◇聖書の知識24ー再度「ピューリタンとは何か」を考える→アメリカ市民宗教の源泉として
あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。(マタイ5・14)
前回聖書の知識23で、一神教を標榜するキリスト教各派の苦戦の中にあって、(まだまだ道遠しと言えども)日本UCは善戦していると述べました。この私と同じ認識が、神学者・牧師の鈴木崇巨氏の近著「福音派とは何か」(春秋社)P188~190で以下の通り示されていますので、最初にその骨子を引用しておきたいと思います。
「日本プロテスタント最大の問題は、エホバの証人、モルモン教、家庭連合の3つの特別な教派が、信徒数94万9973人もいて、日本のプロテスタント信徒数を一気に押し上げているという現実です。これら三派をキリスト教徒数に入れない神学者もいますが、自分をキリスト教徒と告白する人、は皆プロテスタント信者数に含まれるべきです」
「カソリック43万、伝統派プロテスタント29万+福音派、エホバ21万、モルモン12万、家庭連合61万であり、この三派で他の全プロテスタント信徒より多いのです」
「(初代キリスト教が異端とされたように)彼らは異端というレッテルを貼られ、反論もせず、涙をこらえている傷ついた葦、受難者たちです」(イザヤ42・3)
上記の通り、この正統派神学者・牧師の神学本は、UCを含む三派を異端とせず、「キリストを告白する者」は皆キリスト教信者である、という脈絡で論じている貴重な書籍です。実にありがたいことです。福音派のみならずキリスト教全般が分かりやすく書かれていますのて、是非、ご一読をお薦めいたします。
さて本論に入りたいと思います。聖書の知識20、22で言及しましたアメリカの見えざる国教としての「市民宗教」(アメリカ教)とは、聖書的世界観と選民観が愛国心と結びついた超教派的なもので、日本でいう神仏儒が結びついて形成された「日本的霊性」と対比されるべき霊性であります。
今回は、上記アメリカ市民宗教の源泉ともいうべきピューリタンについて、その歴史、思想、行動について再考し、現代のローマとも言われるアメリカ理解のよい機会にしたいと思います。
1、私達は、何故アメリカのキリスト教歴史を学び、何故ピューリタンについて知るべきなのでしょうか。
第一の理由は、アメリカ理解にはこれが必須であるということです。次に日本のキリスト教理解にも欠かせません。アメリカ宣教師の色濃い影響があるからです。第三にアメリカの政治と国際情勢を知る鍵だということです。トランプ大統領の政策を理解するには、これらの知識が不可欠だというのです。そしてまた、私達の信仰と教会生活の覚醒に繋がれば、これに過ぎた喜びはありません。
先ずはアメリカ精神の基層にあるビューリタンとは何か、またそこから生まれた見えざる国教としての市民宗教とは何かを論じることから始めたいと思います。
2、ピューリタンの移住
ピューリタン(Puritan)は、16世紀から17世紀に、カトリック的儀式や主教制をとるイギリス国教会の改革を叫んだキリスト教のカルヴァン派のグループで、市民革命の担い手となりました。日本語では清教徒と訳され、清潔、潔白などを表すPurityに由来します。
その中には国教会から分離せずに教会内部から改革しようとする長老派と、国教会の内部からの改革を断念し、分離独立しようとする分離派がいました。
分離派には会衆派、バプテスト派、クエーカー教徒などがいましたが、国教会のもとで弾圧を受けていました。その中には祖国での弾圧を逃れ、オランダ経由でアメリカに移住した人たちもいました。
1620年9月、イギリス国教会の弾圧を受けた寒村スクールビ出身の分離派清教徒102人は、メイフラワー号で新天地アメリカに旅立ち、66日の苦難の航海の末、マサチューセッツ州プリマスにたどり着きました。彼らはピルグリムファーザーズ(巡礼始祖)と呼ばれ、上陸前に「契約と法に服従する」ことを誓ったメイフラワー誓約に41人が署名しました。この文書はアメリカ型契約社会の原型となりました。
見渡す限りの荒野に降り立った彼らは厳しい冬を迎え、寒と病気のため半数以上の人が死亡したと言われています。
なお、このピリグラムファーザーズに先駆けて、コロンブスの大陸発見(1492年)やその後のスペインなどの開拓があり、また1607年にはイギリス人によるバージニアのジェイムズタウンへの入植がありました。しかし、本国への利益還元が優先され、不退転の信仰的決意で新天地を開拓しようとした清教徒ニューイングランドの人々とは異なった方向を向いていました。
更に、1630年には、非分離派のジョン・ウインスロップら1100人がマサセチュッツに植民しました。旅立つ前にウインスロップが行った「全ての人々の目が注がれる丘の上にある町」(マタイ5・14)の説教は有名で、新たな選民的自覚のもとに、神との聖なる契約に入ったことを宣言しました。
「丘の上の町」は、イギリスにおける国家的宗教弾圧を逃れて新大陸アメリカに渡った清教徒たちがつくろうとしていた「自由で公正な神の国」を表す象徴として用いられています。「神に選ばれた特別な国」との自己認識の原点であります。(聖書の知識9参照)
以後、1634年にカソリックは信徒のカルバートがメリーランドを拓き、1635年には、政教分離の元祖ロジャー・ウィリアムズにより、誰にでも開かれたロードアイランドのプロビデンスも創設されました。また、1681年にはクェーカー信者のウィリアム・ペンがクェーカー、メノナイト、ルター派、長老派、カトリックなど、いずれの宗派にも門戸を開いたペンシルベニア植民地を開始しました。
こうして、アメリカへの移民の最初の中核となったのは主にイギリスからの移住者で、ニューイングランドなど13州を形成し、彼らは後にWASPと言われ、アメリカ社会の中核となっていきました。この、入植から独立までの植民地時代はピューリタンの時代であり、ここに、神学的とも言える信念によって建てられた国、アメリカの源流があるというのです。
3、ピューリタンの思想と行動
先ずピューリタンの思想の特徴は、徹頭徹尾、個人の信仰の自由を追求したことです。教皇からも、国家からも解放されて、個人が宗教や教会を自由に選択できる権利を追求しました。このような信仰の自由は、今でこそ当たり前のことですが、当時としては大変なことだったのです。
教会選択の自由、教会設立の自由、これこそピューリタン思想の骨子であります。そして、この思想は、民間重視のアメリカ型社会の源流になりました。典型例は、私立大学制度です。日本と違って、ハーバード、イエール、プリンストンなど有名大学は全て私立大学です。ここにも国家の干渉を嫌う自己責任型社会の在り方が表れています。アメリカは自由の国といいますが、何が自由なのかと言えば、それは、信教、思想、言論の自由を指しています。
神学思想としては、カルビン神学の「聖書主義」と「神の絶対主権思想」を受け継ぎました。ここから、先ず神のために教会を建て、次に子孫のために学校を建て、最後に自分達のために丸太小屋を建てるといった行動原理、即ち、神第一主義の考え方が生まれました。
これらピューリタン思想の系譜にあるのが会衆派(組合派)やバプテスト派の教会です。これらの教会は、ヒエラルキー型の主教制度を拒否し、聖職者も長老も信徒も、全て平等という原則、完全自治を主張しました。各個教会の独立と自治、回心体験を経た平等な成員による合議制です。また、礼拝や儀式はカトリック的な要素を排して簡素にいたしました。そしてこれらの教会運営の在り方はアメリカキリスト教会のベースになっていきました。
以上、ピューリタンの歴史と精神の骨子を述べましたが、これがアメリカという国の基本にあるというのです。「三つ子の魂百まで」と言いますが、日本的霊性が、上古に形成された古神道的思想に原点があるように、初期植民時代に形成された、見えざる国教としてのアメリカ市民宗教(アメリカ教)のバックボーンにピューリタン思想があるのは否定できません。
即ち、17世紀のイギリス、ヨーロッパから信仰の自由を求めての移住から始まり、1776年の独立宣言に至るまでの植民地時代こそ、いわゆるアメリカ精神の基層を形成した期間と言えるでありましょう。
4、そして、アメリカ宗教の多様性は、社会的、政治的統合に何の妨げにもなりませんでした。
各教派のさまざまな教義の違いより、はるかに重要なキリスト教倫理(市民宗教)にもとづいていたからです。現に、北部諸州形成のかなめとなったペンシルヴェニア(礎石の州)は、宗教的にもっとも多彩な都市でありました。
「兄弟愛の町」を意味するフィラデルフィアでは、ピュリタンの政治改革が大きく花開きました。ここはクェーカーの町であり、長老派の砦であり、バプティスト教会の本拠地であり、英国国教会の中心地であり、ドイツ各教派、モラヴィア教徒、メノナイト派の故郷であり、カトリック教会が寛大な扱いを受けて賑わったところでもありました。また、独立宣言が署名された地でもあります。
一方、商業主義的なマスコミの影響もあってか、アメリカは、フリーセックス、麻薬、享楽主義、物質的世俗主義の国というイメージがあり、私自身も長らくそう思ってきました。
しかし、アメリカの成り立ちを知れば知るほど、その正反対の一面がクローズアップされてきます。アメリカは宗教の街、信仰の国だったのです。
自由主義神学や世俗化に対抗する形で19世紀後半に顕著になってきた福音派の台頭は、それを象徴しています。特に南部バイブルベルトと呼ばれる地域は、福音派の牙城で、ブッシュやトランプ大統領の厚い支持基盤になっています。トランプの「アメリカ・ファースト」の真意とは、とりもなおさず「建国の父祖たちの信仰を忘れるな」ということだというのです。
福音主義とは、聖書の無誤性、聖霊の賜物、回心を重視する宗派で、ビューリタンとリバイバルにその源流があります。そこで、次回は現代アメリカ政治の理解に欠かせないアメリカ生まれの福音主義、福音派とは何か、そして日本への影響について考えていきたいと思います。(了)
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