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プロテスタント発祥の地を訪ねて 横浜海岸教会

〇つれづれ日誌(5月23日)ープロテスタント発祥の地を訪ねて→横浜海岸教会

この23日、プロテスタント教会としては日本で最初に誕生した教会「横浜海岸教会」(Yokohama Kaigan Church)を訪問してきました。いわばプロテスタント発祥の地であります。横浜湾と横浜中華街に挟まれた品の良いたたずまいを感じさせるエリアにひっそりと建っていました。

実はその日、横浜海岸教会のすぐ近くの「幸福の科学横浜正心館」で上映されている映画「エクストラの秘密」に誘われて来ていたのです。映画もさることながら、私の関心は、専らこの横浜海岸教会に思いを馳せることにありました。

そこで、しばらく横浜海岸教会の歴史を教会ガイドを参考にして振り返ることにいたします。

1859年、まだキリシタン禁教の時代に日本にキリストの福音を伝えようと、海外から非常な危険を冒して多くの宣教師たちが日本に上陸して来ました。その年、神奈川に渡来したのは米国長老派教会の、J.C.へボン、米国改革派教会の、S.R.ブラウンなどでした。1861年11月には、米国改革派教会のJ.H.バラ夫妻が神奈川に渡来しました。

彼等はまず横浜で英語私塾を開き、同時にキリスト教の開拓的伝道のための準備を始め、1868年11月には現在の横浜海岸教会の所在地(居留地167番)に、バラの依頼によって横浜在住の外国人のための礼拝所、日本人のための英語教室として、石造りの小会堂が建設されました。バラは小会堂を利用して20数名の学生を教えました。(バラ塾)

1872年2月9日(明治5年)より、バラ塾で学んで霊的感化を受けていた青年達の申し出により初週祈祷会が開かれました。そこで連日熱心な祈りがささげられ、同年3月10日、バラによって洗礼式が行われ、篠崎桂之助、押川方義ら9名が受洗しました。同日、既に他所で受洗していた2名を加え、11名で「日本基督公会」を設立し、バラが仮牧師となりました。この日が横浜海岸教会の創立記念日となっています。

バラらの尽力により3年後の1875年7月10日にに400名以上の収容が可能な大会堂が献堂され、同時に「日本基督横浜海岸教会」と改称されました。その後、1925年献堂の木造仮会堂を経て、現在の会堂は1932年末に竣工し、1933年3月12日に献堂されたものです。

毎週の主日礼拝は、第二次大戦中のキリスト教弾圧の時代にあっても一回も欠かすことなく守られ、受洗者総数は累計すれば約6000名を下らないものと推計されています。

教会設立出発点となった1872年の初週祈祷会の折に、バラから篠崎桂之助らに与えられた聖句はイザヤ32・15でありました。

「ついに我々の上に霊が高い天から注がれる。荒れ野は園となり、園は森と見なされる。」( イザヤ32・15)

上記の通り、1872年、横浜にプロテスタント最初の教派を越えた「日本基督公会」(海岸教会)が創立されましたが、これが「横浜バンド」(一団)であります。

この横浜バンドには、東北学院を創立した押川方義のほか、メソジスト系の青山学院の院長となる本多庸一や、明治学院創設メンバーである植村正久、井深梶之助らがいました。

これらは、1890年に設立された日本基督教会へと発展し、日本のキリスト教界を担うことになり、長老主義的な神学思想を形成していきました。

私はこの日、150年前の横浜バンドを偲びなから、彼らがこの「再臨の日」に共に再臨し、我らUCと信者を助けて下さるようしばし祈りを捧げてきました。この日は、あいにくコロナ騒ぎの影響で、内部には入れませんでしたが、今度は礼拝に参加して、上記横浜海岸教会設立の11名に思いを馳せ、一時祈りを捧げる日を楽しみにしているところです。

筆者自身、昨年2月10日、日本聖公会宮岸進司祭により、牧師叙階の按手礼を受けました。これをキリスト教伝統の正式な相続者の印として神が付与して下さったと理解しているものですが、このキリスト教伝統相続の上に立って、更に再臨へと歩をすすめていくきっかけになれば、この日の海岸教会訪問は意義があったかもしれません。

この横浜海岸教会一帯は、山下公園あり、横浜港開港の記念館あり、港ありで、格好の散策エリアですね。お薦めいたします。帰りに横浜中華街に立ち寄って、美味しい中華料理に舌鼓を打たれてはどうでしょうか。(了)