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ソウル市長の自殺に思う 死ぬこととは何か!

○つれづれ日誌(令和2年7月10日)-ソウル市長の自殺に思うー死ぬこととは何か!


7月9日、家族による捜索願いが出され、日が変わる0時ころ公館裏手の北岳山で遺体となって発見された朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長。今のところ自殺だと言われています。(64歳)

その瞬間、朝鮮半島に衝撃が走りました。そして筆者にも、何故、どうして、という疑問と共に強いショックを禁じ得ませんでした。その時、やはり自殺した盧武鉉元大統領(62歳)や日本の自民党議員新井将敬(50歳)の顔が浮かんできました。

辣腕の弁護士出身で、3期目の現役ソウル市長の彼は、2年後の大統領選挙の有力候補でもあり、政治家としてはこれ以上ない実績と経歴の持ち主だったからです。

彼は、美濃部都知事のようなリベラルで、文在寅大統領より左との観測があります。反日のリーダーで、慰安婦運動の影の黒幕だと言われています。女ぐせが悪いのも美濃部と同じで、今回の自殺は、セクハラ告訴が主な原因だとされています。ただ市民運動で集めた募金の流用問題や左翼団体に公金を流したという噂もあります。

最近、元慰安婦の李容洙(イヨンス)さん(91)が、韓国の元慰安婦支援団体「正義記憶連帯」(旧挺対協)による寄付金の不正流用を指摘し、「挺対協が慰安婦を利用したことは絶対に許せない」と訴えました。李さんは流用疑惑について「検察が明らかにすること」と指摘。そのうえで、前理事長の尹美香(ユンミヒャン)氏らは「必ず罪に問われ、罰せられなければならない」と求めました。

また、李さんは正義連に対し、「30年間も利用され、だまされてきた」と強調。元慰安婦を「性奴隷」と主張し、旧日本軍による被害を訴える運動のやり方にも「どうして私が性奴隷なのか。とんでもない話だ」と怒りをあらわにしました。

この上記の問題に朴市長が深く絡んでいる可能性が高いと言われており、今回の自殺は、他殺(変死)の可能性も一部で取り沙汰されています。しかし、自殺の直接的な原因について、韓国のテレビ局「SBS」は、朴元淳市長からセクシャルハラスメントを受けた元秘書の女性が、亡くなる前日の8日に警察に告訴状を提出した事実を報じました。

ソウル市警も、朴市長に対するセクハラ関連の告訴状が受理されたことと、被害を受けた元秘書が告訴人として事情聴取を受けたことを明らかにしています。「SBS」の報道では「元秘書は、2017年から継続的に被害に遭ったとし、性的なメッセージを送りつけてくることもあったという。別の被害者も多い」という被害女性の訴えを伝えています。

以下、今回の朴元淳ソウル市長の衝撃的な自死について、もう少し深掘りをして見たいと思います。そしてこの際、死とは何か、死をどう考えるべきかを、保守の論客だった西部邁(すすむ)氏の自殺を材料にしながら共に考えて見たいと思います。

1、1956年、慶尚南道昌寧郡に生まれた朴氏は、名門の京畿高校を経て1975年ソウル大学に入学するも、朴正熙(パク・チョンヒ)大統領の独裁に反対する民主化運動に参加し、4か月間投獄された後で大学を除籍となりました。

その後、檀国大学史学科に再入学するかたわら、1980年に司法試験に合格しました。司法研修院の同期(12期)には、文在寅大統領や、韓国随一の人権弁護士として活躍した趙英来(チョ・ヨンレ、1990年没)氏がいました。このように、亡くなった朴元淳氏は著名政治家であると共に、韓国市民運動の歴史に輝くスーパースターであり「伝説」といっても差し支えない足跡を刻んだ人物だったと言われています。

即ち、朴市長は人権弁護士のシンボル的な存在であり、「参与連帯」や「美しい財団」を設立するなど市民運動を率いてきた人物でした。国内初のセクハラ事件とされる「ソウル大学ウ助教事件」でもソウル大学教授を有罪にして勝訴を勝ち取りました。フェミニストを自認し、ソウル市政においても女性の権益保護を前面に出してきました。

2、その女性の人権を売り物にしてきた朴市長がセクハラで訴えられたということ、ここにことの深さ、衝撃度の大きさがあると言うのです。つまり、カトリックの教皇や枢機卿がセクハラスキャンダルを告発されたようなものであるからです。

捜査が進む場合、こうした英雄的な印象とかけ離れた真逆の裏の実像が明らかになる可能性がありました。朴市長は「すべての方々に申し訳ない」との心境を綴った遺書を残したと言われていますが、今回の朴元淳市長の自死が「悲報」で済まされない理由がここにあるのです。 

朴氏が所属する与党「共に民主党」では、2018年に安熙正(アン・ヒジョン)元忠清南道知事がセクハラ事件で有罪になり収監され、今年4月にも呉巨敦(オ・ゴドン)前釜山市長がMeToo(セクハラ)騒動に巻き込まれて辞任し、政治生命を絶たれています。もしかしたら、この2人のことが脳裏をよぎり、自分も大切なものを失うのではないかと喪失不安にさいなまれたのかもしれません。ある精神医は、「自分はもうダメだ」と思い、目の前の出来事を「破滅的な喪失」と受け止めたのかも知れないと言っています。


かの盧武鉉元大統のように、有名人が「死」によって違法行為が免責され問題を終わらせるという選択が相次ぐことで、ただでさえ深刻な韓国社会の一部危険な風潮にも悪影響が及んでいます。韓国における自殺率は経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で最悪であり、「自殺率1位国家」という汚名は、自殺によって「問題が解決する」あるいは「美化される」という風土の影響も少なくないと言われています。(朝鮮日報)

3、西部邁氏の自殺に思う


さて筆者は、「緊急提言―西部邁氏の自殺に思う」と題して、平成30年1月21日早朝、保守思想の論客だった西部邁氏が多摩川の橋から飛び込み自殺したこと(享年78歳)に関して長文の追悼コメントを公表したことがあります。

西部邁は保守陣営の異色の論客でしたが、自主独立の象徴としての核武装の必要性を公言してはばからなかった人物でもあります。東大時代には東大教養部自治会委員長、全学連副委員長として唐牛健太郎などと共に60年の安保闘争を戦った行動派であり、東大教授の時には助教授選任に関し筋を通して辞表を出した熱血漢でありました。

平成26年に妻と死に別れて、死への思索をさらに深め、著作などでも死について言及し、最後の著作「保守の真髄」の中で、「自然死は偽装だ、実態は病院死だ。生の最期を他人に命令されたり振り回されたりしたくない」とし、「自裁死」を選択する可能性を示唆していたといいます。彼は「自分はかなり若いときから死について考える性癖が強かった」(保守の真髄)と述べ、大学を辞めて最初に書いた批評は三島由紀夫論だったといいます。三島を論じることを通じて、自己の人生に「自裁をもって幕を閉じる」決意がほぼ固まった(虚無の構造、死生論)と語っています。

西部氏は、死ぬ日の直前、行きつけのスナックのママにこう語ったといいます。「特攻隊で敵艦に突っ込んでいった彼らの1000分の1でも勇気があったらなあ」と。「今日はどうしてウオッカを飲むの。珍しいわね」といったママとの会話があったそうです。西部氏と言えども死を前にしての恐怖があったのでしょうか、45度もあるウオッカをあおらなければ飛び込めなかったのかもしれません。

それにしても、いかに死ぬかは、いかに生きるかよりも難しい人間の最後の課題であります。筆者は、西部氏の死は自裁死であり、単なる自殺ではないと考えています。追い詰められていたことは確かですが、追い詰められ切って自己を失った絶望的限界状況の中での死ではなく、追い詰められ切る一歩手前での、自らの主体的意思で選択した思想死、いわば最後の自己主張(自裁死)であったと考えています。

ただ西部氏と筆者には、一つ重大な状況の違いがあります。西部氏は万巻の書や山なす知識と会うことが出来ましたが、ついに神とは会えませんでしたし、またあえて会おうともしませんでしたが、何の巡り合せか筆者は神と出会うことができ、そして神を受け入れることができました。西部氏は、オルテガやヤスパースなど多くの碩学者の古典を引用しましたが、ついに古典の最高峰たる聖書からの全うな引用は無かったのです。彼は、絶対的真理に逃げることを良しとしませんでした。聖書よりも、むしろ著名な古典に精通すること、そしてそこからの引用をもって自らの思想を明らかにすることを知識人の矜持(きょうじ)と考えていたのです。

彼の言う「生に伴う虚無感」は一体どこから来るのでしょうか。伝道の書3章11節に「神は永遠を思う心を人に与えられた」とありますが、虚無は永遠を知りえないところに発するのです。しかし彼は、あえて永遠を拒んだのでした。「神や仏を持ち出して永遠について語るのは詐話にすぎない」といい、「超越的な真理は探究すべきものであっても、そこに到達しうることもそれを信仰することも叶わぬものである」(保守の真髄)と述べているとおりです。

即ち氏の根底には悟りを得る前のコレヒト(伝道の書)のように、底知れぬ人生の空しさ、ニヒリズムが横たわっていました。そしてそのニヒリズムの世界こそ自らの住処として甘んじて受け入れ、あえてこの絶望を脱して永遠の世界へ飛翔しようとなどとは考えていなかったのです。そこに思想家としての矜持と限界があるのかもしれません。神と信仰抜きの思想の宿命です。

キリスト教では、「神が与えし命を自ら断つことは神への冒涜、汝、自ら死すことなかれ」といった教えがあります。カトリックの曽野綾子さんは、西部の自殺に関してサンケイ新聞コラムで次のように述べています。  

「人間の生涯には、最期まで当人すら自由に扱えない未知の部分が用意されていることに対して、人は謙虚にならなければいけない。自分の未来を諦めたり、自殺して結論を出そうとするのは思い上がりで、人間の誰もが最後の日まで意外な運命の展開を待っているのだから」と。

確かに敬虔なクリスチャンの曽野さんらしい言葉です。それにしても、私たちの前には、「老いてなお意外な人生の展開があるかもしれない」という彼女の指摘は、なんと含蓄の深い言葉でしょうか。ただ、原理講論には自死に関する記述は一切ありません。文鮮明師もこの件に関しては論評されていないと理解しています。しかし、どういう形の死であるにせよ、今まで述べてきた諸々の考察や葛藤を含めて、結局「人の生死の全てを司る神に、自らの生死の一切を委ねる」ことにしか解決はなく、死に際して「悔い無し」と言えれば本望です。月並みなようですが、これが現時点での死に対する筆者の結論であります。

4、それにしてもソウル市長の自殺は衝撃でした。彼は法律家らしく、人の死は一切の法的問題を解決し、自らの名誉を守る万能の薬だという法理を実践したのでしょうか。はたまた、その法律知識を武器に著名人を有罪に追い込み、結果的に、その他人の犠牲でのしあがってきたという「付け」が、今度は自分に回ってきたのでしょうか。それにしても、未来を嘱望された現職市長というだけに、その死の代償があまりにも大きく、人々に与えた衝撃は尋常ではありません。

この自殺の社会的、哲学的意味について今多くを語る余裕はありませんが、筆者は韓国人の霊性の底知れない「純粋さ」と「闇の深さ」を同時に感じて、韓国人とは何かを改めて考える機会になりました。いずれにせよ、ご冥福をお祈りするものです。

そして、この度の朴元淳ソウル市長や盧武鉉元大統領の自殺、更には朴正煕大統領暗殺や朴槿恵(パク・クネ)元大統領の収監などを見るにつけ、そこには一人の人間の生死を越えた朝鮮半島の歴史そのものの宿命的な何かが、背後に色濃く関わっているのではないかと感じられて、深刻にならざるを得ませんでした。皆さんはどのように感じられたでしょうか。(了)



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