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福音主義とは何か 伝統主義教派との違い

🔷聖書の知識25ー福音主義とは何かー伝統主義教派との違い

すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。(使徒行伝2・4)

福音主義、福音派とは何か、これが今回のテーマです。福音派とは特定のキリスト教派を指すのではなく、聖書と聖霊の信仰に目覚めた(ボーン・アゲインした)保守的なプロテスタントの総称であります。

ちなみに、筆者が牧師として所属している「ユニバーサル福音教会」は、特定の教派に所属していない単立教会ですが、「福音」という形容詞がついています。神奈川県大和市にある「大和カルバリチャペル」もやはり単立教会です。この教会は、日曜礼拝を1日に3回も行う大きな福音派教会ですが、もともと福音派の元祖とも言われるホーリネス系の教会でした。今はホーリネスから独立して単立教会になりました。

では、何故福音派を知る意義があるのでしょうか。それは今、聖書的霊性の相続人たるアメリカにおいて最大の教派となり、特に1960年以降、急成長しているからです。今や4人に一人は福音派と言われ、ブッシュやトランプ大統領を生み出した有力な政治勢力でもあるからです。

このアメリカ生まれの福音派は、いかにして生まれ、如何なる思想と信条を持っているのか、何故人々を引き付けるのか、これらを明らかにしなければなりません。

1、福音主義、福音派とは何か


福音派(エヴァンジェリカル)は聖書の言葉を文字通り信じ、聖霊を強調する19世紀後半に生まれた宗派であります。宗教改革以来の、いわゆる「伝統的なプロテスタント教会」ではない教会で、聖書の権威、聖霊の賜物、回心と新生(ボーンアゲイン)、超教派性を特徴とする傾向を持っています。また、中絶や同性愛を否定しています。

2、起源について


歴史的源流の最古は聖霊体験に満ちた初代原始教会にあると言え、使徒行伝2章に出ているペンテコステ(聖霊降臨)は、事実上キリスト教が創立された日でもあります。イエスの十字架と復活の教理と共に、聖霊の働きによる異言、奇跡、病気の癒しなどによって、人々はイエスこそキリストであると告白しました。そもそも、福音とは「喜ばしい訪れ」という意味ですから、聖書そのものが当に福音と言えるでしょう。

近現代における福音派は、ルターの宗教改革、ジョン・ウエスレーの聖霊体験とメソジスト、アメリカのリバイバル(大覚醒)の3つに源流があると思われます。

とりわけ基礎になっているのは、イギリス聖公会司祭のジョン・ウェスレーと言われています。ウェスレーは、1738年35歳の時、立ち寄った集会で読まれたルターの「ロマ書」冒頭の一節に感応して強烈な聖霊体験をしたと言われています。以後、88歳まで聖霊に満ちた信仰と伝道を維持し、「心の潔め」や「聖霊の働き」を強調するメソジスト教会の元祖となりました。

しかし、18世紀~19世紀にはシュライエルマッハーなどにより聖書の科学的研究を重視する自由主義神学が生まれ、メソジスト教会も次第に聖書解釈に重点を置く知的、教育的な信仰へ軸足が移っていき伝統的教会になっていきました。

このような中で、1840年~1850年、メソジスト教会の中から、本来の聖霊の働きや潔めを重視して、教会刷新を唱えるホーリネス会が興り、やがてホーリネス教会(きよめ派)が生まれました。福音派の誕生であります。折からアメリカにおいて、回心と聖霊を強調する超教派的な第一次、第二次リバイバルの影響もあり、福音派を形成していきました。

1880年代にはバプティスト派、会衆派、長老派などにも広がり、福音派が独立したグループになっていきました。従って、メソジスト教会までを「伝統的な教会」とし、ホーリネス教会から以後を「福音派の教会」と言えるでしょう。以上の話は、鈴木崇巨牧師の近著「福音派とは何か」(春秋社)に詳しく記述されています。

3、教派・信条について


前述のように、教派的には概ね自由主義的、進歩主義的な聖書解釈と神学を重視する傾向を持つ伝統的教会(主流派、リベラル派)と、聖書の無誤性と聖霊の賜物重視の傾向を持つ福音派(エバンジェリカル)に分かれます。

福音派と呼ばれるアメリカの教派には、南部バプテスト連盟、ペンテコステ派チャーチ・オブ・ゴッド(聖霊派)、アッセムブリ・オブ・ゴッド、クリスチャン・アンド・ミッショナリー同盟、救世軍、自由メソジスト教会、ナザレン教会、などがあります。

また、伝統教会には、聖公会、長老教会、メソジスト教会、ルーテル教会、北部バプテスト教会、会衆派教会、などがあります。そして、これらの伝統教会こそピューリタンの伝統を受け継いで植民地時代を開拓してきた教会です。

現在、世界的に福音派の信条として広く認められているのは、1846年にロンドンで結成された福音主義同盟の9項目、及び1974年のローザンヌ誓約であります。ローザンヌ誓約では、ビリーグラハムを委員長とし、ニカイア・コンスタンティノポリス信条(381年)を確認し、神の主権摂理、聖霊の力、聖書の権威、キリストの独自性を確認しました。

平たく言えば、聖書の言葉をそのまま信じ、聖霊の働きを重んじる傾向の強い人々を福音派といい、より合理性を持って聖書を解釈し、神学を重んじる傾向の強い人々を伝統派(リベラル派)と言えるでしょう。

4、アメリカの福音派


アメリカの福音派は、世界教会協議のエキュメニズムや自由主義神学を受け入れず、キリスト教根本主義(ファンダメンタリズム)にも同意できないという福音主義の立場によって形成されました。

米国福音派の組織としては、1942年に米国福音同盟(NAE)が設立されています。NAEにはペンテコステ派のアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団も加盟し、ビリー・グラハムは米国福音派の代表的人物と呼ばれています。

5、自由主義神学と福音主義の論争


20世紀初頭に、アメリカのプロテスタント教派では、重大な教理論争(メイチェン論争)が戦わされました。

その結果、自由主義神学(リベラリズム)を採用するメインラインの主流各教派(エキュメニカル派)と、聖書の無誤無謬を主張して5つの根本教義(ファンダメンタルズ)の堅持を訴える福音派とに、プロテスタント諸教派が二分されました。

ちなみに、5つの根本教義とは、聖書の霊感と無謬性、キリストの処女降誕、キリストの贖罪、体の復活、奇蹟、の5つであります。

6、主流派の停滞と福音派の成長


主流派と呼ばれるリベラル-エキュメニカル諸派(伝統教会)は、北アメリカにおける多数派として政治的主導権を有していましたが、青年層の中で西欧キリスト教文明の終焉が強く意識されるようになり、文明の転換を禅などの東洋思想に求めるカウンターカルチャー(対抗文化運動)が起こりました。

非キリスト教的な瞑想やコミューン、環境保護、ロック、麻薬、反戦平和、伝統的権威の否定、性の解放といわれる乱交などが、社会現象となるにつれ、メインラインの諸教会は神学思想的にはそれらの風潮に迎合して「世俗化」の傾向に傾き、そのためかえって福音の言葉の力強さを損ないました。また礼拝形式的には時代の変化に即応できず、大衆の心を掴む力が弱まり影響力は低下して行きました。

一方、福音派は全米福音同盟を設立しました。またビリー・グラハムに代表される大衆伝道者らが、18世紀来のリバイバル運動の伝統であるキャンプ・ミーティング(天幕伝道集会)を引き継いで、野球場などを使う大規模な「回心集会」を全米各地で展開しました。

テレヴァンジェリスト(テレビ伝道者)という新しい大衆伝道者のスタイルが確立し、テレビ伝道専門テレビ局ができるまでに至り、その代表がCBNのパット・ロバートソンであります。

福音派においては、自由主義神学とは違う系統の保守的な教理体系が発展し、学問機関のウェストミンスター神学校、ホイートン大学、フラー神学大学、トリニティ神学校で指導者が育成され、クリスチャニティ・トゥディを通して教職者から一般信徒にまでこの福音主義信仰が広まって行きました。

こういった活動の結果、福音派は多くの改宗者を獲得して、その信徒数は政治的にも影響を与えるまでに至りました。特に1960年代から台頭してきた保守的な福音派は、新福音主義、第四次リバイバルとも呼ばれています。 

只、伝統派から、聖霊や回心体験の極端な重視は、反知性主義また禁欲的律法主義に堕する危険性があると指摘されています。

7、中絶容認派と生命尊重派の葛藤


1973年のロウ対ウェイド判決が人工妊娠中絶を合憲としたことに保守的な福音派クリスチャンは衝撃を受け、以来、中絶容認派(プロチョイス、選択尊重派)と中絶反対派(プロライフ、生命尊重派)のいずれの立場にあるかが、大きく選挙の集票を左右するようになっていきます。

妊娠中絶禁止の考え方は、創世記1章22節の「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」が根拠で、避妊も中絶も神の意思に反するというのです。カトリックでは、男の胎児は受胎から40日間、女児は80日経ると魂が入ると信じられてきました。

妊娠した瞬間に生命が宿るという考え方は、19世紀後半にドイツの生物学者ヘルトウイッヒが、哺乳類の「受精」を発見し、受精の瞬間を人間生命の始まりとしたのが発端であり、ここから、一旦受精されれば堕胎は罪、殺人と言った言説が生まれました。カソリックのマリア無原罪懐妊説も、これを後押ししています。

8、次に、福音主義と根本主義(ファンダメンタルズ)は何が同じで、どこが違うのかを記しておきます。結論から言えば、両者は同じ意味でもあり、また同じ意味でもない、ということであります。

根本主義は、19世紀から20世紀初頭にかけて自由主義神学に対しキリスト教の基本的な信条を確立しました。特徴としては、聖書の霊感と権威(聖書の無誤性)、キリストの処女降誕、代償的贖罪の教理、キリストの体の復活、イエス・キリストの再臨です。これらは、ナイアガラ聖書会議で確認され、福音派の信条となっております。

このように根本主義は、福音主義の基礎をなす概念と言ってもよく、福音主義と同視していいと言えますが、教条的で律法主義的な態度を取る狭い意味での根本主義(いわゆる原理主義とよばれているもの)とは一線を画すべきでしょう。

9、 聖霊派との関係―ペンテコステ運動とカリスマ運動の勃興


その一方で、アメリカでは、20世紀前半、メソジスト、ホーリネス教会の中から、異言を強調するペンテコステ派が生まれました。これを聖霊の第一の波とし、1960年代からは第二の波と呼ばれるカリスマ運動(=恵みの賜物)が生まれました。これらは、聖霊派と呼ばれ、聖霊の賜物(カリスマ)には、異言、病気の癒し、悪霊の追い出し、奇跡、預言、強い信仰などがあります。

このカリスマ運動は、自由主義神学を採用する伝統的なメインライン諸教派の一部にも広がり、さらに、ローマ・カトリック教会にまで影響を及ぼしました。日本では、奥山実牧師がこれらの聖霊派に属しています。

ペンテコステ運動は、その活動の結果として生じた信徒を守り、宣教の働きを継続するために「教会・教団」を結成(ナザレン教会、アッセンブリーオブゴッドなど)したのに対して、カリスマ運動は聖霊体験を持った信徒が、それぞれの教会にとどまり、それぞれの教会の教理を護持しながら、既存の教会の刷新をめざす運動という形をとりました。この人々を、「伝統的な教会にいるカリスマ系の人々」と呼んでいます。

カリスマ運動は、ペンテコステ教派とは異なり、世界では聖公会、ルーテル派、バプテスト派、メノナイト派、改革派など福音派・非福音派の枠を越えて、カトリックまで広がっている運動であります。

アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団、ペンテコスタル・ホーリネス、チャーチ・オブ・ゴッド教団などを生み出した従来のペンテコステ運動と区別して、「新ペンテコステ運動」(ネオ・ペンテコステ)と呼ぶこともあり、ペンテコステ運動の「聖霊の第一の波」に対し「聖霊の第二の波」と呼ばれています。

伝統的にペンテコステ派は、異言を聖霊のバプテスマを受けた証拠とし、異言を、聖霊を受けることと同一視してきました。カリスマ運動も異言を聖霊の賜物として重視しています。

福音派は、聖霊のバプテスマと回心を同視し、異言に関して聖霊派とは見解を異にしていました。従って、現在でこそ、ペンテコステ派、カリスマ運動など聖霊の波は、福音派の有力な潮流として受容されていますが、当初は、ペンテコステ派、カリスマ派の働きについて福音派は否定的な態度を示していたのです。

10、終わりに


福音主義(エバンジェリカル)と伝統主義(リベラル)の違いは、力点の置き方や傾向性の違いと言えます。どちらにも一長一短があり、優劣をつけるようなものではありません。福音主義には伝統主義の要素があり、伝統主義には福音主義の種が宿っています。男性にも女性の性質があり、女性にも男性の性質があるのと同じであります。

現に、聖書を文字通り信じる福音主義は、文字崇拝(文字の奴隷)に陥っていると批判されていますし、聖書の神学的解釈を好む伝統主義は、霊的感動に欠けると批判されています。信仰と理性の問題と言い替えることができるかもしれません。

歴史の二流という原理観から見ると、聖霊や回心など霊的体験を重んじる傾向の福音主義がアベル型だとすれば、聖書解釈や神学を重視する傾向の伝統主義はカイン型と言えるかもしれません。

福音主義には、伝統主義が必要であり、伝統主義には福音主義が不可欠であります。優等生的な回答をすれば、福音主義と伝統主義を止揚し統合して、「新しい福音主義」の立場を確立することが最良の解決策のようです。そこで、次回はこの究極の回復をもたらす「新しい福音主義」とは如何なる思想か、或いは如何なる思想であるべきか、を考えたいと思います。異論・反論は歓迎いたします。(了)



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