリカ最大のリバイバリストと言われる「チャールズ・フィニー」(1792~1875)を挙げることができるでしょう。


弁護士でもあるフィニーは、1921年10月10日(29歳)、エレミヤ書29章12節~14節の「もしあなが一心にわたしを尋ね求めるならば、 わたしはあなたがたに会う」の聖句に感応し、聖霊のバプティスマを受け、劇的な回心を遂げました。フィニーは神に激しく求めたのです。そしてその原点には、彼自身の、罪に対する深刻な悔い改めと聖霊との出会いの経験がありました。エゼキエル18章31節に「わたしに対しておこなったすべてのとがを捨て去り、新しい心と、新しい霊とを得よ」とあります。新しい心と新しい霊、即ち神はフィニーに回心を命じられました。


では、回心はどのように起こるというのでしょうか。第一に神の霊、聖霊により導かれなければなりません。次に真摯な悔い改めと神の言葉との出会いであり、そして自らが回心を決断しなければならないというのです。神の御霊は真理を通して罪人に回心を迫ります。しかし、実際に回心するのは罪人自身であり、本人の決断なしに回心は起こりません。そして神は真摯な悔い改めと罪の告白に対して「赦し」をもって答えられるというのです。正に救いとは「赦されて罪から解放されること」であり、1ヨハネ1章9節に「神はその罪を赦し、不義から浄めて下さる」とある通りです。


フィニーは、リバイバルは人間のたゆまぬ努力がもたらすものでもあると語っています。そしてコルソンも、神が与えた回心の機会を、理性を超えてキリストに自らを明け渡すことを決断することによって成し遂げました。


以上の通り、回心とは何か、そして回心がもたらすボーンアゲインとは何かをコルソンの回心を通して考えで参りました。中川牧師がいみじくも言われた「ノアでさえ罪を犯すのであれば、いわんや私たちにおいておや」ということでしょうか。(了)

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