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アメリカを生かした日本の献身

🔷聖書の知識21ー世界宣教を考えるーアメリカを生かした日本の献身

そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ16・15)

2019年12月28日、世界聖職者指導者協議会(WCLC)が創設され、トランプ大統領の重要なメンター(霊的アドバイザー)であるボーラ・ホワイト牧師が祝辞をのべられ「私達が団結すれば国を動かすことができる」とのメッセージを語られました。WCLCはACLC(米国聖職者指導者会議)が母体となって創設された国際組織です。

文鮮明夫妻は、アメリカで40年の宣教生活をされ、多彩な分野で画期的な業績を挙げられましたが、とりわけ超教派・超宗教分野は最も力を注がれた分野でした。今回のWCLC設立はその成果と言えるでしょう。

そこで今回は、キリスト教歴史における「宣教」というテーマを、日本とアメリカの関係の中で考えて見たいと思います。

1、欧米による日本への集中的なキリスト教宣教の時期は過去3回ありました。

先ず、キリスト教を日本に最初に伝えたのは、1549年のイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルでした。もっと早い時期に伝えられたという説もありますが、一応ザビエルということにしておきます。ザビエルらイエズス会の宣教師たちは、マルコ伝16章15節の聖句を握って世界に出て行ったのです。

織田信長の保護もあり、またキリシタン大名(大村純忠、高山右近、大友宗麟、有馬晴信など)も現れて、一時期かなり浸透し50万人もの改宗者が出たと言われます。当時の人口が1500~2000万人位でしたので、かなりの割合になります。しかし、結局1587年豊臣秀吉のバテレン追放令、1614年徳川幕府のキリシタン禁教令によってキリスト教が根付くことはありませんでした。

その間、イエズス会、フランシスコ会、ドミニコ会など宣教団による多額な資金と人材が投入されました。そして、1597年26聖人の殉教(フランシスコ会宣教師6人、イエズス会士3人)を初め、全体で万を越える殉教を出すことになりました。

2、次は明治の開国時期です。ヘボン、ブラウン、バラなど、アメリカ、欧米から宣教師が多数入ってきました。1865年長崎浦上の隠れキリシタンの信徒発見は有名です。1872年には最初のプロテスタント教会「横浜海岸教会」が無教会主義を標榜し、英語教師のバラを仮牧師として誕生しました。

1873年禁教令が撤廃、1899年キリスト教が公認され、バンド(一団)とよばれるクリスチャンの群れが、横浜、熊本、札幌で設立されていきました。

横浜バンドから上村正久、本多庸一らが、熊本バンドから小崎弘道、海老名弾正、新島襄らが、札幌バンドから内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾らが巣立ちました。彼らは佐幕派の士族出身で、アメリカ宣教師らの感化を受けたもので、こうしてアメリカ各派は、日本宣教のために多くの心的、物的資源を投入したのです。

また、カトリックは、特に教育と慈善の分野に力を入れ、数多くの各種学校を作りました。

3、そうして、3回目の日本宣教は戦後GHQの占領期です。マッカーサーは、日本をキリスト教国家にするチャンスだと考え、大量のアメリカ宣教師を招き、1000万部の聖書を軍用船で持ち込みました。マッカーサーは皇室をキリスト教化し、賀川豊彦を総理にしたかったと言われています。

カトリック、ロシア正教、プロテスタント各派もこぞって日本宣教に乗り出しました。こうして、戦後の日本に宣教のための莫大な人的、資金的資源が投入されたのです。

現在、プロテスタントは、大きくは、自由主義神学の傾向を持つ日本キリスト教協議会(NCC)と、聖書主義に立つ日本福音同盟(JEA)に分かれています。キリスト教系人口のおおよその内訳は、カトリック40万人、プロテスタント系教派総計25万人、日本ハリストス正教会9千人、末日聖徒イエス・キリスト教会12万人、エホバの証人21万人、UC60万人などです。 

以上のように、こうした命がけの宣教のお陰で、キリスト教信徒こそ1%に満たない少数ですが、キリスト教文化は、教育分野、医療分野、慈善分野などで日本人に大きな影響を与え、聖書は国民に広く啓蒙されたのです。

4、筆者は、これら日本のキリスト教史を見ながら、「これでは日本は外国から与えられっぱなしではないか。一体、日本は世界のために何をしたというのか」という疑問が沸き上がると共に、激しい羞恥心に襲われました。「日本は海外からの世界宣教の犠牲の上に立っている」という負い目です。そして、その自責の念を救ってくれたのが、UC日本人信者による世界宣教の歴史、とりわけアメリカへの人的、物的資源の投入でした。

「日本なくしては東南アジアの独立はありませんでした。それらは、この日本の払った尊い犠牲、自らを殺してまで産んでくれた日本というお母さんがあったからだ」

これは、マレーシア外相の G.シャフエー、タイのククリット・プラモード元首相らの言葉です。植民地から解放されて、今のアジアの独立があるのは、日本が(敗戦という)腹を痛めて自分たちを産んでくれたお陰だと言うのです。

まるで、戦後の焼け野原のように、我が日本UC信者の貧しさは目を覆うような有り様です。低収入、無年金、借家暮らし、果ては一家離散・・・。筆者は仕事柄、数多くの信者の債務整理にも立ち合ってきましたが、そういう私も市営住宅に住む無産者です。

我が日本のUC本部はどうでしょうか。渋谷松涛の狭苦しく古ぼけたビルに肩を寄せあって住んでいます。全国に多くの宗教団体に見られるような洒落た建物一つ無く、学校設立など夢のまた夢であります。


こうして日本UCとその信者は、「身を捨てて世界を生かす」というキリストの愛の教えに忠実に殉じて、世界、とりわけアメリカを生かすために投入してきました。日本の歴史上、キリスト教の福音が日本から世界に発信された初めての出来事です。この歴史的事実を認識した時、今まで筆者の中にあった海外への「負い目」から解放され、安堵と共に平安が訪れてきたことを告白いたします。



6、こうしてワシントン・タイムズが設立され、無数の国際会議が遂行され、WCLCが誕生しました。文先生が、レーガン大統領を勇気づけ、ソ連共産主義の崩壊と東西和解を導かれ、世界舞台でメシア宣言をなし得ることが出来た背後に、これら日本人信者による隠れた献身があったことを、歴史はしかと記憶することでありましょう。神が、最終的な救済摂理の絶頂期に、かように日本を用いて下さったことに万感の感謝を捧げるものであります。

かって福田赳夫元総理は、「日本の国家予算規模を考えれば、UCの海外送金など、そう目くじらを立てるほどのことでもない」と言って、懐の大きさを見せました。

今度は日本の番です。腹を痛めて重症を負った日本UCの回復です。次回、非キリスト教国家として唯一の先進国サミット参加国である日本の宗教性的特質、即ち、「日本的霊性」と日本の新たな宣教課題について考えたいと思います。(了)


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