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ある政治家の人生とパウロのとげ(コンプレックス)

◯つれづれ日誌(令和4年6月22日)-ある政治家の人生とパウロのとげ(コンプレックス)


そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。(2コリント12.7)


上記の聖句は、パウロが持っていた「とげ」(コンプレックス)についての告白ですが、パウロの「肉体に与えられたとげ」が何だったのかについては諸説あります。例えば、それが絶え間ない誘惑だったとか、多くの反対者達だったとか、目、マラリア、偏頭痛やてんかんなどの持病だったとか、言語障害だったなど、色々ありますが、身体的な「とげ」であったことは間違いないでしょう。パウロは、力強くみ言を語る反面、風采の上がらない(背も低かった)、持病持ちの男だったようです。


パウロはこの「とげ」を、自分が傲慢になって高ぶることのないように、サタンがヨブを苦しめる事を神が許諾されたように(ヨブ1.12)、神がサタンに許して、自分に与えられた欠陥だと理解しました。


しかしパウロは、文字通りマイナスをプラスに転じるポジティブシンキングの持ち主でした。即ち、「わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。(2コリント12.10)とある通り、神の力は人間の弱さ、つまり「砕けた悔いた心」(詩篇51.17)にこそ顕れるからです。


【井上義行(よしゆき)とは】


さて、今日は第26回参議院選挙の公示日です。先般、知人から「井上よしゆき」を是非支援して欲しい、彼はこれからの日本になくてはならない人物だから、との依頼が筆者に届きました。


今回で第26回となる参院選は、改選議席124議席を巡って、7月10日に投開票が行われる運びになっています。そうして参院選では「選挙区」と「比例代表(全国比例)」で投票が実施され、各選挙区から74人、全国比例代表選挙から50人の参議院議員を選出するということです。


そしてこの度、全国比例代表の自民党公認候補者として出馬するという井上よしゆき氏が、どういう政治家なのか、ほとんど知らなかった筆者は、早速、知人やネット情報などで色々調べて見ました。そしてこの井上よしゆき氏は、ノンキャリアの叩き上げであり、文字通り「パウロのとげ」を背負った人物であることが分かり、大いに関心を持つことになりました。


<井上義行(よしゆき)の略歴>


井上義行(1963年3月12日生れ、59才 )は、自由民主党所属の前参議院議員(在任期間2013年7月29日~2019年6月26日)で、神奈川県小田原市の市営住宅で生まれました。彼は、相洋高等学校(体操部)卒業後、家庭の事情で大学進学を断念し、国鉄(現JR)の機関士になり、働きながら日本大学経済学部通信教育課程を卒業したという苦労人です。


1988年に、国鉄分割民営化の人員整理により総理府で勤務するようなり、その後、安倍元首相の下で、内閣官房副長官秘書官、内閣官房長官秘書官、内閣総理大臣筆頭秘書官などを歴任しました。2007年9月に、安倍内閣総辞職に伴い総理大臣秘書官を退任し、千葉科学大学の客員教授などを務めました。


2009年8月に、第45回衆議院議員総選挙で神奈川17区から無所属で立候補して落選、2012年に、第46回衆議院議員総選挙で神奈川17区からみんなの党公認で立候補して落選、2013年7月に、第23回参議院議員通常選挙でみんなの党から比例区候補として立候補し、最下位の47,757票でしたが初当選しました。


2014年11月にみんなの党が解党したため、2015年1月に「日本を元気にする会」の結党に参加して国会対策委員長となります。2015年12月7日に、日本を元気にする会へ離党届を提出して受理され、2016年1月14日、自由民主党の派閥である清和政策研究会(現安倍派)に客員会員として入会しました。


2018年6月20日、自由民主党は2019年執行予定の第25回参議院議員通常選挙の比例代表候補として、井上の公認を内定しました。第25回参議院議員選挙では同年7月21日に執行され、87,946票を獲得するも自民党内25位で落選しましたので、3年の雌伏を経た今回の選挙は、正に背水の陣の正念場という訳です。


<井上よしゆきの政策>

井上氏のホームページによると、「私の6つの国づくり」と題して、次のような政策を掲げています。


1.感染症から命と暮らしを守る国

2.全ての若者が高度な教育を受けられ、家庭を持てる国(大学授業料の無料化)

3.安定した年金、医療・介護従事者の充実を実感できる国

4.全ての国民が住宅を持てる国

5.自由と民主主義を守り、国連加盟国並の防衛、組織で国際平和貢献ができる国

6.観光先進国になれる国


特筆すべきは 2015年9月19日 、集団的自衛権に関する安保法制が第二次安倍内閣で成立した時、井上氏が野党(みんなの党)の立場で根回しをし、その成立の影の立役者になったことです。そのお陰で、安倍、高村代議士についで選挙に落とすという左翼のターゲットにされ、2019年の選挙で見事、落選しました。


また、安倍氏が官房副長官の時、北朝鮮の拉致被害者の帰還に、事務方で交渉・尽力し、 第2次小泉訪朝を前に北朝鮮へ単身で乗り込み拉致被害者の帰還を実現しました。井上氏は、拉致被害者奪還を決して諦めない姿勢こそが今の日本に必要なことだと主張しています。


井上氏は、憲法9条の改正に賛成し、自衛隊の役割を憲法に明記するべきとし、北朝鮮で内乱が発生した際に拉致被害者を救出するために自衛隊を出動可能とするための法整備を行うべきと主張しました。また、敵基地攻撃能力の保有と集団的自衛権の行使容認を主張しています。


更に、靖国神社問題については、「どの総理であれ、靖国神社に行くということは当然」とし、靖国神社参拝によって中国との経済関係が悪化するという意見を「全くそれは当たらない」としました。


ただ、村山談話は見直すべきでない、河野談話はわからないとし、日本の原発については再稼働・海外輸出とも消極的で、首相公選制と道州制の導入、大学授業料の無料化を訴えています。


【何故、井上義行を支援するのか】


では今回、筆者が何故井上義行(よしゆき)を当選させたいと思うようになったのか、その理由について、以下、3点を述べたいと思います。


<政策への共感>

先ず第一に、上記に見た通り、政策的な共感と政策を推し進める行動力を挙げなければなりません。井上氏の政策、特に憲法改正など安全保障に関する政策は、(細部はともかく)ほぼ筆者と同じ意見と言っていいと思います。これが井上氏を押す第一の理由です。


<ノンキャリアの星>

第二は、井上氏がノンキャリアの叩き上げであることへの共感であります。普通、高級官僚や内閣秘書官は、大半が東大法学部卒のキャリアエリートで固められるのが相場であり、井上氏のように、大学通信教育課程を経たとは言え、事実上高卒の学歴しか持たない人は、相手にされないのが現実であります。


その井上氏が、安倍晋三氏の信頼と引き立てがあったとは言え、堂々と首相筆頭秘書官まで務めたというのですから、驚きです。このことは、井上氏個人の問題というだけではなく、学歴の壁、門閥の壁を破る一つのイノベーション、停滞した組織の革新への一石として、高く評価されるものであります。


しかも井上氏は、政治家としては体格も小振りと言ってよく、その意味で二重のコンプレックスを背負った人物であります。その井上氏が政治家として成功することは、因習的な壁を壊して、弱者への希望と励みになり、社会を活性化させる大きな力になることは明らかです。


このことは、かって素性の知れない農民の豊臣秀吉が天下人になり、中卒の田中角榮が首相になったことで、農民や庶民にどれほど希望を与え、どれほど国民の喝采を浴びたかを見れば明らかであります。


この意味で、井上氏が政治家としてしっかり立つことは、単に一人の保守政治家が誕生するという次元に留まらず、社会的なイノベーションという観点でも大きな意味があると言えるでしょう。


そしてこれは、かのパウロのとげ、弱さこそ強さだと言ったパウロの言葉を想起させます。この聖書の言葉が正しいことは、市営住宅で生まれ、高卒の機関士に過ぎないというコンプレックスを背負ったノンキャリアの井上氏が、堂々たる保守政治家として立つことで、証明されるというのです。そして筆者が井上氏を押す最大の理由がここにあります。


<石原慎太郎のとげ>

さて筆者は最近、故石原慎太郎が、自分の死後に出版するよう遺言したという著書『私という男の生涯』(幻冬舎)を読み、石原の意外な、あるいはさもありなんという、驚くべき一面を知ることになりました。


かって筆者が思想新聞の編集長をしていた頃、久保木修己会長と石原慎太郎の新春対談を企画し、帝国ホテルの一室にて二人の対談をセットしたことがありました。その中で、石原がしきりに「ストイシズム」(禁欲的精神態度)という言葉を連発していたことが、印象深く思い起こされます。


石原は、海とヨットをこよなく愛し、作家として、政治家として、都知事として、裕次郎の兄として、豊かな才能と容姿に恵まれた、一見男として非の打ち所のない、そして誰もが羨む華々しい人生を駆け抜けたかに見えます。


しかし、それを「とげ」 と呼ぶことがふさわしいか否かは別として、彼には、ストイシズムとは対極にある、付きまとう女の影、異常なほどの「好色」(情欲)という内面の「とげ」を持っていたというのです。


彼は著書の中で、「私の好色はその後思いもかけぬ報いをもたらした」(P171)、「しかしそれでもなお好色な私はその女を手放さずにいた」(P173)、「私の好色の遍歴はそれで終わることもなかった」(P176)と随所で自ら告白しているように、彼には常に女の影が付きまとっていました。


もちろん石原は「私の結婚が妻のお陰であまりにも満ち足りたものだった」(P107)と語っている通り、生涯妻を愛しました。しかし妻以外に4人の女を妊娠させたことを含め、赤裸々に数々の女性遍歴を語っており、筆者にとっても驚きでした。


その一人は石原の意に反して男児を出産することになりますが、この顛末について、「その女と己のおぞましい好色故にもたらされた互いの悲劇」(P175)と記しているとおり、人生の取り返しのつかない躓きと影になりました。また、もう一人の女性にも妊娠させ、堕胎させた石原は、「その罪をいかに償ったらいいのか未だに分からずにいる」(P176)と記しています。


しかし普通なら、誰しもこういった自分の恥部など隠したいところですが、それをわざわざ1章をさいて赤裸々に告白するところは驚きであり、ある意味で一流作家の証明なのかもしれません。石原の自叙伝とも言うべきこの遺稿本は、そのような愛の遍歴を敢えてさらけ出すことで、せめて愛し愛された女性たちの「実らぬ愛の献身」を償い、 贖罪しようとしたかのようです。少なくとも筆者にはそのように感じられました。


筆者は、そろそろ自叙伝を書きたいという食口に、もし書くなら、成功物語30%、失敗物語70%位にした方がよい、何故なら、読者は人の幸せなど聞きたくもない、むしろ不幸を書いた方がはるかに人の心を打つものだ、と助言することがあります。


それが証拠に、何故「演歌」が日本人の心を捉えるかと言えば、それが実らぬ愛、悲劇の恋を謳っているからだというのです。演歌はその90%以上が、人生の叶わぬ愛、悲しい恋を題材にしているからであり、ハッピーエンドの愛など、誰も聞きたくないというのです。これが詩や文学の真骨頂であります。


一体、内村鑑三の処女作『基督信徒のなぐさめ』が、何故感動を呼ぶのでしょうか。「不敬事件」によって苛烈な批判を受けた内村鑑三は、国から捨てられ、さらに重病、失業、愛妻の死、極貧、そしてキリスト教団からの追放という6重の苦難に襲われましたが、そうしたどん底の逆境からの自己の再生を綴った書であったからこそであります。


即ち、非の打ち所などないと思われた石原にも、好色(情欲)という深い憂愁と虚無がパウロのとげのように襲い、解放されないまま引きずっていたというのです。しかし、そもそも人間というものは、その種別を問わず、誰しもが人知れず「とげ」を持っているというのです。


そういう筆者とて例外ではなく、かの石原のように、それをさらけ出すか否かは別として、密かに深い内面のとげを抱えて、今なお苦悩している凡夫であります。しかしそのとげは、私(たち)に、高慢を遠ざけ、謙虚と悔い改めをもたらす「恵み」でもあり、かの石原もその死の床で、この恵みに浴したのではないかと信じるものです。


石原は81才で軽い脳梗塞を患ってから、体がかってのように思うようにならないジレンマに陥り、文字通り自らの老いと死に直面することになりました。


「ともかくも私は自分の『死』なるものについて知りたいと思う」(P327)と記しているように、最後まで死という人生の未知について、それをぎりぎりまで哲学しました。しかし結局、「つまり死の先にあるものはただ虚無ということか」(P329)と、虚無としてしか死を理解することなく、身罷る(みまかる)ことになります。その地上での生が栄光に満ちて輝かしく、また甘美なものであればあるほど、その満足感と共に、一方ではそれが失われていくことの空虚もまた大きいということでしょう。


そして過去幾多の古典に親しみ、著書やスピーチの中で多々それを引用した石原でしたが、遂ぞ聖書からの引用を目にすることはありませんでした。聖書が人類史上、最高峰の古典であり、そこに永遠の命が示されているというのにです。


結局石原にとって、死は永遠の未知として、知られざる謎のまま旅立つことを余儀なくされたというのです。彼は霊友会の信者でありましたが、霊友会の法華経では回答を得られなかったというのでしょうか。


余命3ヶ月の宣告を受けて、内心、葛藤に揺れながらも、死の一週間前まで執筆していたという石原は「俺は完璧に死んで見せる。死、そんなものはありはしない。ただ、俺だけが死ぬのだ」と、作家らしい最後の文書を残して逝きました。 また著作『私の海』の中で「葬式不要、戒名不要、我が骨は海に散らせ」とのいかにも石原らしい遺言を残しています。享年89才。


<安倍元総理の信頼>

さてずいぶん話が飛びましたが、筆者が井上よしゆき氏を押す第三の理由は、安倍晋三氏の厚い信頼と支持があることであります。安倍氏はいうまでもなく、歴代首相在任期間最長を記録し、政策的にも、血統的にも岸信介の血を引く保守本流の代表的政治家であり、筆者も最も信頼する政治家てあります。


その安倍氏の秘書官として拉致問題に風穴を開け、集団的自衛権の法制化に大きな役割を果たした井上氏は、安倍氏との信頼関係を確固たるものにいたしました。


しかし、第一次安倍内閣の総理大臣筆頭秘書官時代、1年の短命政権となった原因に、閣僚の「身体検査」の甘さや、官僚と安倍の面会を拒み正確な情報が届なかったことなどが指摘され、担当する井上氏に批判が集中し、袋叩きに遭遇しました。「井上を秘書官にしたことが安倍の失敗だった」とまで揶揄(やゆ)されたというのです。


だが安倍氏は、そのような井上氏に三くだり半を下すどころか、井上氏を変わらず信頼し、首相退任後、私設秘書にまでして、その矜持を示しました。安倍氏は政界きってのサラブレッドで、やはり集団就職で秋田から上京した叩き上げの菅義偉(すがよしひで)前首相とは気脈を通じていましたが、ブラスとマイナスは引き合うということだと思います。


こうしてサラブレッドの安倍氏と叩き上げの井上氏は苦楽を共にした戦友でもあり、その友情は尋常ではありません。国会議員に返り咲いた暁には、安倍氏と寄り添って大きな仕事ができるのではないかと信じるものです。


以上、パウロのとげ、井上よしゆきの政策と行動、そして井上氏を押す理由について述べました。(了)



上記絵画*聖パウロの肖像