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ナジル人とは

○つれづれ日誌(6月1日)ーナジル人とは

ここにダンびとの氏族の者で、名をマノアというゾラの人があった。その妻はうまずめで、子を産んだことがなかった。 主の使がその女に現れて言った、「あなたはうまずめで、子を産んだことがありません。しかし、あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。 それであなたは気をつけて、ぶどう酒または濃い酒を飲んではなりません。またすべて汚れたものを食べてはなりません。 あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。その頭にかみそりをあててはなりません。その子は生れた時から神にささげられたナジルびとです。彼はペリシテびとの手からイスラエルを救い始めるでしょう」(士師記13.2~5)


「ナジル人」とは何でしょうか。ナジル人とは民数記6・1~6に出てくる名称で、「神と特別な誓約を結んだ人」のことであります。

特別な願いごとがあったり、ある期間特に神と共に歩みたいと願ったりした場合、イスラエル人たちは「ナジル人の誓願」を立てました。

サムソン、サムエルとその母ハンナ、洗礼ヨハネなどはナジル人であったと言われています。特にサムソンの母への神の宣言(士師記13・4~5)と、ハンナの誓願(サムエル1・11)は有名で、度々文学や演劇で語り継がれて来ました。


幼きサムエル(ジョシュア・レイノルズ画)


「ナジール」とはヘブライ語で、「聖別された人」を意味し、これには一時的誓願者と生涯の誓願者があり、サムソンは生涯の誓願者でした。

旧約聖書のナジル人は、ぶどう酒(アルコール)を口にしないこと、髪を切ってはいけないこと、死者に近づいてはいけないこと、この3つを条件として守らなくてはなりませんでした。(民数記6・3~6)

イエスの「その日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい」(マタイ26:29)もナジル人としての誓願だったという説もあります。

さて、今日は6月1日です。光陰矢の如しといいますが、ついこの前新年を迎えたばかりだと思っていたのに、もう年半ばになりました。月初めや週初めに私たちは敬礼式をしますね。2004年5月5日からは8日目ごとの安侍日(安着侍義)となりましたが、私は今までの習慣で月初めと日曜日にすることが多いです。

こういう区切りになる日は、何となく神が働かれるような気がして、何か願い事をしたくなりますね。とくにUC信徒は、既成のキリスト教徒に比べても、何かにつけて色々な「条件を立てる」ことが多いようです。教会でよくやる「40日路程」などといった類いです。

実は私は今、やらなければならない切羽詰まった懸案を抱えていまして、今年の元旦以来、今までずるずると先送りになっていました。もうこれ以上待ったなしに追い込まれてしまい、精神的にも追い詰められ、ストレスがたまる一方です。

そこで一心発起して、6月1日からナジル人になろうと決した次第です。「条件を立てる」ことなど久しく忘れていたことですが、私のような意思の弱い人間は、やはり神の力を借りて現状を打破するしかありません。こういう奥の手を使わなくても、普通にこなしていける方はもっと立派なのですが・・・。

神との約束は神妙ですが、それを成就したときの喜びはもっと大きいことを信じます。ナジルとは「聖別された人」なのであれば、せめてこの期間、よきナジル人として過ごせますように。アーメン!、アージュ!(了)



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