🔷聖書の知識91-ヨブ記注解 苦難の神義論ーどん底で会う神
このときヨブは起き上がり、上着を裂き、頭をそり、地に伏して拝し、そして言った、「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみほむべきかな」(ヨブ記1.20~21)
プロローグ
「人は何故患難に合うのか、何故悪が栄え、義人が苦難に合うのか」、これはヨブ記のテーマであります。「そのひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった」 (ヨブ記1.1)義人が、考えられない大苦難に遭遇したのです。即ち、ヨブに大災禍来たりて財産は悉く奪われ、子女は悉く殺され、身は悪い腫れ物に襲われ、最愛の妻さえ彼を罵るに至ったのであり、かくしてヨブはただ独り苦難の曠野に坐ざして、この問題の解決を強しいられたのであります(1章、2章)。
これは果して愛なる神の業なのか、むしろ世に神なきか、もし神あらば義人に患難を下し給うは何故なのか!
ヨブ記は思想でも哲学でも文学でもなく、正にヨブ自身の「実体験」に他なりません。ヨブ記は往々にして「不可解な書」とされますが、内村鑑三は、自分をヨブの立場に置き、その苦痛を共有したなら、この書は決して不可解の書ではないといいます。 そして正にヨブの受難は、内村が背負っていた六重苦と重なるものであり、内村にとってヨブの姿は現実でありました。内村の処女作『キリスト信徒のなぐさめ』の中で、「愛する国家と教会から捨てられ、愛する妻加寿子を亡くし、事業に失敗し、貧に陥り、病を得て、全てを失った」と記しています。この『キリスト信徒のなぐさめ』は、いわゆる「6重の苦しみ」を背負った内村が 、その逆境からの自己の再生を綴った書であります。
さてヨブは、心配して訪れてきた3人の友人との再会のあと、遂に口を開いて「わたしの生まれた日は滅びうせよ。男の子が胎に宿ったと言った夜もそのようになれ」(ヨブ記3.3)と呪いのことばを吐くに至ります。そして3人の友人と1人の青年との長い問答(論争)のあと(4章~37章)、遂に神がヨブに臨んで語られます(38章)。しかし神はヨブの疑問を解くべき答は一つも与えられず、ただ天地を創造した自らの壮大なみ業を縷々述べられ、自らの人知を超える偉大さを語られました。しかるに不思議なことに、ヨブはそれによく満足し、わが罪を認め、悔い改めて全き平安に入ったというのです。
内村鑑三は、『ヨブ記講演』(岩波文庫)中で、次の通り述べています。
「最後にエホバ御自身現われて親しく教示する。しかもこの教示中、直接ヨブの疑問を解くべき答は一ひとつも与えられておらぬのである。義者に臨む苦難の意味については一言も答うる所ないのである(三十八章以下を見よ)。これ不思議というほかはない。しかるになお不思議なるはヨブがそれに全く満足し、わが罪を認めて全き平安に入りしことである。問題の説明供せられざるに彼の苦みが悉ことごとく取去られしとは、まことに不思議なる事である」(『ヨブ記講演』P14)
そして内村は、回答は与えられずして与えられたのだと言います。
「苦難の臨みし説明は与えられざれど、大痛苦の中にありて遂に神御自身に接することが出来、そして神に接すると共にすべての懊悩痛恨を脱して大歓喜の状態に入るのである。ただ神がその姿を現わしさえすれば宜いのである。ただ直接に神の声を聴きさえすれば宜いのである。それで疑問は悉く融け去りて歓喜の中に心を浸すに至るのである。その時苦難の臨みし理由を尋ねる要はない。否苦難そのものすら忘れ去らるるのである。そしてただ不思議なる歓喜の中に、すべてが光を以て輝くを見るのみである」(『ヨブ記講演』P15)
こうして神はヨブに苦難の意味の説明はされませんが、大苦痛の中にあって遂に神御自身の声に出会い、その顔を見て、その瞬間、すべての懊悩は昇華され大歓喜の世界に入ったというのです。ただ神がその姿を現わし、ただ直接に神の声を聴きさえすればよいのです。正にどん底の中での神の再発見、再結合です。その時、苦難の理由を尋ねる必要はなく、ただ不思議なる歓喜の中に導かれ、そして神はヨブが失ったものを倍する恵みと祝福を与えられました(ヨブ記42章)。
【ヨブ記の概観】
さてヨブ記はいかなる書でしょうか。ヨブ記の全体の構成は、ヨブの繁栄と試練(1~2章)、ヨブと友人たちの3ラウンドに渡る論争(3~37章)、神の登場とヨブの解放・祝福(38~42章)、という流れになっています。
<概観>
旧約聖書において、その39書中、初めの17書は歴史、終わりの17書は預言、そしてその間の5書、即ちヨブ記、詩篇、箴言、伝道の書、雅歌は文学書であり霊的教訓の書であります。ヨブ記の文体は、対句法に特徴があり、また1章~2章とエピローグ(42.7~17)だけが散文で書かれ、3章から42章6節までが韻文(詩の形式)になっています。ユダヤ教の伝統では、著者はモーセとなっていますが、実際は不明で、舞台は族長時代であり、書かれたのは前5世紀~3世紀ではないかと言われています。
ヨブ記は世界最大の文学書の一つで、世界の大文学中ヨブ記を手本として作られたものは多く、ゲーテのファウスト、ダンテの神曲、シェークスピアのハムレット、カーライルの衣装哲学(サアター・レサアタス)などがあります。またヨブ記は、哲学的、思想的な深さがあり、ドストエフスキー、キルケゴール等多くの作家に影響を与えたといわれています。
なお注目すべきは「ウズの地にヨブという名の人があった」(1.1)とある通り、ウズは異邦の地であるというのです。内村鑑三によるとアラビヤ沙漠の北部地方の総称で、沙漠の中央に近きデュマまたはショフであるといっています。つまりヨブは異邦人であったというのであり、ここに「救いの普遍性」があると指摘しました。
「イスラエルは神の選民たりといえども、神を求むるの心はイスラエルの独占物ではない。人は各個人直接に神を求むるを得、神は各個人の心霊にその姿を顕し給う。この点においては国籍民族の区別は全く無いのである。そは実に個人的なるが故にまた普遍的である。故に神を求むる者をユダヤ人に限る要はない、異邦人にても宜いのである。ヨブ記が異邦人ヨブの心霊史を掲ぐるは神を求むる心の普遍的なるを示すと共に、神の真理の包世界的なるを示すのである。 げに聖書ほど人類的の書はない。そして何よりも体験の書である」(『ヨブ記講演』P9~10)
<ヨブ記の主題ー苦難の神義論>
前述したように、主題は「善なる神が造った世界に何故悪が存在するのか 」、「悪人が栄え義人が苦難を受けるのは何故か」といった「神義論」を扱っています。そして「人生の 苦難や試練の意味とは何か」を問うています。即ちヨブ記は、古より人間社会の中に存在していた、正しい人に悪い事が起きる、何も悪い事をしていないのに苦しまねばならない、といった神の裁きと苦難の問題、いわゆる「苦難の神義論」を扱った書として知られています。
そもそも神義論とは、ライプニッツが最初に用いた言葉で、世界における悪の存在が、善・全能・正義など神が有する性質に矛盾するものではないことを弁証しようとする議論をいいます。弁神論ともいい、無神論や善悪二元論を論駁(ろんばく)して、この世界に存在するあらゆる害悪にもかかわらず、神は善であることを弁証する議論をいいます。そして神の義(ただ)しさを弁証することは、バビロン捕囚によって苦難に晒されたイスラエルの「神観の再理解」に始まるとみるのが一般的です。
申命記改革の継承者ら、即ち「イスラエルの残れる者」は、民族の受難を神の責任に帰すのではなく、民族の不信仰によるものであり、悔い改めて神に還ることを訴えました。天地を創造し歴史を支配される神は、アッシリアを使って北イスラエルを滅ぼされ、バビロニアを用いて南ユダを打たれ、ベルシャのクロス王を用いてイスラエルを解放したというのです。ヨブ記では、神の創造の計画は人の理解を超えているので、義人の苦難という問題は人間の理解の外にあるものとして位置づけているようです。
<ヨブという人物>
福音派の中川健一牧師は、ヨブは、エゼキエル書14章14節~20節に、ノアとダニエルと共にヨブの名が登場しており、歴史上の実在の族長時代の人物であると言われいています。 一方、ヨブという実在の人物というより、ヨブ記のテーマの資料となり得る象徴的(伝説的)人物が存在し、そこから霊感を受けて書かれたのではないかとの見解もあります。
ヨブは、神を恐れる裕福な人で、隣人への憐れみを持ち、家族を聖別し、燔祭をささげるなど、家庭の中では祭司の役割を果たしていました。つまり、ノアのように、義人だったというのです。また前述のようにヨブが生きたウツの地は、異邦の地でした。
「ウツの地にヨブという名の人があった。そのひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった。彼に男の子七人と女の子三人があり、その家畜は羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭で、しもべも非常に多く、この人は東の人々のうちで最も大いなる者であった」(1.1~3)
【ヨブの試練と信仰】
上記に見たように、ヨブは文字通り義人でしたが、ある日神から試練を受けることになります。(1.6~2.13)
天においてある日、神の子ら(天使たち)が神の前に立ち、そこに、サタンも同席していました。サタンとはヘブル語で「糾弾する者」という意味です。神はサタンに対して、ヨブの信仰と義人ぶりを自慢されましたが、サタンは、「ヨブが神を恐れる理由は、神が彼を祝福したからで、その祝福が取り去られたなら、ヨブは神をのろうに違いない」と挑戦しました。そこで神はサタンに、ヨブの持ち物を奪ってもよいという許可を与えられました。但しヨブの体を打つことは、許可されませんでした。かくして、シェバ人の襲撃があり、牛500くびき、雌ロバ500頭が奪われ、雷が落ち、羊7千頭が焼け死に、多くの僕たちも死にました。家で食事をしていた時、大風が吹いて家が倒壊し、その結果、7人の息子と3人の娘たちが死んだというのです。
しかしヨブは神を呪うことなく、その信仰は揺るぎませんでした。
「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」(ヨブ記1.21)
主は再度ヨブのことをサタンに自慢されました。しかしサタンは、「ヨブが神を呪わないのは、体が守られているからだ、もし肉体が打たれれば、ヨブは神を捨てて神を呪うに違いない」(2.4)と更に反論しました。
遂に主は、サタンが命を奪うことは禁じられましたが、ヨブの肉体を打つことを許可されました。
「サタンは主の前から出て行って、ヨブを撃ち、その足の裏から頭の頂まで、いやな腫物をもって彼を悩ました。ヨブは陶器の破片を取り、それで自分の身をかき、灰の中にすわった」(2.7~8)
おまけに妻までも「神を呪って死になさい」(2.9)と見放しますが、しかしなおヨブは、「われわれは神から幸をうけるのだから、災をもうけるべきではないか」(2.10)と言って、すべてこの事において、そのくちびるをもって罪を犯さなかったというのです。なんと見上げた信仰でありましょうか。
【ヨブと友人たちの論争】
しかしヨブはサタンの試練に遭って、苦しみの中で死以外の解決方法を見いだせないでいました。そこに3人の親しい友人、老長老のエリバス、神学者のビルダテ、実務家のゾパルがヨブを慰めようとやってきましたが、この友人らと、このヨブの苦難について論争が始まりました( 4 章~ 37 章)。
ヨブと彼の友(イリヤ・レーピン画)
<3ラウンドに渡る議論>
友人の訪問を受けたあと、その後、口を開いたヨブは、こんな思いをするならば、自分など生まれてくるべきではなかったと、遂に苦しみの憂鬱な態度で自分の生まれた日を呪う言葉を発します。
「わたしの生れた日は滅びうせよ。『男の子が、胎にやどった』と言った夜もそのようになれ。その日は暗くなるように。神が上からこれを顧みられないように。光がこれを照さないように。やみと暗黒がこれを取りもどすように。雲が、その上にとどまるように。日を暗くする者が、これを脅かすように。その夜は、暗やみが、これを捕えるように」(3.3~6)
そんなヨブに対して3人の友人たちは、半ば同情心から、半ば公義心から、口々に、「禍は罪の結果であり、こんな目に遭うからには、何か悔い改めるべきことがあるはずだ。神は理由もなくこんなことをする方ではない」と迫ります。けれどもヨブは頑として「こんな罰を受けなければならないようなことは何もしていない」と言い張ります。その論争は、第1ラウンド(4章~11章)、第2ラウンド(12章~20章)、第3ラウンド(21章~31章)に渡って行われました。
この論争は、ヨブが口を開いて言葉を語る→最初の友人エリパスがそれを糾弾する→ヨブがその糾弾に反論する→次の友人ビルダデがその反論を糾弾する→ヨブは再び反論する→最後の友人ゾバルが、ヨブの反論を糾弾する、という形で行われました。友人らは全員、ヨブを「罪人」と見て、「すべての苦難は罪に対する裁きである→ヨブは苦難を受けている→それゆえ、ヨブは罪人である」との因果応報論に基づく三段論法で挑んできました。
一番手のテマン人「エリパス」は、最年長者であり、彼に与えられた「霊的体験」が意見の土台にあります。二番手のシュアハ人「ビルダデ」は、過去の教えを重んじる伝統主義者(神学者)であり、過去の賢人たちの教えが、彼の意見の土台にあります。三番手のナアマ人「ゾパル」は、少壮の実務者であり、自分は誰よりも神のことを知っていると自負しています。
こうして三人の友人は、慰めを兼ねて因果律を説きます。三人の友人の主張は、「神は正しい者に祝福を与え、罪を犯した人に災いを与える」という因果応報の原理を盾に、元の境遇に戻るために、ヨブが罪を認めて神への信仰に戻ることを求めるというものでした。また、神の前では正しい人間など一人もおらず、それぞれがその罪に応じた罰を受けるものであると主張しました。 神学者ビルダデに至っては、「あなたの子たちが彼に罪を犯したので、彼らをそのとがの手に渡されたのだ」(8.4)と審判の言葉を吐く始末です。
しかし、ヨブには思い当たるふしがなく、冤罪を主張します。ヨブとしては敬虔な信仰者のつもりだったのです。つまり、罪がないのに自分は裁きを受けたと感じているわけです。
そして最後に、それまで沈黙していた若者「エリフ」が口を開きます。神より自分が正しいとさえ言い出しそうなヨブを非難し、苦しみには罰ではなく「訓練(試み)」としての意味もあるのではないかということを語ります。「神は時に義人を訓練することがある」と主張し、それゆえヨブは「神に従い、神を信頼すべき」だと、もっともな勧告をいたしました。
友人たちは皆「あなたの悪は大きいではないか。あなたの罪は、はてしがない」(22.5)といってヨブの責を問いますが、ヨブは「どうか、わたしの敵は悪人のようになり、わたしに逆らう者は不義なる者のようになるように」(27.7)と言って一歩も引き下がりませんでした。 こうして三人の友人のもっともな正論は、結局審きであり、苦境に立ったヨブを納得させ慰めを与えることは出来なかったのです。内村は『ヨブ記講演』の中で、パウロが愛について語った1コリント書13章を示しながら次のように述べています。
「彼ら三友が教義を知るも愛を知らざるは、かかる態度を生みし原因である。愛ありてこそ教義も知識も生きるのである。愛ありてこそ人を救い得るのである。まことに愛なくばすべてが空である。愛はキリストの福音の真髄であり、再臨信仰もまた然り。しかり愛である。愛ありての神学である。愛ありての教会である。愛ありての伝道である」(『ヨブ記講演』P65~67)
【神の応答とヨブの解放】
いよいよ神の出番であります。ヨブが願っていた神との対面がやっと実現しました。しかし「プロローグ」で述べたように、神からの言葉は、ヨブが想像していたものとは全く違う異次元からの語りかけでした。先ず神は、自らが全てを創造した超越神であり、世界を主宰する主権者は自分であることを強調され、人間の知識や知恵では計り知れない崇高な存在であることを宣言されます。
「この時、主はつむじ風の中からヨブに答えられた。『無知の言葉をもって、神の計りごとを暗くするこの者はだれか。わたしが地の基をすえた時、どこにいたか。もしあなたが知っているなら言え』」(38.1~4)
ヤハウェは自らの大きさを示すように、自分が為した偉業の数々を披露します。地の広がりを知っていること、大雨が降り注ぐ水路を作ったこと、天体の軌道を調整すること、等々。そして神はヨブの問いに答えることをなさらず、逆にヨブに質問を投げかけられました。即ち、神は苦難の意味や目的を説明することはせず、むしろご自身に論争を挑もうとするヨブの傲慢な姿勢を問題にされたのです。 回答できない質問を70以上も投げかけられ、ご自身の偉大さを示されました。遂にヨブは、神に圧倒され、自らが神の前に小さな取るに足りない存在であることを悟り、降りかかる運命を甘受していきます。
「そこでヨブは主に答えて言った、『私は知ります、あなたはすべての事をなすことができ、またいかなるおぼしめしでも、あなたにできないことはないことを』。『無知をもって神の計りごとをおおうこの者はだれか』。それゆえ、私は自ら悟らない事を言い、自ら知らない、測り難い事を述べました。私はあなたの事を耳で聞いていましたが、今は私の目であなたを拝見いたします。それで私は自ら恨み、ちり灰の中で悔います」(42.1~6)
こうしてヨブは、神の主権の絶対性と絶対愛の前に膝まづき、自分の神への傲慢に気づき塵と灰の上で伏して自分を悔い改めました。ヨブの不満はなくなり、神の祝福も呪いも、すべからく無償の愛に起因して、その中にこそあると理解し、「われわれは神から幸をうけるのだから、災をもうけるべきではないか」(2.10)と告白した以前のヨブに帰結しました。これらはプロローグで言及した通りであり、まさしく内村鑑三の言葉「苦難の臨みし説明は与えられざれど、大痛苦の中にありて遂ついに神御自身に接することが出来、そして神に接すると共にすべての懊悩痛恨を脱して大歓喜の状態に入るのである」とある通りです。
そうして神は、ヨブを見捨てていないことを示され、謙虚に悔い改めたヨブを前にも増して祝福されたのです。(42.7~17)
【エピローグ】
そして神は3人の友人たちに対して叱責をされました。彼らは、自分たちは神を弁護していると思っていましたが、彼らの間違いは、苦難は常に罪の結果であると主張したところにあるというのです。彼らは、神が苦難を別の目的(例えばイエス様が十字架を背負って贖罪の業をされたように)のために用いることもあるということに無知だったのです。神は彼らに、全焼のいけにえを捧げるように命じられ、さらに、ヨブに仲介者になってもらい、執りなしの祈りをしてもらうよう指示されました。まさにヨブは罪人を神に取り成す祭司の立場に立ったのです。
そしてヨブは健康を回復し、2倍の財産を与えられ、親戚や友人たちが、すべて彼の家に招かれ食事をともにしました。ヨブは、前よりもより多くの祝福を受けました。この物質的祝福は、義なる行為へのご褒美というより、悔い改めた者への神の恵みの現れと言えるでしょう。かって息子と娘を失った悲しみはあるにせよ、新たに、息子7人と娘3人が与えられ、ヨブはさらに140年生きました。ユダヤの伝承では、ヨブはおよそ70歳で試練に会い、その後210歳まで生きたとされています。ヨブは、4代目の子孫を見るほどの長寿を全うしました (42.7~17) 。
「忍び抜いた人たちはさいわいであると、わたしたちは思う。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いている。また、主が彼になさったことの結末を見て、主がいかに慈愛とあわれみとに富んだかたであるかが、わかるはずである」(ヤコブ5.11)
以上、ヨブ記を解説しました。ヨブ記は不可解な書という側面もありますが、全体としてのテーマは「苦難の神義論」「神の主権の絶対性」「義人の贖罪」と考えても大きく間違ってはいないでしょう。 エステル記で見られる「反ユダヤ主義」、ヨブ記のテーマである「苦難の神義論」を踏まえ、次回は、ユダヤ人は何故嫌われたかという「反ユダヤ主義」について、そしてユダヤ人の「受難の意味とは何か」について考察していきます。(了)