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キリスト教の土着化(文脈化)について 「聖書と日本フォーラム」に参加して

🔷聖書の知識23ーキリスト教の土着化(文脈化)について→「聖書と日本フォーラム」に参加して

こうして、律法は私たちをキリストに導く養育係となりました。それは、私たちが信仰によって義と認められるためです。(ガラテヤ3・24)

去る2月22日、お茶の水クリスチャンセンターで開かれた「聖書と日本フォーラム」(代表畠田秀生牧師)の集会に参加してきました。

これまで、日ユ同祖論や失われたイスラエル10支族の日本渡来説など、古代日本とイスラエルの密接な関係が取り沙汰され、神社などへの色濃い影響が指摘されて来ました。また、内村鑑三の二つのJ、即ち、キリストと日本の二つのJに献身するという愛国的キリスト教思想が注目されています。

「聖書と日本フォーラム」は、ヘブル文化が、神道や日本の歴史伝統の中に、どのように表れてきたかを考察し、聖書に基づく信仰を日本人の立場から再発見し、福音を土着化させていくことを目的としたクリスチャンの集まりであります。政治的には、保守主義の立場に立っていると言えるでしょう。 

そこで今回は、聖書と日本フォーラムがテーマとしている日本におけるキリスト教の「土着化」という問題について考えて見たいと思います。少し長いですがお付き合い下さい。

1、土着化( indigenization) とは、キリスト教の宣教用語で、それぞれの宣教国の歴史や宗教をよく理解し、その国の文化に寄り添いながら受容され福音化していくという宣教の在り方であり、文脈化(contextualization)とも言われています。

そして、この問題は、日本に何故キリスト教が根付かなかったか(ザビエル以来、キリスト教人口は1%を越えれなかった)という問題に対する回答に直結してきます。そして、この分析を通して、同じ一神教の日本UCが「如何にして日本で定着することが出来るか」という問い掛けへの教訓に繋がれば幸いであります。

2、「日本は宣教師の墓場」と言われて久しく、日本におけるキリスト教布教は細々としたものでした。先進主要国家で、唯一宣教に失敗した国と言われています。ハーベストタイムを主宰されている福音派の中川健一牧師も、「今日まで40年間日本で伝道に携わってきましたが、40年前より教勢が目減りしているのが現実です」とその厳しい現実を吐露されました。しかし、「私は日本のリバイバル(霊的覚醒)を信じている。福音の種を蒔いておけば、必ず刈り取る日が来る」とも言っておられます。

では何故、日本でキリスト教が根付かないのでしょうか。先ず、その主だった理由について考えて見ましょう。

3、前述の中川牧師や、世界宣教センター所長の奥山実牧師は、こう述べておられます。「中国には天という思想があり、韓国にはハナミムという神がいて、いずれも唯一神の土壌になっているので、唯一神、創造の神を受け入れやすい下地がある。それに対して、日本は天照の神とか海や山を神として偶像礼拝している」と。

つまり、日本は多神教であり、日本の神々を偶像崇拝だとして否定する一神教は、そもそも日本に馴染まない、というのです。

4、次に、何でもかんでも白黒つけたがる聖書的な聖別思想は日本の和の精神と合わないというものです。確かに、キリスト教には和よりも分別を重んじる思想があるようです。

エホバの神は、ヨシュアにカナン7族の殲滅を命じられたり(申命記7・1~2)、サウル王にアマレクのジェノサイドを命じられました。(サムエル上15・3)。十字軍によるイスラム教徒、ユダヤ教徒、カタリ派などに対する弾圧、魔女裁判なども同じ脈絡にあります。キリスト教から見れば、これらは神の名による正義の実現でしょうが、日本人には理解できません。

「和」か「分別」か、この課題は、上記の多神教問題と並んで、大きな難問であると思われます。元最高裁長官の三好達先生も「キリスト教の神には、最後の審判と言った裁く神という側面があるが、日本の神は、鎮魂、慰霊の神であり、そういう思想はない」との趣旨の指摘をされています。


5、更に、「キリスト教は血なまぐさい」という批判が多く見受けられます。確かに旧約時代には羊や牛などを全焼の供え物として捧げることを神はイスラエルの民に命じられました。(レビ記1・1~9)また、アブラハムにイサクを捧げることを命じられ、イエスはまさに十字架上で実体として生贄の供え物となられました。

このように、ユダヤ・キリスト教には、生贄の供え物、即ち血を以って購う「贖罪の思想」が色濃く流れています。購いの血によって罪を清めるという考え方です。

一方、神道を始め日本の宗教には、そのような思想は見受けられません。日本の祭りの捧げものは、護国豊穣、収穫への感謝の奉納であり、贖罪の供え物ではありません。また、キリスト教は、罪を内在的なものと見ますが、神道は埃のように外から付着するもので、禊や祓いで取り除くと考えています。即ち罪観の違いが根本にあり、これもキリスト教宣教の障害になっているというのです。

6、そして、今一つ最も大きな障害の要因は、神道や仏教などの高等宗教の存在です。氏子や檀家の存在です。ある神学者は、「日本には高等宗教がすでに根付いていたので、キリスト教はそれを凌駕できなかった」と指摘されました。

宗教学者の島田裕己氏も、「浄土教や創価学会をはじめとする新宗教は、キリスト教を日本に浸透させない壁となった」と指摘されています。

7、上記の通り、キリスト教宣教の障害になった4点について、その思想の違いなどに焦点を当てて見てきましたが、この論議と共に、冒頭に取り上げました「土着化」という重要な問題を考えなければなりません。何故なら、キリスト教の日本宣教の失敗は、土着化に失敗したと言えなくもないからです。

土着化の典型例として、クリスマス、ハロウィン、マリア信仰があります。クリスマスは、元々ローマで盛んだったミトラ教の冬至のお祭りだったのをキリスト教が取り込んだものであり、ハロウィンは、ケルト人の風習で、先祖の霊を迎えるお盆のような行事だったのをキリスト教的にしたものです。ハロウィンという、一見キリスト教的なお祭りとして知られているものも、元々は異文化の風習だったことがわかります。これを「土着化」といいます。キリスト教が特定の文化に受け入れられて定着していくことですね。

また、マリア信仰は、地中海世界に根強くあった女神信仰をマリアの中に取り込んだものと言われています。このように、少なくとも西洋のキリスト教は巧みにギリシャ・ローマ世界、ヨーロッパ世界の文化風習を取り込んで、土着化に成功して勢力圏を広げました。

更に、韓国では、三位一体の神観を陰陽五行思想で説明したり、贖罪観念を恨の概念で再解釈したりする土着神学が試みられています。ヘブライ思想をギリシャ語で語るということでしょうか。

8、前回、日本の古来思想には「自然を崇め、先祖を尊び、和と共生を重んじ、清浄を好む」というものが基層にあり、この思想が現世利益と相俟って日本的霊性の核をなしていると指摘しました。私は、先日参加した聖書と日本フォーラムの集会で「日本でキリスト教が浸透するためには、自然、先祖、天皇という三つの単語を否定しては難しい」 と発言いたしました。自然を愛し、先祖を尊び、天皇を敬愛すること、つまり、地域文化への土着と国家への土着(愛国心)が必須条件だと思うからです。無論、これらを崇敬はしても崇拝してはならないことは言うまでもありません。

この点、キリスト教は、教義上、先祖供養は偶像崇拝に繋がるということで、これを排除していますね。又、キリスト教式葬儀もこの脈絡で行われています。これでは日本での土着化はできません。

但し、カトリックには煉獄という概念があります。煉獄とは,天国でも地獄でもない中間状態の死後の世界で、まだ清算されていない罪を償って清められる場所のことであり、そして地上人がこの先祖の救いのために、祈り、代価を払うことが出来るという考え方があります。

我がUCには、先祖解怨という儀式があり、清平では子孫による先祖の解怨と祝福が行われていますね。先祖供養とは、亡くなった先祖の霊を慰霊、鎮魂し、先祖の成仏と共に子孫もその恵みに与るという日本の宗教文化で、先祖解怨とは親和性があり、土着化という脈絡の中でも肯定的に捉えることが出来るでしょう。

9、土着化や布教という視点から見れば、UCでは、先祖解怨、神氏族メシア、写経、祈願書、家系図など、キリスト教にはない思想や布教方法があり、一見、土着化が進んでいるように見えますね。又、仏教は檀家、創価学会は世帯という単位で信徒を把握しているように、UCにも家庭、氏族という単位の考え方が重視されていますが、これは布教には効果的だと思われます。

このお陰もあってか、一神教の中では、他のキリスト教各派と比べて、日本のUCは善戦しているようです。ちなみに、日本におけるクリスチャン人口は、カソリック40万、プロテスタント総計25万、ロシア正教1万、エホバの証人15万、モルモン教12万、家庭連合60万となっています。

しかし、これらは、「諸刃の剣」でもあることに留意する必要があります。イエス・キリストが「あなたの信仰があなたを救った」(マタイ9・22)と言われた通り、あくまで信仰が主であって現世利益は従(結果)であることを肝に銘じなければなりません。また、土着化とは相手を理解しながら理解されていくことであり、やみくもに同化することではありません。本質を変えることなくその国の文化に適応し、受容されていくことである点も確認しておきたいと思います。

なお、キリスト教の教義を、そのままストレートに正攻法で伝えるという伝道(福音伝道)を重視する教派もあることを付け加えておきます。むしろ、福音伝道と土着化布教は、相互に相俟って行われていくべきものと思われます。

10、最後に、摂理観から見た日本のキリスト教について、文先生の興味深い言葉を記しておきたいと思います。

「神が日本にキリスト教を根付かせないようにしたのです。日本と韓国が対立しないため、相対国(母国)としての日本にするためです。神は調和する宗教(多神教)を日本に根付かせました。これからは、日本に一神教を根付かせるために神が摂理されることでしょう」

ガラテヤ書3・24で、バウロが「律法は私たちをキリストに導く養育係となりました」と語りました。同様に、日本の多神の神々(日本的霊性)は、日本人を真の神に導く養育係であると捉えることができますね。この神々を真の神に接ぎ木すれば良いのです。かくして文先生のみ言にありますように、早晩神は、日本に一神教を根付かせる摂理をされると確信するものです。(了)