イスラエルよ聞け、われわれの神、主は唯一の神である。あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない(申命記6.4~5)
前章まで、求道者・信仰者、そして宗教家としての久保木修己元UC会長(以下、「会長」と呼ぶ)を論じてまいりましたが、今回は、これを土台として、「愛国者として世界に羽ばたく会長」を見ていきたいと思います。そして会長の愛国者としてのスタートは、共産主義との戦い、即ち「勝共運動」から始まりました。その活動範囲は、宗教界、学者、言論人、そして政治家と幅広く繰り広げられました。
前述しましたように、実は筆者は、立正佼成会から始まり、UCの教団としての基礎固めができて「宗教家久保木修己」が誕生した時点で、もはやその使命はあらかた終わったのではないかと考えていました。しかし神は会長を新たに召されたのです。それは勝共活動を通した愛国運動と世界平和運動の展開、そしてその先には成約の福音の世界化と宗教統一が展望されているのです。
【新たな召命への旅立ち】
前述した大山山頂での神秘体験が第一の召命であるとすれば、今回は「第二の召命」と言えるでしょう。神は会長を新たに召されました。それは、第一の召命の主たる目的である「初期教会の基礎固め」と同時平行して行われた、「勝共運動と世界的人脈の形成」であります。
<国際勝共連合の設立>
1968年4月1日、文鮮明先生の指導のもと、UC信者が母体となり「国際勝共連合」が設立され、会長は初代会長に就任されました。発起人には、岸信介、笹川良一、児玉誉士夫が名を連ね、名誉会長には笹川良一氏が就任されました。 この岸元首相と笹川氏は以前より会長とは極めて近い関係にあったのです。
60年代の日本は、高度成長と共に、大学や革新自治体などに左翼が進出し、猛威を奮い始めた時代であり、また米ソの冷戦の激化やベトナム反戦運動も無視できない状況にありました。「このままでは日本が滅びる」との愛国者としての危機感と、「神を否定する哲学を許せない」という宗教家としての信念から、「共産主義は間違っている」とのスローガンを掲げて、大学や街頭での宣伝や黒板講義など、草の根的な勝共運動をスタートさせたのです。
やがてこのような活動は、岸信介元首相をはじめ、各界の有識者から「勝共の若き指導者」として高い評価を受けるようになりました。また、共産勢力の伸張によって、守勢に立っていた保守・良識陣営からは、「勝共に久保木あり」との称賛と期待が寄せられていくことになります。
<勝共運動の本質的意義>
では「理論右翼」と呼ばれた勝共運動は、従来の反共運動とどこが違い、何がその本質なのでしょうか。会長は著書の中で次のように述べられています。
第一は、勝共とは「滅共」であり、且「救共」であるということです。つまり、唯物論と階級闘争に基づく間違った共産主義イデオロギーと正面から戦い、これを滅し(滅共)、克服しなければなりません。一方、共産主義者に対しては、その間違いを糺していくと同時に、彼らをも救済しようとする愛の動機に基づいた運動(救共)であるということです。従って、反共そのものが目的ではなく、人類が真の理想を実現するための平和運動でもあるというのです。
第二は、勝共運動が、キリスト教的な「神主義」(ゴッドイズム)を基本理念としている点です。共産主義の本質を「神を否定する思想」、即ち「神への反逆の思想」と捉える社会啓蒙(教育)運動であり、従って「神を回復する愛国運動」であります。著書には「共産主義は神と人間を断絶させ、神を葬り去ろうとした思想です。つまり神の敵であり、故に人類の敵です。また全ての宗教者の敵です」(『愛天愛国愛人』P100)と明記されています。
そして第三には、「内なる罪と戦う姿勢」を持たなければならないという点です。共産主義は憎悪と反逆を動機として、人間の罪の性質(堕落性)を理論化して現れた思想であります。従って自らが内なる罪と戦う姿勢を持たなければならないと会長は語られました。問題の中の最大の問題は、何よりも自分自身が「絶え間ない戦場」になっているという事実であり、共産主義との戦いは、即ち自分の「内なる罪との戦い」でもあるというのです。そして、次の言葉で結ばれています。
「神の喪失と愛の喪失、これらを見失っているところに、人類の最大の不幸があり、故に勝共運動の本質的意義は、これらの二つを再発見することによって、世界の真の平和を実現することに帰着するのです」(著書P102)
筆者は、上記会長の思想に接して、勝共運動とは、とりもなおさず「神の復権を目指す福音運動そのものではないか」、と目から鱗でした。 モーセの遺言書ともいうべき申命記6章5節に、「心をつくし、精神をつくし、力をつくして、主なる神を愛せ」とある通りです。
<共産主義とキリスト教>
原理講論の総序には、共産主義の誕生について次のように述べられています。
「悲しいかな、中世封建社会は、キリスト教を生きながらにして埋葬してしまったのである。初代教会の愛が消え、資本主義の財欲の嵐が、全ヨーロッパのキリスト教社会を吹き荒らし、飢餓に苦しむ数多くの庶民たちが貧民窟から泣き叫ぶとき、彼らに対する救いの喊声は、天からではなく地から聞こえてきたのであった。これがすなわち共産主義である」
「このようにして現れたのが唯物思想であった。かくしてキリスト教社会は唯物思想の温床となったのである。共産主義はこの温床から良い肥料を吸収しながら、すくすくと成長していった。キリスト教は、共産主義が自己の懐から芽生え、育ち、その版図を世界的に広めていく有様を眼前に眺めながらも、手を束ねたまま、何らの対策も講ずることができなかったのである」 (以上、原理講論P26~P27)
確かにマルクス主義は、キリスト教の温床の中から生まれたとも言え、また人間中心主義の「ヘレニズムの集大成」と言えるでしょう。いわばヘレニズムの最終的な「鬼っ子」であります。そしてこの貧民窟の怨嗟を代弁したものこそ、1848年にカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによって書かれた『共産党宣言』です。 冒頭「ヨーロッパに幽霊が出る。共産主義という幽霊である」という有名な言葉で始まる共産党宣言であります。
この共産党宣言を貫く根本思想として、a.経済が社会の土台であること、b.すべての歴史は階級闘争の歴史であること、c.プロレタリア革命は一階級の解放でなく人類全体の解放であること、が確認され、「共産主義者は、これまでのすべての社会秩序の暴力的転覆によってのみ、自分の目的が達せられることを、公然と宣言する」と明記しました。正にマルクス自身の情念(怨念)の叫びであります。
マルクス自身、ユダヤ人ラビで後にプロテスタントに改宗した父母を持ち、彼自身も17才まではキリスト教を信奉して、聖書の世界に馴染んでいました。しかし、疎外感から神に反発するようなり、ベルリン大学時代に「反キリストグループ」(サタン教)に入り、遂に神への復讐を誓うようになっていきました。疎外感に端を発して怨念の権化と化していったのです。(中村学著『よくわかる勝共理論』光言社P38~41)
そうしてマルクス主義は、キリスト教を反面教師にした理論、即ち、聖書的な世界観、歴史観をひっくり返した思想と言えるでしょう。マルクスはイエス・キリストに次いで、人類に最大級の思想的影響を与えたメシア型の人物であり、逆な意味で神の予定の中にあったと言えなくもありません。
キリスト教は世界の本源を神とするのに対して、マルクス主義は、神の代わりに物質を本源としました。精神は物質の所産であるという逆転の思想です。キリスト教は歴史を、神とサタン、善と悪の闘争と見ましたが、マルクス主義は資本家と労働者との階級闘争と見ました。キリスト教は、神に全ての所有権があるとして、神の下の大家族的な共生共栄を主張しましたが、マルクス主義は、私有財産を否定して国家(共産党)のものとし、生産手段の共同財産主義を標榜しました。
また、キリスト教は終末に再臨主が来臨し、最後の審判を行い、神の国が到来することを予言しましたが、マルクス主義は、生産力と生産関係の矛盾、即ち階級矛盾の桎梏により革命がもたらされ、プロレタリアという救世主によって階級なき労働者の社会が実現すると宣言しました。
そしてこれらを理論付けたのが、存在の矛盾対立性を普遍化し神を理論的に否定した弁証法的唯物論、階級闘争を核とした唯物史観、そして労働価値説に立つマルクス経済理論(資本論)であり、これは共産主義の暴力革命を正当化し、怨念を体系化した歴史上未曾有の反キリスト的な理論体系であります。まさにヘレニズムの集大成、完成期的な原理型非原理思想であります。
1917年のロシア革命により、初めて共産主義国家が誕生しましたが、その後、ソ連共産党により5000万人、中国では7500万人、カンボジアでは250万人を下らない人々が殺戮され、この数はヒトラーナチスの比ではありません。また、第二次世界大戦中にソビエト共産党によって2万2000人の軍将校などポーランド指導層の捕虜が殺害された「カティンの森事件」も忘れてはなりません。問題は、これらの大量殺戮が、唯物弁証法の哲学によって正当化され、何の反省も悔い改めもないどころか、革命の成果として正当化されているという事実です。私たちは、この共産主義の本質を深く理解しておかなければなりません。
確かに、1991年にソビエト共産主義が崩壊し、共産圏は壊滅したかに見え、いわゆる自由対共産という理念による第三次世界大戦は自由主義陣営の勝利に終わったかに見えます。しかし、ここにもう一つの第三次世界大戦の後半戦が残っているというのです。ユハネ黙示録12章3節に「見よ、炎のように赤い大きな竜」とありますが、黙示録の赤い竜とは、「反キリスト」の象徴であり、現代的に言えば中国共産党のことを意味しています。中国皇帝の象徴は「龍」であり、共産党の象徴は「赤」であります。
つまりあの「赤い竜」、即ち、中国共産党という、より狡猾で侮れない「反キリスト勢力」が残存しているというのです。そしてまた、家庭の価値の破壊を目指す「形を変えた共産主義」である「文化共産主義」との戦いも残っています。
【WACL世界大会と勝共運動の進展】
さて久保木会長率いる勝共運動は、新たな躍進のきっかけとなるWACL(世界反共連盟)世界大会を開催しました。1970年9月20日、日本武道館に2万数千人を結集して開催されたこの大会は、53カ国250名もの海外からの参加を得て、勝共運動が認知されるきっかけになると同時に、会長が国際舞台にデビューしていく格好のイベントとなりました。
<WACL世界大会>
このWACL(ワクル)大会は、岸信介元首相から引き継いで東大名誉教授の渡辺鉄蔵先生が会長をされていた「自由擁護連盟」と会長との出会いがきっかけとなったものです。
会長は、自由擁護連盟から紹介され、1969年にタイのバンコクで開催された第三回WACL世界大会に参加し、なんとこの場で次の大会を日本に誘致されたいうのです。またWACL日本支部長にも推挙されました。我知らず意外な展開を見せ、実に聖霊の導きがあったという他ありません。ちなみにWACLとは、台湾の蒋介石や韓国の李承晩が音頭をとって作った「アパクル」(アジア人民反共連盟)を、朴正煕韓国大統領と蒋介石が協力して「WACL」(世界反共連盟)へと世界組織に発展させたものです。
こうして勝共連合が事実上主催するWACL 日本大会は、アメリカ上院議員の重鎮であるサーモンド議員やカストロ首相の実妹のカストロ女史も参加され、大きな盛り上がりを見せました。このサーモンド議員は、後日文先生のアメリカ入国に際し、重要な役割を果たしました。1971年12月、文先生はカナダのトロントで、北朝鮮のスパイの嫌疑をかけられアメリカ入国の足止めをくらっていましたが、当時入管問題の委員長をされていたサーモンド議員の口添えで無事入国することが出来たというのです。
会長は大会議長として平和宣言を読み上げ、共産主義と戦う最大の武器は、「愛と勇気と許し」であり、「神の神による神のために平和」こそが最大の目的であることを宣せられました(著書P119)。ちなみにワクル讃歌「愛の統一」は詩や音楽にも秀でた会長の作詞作曲によるものです。
実はこの武道館での大会に先立って、国立京都国際会館で「WACL国際会議」が開かれました。当時京都の勝共事務局長をしていた筆者は、京都円山公園野外音楽堂で「WACL前夜祭」を開催し、WACL名誉議長の谷正綱氏ら世界の賓客を歓迎しました。ヤンキースの大会のように雨に打たれた前夜祭でしたが、半世紀を経てつい昨日のように思い出されます。
<国際人脈の形成>
さて、このWACLは、日本に勝共連合ありとの名声を高めただけでなく、会長が国際舞台に出ていく良き機会となりました。この大会と前後し、会長は次々と世界の要人に会っていかれたのです。1970年9月2日、朴正煕韓国大統領との会談、1971年5月14日、蒋介石総統との会談、同6月14日、パウロ六世ローマ法王と会見などです。いずれも会長は好感を持って迎えられ、予定に反して会談時間は大幅に延長しました。
1970年9月2日、WALC大会の2週間前、会長は岸信介元首相から直筆の推薦状を頂いて、朴大統領と会うことができました。実は岸元首相と朴大統領は満州時代からの知り合いで、当時満州国の主要官僚であった岸元首相と満州日本軍の将校であった朴大統領は交流していました。その後朴大統領がクーデターで政権を握った後も、岸元首相を政治の師匠として尊敬していたというのです。会長は朴大統領に気に入られ、15分の面会時間は1時間以上に及び、特に朴大統領は日本民族を非常に高く評価されていたということでした。ある時、大統領官邸でのパーティーで、朴大統領は若干39才の会長の手を引いて、「この久保木さんという人を私は高く評価しているのですよ」と言って多くの日本の大使館員らに紹介されたエピソートが残っています。
また、1971年5月14日、久保木会長は谷正綱氏の尽力で蒋介石台湾総統(83才)と会われました。20分の約束が1時間以上におよび、会長は中共承認反対の署名運動の様子などを説明しました。1年後の1972年、二度目の会談の時には、意を決して「台湾は今独立すべきだ」と文先生の「み言」を伝えたというのです。後日蒋介石の日記には、「久保木という男がきて独立のことを言った。非常に大切なことだ」としたためられていたといいます。遠山満や犬養毅から武士道を学んだという蒋介石は熱心なクリスチャンでもあり、キリストの「汝の敵を愛せ」との思想の通り、蒋介石が戦後の日本のために語った言葉「恨みに報いるに徳を以てす」(老子)は有名です。ちなみに国連で中共が承認されることに反対するため、また蒋介石の戦後処理のご恩に報いるため、勝共連合は、日比谷で3000名の一週間断食、国連前で30人で3日間断食抗議を行いました。これには台湾国会議員244名が署名した感謝の電報が届き、また国連前には台灣カトリックのユー・ビン枢機卿が激励に来られました。
更に1971年6月16日、会長は東南アジア、インド、イラン、トルコ、イスラエルなどを歴訪した後、親交していた台湾カトリックのユー・ビン枢機卿の仲介でローマ教皇パウロ6世との会談が実現しました。会長は教皇に「極東アジアに関心をもって下さい」と訴えたというのです。
これらは、文先生のゴルバチョフや金日成との会談に比肩する会長ならではの渉外能力の高さを示すものです。そしてその後も、アジア、中東、ヨーロッパと世界の要人との交流の旅に赴かれ、世界を東アジアに引き付ける役割を果たされました。それにしても、会長の伝道能力、渉外能力は他の追随を許さない秀でたもので、その風格と共に神が与えた賜物というしかありません。脇が甘いとの評もありますが、正に脱帽です。
<理論戦と国民運動の展開>
その後勝共運動は、日本共産党に「公開質問状」を突き付け「理論戦」を展開していきました。唯物思想との戦いで、共産主義の思想的根源にメスをいれない限り、根本的な解決はないとの信念からであります。
また会長は、1973年から1974年にかけて、天啓を受け、全国124ヵ所で「救国の予言」と題する講演会を開催されました。「甘いヒューマニズムは国を滅ぼす」とのテーマで行われたこの大会は、総計17万余名の聴衆が参加するとともに、全国の有識者に深い感動を与えました。また一方勝共連合は、1978年4月の京都府知事選挙で、命がけで蜷川革新府政を倒した立役者になりました。
そして特筆すべきは、1979年2月、宇野精一東大名誉教授を議長に「スパイ防止法制定促進国民会議」を発足させ、各地に都道府県民会議が結成されていったことです。全国過半数の地方議会で「スパイ防止法制定促進決議」を成立させ、自民党によって「国家機密法」が国会に上程されるまでになりました。結局、成立までには至りませんでしたが、この運動で形成された人脈とノウハウは大きな財産となりました。
こうして勝共連合の支部づくりが始まり、文字通り国民運動になっていきました。1984年9月から11月にかけて「日本の平和と安全を守る7大都市勝共国民大会」が開かれ、10月30日の「世界の平和と安全を守る東京大会」は日本武道館に3万人が結集する大盛況となりました。この大会には息子の晴れ姿を一目見ようと、会長のお母さんも隅の方で参加されたといいます。なお、1987年には日韓安保セミナーが開催され、1988年には参加者が1万人を突破し、韓国政府から表彰されました。
そして上記に見てきた勝共運動の盛り上がりは、ひとえに会長の存在あってのことであったことは、言うまでもありません。
<国会議員に尊敬された久保木会長>
1990年前後には、衆参両院に200名近くの「勝共推進議員」と呼ばれる議員がいたと言われています。1990年2月の「勝共推進議員の集い」には約150名もの国会議員が集結し、安倍晋太郎議員が代表して祝辞を述べられました。安倍晋太郎氏は岸信介元首相の娘婿であり、岸信介元首相と久保木会長はWACL以前から深い信頼関係にあり、その流れで安倍晋太郎氏ともよい関係にありました。こうして岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三と続く岸家三代は、勝共連合・UCとは極めて近い関係にあったのです。日本の背骨ともいうべきこの三代は、正に天が召した選ばれた氏族であります。2022年7月8日、三代目の安倍元首相が暗殺されましたが、この死によって、安倍元首相はリンカーン大統領のように伝説になり、岸家三代は日本とUCの守護神に高められました。
また1992年に金丸信議員の口添えで文鮮明先生が来日された際には、国会で50名近くもの国会議員が集まって文先生の話を聞きく集会がありました。その頃は、いわゆる霊感商法問題の最中でしたが、韓国人文鮮明先生のためにこれだけの議員を集められる会長の信認の厚さに驚嘆するしかありません。韓国人であろうと誰であろうと、久保木会長が信頼する人物であれば問題ないとの国会議員の評価です。筆者も、かって中曽根康弘元総理が通産大臣だった頃、赤坂での会食に同席したことがありましたが、その席で、会長を上座に座らせ、深々と頭を下げられる中曽根大臣の光景を目撃いたしました。
このように、1980年代後半からいわゆる霊感商法問題で騒がれ、1992年桜田淳子さんらが合同結婚式に参加することで大騒ぎになるといった渦中にあっても、なお多くの国会議員を繋ぎとめられた会長の人徳に、敬意を表するしかありません。この会長の人徳は、あの激しい霊感商法問題を巡るマスコミの批判の最中にあって、致命傷に至ることなく、組織が守られた功労者と言っても過言ではありません。会長は、対外的なつながりが多かっただけに、これらのUC批判の嵐の中で、正に「針のむしろ」だったのではないかと心中を察するものです。
翻って現下のUCは、2022年7月8日のあの安倍事件以来、未曾有のバッシングを受け、岸田首相や自民党からは、「UCとは断絶する」との宣告を受けました。果たして会長は、今この時のUCの姿をどのように見つめておられるだろうか、あれだけ良好な関係を築いてきた保守政治家から全否定される事になったUCを見て何を感じておられるだろうか、そして今久保木会長がおられたらどのように対応されるだろうか、と思い巡らしています。
確かにモーセは、血気に走って石板を壊し(出エジプト記32.19)、メリバの磐石を二度打って(民数記20.11)、罪を犯すなど、決して完全無欠の聖人君主ではありませんでした。同様に会長も、人間的な弱みが無かったと言えば嘘になるかも知れません。しかしにもかかわらず、UCの歴史において、かってモーセがそうであったように、恐らく再びこれだけの人材が出てくることはないでしょう。
こうして会長への第二の召命は勝共運動と共にあり、そしてその働きは、文先生入国問題の未解決という課題は残ったものの、十分神の期待に応える歩みだったと言えるのではないかと思われます。
【救国の予言骨子】
最後に、止むに止まれぬ心情から、1973年6月2日から1974年5月12日にかけて、全国124ヵ所で「救国の予言」と題する講演会が行われましたが、その講演内容の骨子をまとめておきたいと思います。
講演の動機には、「このままでは日本は滅びる」との会長の危機意識がありました。当時の日本は、高度成長の波に乗って経済の復興を遂げていましたが、他方で海外からエコノミックアニマルとの酷評を受けていました。また、左翼の伸長が著しく、このままでは共産化されるのではないかという危惧もあったのです。
<世界のための日本>
講演の中で、先ず、地中海貿易でローマと覇権を争った勤勉で優秀なカルタゴが「何故滅んだのか」という問題提起をされ、自国の経済繁栄だけに溺れてはカルタゴと同様の運命を辿ると警鐘をならされました。そして、日本がカルタゴや衰退するヨーロッパの轍を踏まないためには、経済至上主義のエゴイズムを捨てて、日本のよき伝統である武士道的な犠牲精神を発揮し、「世界を生かすために何が出来るか」を問わなければならないと指摘されました。 この会長の思いの背後には、エバ国家(母親国家)として選ばれし日本の霊的責任者として、果たされなければならない世界宣教への責任心情があったと思われます。
そしてこの会長の指摘は、日本におけるキリスト教宣教の歴史を学んで抱いた筆者の思いと通じるものがありました。つまり、日本は海外、特に欧米からの物心両面の犠牲を伴った「キリスト教宣教の恩恵」の上に立っていることを痛感し、「これでは日本は外国から与えられっぱなしではないか。一体、日本は世界のために何をしたというのか」という疑問が沸き上がると共に、激しい羞恥心に襲われました。「日本は海外からの世界宣教の犠牲の上に立っている」という負い目です。 このことについて筆者のHP (https://www.reiwa-revival.com/) にある「聖書の知識21ーアメリカを生かした日本の献身」の中で次のように記しています。
「そして、その自責の念を救ってくれたのが、UC日本人信者による世界宣教の歴史、とりわけアメリカへの人的、物的資源の投入でした。こうして日本UCとその信者は、『身を捨てて世界を生かす』というキリストの愛の教えに忠実に殉じて、世界、とりわけアメリカを生かすために投入してきました。日本の歴史上、キリスト教の福音が日本から海外に発信された初めての出来事です。この歴史的事実を認識した時、今まで私の中にあった海外への『負い目』から解放され、安堵と共に平安が訪れてきたことを告白いたします。
こうしてワシントンタイムズが設立され、無数の国際会議が遂行され、世界平和連合が誕生しました。文先生が、レーガン大統領を勇気づけ、ソ連共産主義の崩壊と東西和解を導かれ、世界舞台で『メシア宣言』をなし得ることが出来た背後に、これら日本人信者による隠れた献身があったことを、歴史はしかと記憶することでありましょう。神が、最終的な救済摂理の絶頂期に、かように日本を用いて下さったことに万感の感謝を捧げるものであります」(以上HPより)
<甘いヒューマニズムが日本を滅ぼす>
次に会長は、一見聞こえがよい「ヒューマニズム」という思想こそ、日本が毒されている元凶だと訴えられました。つまり、人間尊重という「甘いヒューマニズム」(世俗的ヒューマニズム)が左翼の温床になっているというのです。この世俗的ヒューマニズムとは、端的に言えば「地上に生きている生を絶対視する人間中心の思想である」と指摘され、この人間中心の思想は、中世ヨーロッパの偏狭な神中心思想の反動として生まれたとも語られました。
この極端な人間中心思想は、結局現世至上主義に陥り、その必然として神なき唯物思想の温床になるというのです。そして、本来この唯物思想と最も戦わなければならないはずのキリスト教など宗教界は、人権尊重、反戦平和を標榜する左翼ヒューマニズムの攻勢に無抵抗で、毒されていったというのです。こうして宗教界にも苦言を呈されました。勿論、ヒューマニズム自体は尊重に値する思想であるとしても、ヒューマニズム偏重になり、日本の曖昧な和の精神と相俟って、「神なきヒューマニズム」に陥り、これが共産主義者に利用されていることが問題であると言わねばなりません。いわゆる世俗的ヒューマニズムの弊害です。
即ち、世俗的ヒューマニズムは、信仰を核とするキリスト教的ヒューマニズムとは対局にある人間中心の思想であり、神の代わりに人間を最高の価値として考える「世俗の論理」であるというのです。そしてその思想の上に立つ民主主義は、神を否定し、人間性を社会的な基本的人権として捉え、すべての人は自由で平等であるという相対的価値を前提に成り立っているというのです。
従って、世俗的ヒューマニズムは神が不在なので、自己中心的な個人主義、あるいは乱暴な集団主義に陥り、結果として人間性否定につながる危険性を有しています。一方、キリスト教的ヒューマニズムは文化を価値あるものとしますが、人間はキリストとの正しい関係に入る時にのみ、文化の担い手である本来の機能を果し得るものであると告白します。
リンカーンの「人民の、人民による、人民ための政治」という有名なゲティスバーグの演説は、アメリカ民主主義の原点とされますが、最後に「IN-GOD」即ち「神の下での民主主義」を謳っています。また、アメリカの独立宣言には「創造主によって与えられた人権」という思想があります。札幌農学校のクラーク博士の「少年よ大志を抱け」も有名な言葉で、これだけが独り歩きしていますが、クラークは「Under-Christ」、即ち「キリストの下での大志」を唱えたのです。
このように、神のもとにあっての民主主義こそ、真の民主主義であって、神なき民主主義は、(今の岸田政権のように)世におもねる衆愚政治になりかねません。
<共産主義との対決と神の復権>
そして会長は、絶対的な理念と信念を持ち、甘いヒューマニズムを仮面に、共産革命(暴力革命)を標榜する共産主義こそ、日本の最大の問題であると指摘され、これと対決するためには、共産主義を凌駕する理念と信念が必要であるというのです。
前述したように、共産主義の本質は「神を否定する」こと、マルクスの言葉で言えば「神に復讐すること」にありました。そして弁証法的唯物論を持って理論的に神を葬ったのです。そしてこの思想を克服する理念を提示しているのが勝共思想であると訴えられました。筆者は、会長の言われる「勝共」とは、即ち「神を復権するための福音運動に他ならない」と前述しましたが、「神に還れ、神の言葉に還れ!」という標語のもとに、現代社会に「神を回復すること」にこそ、問題解決の最終的な鍵があると信じるものです。
以上のとおり、愛国者久保木修己を見て参りました。会長のスピーチの内容は、第一に共産主義に関するもの、第二がアジアの到来に関するもの、第三に日本の進路に関するもの、と大きく3つに分類されると思われます。次章は、その内日本の行くべき進路と関連して、会長の日本観、即ち「母性国家日本論」を考察していきたいと思います。(了)
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