🔷聖書の知識108- ミカ書注解 イスラエルの残れる者
末の日になって、律法はシオンから出、主の言葉はエルサレムから出るからである。(ミカ4.1~2)
そこで彼らはつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかってつるぎをあげず、再び戦いのことを学ばない(ミカ4.3~4、イザヤ2.2~4)
『ミカ書』は、ユダヤ教では「後の預言者」に、キリスト教では12小預言書の6番目に位置して7章からなる書です。著者は伝承では紀元前8世紀の預言者ミカとされ、ミカとはミカイヤの略で「誰が主のようであろうか」という意味です。
預言者ミカは、ミカ書1章1節によれば、南ユダのモレシテ出身で、預言者イザヤと同時代人であるとされています。
【概説】
<預言者の役割>
そもそも預言者の役割とは何でしょうか。預言者とは、民と王(指導者)の罪を指摘し、神の裁きを告げて悔い改めを迫り、そして回復の希望を預言して励ますことにありました。
イスラエルの罪とは偶像礼拝(霊的姦淫)、と社会的紊乱(姦淫)などであり、裁きは主に外敵(アッシリア・バビロン)からの侵略でした。
<ミカ書の構成>
ミカは、アッシリヤの侵攻、社会的格差の増大や指導者たちの腐敗という歴史的背景の中で、神のことばを伝えました。
ミカの預言は、主にサマリヤ(北王国)に関するものでしたが、一方ミカは支配階級に抑圧されている南ユダの人たちの苦しみに共感し、横暴な指導者たちの不正を厳しく糾弾しています。
その中には賄賂をもらって依頼者に都合の良い預言をする偽預言者や祭司も含まれていました。そして彼らに神の裁きと滅びが近づいていることを語りました。
全体の構成は、a.サマリアへの神の裁き、ユダの罪と回復の預言(1~2章)、b.指導者らへの裁きとその後に来る祝福(3~5章)、c.罪の糾弾と回復の約束(6~7章)、というようになり、三区分がそれぞれ「聞け」(シャマ)という聖句で始まっています。(1.2、3.1、6.1)
【ミカ書のアウトライン】
<サマリアへの神の裁き、ユダの罪と回復の預言>( 1 ~ 2 章)
先ず、サマリアに対する裁きの預言からはじまります。(1.2~7)
「山は彼の下に溶け、谷は裂け、火の前のろうのごとく、坂に流れる水のようだ。これはみなヤコブのとがのゆえ、イスラエルの家の罪のゆえである」(1.4~5)
後日、サマリヤ(北王国)は滅亡し、その民はアッシリヤ捕囚に引かれて行かれることになりますが、これは「偶像礼拝の罪」、即ち神の目から見ると「霊的姦淫」に当たる罪故でした。
しかし裁かれるのはサマリヤだけではなく、ユダもまたそうでした。ミカは、ユダの地が荒れ果てることを思い、嘆き悲しみます。
「サマリヤの傷はいやすことのできないもので、ユダまでひろがり、わが民の門、エルサレムまで及んでいる」(1.9)
ユダの罪は裕福な上流階級の人たちが、弱者を搾取(貪欲)していることでした(2:1~11)。神は、民の「道徳的罪」に対して「わざわい」をもって応えられるというのです。
「彼らは田畑をむさぼってこれを奪い、家をむさぼってこれを取る。彼らは人をしえたげてその家を奪い、人をしえたげてその嗣業を奪う」(2.2)
しかし神はイスラエルを見捨てず、その回復を預言されました。
「ヤコブよ、わたしは必ずあなたをことごとく集め、イスラエルの残れる者を集める。わたしはこれをおりの羊のように、牧場の中の群れのように共におく」(2.12)
このようにユダは裁きに会いますが、神は「イスラエルの残れる者」(救いを受ける真の信仰者たち)の存在を語られます。この預言は、ミカの時代の「残れる者」たちを大いに励ましました。
<指導者らへの裁きとその後に来る祝福> (3 ~ 5 章)
イスラエルの家の指導者たちは、神の御心を知りながら、そ れに反して、民衆を搾取し、苦しめていたというのです。 偽預言者たちは、民を惑わせ、偽りの道へと導き、私腹を肥やすために預言を用いていたのです。
「あなたがたは血をもってシオンを建て、不義をもってエルサレムを建てた。そのかしらたちは、まいないをとってさばき、その祭司たちは価をとって教え、その預言者たちは金をとって占う」(3.10~11)
しかし、遂にイスラエルの復興が語られます。
「末の日になって、主の家の山はもろもろの山のかしらとして堅く立てられ、もろもろの峰よりも高くあげられ、もろもろの民はこれに流れくる。律法はシオンから出、主の言葉はエルサレムから出るからである」(4.1)
また次の聖句は、イザヤ2章2~4節にもあり、国連広場の壁に書かれている有名なフレーズです。
「彼は多くの民の間をさばき、遠い所まで強い国々のために仲裁される。そこで彼らはつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかってつるぎをあげず、再び戦いのことを学ばない」(4.3)
そしてメシア誕生の預言がなされました。
「しかしベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちからわたしのために出る」(5.2)
上記の聖句で、ベツレヘムから将来のユダの指導者(メシア)が出ると預言されますが、この節は、『マタイによる福音書』2章6節で引用されています。
「ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう」(マタイ2.6)
預言者ミカのイコン(キジ島) ミカの出身地(モレシュテ) ユダヤ・ベツレヘムの星
<罪の糾弾と回復の約束>( 6 ~ 7 章)
神は再びイスラエルの罪を糾弾されます。
「あなたのうちの富める人は暴虐で満ち、あなたの住民は偽りを言い、その舌は口で欺くことをなす。それゆえ、わたしはあなたを撃ち、あなたをその罪のために滅ぼすことを始めた」(6.12~13)
神はイスラエルの民に、動物のいけにえではなく、内面的な悔い改めを求められます。
「主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか」(6.8)
「公義を行い」とはモーセの律法の実践で正義を強調した北朝のアモス、「いつくしみを愛し」は、隣人愛で神の愛を訴えたホセア、「あなたの神とともに歩む」とは、日々神との交わりを意味し南朝の神々の聖を強調したイザヤを象徴すると言われます。
そして三たびイスラエルの回復の約束が語られます。(7章)
「あなたの城壁を築く日が来る。その日には国境が遠く広がる。その日にはアッスリヤからエジプトまで、エジプトからユフラテ川まで、海から海まで、山から山まで、人々はあなたに来る」(7.11~12)
最後にミカの祈りが捧げられます。
「だれかあなたのように不義をゆるし、その嗣業の残れる者のためとがを見過ごされる神があろうか。神はいつくしみを喜ばれるのでその怒りをながく保たず、再びわれわれをあわれみ、われわれの不義を足で踏みつけられる。あなたはわれわれのもろもろの罪を海の深みに投げ入れ、昔からわれわれの先祖たちに誓われたように、真実をヤコブに示し、いつくしみをアブラハムに示される」(7.18~20)
【イスラエルの残れる者】
さてミカ書では「イスラエル残れる者」というフレーズが、下記の通り4箇所出てきます。これはミカ書のテーマです。
「ヤコブよ、わたしは必ずあなたをことごとく集め、『イスラエルの残れる者』を集める」(2.12)
「その時『ヤコブの残れる者』は多くの民の中にあること、人によらず、また人の子らを待たずに主からくだる露のごとく、青草の上に降る夕立ちのようである」(5.7)
「また『ヤコブの残れる者』が国々の中におり、多くの民の中にいること、林の獣の中のししのごとく、羊の群れの中の若いししのようである」(5.8)
「だれかあなたのように不義をゆるし、その『嗣業の残れる者』のためにとがを見過ごされる神があろうか」(7.18)
イスラエルの残れる者(レムナント)とは、イスラエル民族の過酷な試練の中にあっても、真の信仰を貫いた少数の人たちのことです。 「真のイスラエル」、「霊的イスラエル」とも呼ばれ、ミカ書の他、このフレーズは、エレミヤ書、イザヤ書など旧約聖書では66回出てきます。 不信に流れる民の中にあっても、神の民の霊的な核として、新しい神の民を形成する者となる「残りの者」がいたというのです。
BC582年のバビロン捕囚によって、国土・主権・国民・神殿が壊滅し、国王をはじめユダ王国の指導者はバビロンに捕囚されていきました。この国の大患難の試練の中にあって、民の心は二つに分かれました。
信じていたヤハウエの神は戦争に負けた弱い神、無能な神であり、もはや信じるに値しない神として捨て去っていった人々と、逆に、責任はヤハウエにあるのではなく、不信仰の罪を犯したイスラエル自身にあるとして、悔い改めて神に立ち返り、「ヤハウエの神との再結合」を目指した人々の二つの群れであります。
歴史の二流という言葉がありますが、患難に際し、必ず二つの道に分かれるのが歴史の原則です。
そしてこのヤハウエとの再結合を目指した人々こそ「イスラエルの残れる者」即ちレムナントであります。旧約聖書はこの捕囚時代のレムナントによって編集されました。
「その日にはイスラエルの残りの者と、ヤコブの家の生き残った者とは、もはや自分たちを撃った者にたよらず、真心をもってイスラエルの聖者、主にたより、 残りの者、すなわちヤコブの残りの者は大能の神に帰る。 あなたの民イスラエルは海の砂のようであっても、そのうちの残りの者だけが帰って来る」(イザヤ10・20~22)
文鮮明先生は、レムナントに関して次のように語られました。
「神様は終わりの日になれば、人類の前に7年の大患難があるだろうと予告されました。人間の絆がみな壊れていき、信じられない環境にぶつかる時です。その時は、希望が揺れる時であり、私たちが信じている信仰の中心が揺れる時であり、信じて従った指導者が揺れる時です。では、神様はなぜそのような患難をつくっておかなければならないのでしょうか。それは真の神様、歴史的に苦労した神様と同参したという価値を与えるためです。信じられないような患難の中でも『神様を愛する、神様と共に生きる』と言い得る真の息子、娘を探されました」
以上が、ミカ書の解説であります。ミカは、罪の指摘、神の裁き、悔い改めの勧め、イスラエルの回復の預言、という典型的な預言書の型を示した預言者でした。次回はナホム書を解説していきます。(了)
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