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アメリカのリバイバル(霊的覚醒運動)に学ぶ

◇聖書の知識19ーアメリカのリバイバル(霊的覚醒運動)に学ぶ

すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。(使徒行伝2・4)

次回の聖書勉強会(3月14日)のテーマが「アメリカのリバイバルと大統領の信仰」ですので、それに先立って、このテーマの骨子を見ておきたいと思います。

アメリカキリスト教の最も注目すべき特色の一つは、周期的に信仰を改革し、回復させるリバイバル(大覚醒)の勃興です。初代教会に類似する20Cのペンテコステ運動を含めると、アメリカでは今まで4回のリバイバルが起こっています。信仰が形骸化して沈滞していた時に不思議と起こりました。そして、それは草の根的な1人又は数人の回心、無名の教師の回心から霊性回復運動として始まっています。

その思想は、端的に言えば、悔い改め(repent)、回心(convertion)、そして新生(born-again)、の3つです。

更に付け加えると、その特色は、形式に囚われない大衆的情熱的説教、聖霊の役事、超教派的運動、そして躍動的な歌と踊りということになります。但し一方では、リバイバルについて、保守派から「一時的で粗野な熱狂」と言った冷ややかな見方もあります。


1、第1次リバイバル(1730~1740)は、ピューリタン上陸から100年を経て、アメリカの教会も形骸化し、霊的な命を失いはじめていた頃、勃興しました。このリバイバルの波は、会衆派の牧師ジョナサン・エドワーズやメソジスト派牧師のホイット・フィールドなどにより進展しました。

特にアメリカを代表する会衆派の神学者・牧師・宣教師のエドワーズは、人々に大きな感化を与え、神の国に入るには個人的な回心が必要であることを訴え、絶望に陥っていた教会の霊的風潮は一変しました。

そしていつでもどこででも説教を行う形に囚われなエドワーズやフィールドの運動は以後の伝道の型を作ったと言われています。この大覚醒運動で、バプテスト派やメソジスト派、長老派が成長していき、アメリカ人というアイデンティティー(市民宗教)が生まれていきました。

2、第2次リバイバル(1800~1840年)は、独立後、一度冷めてしまった信仰心を蘇生させようとする運動です。

苦学し独学で神学を学んだチャールズ・フィニーが中心人物です。フィニーは1921年10月10日(29歳)、エレミヤ書29章12節~14節「もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、 わたしはあなたがたに会う」の聖句で聖霊のバプティスマを受け、劇的な回心を遂げました。その働きの原点には、彼自身の、罪に対する深刻な悔い改めと聖霊との出会いの経験がありました。

弁護士でもあり、論理的に明快で霊的な力に富んだ説教を行って、野外集会などで多くの人々を悔い改めと回心に導きました。そしてメソジスト、バプティストが発展していくことになります。

フィニーはアメリカのリバイバルで際立つ存在であり、「神の国とその栄光のために、聖霊の力によって悔い改めと聖書的なキリスト教に立ち返り、それを実践する」ことにその生涯をささげました。リバイバルは奇跡ではなく切磋琢磨によるとも言っています。また、奴隷制度には強く反対しています。

3、第3次リバイバル(1850年~1900)は、南北戦争前後の混乱の中で、中断した信仰復興を甦らせれることになりました。苦学し独学で神学を学んだドワイト・ライマン・ムーディーが中心になりました。ムーディーはまともな学校教育も受けず、神学校にも縁がなかく無学でしたが、靴屋で働いていた時(18歳)、回心を体験し信仰生活に入っていくことになります。

ビジネスで成功し、スラム街などで貧しい人々に福音を説きました。普段着のままで分かりやすい説教を行い人気を得て、独立系教会の優れた指導者になり、1886年には聖書学院を設立しています。

第3次リバイバルは、強い社会的な行動主義の色合いを持ち、人類が地球全体を改革した後にキリストの再臨が来るだろうという千年紀の神学から影響を受け、社会福音運動といった社会改革運動はこの覚醒から力を得ました。この時期にホーリネス、ナザレン運動や、クリスチャンサイエンス、エホバの証人などの教派が生まれています。

4、第4次リバイバルとも言えるペンテコステ運動は、1906年ロサンゼルスのアズサ通りで起こった聖霊運動が発端です。チャールズ・バーハムの弟子であるウイリアム・シーモア(黒人)が主導した3年間続いたアズサ・ストリート・リバイバル(聖霊の役事)はあまりにも有名です。

異言、奇跡、癒し、悪霊の追い出しなど聖霊の役事を重視した運動は世界に広がり多くの信者を獲得しました。世界最大のメガチャーチであるチョウ・ヨンギ(Cho, Yonggi)牧師が主宰するヨイド純福音教会はこの流れにあり、日本でもホーリネス・リバイバルが起こっています。

更に1960年代から、聖書の権威や個人の回心を重視する新福音主義(根本主義)が、自由主義神学を採用するメインライン(主流派教会)に対抗する形で第5次リバイバルとも言うべき大覚醒が勃興しました。

5、以上のようにリバイバルは、フィニーやムーディーのように、正規の神学を学んだことのない無名のクリスチャン宣教師の回心から草の根的に広がりました。

フィニーのように劇的ではありませんが、筆者も過去4つの回心体験があります。本心に臨在する神との出会い(22歳)、内在する罪(原罪)との邂逅(23歳)、命としてのみ言葉の発見(27歳)、セドナ信仰告白(65歳)、がそれであります。こうして見ると、「三つ子の魂百まで」の通り、基本となる信仰の骨格が20歳代に形成されたということが分かります。そして今、聖霊のバプティスマによる最終的な回心(再臨による重生)の訪れを待ち望んでいるところであります。

個人も教会も、やがて究極の回復の時を迎えなければなりません。そして究極の回復の時とは、イエス・キリストの再臨の時であり、その日には、教派も、またプロテスタントもカトリックもなく、全地はただ一つの教えになるはずです。その日、「主を知る知識が、海をおおう水のように地を満たすからである」(イザヤ11・9)とある通りです。さて、皆様の回心体験は如何に!(了)

🔷聖書の知識22ー日本的霊性とは何か→国家的回心のとき

『主は言われる、背信のイスラエルよ、(私に)帰れ。わたしはいつくしみ深い者である。いつまでも怒ることはしないと、主は言われる。(エレミヤ書3・12)

「日本は、非キリスト教国家なのに、何故、こんなに高い文明と高い倫理観を持っているのか」というのが、欧米人が持つ疑問と驚きだというのです。つまり、キリスト教を知らない国は低級な三等国だとの認識が前提にあるからです。この欧米人の疑問にお答えしなければなりませんね。

前回、アメリカの市民宗教(アメリカ教)について言及いたしました。市民宗教とは、ビューリタニズム、聖書的選民観、愛国的心情が融合した「見えざる国教」とも言うべきアメリカの霊性です。そして日本にもこれに似たような精神性があり、これを「日本的霊性」と呼ぶことにし、今回は、この日本的霊性ついて考えて見たいと思います。

1、日本的霊性という言葉は、鈴木大拙が最初に唱えたもので、日本人の基層にある独特な精神性を言い、大拙は、これを禅と浄土教の他力思想が核となった超倫理的、超精神的宗教意識と言っています。また、山本七平は「日本教」と呼んで、日本人の内に無意識内に染み込んでいる宗教だと言っていますね。

つまり、日本人には、儒教や仏教やキリスト教など外来の思想や宗教が来て、それなりの影響を受け、良いところは取り入れるが、基本的なところでは決して染まらない精神性があるというのです。

年末年始の宗教風景でお馴染みのように、クリスマスには教会に行き、除夜の鐘ではお寺に思いを馳せ、新年には神社に参拝します。7・5・3を神社で祝い、結婚式を教会で挙げ、葬儀はお寺で行いますね。そして日本人には、これらは決して矛盾した行動ではないというのです。

山本七平は、これらは日本教仏教派、日本教キリスト教派であって、帰属しているのはあくまで日本教だというのです。現住所は仏教でありキリスト教であっても、本籍は日本教だということでしょうか。これこそ、日本的霊性です。 

2、日本的霊性には3つの源泉があると思われます。仏教の死生観、武士道の儒教的規範性、そして神道の世界観です。その内、縄文・弥生時代以来の古神道の影響を最も強く受け、これが日本的霊性の基層をなしています。「自然を崇め、先祖を尊び、和と共生を重んじ、清浄を好む」というもので、この思想が日本的霊性の核をなし、仏教の無常観や武士道的な忠孝の規範性が加味されて形成されていると言えるでしょう。

即ち、神道的な情操が基にあり、その上に重層的に外来思想が付加されて来たということですね。アメリカ市民宗教の根本にビューリタン的なキリスト教精神が有るように、日本的霊性には、その根本に古来の神道的情操があるのです。

4、この日本的霊性は、ヤハウェやアラーの神がいない日本において、キリスト教倫理に匹敵する高い倫理観の源泉になって来ました。曖昧で一貫性がない、ぬるま湯的で節操がないと揶揄されることもありますが、一方では、「見えざる国教」として、外来文化を柔軟に取り入れ、高い倫理性を保ち、国民の見えざるアイデンティティーとして大きな力を発揮してきたのです。

5、しかし、「画竜点睛を欠く」という言葉が有りますね。日本的霊性には、他の全てのものが揃っているけれども、肝心の眼が入っていないというのです。眼とは何でしょうか。眼とは神という観念です。日本的霊性には、神らしきものはあっても、「真の神」が存在しないというのです。聖書的に言えば、「唯一にして創造主たる父なる神」の欠如ということでしょうか。文先生が、日本は雑教文化だと指摘される所以です。

6、日本的霊性に神という眼を入れる運動を提唱致します。イスラエル幕屋の至聖所にある契約の箱には、十戒の石板が安置されていますね。同様に、神社の本殿に安置される「ご神体」として、「聖書(神の言葉)」が置かれるよう訴えます。全国8万神社に聖書を安置するというのです。

こうして眼が入ることによって、日本的霊性は完成し、日本の精神性はまさに、「鬼に金棒」ということになるでしょう。

7、それには国家的回心が必要です。真の神を受け入れる回心です。かって日本の戦時期に、東大総長の矢内原忠雄は、「イスラエルのように、神は日本が新生するために一度滅びることを決定された。先ずこの国を葬って下さい」と祈りました。

太平洋戦争(大東亜戦争)の敗戦は、日本が生まれ変わるために悔い改めの機会を与えて下さった神の愛の試練であるというのです。

そして、このように捉えるのが、聖書的視点から見た太平洋戦争の見方であります。

復活するためには、一度死ななければなりません。日本に讃えるベき美風は多々あり、日本によってアジア諸国が解放されたこと、また、戦勝国家などによる日本への一方的な断罪(極東裁判)が理不尽であったこと、など自己弁護したい心情は理解できます。戦勝国家も敗戦国家も、共に非があるからです。

しかし、偏った国家主義、戦勝による慢心、汚染された宗教思想などの堕落性は一旦清算されねばならず、太平洋戦争は、日本が新生するための敗戦という神の分別であったというのです。

8、エレミヤ書3・12~14で、背信のイスラエルに向かって「神に帰れ」と神は語られました。他の神々と淫乱に陥るイスラエルに、真の神に帰るよう国家的回心を望まれたのです。

日本的霊性に神という眼を入れて神に帰ること、そうして国家的回心を遂げること、これこそ日本大復活の鍵であると思われますが、皆様は如何でしょうか。(了)

🔷聖書の知識18ールターの救済思想「信仰義認」を考える

神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。(ロマ書1・17)

1月16日に船橋中央教会で行われた聖書セミナーのテーマは「キリスト教における罪観と救済思想」でした。そしてその罪を解決する救済思想について、パウロの回心聖句である上記ロマ書1・17の「信仰による義人は生きる」が問題提起になりました。→ハバクク書2・4「しかし義人はその信仰によって生きる」

今回は、このパウロの信仰義認論を中心に、プロテスタント、カソリック、UC、それぞれの救済思想を考えたいと思います。少し理詰めになりますが、お付き合い下さい。

1、プロテスタントとカソリックの救済観の最大の違いは、端的に言えば、救いは「信仰のみ」か、又は「信仰と行いの協働」か、の違いにあります。

ルターは、救いはキリストの十字架の贖罪と復活を信じる信仰によりもたらされるものであって、救いに善行や修行や人間的な努力などの行い(業)は不要であるとしました。

即ち、善行自体に救いの効力はないとし、免罪符を買っても救いには無関係だと主張しました。但し、ルターは「行い」そのものを否定した訳ではなく、行いは救いの要件ではなく結果であるとしたのです。宣教や善行は、信仰によって既に救われた者が、その感謝と使命を表す必然的な発露であるというのです。

2、このルターの信仰義認論は、親鸞の他力思想と瓜二つですね。親鸞は、人間の煩悩は自分の努力や修行では解決不可能であり、阿弥陀如来を信じてその慈悲にすがるしかない、即ち救いは絶対他力によるとしました。

ルターは修道院に入って、誰よりも厳格な修道生活を行い、誰よりもよく祈ったと言われています。しかし、その厳しい修道生活の中で、遂に心の平安は得られず、苦悶した末、上記の「信仰によって救われる」という聖句に出会いました。

一方親鸞は、9才にして比叡山に出家し、20年もの修行生活を行いました。しかし、ルターと同様、内なる煩悩(情欲)を解決出来ず、山を降りて法然に師事し、弥陀への他力信仰と出会って平安を得ることになります。

この2人に共通するものは、人間は自力で罪を解決することは出来ない、救いは神の絶対主権に属し、「救いも信仰も神からの恩寵による」という考え方が根本にあるということであります。

アウグスチヌスの恩寵救済論もこの系譜にあります。人間には自由意思があるが、罪を背負っている人間は、神の恩寵無しには善をなす自由を得ることは出来ないとしました。私自身もこれらルターやアウグスチヌスの思想に、強い親近感を感じており支持したいと思います。

3、これに対して、カソリックは、「信仰と行いは一体であり、救いは、神人の協力(協働)による」としました。義認は過程であり、真の信仰は善行を伴うというのです。

即ち、救いは神の恩寵が義化の根本であるが、人間の協働(行い)も必要とするという神人協働説を主張し、ルターの信仰義認を「わがまま勝手に救われたと思い込む主観主義」と批判しました。

4、これら上記の議論は、原理が示す「成長期間」と「責任分担」の教理に拠らなけれは解決できません。救いの完成は、成長期間における神と人間の責任分担が相俟って全うされるという思想です。

その意味で、ややカソリックの神人協働説に似ていますね。しかしカソリックは何故人間の業が必要なのか、その理念的根拠を示していません。

5、人間の責任分担とは即ち「信仰行為」であります。そしてこの信仰行為には、ルターが言う「信じる」という信仰行為と、カソリックが言う「行い」(実体)という信仰行為の双方の概念が含まれていると私は理解しています。ですから、責任分担論は、ルターの信仰義認とカソリックの神人協働を包括した、より上位概念の信仰行為論ということになるでしょう。復帰歴史的な視点からは、蕩減(償い・清算)条件と言っていますね。

責任分担という極く僅かな信仰行為を条件にして、神の絶対主権が人間を救いという恵みに導びくというのです。その意味では神の恩寵100%と言ってもいいでしょう。しかし、これまで摂理的人物が、この僅かな責任分担を全うできなかったことで、長い罪悪歴史を余儀なくされて来たというのが原理観ですね。では、皆様にとって、救いはどのようにもたらされたでしょうか。(了)

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