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自叙伝事始め

○つれづれ日誌(5月5日)ー自叙伝事始め

神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う(1ペテロ5・5、箴言3・34)

今、私のカバンの中に3つの自叙伝が入っています。文先生の「平和を愛する世界人として」、韓鶴子女史の「平和の母」、そして、アウグスチヌスの「告白」であります。

最近、ある食口から、「そろそろ自叙伝を書いて人生を総括したい」という話がありましたので、私の体験を踏まえ一言アドバイスをさせて頂きました。

「パレードの法則ではありませんが、成功物語は2割、失敗談や罪の懺悔は8割を目安にしてはどうでしょうか。ご指摘の通り、人は、他人の成功や幸福より、失敗や不幸の方が励みになりますね。人の自慢話しを聞くよりも余程勇気づけられます」と書き送りました。



よく自己アピールばかりが目立つ自叙伝を見受けることがありますが、うんざりすることがあります。「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」(1ペテロ5・5)この聖句はアウグスチヌスの「告白」の冒頭に出てくる聖句です。自らの罪深さや弱さを謙虚にさらけ出すことで、逆に読む人に力を与えるというのです。

「人の不幸は蜜の味」との格言がありますが、他人の不幸を見聞きした時、その人の脳内では快楽物質「ドーパミン」が分泌されて快感を得ているんだそうです。困ったものですね。ドーパミンは主にスポーツやギャンブル、食事、性交渉など生きる上で必要な活動時にも分泌されていると言われています。

アウグスチヌスの「告白」の凄いところは、自らの罪の深さ、とりわけ情欲にまみれた自分を、下記の如く赤裸々にさらけ出しているところです。そして、このような惨めな自分をも、引き上げて下さる神の恩寵を大胆に讃えています。

「恋し恋されるということは、恋する者のからだをも享楽しえた時、一層甘美でした。それゆえに私は友情の泉を汚れた肉欲で汚し、その輝きを情欲の地獄の闇で曇らせてしまいました」(中央文庫告白P100)

そして又、次のように告白しました。

「私はあなたの教会の壁の中で、荘厳な儀式の行われている最中でさえも、欲情をおこし、死の実をもうける業をあえてしたのです」(同P106)

偉大な伝道師パウロも「肉体にとげが与えられた」(2コリント12・7)と自分の弱さを吐露し、肉体的ハンディキャップがあったことを告白しました。しかし、「わたしは弱いときにこそ強いからです」(同12・10)と、そのハンディキャップさえプラスに変える信仰を示しました。

韓鶴子女史著「平和の母」には、1976年のワシントン大会を前に、会場に向かう心境を次のように吐露されています。

「死刑宣告を受けた人が刑場に向かう時以上に深刻な気持ちで会場に向かいました」(P165)

神の確かな主権の中で、堂々たる自信に満ちた真の父母を想像していた私でしたが、意外にも色々な大会を前に、不安に身震いしながら臨まれる弱い「人間韓女史」の姿が随所に描かれ、不思議な感動を覚えたものです。

皆さんは、いかがでしょうか。自叙伝とまではいかなくとも、日記の中で正直な自分の思いを書き留められてはどうでしょうか。思いを文字にすることで、一層気持ちが整理され、明日へのヒントになること請け負いです。(了)


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