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論点① カソリックのマリア信仰について考える

🔷聖書の知識44-論点①ーカソリックのマリア信仰について考えるー偶像論争と聖霊的なものとしてのマリア

あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。(出エジプト20・4)

いよいよこれから、聖書、神学において議論になってきた「論点」、ないしはその解釈において争われてきた「争点」について、原理観を加味しながら考えていくことにしたいと思います。論点シリーズです。

なんといっても、キリスト教における主要な論争としては、「三位一体論争」(アタナシウス派とアリウス派の論争)と「キリスト論に関する論争」(イエスは神か人か)が2大横綱と言ってもいいでしょう。

また、「聖霊発出論争」(フィリオクェ論争)、「マリア論争」(マリア信仰は偶像崇拝か、マリア神格化の問題)、「聖像論争」(聖像、聖画は偶像か否か)、「神義論」(善なる神が造った世界に、何故悪が存在するか)、なども重要な論点です。

ちなみに聖霊発出論争」(フィリオクェ論争)とは、キリスト教の神学上最大の論争のひとつで、カトリック教会と正教会の分離、いわゆる大シスマ(東西分裂)の主因となりました。正教会では、聖霊は父より発するとしますが、カトリックでは父と子の両方から発する、とするとします。

あと、聖書では、比喩・象徴の解釈を巡って多くの論点があり、様々な神学上の争点もあります。

今回、最初のテーマとして取りあげたのは、我々に親しみのある「マリアについての論点」です。つまりカソリックにおいてのマリア信仰は信者に大きな影響を与えてきましたが、実はマリア信仰を巡っては色々な論争があるのです。

即ち、マリア信仰の背景と意義、マリア信仰は偶像崇拝にあたるか、マリアは如何にして神格化されていったのか、マリアの血の涙の理由とは何か、といった問題について考えていきます。 

1、偶像崇拝とは何か

先ず、マリア信仰は偶像崇拝にあたるか、即ち、モーセ十戒の第二戒「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない」(出エジプト20・4)にあたるか否かが問題になります。

そこで、この問題を考える前に、そもそも偶像とは何かを考えたいと思います。

偶像礼拝とは、神でないものを神として、あるいは神のようなものとして崇めることであり、神仏像,聖人像,祖先像、ミイラ、動物像さらには自然や樹木、岩石などの形象物を崇拝することであります。

歴史的にはカソリックの聖像(マリア像など)、ビザンチン・キリスト教会の聖画像が偶像崇拝の嫌疑を受け,聖画像破壊運動が起るなど,唯一神の視覚化が問題となった歴史があります。

総じて、ユダヤ教,キリスト教プロテスタント,イスラム教などは唯一神の視覚化を否定しており,モーセはことにきびしく偶像崇拝を禁じました。

歴史的に見れば、イスラエルには厳格な偶像礼拝の禁止規定があります。

「どんな形の刻んだ像をも造ってはならない。男または女の像、獣の像、鳥の像、 地に這う像、魚の像 、日、月、星、天の万象を拝み、それに仕えてはならない」(申命記4・16~19)

しかし偶像には,神,仏,超自然力などの目に見えない抽象的な信仰対象に具体的な姿をもたせ,人々に明確な信仰対象を与えて分かりやすくする力があるともいわれています。

2、古代世界の偶像崇拝

しかし、古代のメソポタミアでは、バアル(嵐、雨)、アシュラ(豊穣の女神、生産、生殖)、イシュタル(女神)、ダゴン(海の神)、モレク(豊作)など多神教の神々が崇められていました。

エジプトでは、ラー(太陽神)、イシス(女神)、アメンなどの神々が崇められ、イスラエル人も長いエジプト滞在で偶像礼拝の影響を受けたと言われています。

シナイ山のふもとで 金の子牛(出エ32・19)を拝したのはそのエジプトの影響かと言われています。

カナン、シリヤ地方の祭祀では、男性神のそばに女性神を置くのが慣習でした。この女神を祭って豊穣を祈る祭儀は性的なもので、その祭儀が行われる場所は「聖なる高台」と呼ばれ、神殿娼婦が置かれていました。

生殖と豊穣が結びつき、豊穣を祈る祭儀に性的な象徴が用いられるのは、現在でも世界共通の現象のようであります。

このような土地の神々は一括して「バアル」の名で呼ばれることもあったようで、このバアルの聖なる高台で、イスラエルの人々は豊穣繁栄を求めて、神話が語る神々の像を造り、その前で香を焚き、酒を注ぎ、犠牲の動物を焼き、性的放逸に耽り、神殿売春をし、時には息子や娘を火で焼いて捧げることさえ行ったのであります。(エレミヤ:19・5)

では何故、イスラエルの民は、繰り返し律法で禁止されている偶像崇拝に陥ったのかが問題になります。(2列王記17・9~11、16・3~4)

そこには、ヤハウエは尊い、しかしバアルやアシュタルテも悪くないといった安易な考えや、異民族との混血による感化、異教の神々の儀式における性的誘惑などがあったと言われています。

即ち、イスラエル民族が偶像崇拝に陥った理由には、目立つ演出、盛観、行列など、目に見える外形の形に引かれることの他に、罪深い人間にとっては最も大きな魅力の一つである不道徳な遊興や淫行に関する事柄があります。この宗教はあらゆる肉欲的な欲情に訴えて、しかも富や流行、贅沢をも添えているので大きな誘惑となったというのです。

しかし現代の我々においても、名誉であれ、富であれ、快楽であれ、それらを神以上に求めるなら、それは偶像崇拝の対象となり得るのです。ルターは「人間の心は偶像を作り出す工場である」と指摘しました。

3、女神信仰の系譜

これらの神々の中でも、女神への人気は抜きん出ていました。

ちなみに、メソポタミヤの女神「イシュタル」は女神のモデルとなり、フェニキアのアシュタルテ、ギリシャ神話アフロディア、ローマのヴィーナスなど、愛と性を象徴する女神の源流になりました。

我が子ホルスを抱いているエジプトの女神「イシス」は母なるもののシンボルであり、夫オシリスを生き返らせたのも彼女でした。このように、イシスは「母なるもの」「再生」への導きの女神となっています。

ギリシャ・ローマ世界においても、愛と美の女神「ビーナス」、医療を司る女神「ミネルヴァ」などに母性を見て民族の繁栄を祈りました。

このような女神信仰、大地母神信仰は各地にあり、各地における大地母神信仰などのこうした信仰が、マリア信仰につながったと考えられます。

人々がこの「母なるもの」「再生への導き」をキリスト教に求めた時、そこに「イエスの母マリア」を見出すことは不思議ではありませんでした。

4、キリスト教の「聖像論争」とは何か

さて、ローマ帝国内で伝道の方便として使われていたイエスやマリア像などの「聖像や聖画」が、モーセの十戒第2項「刻んだ像を造ってはならない」に当たるか否かで論争がありました。結局、726年ビザンツ皇帝レオ3世は、聖像は偶像に当たるとして「聖像禁止令」を出しました。

しかし、ローマ・カトリックなど崇拝派は「聖像そのものは神ではなく、聖像を通して神を礼拝するのである」として東西教会は対立し、1054年には相互に破門して教会は「東西に分裂」しました。

また、ギリシャ正教の教会には「イコン」と呼ばれる聖画(カソリックでは聖画像と呼ぶ)が掲げられています。以前はこれが偶像にあたるか否かということで大論争が起りましたが、東方教会で、843年「イコン」の使用が認められるようになりました。

但し、平画像のみで彫刻や立像は認められていません。現在は正教、カソリック共に聖画を飾ることを認めています。当時、聖書を読める人が少なかった時代に聖画は聖書を理解させる道案内になったのです。


5、マリア信仰についてー偶像崇拝か

さて、マリア信仰(聖母崇敬)とは、イエス・キリストの母マリアに仲介者として神への執り成しを願うことを中心とする信仰、また、その表現や行事などを指します。

上記の聖像論争と同様の問題は、カソリックのマリア信仰にも見られます。カソリックのマリア信仰は、上記したように、当時のオリエント・ギリシャ世界に広まっていた母性信仰・女神信仰と歩調を合わせ、これを取り込むものだったという面があります。

そしてカソリックや東方教会では、マリア信仰により、こういった地中海世界の女神信仰を吸収しこれを取り込んで、キリスト教の土着化をする必要がありました。


キリストの生母マリアこそが、女性原理が抑 圧された時代に、全ての女神信仰の要素を引き継いだ存在といえます。特に彼女 はAD431年のエフェソ公会議において神であるキリストを産んだ「神の母」(テオトコス)と認定されたこ とから、キリスト教教会の中でマリアの絵や像が崇拝される道が開かれました。

どんなに罪深い人でも悔い改めて心から神にすがれば救われる、そうい う優しい救いの手を伸べてくれる存在はやはり女神であるにちがいないという 民衆の期待がありました。ここにマリア信仰が高まる要素があったのです。

聖母マリアに祈りを捧げ、神への仲介を求める信仰は世界各地に見られ、人々にとっては堅苦しい教義よりも、母性愛、悲しみ、犠牲を象徴するマリアを通して信仰に触れ、奇跡を受け入れる方がたやすかったのです。

結局カソリックは、「マリア像は偶像崇拝ではないか」との批判に対して、マリア像は「マリア崇敬」の象徴であって、「マリア崇拝」ではないので偶像崇拝ではない、またマリア信仰はマリア崇敬であって信仰の対象ではなく偶像崇拝ではない、との見解に立ちました。

聖母マリアに対する崇敬は、三位一体の神に向けられる「礼拝」よりは下位であるが、他の「天使や諸聖人に対する崇敬」より一段高い「特別崇敬」として扱われています。 

しかし、プロテスタントはこれらを否定しています。プロテスタントでは、聖書に根拠がないとして、マリア信仰を認めていません。

6、マリアの神格化とその批判について

しかしそのマリアという存在もキリスト教の純潔を重視する思想の中で、究極まで 「清純」な存在になっていきました。マリアは処女のままイエスを産んだという 「マタイの福音書」以来の思想に加えて、そのマリア自身も母アンナと父ヨア キムが交わらずに、くちづけのみで受胎したという思想まで現れる始末です。(ヤコブ原福音書)

マリアの神格化は、マリアの処女懐妊説から始まり、神の母の称号付与(431年エフェソス会議で認定)、永遠の処女性宣言(AD553年第2回コンスタンティノープル公会議で、永遠の処女という称号が付与され、ヨセフとも関係しなかったとされた)、無原罪の御宿り(1854年に認定された無原罪懐胎)、聖母の被昇天(1950年ピオ12世認定、死を経ずして天へ召されたとされた)と続きました。

先ず、431年のエフェソス公会議で「神の母」(テオトコス )の称号を得ました。ネストリウス派は、人性においてイエスを生んだマリアを神の母と呼ぶことを否定し、「キリストの母」(キリストトコス)と呼び、異端とされました。

次に、「マリアの無原罪の御宿り」の教理は、1854年に正式に信仰箇条として宣言され決定されました。無原罪の御宿り(無原罪懐胎)とは、聖母マリアが、神の恵みの特別なはからいによって、原罪の汚れととがを存在のはじめから一切受けていなかったとする神秘で、カトリック教会における教義であります。

更に、1950年、当時のローマ教皇ピオ12世によって、「聖母の被昇天」が正式に教義とされました。聖母の被昇天(ひしょうてん)とは聖母マリアがその人生の終わりに、肉体と霊魂を伴って死を経ずに天国にあげられたという信仰、あるいはその出来事を記念する祝日(8月15日)のことであります。

聖母は生涯の終わりに死ぬのではなく、身体とともに天に上げられたとされ(聖母被昇天)、このために、カトリックの教えでは聖母は未だに身体とともに生き続けていることになり、これが聖母の出現の根拠となっています。

先だって焼失したノートルダム大聖堂は「われらが貴婦人」の意味で聖母マリアを指し、ポーランドではマリアを第二のキリストとして神聖化しています。又、ロザリオの祈り、アヴェ・マリア、マリアの奇跡、マリア出現伝説(1858年仏のルルドの洞窟、1917年ポルトガルのファティマなど)などで神格化はさらに進みました。

こうしてマリアは究極まで神格化さていきました。

しかし一方、マリアの神格化に否定的な見方も根強くあります。先ず、イエスには少なくとも6人の兄弟がいました。ヤコブ,ヨセフ,シモン,ユダ,そして2人の姉妹たちです。(マタイ 13・54~56。マルコ 6・3)これらの子どもたちはイエスの母親マリアと夫ヨセフの実の子でした。(マタイ 1・25)

また聖書はイエスがマリアの「初子」であったと述べており,マリアにほかにも子どもがいたことを暗示しています。(ルカ 2・7)このようにマリアは結婚していたのです。

但し、カソリックは、婚約前も、婚約中も、結婚後も永遠の処女だったという信仰を持ち、イエスの兄弟とは従弟のことだったと主張しています。

聖書には、イエスを生んだ母(ルカ2・7)、十字架に付き添う母(ヨハネ19・25)、共に祈るマリア(使徒1・14)という聖なるマリアの記述がある反面、むしろイエスと疎遠な母マリアが鮮明に描かれており、概ね聖書はマリアに冷淡であります。

ヨハネ2・4「婦人よ私とどんな係わりがあるのか」、マルコ3・33「私の母とは誰のことか」、マタイ13・55「母はマリア、兄弟はヤコブ・ヨセフ・シモン・ユダではないか」などがそれであります。

こうしてユダヤ教、イスラム教、プロテスタントなどから、マリア崇拝は偶像崇拝であると批判されていますが、上記のようにカソリックは、「崇敬すれども崇拝はしない」との立場を取りマリア信仰を弁護し維持しています。このように、マリアはカソリック信仰において神格化されていきました。 

しかし、上記に見るカソリックのマリア観は、原理観からいっても直ちには受け入れられないものであります。

原理では、マリアはメシアとしてのイエスをを産んだ勝利した女性と見るだけでなく、イエスの結婚を導き助ける使命があったとし、それを果たせなかった失敗したマリアを指摘しています。

文鮮明師は、イエスはマリアとザカリアとの間に産まれた子であると言われ、ザカリアの娘を新婦として娶るべきだったと言われています。しかし血族結婚を知っていたマリアは反対しました。エリザベツも反対し洗礼ヨハネも反対し、み旨を理解できないマリアになっていたという言うのです。

一端サタンの侵入を受けると、かって啓示によって受けた恩恵と感動を失うと言います。結果的にイエスが結婚して「真の父母」になる道を阻んだマリアになってしまい、これがマリアの悲劇であり、マリアの涙の理由であるというのです。

この「失敗したマリア」という新しいマリア観は、とりわけマリアを神聖視するカソリックにとっては晴天霹靂で、到底受け入れがたい話しであることでしょう。しかし、マリアがキリストを産んだ母であることは確かであり、メシアをこの世に産み出した女性というこの一点において、永遠に讃えられることに異存はありません。

7、マリアの出現と奇跡

また、カトリック圏ではマリアに関する奇跡も多く、聖母の出現と言われています。聖母の出現(顕現)とは、聖母マリアが人々の前に現れ、色々な奇跡や癒しを行ったとされる出来事を言います。

この出来事を目撃した民衆の間に伝えられている話や噂は非常に多数あり、その数は数千にもおよぶと言われ、そのうちカトリック教会が公認したのは24ほどあります。聖母の出現で有名なものに、フランスのルルド、ポルトガルのファティマがあります。

聖母マリアを祭る巡礼地として名高いルルドは、フランス南西部のピレネー山麓にある小さな町で、いわば奇跡の量産工場です。農家の14歳の娘ベルナデットの前に初めて聖母マリアが出現したのは1858年、それ以来7000件を超す治癒例(うち公式に認められたものは69件)が奇跡と主張されています。ルルドには毎年600万人が訪れます。

また、1917年5月13日、ポルトガルのファティマの3人の子供たちの前に聖母マリアが現れて様々なメッセージを託しました。聖母からのメッセージは大きく分けて3つあり、死後の地獄の実在、大戦争の終焉と勃発、秘密(ファティマ第三の秘密)がそれであります。

1917年10月13日には大きな奇跡があり、集まった約7万人の群衆の前で太陽が狂ったような急降下や回転を繰り返し猛烈な熱で彼らの服は乾いてしまったといいます。群衆は奇跡を目撃して回心しました。また、水源のないところから水が湧き、飲む者に奇跡的な治癒がありました。

筆者は、20年ほど前、ポーランドの古都クラコフの近く、チェンストホヴァにある聖地「ヤスナ・グラ修道院」を訪問したことがあります。ここは聖母マリアに捧げられたカトリック教会の修道院で、ポーランド中から巡礼が訪れます。ここに安置されているヤスナ・グラの聖母と呼ばれる黒の御絵(イコン)は奇跡的な力を持つとされており、ヤスナ・グラ修道院の最も貴重な宝とされています。

そしてその礼拝堂には、マリアの癒しによって最早要らなくなった杖や補聴器、車椅子などが所狭しと展示されていました。

このように、マリアによると思える奇跡や癒しは、事実としてあるのです。このマリアの霊的な力、奇跡の力は、何故、そしてどこから来るのでしょうか。一種の聖霊の働きなのでしょうか。

8、神の父性と母性ー聖霊的なものとしてのマリア

最後に、神の父性と母性 、即ち、神は単なる厳父だけではなく、慈母のようなかたでもあるということ、そして聖霊的なものとしてのマリア信仰を考えて見たいと思います。以下は、久保有政著「レムナント1993年2月号」による見解です。

上記に見てきた通り、カトリックには、「聖母マリアへの信仰」というものがあります。これはプロテスタントにはないもので、1854年に「マリアの無原罪の御宿り」の教理、1950年には「聖母の被昇天」が正式に教義とされ、カトリックでは、三位一体の神信仰にマリア信仰を加えました。 

カソリックは、父・子・聖霊の三位一体の神信仰に聖母信仰を加えることで、父の宗教と母の宗教の両方を兼ね備えるようになりました。怒り、裁き、罰する父の宗教だけでなく、ゆるし、慰め、共に苦しんでくれる母の宗教という、この二つが合わさって、信徒の魂は満たされるというのです。

仏教でも同様で、仏像の中には、観音菩薩(観世音菩薩)のように、しばしば女性的な姿をしたものがあります。そう言えば日本の天照も女神で、卑弥呼も女神的な役割を担っていました。

しかし、神を単なる「厳父」ととらえる見方は、神の一面の捉え方で、聖書には、包み込む神の愛が表現されています。

「あなたがたは荒野で、あなたの神、主が、人のその子を抱くように、あなたを抱かれるのを見た。あなたがたがこの所に来るまで、その道すがら、いつもそうであった」(申命1・31) 。

「母がその子を慰めるように、わたし(神)もあなたがたを慰める」(イザヤ66・13)

私たちは神を、ふつう「天の父」と呼びます。イエスも、そう呼ばれました。しかし、神が「天の父」という言葉で呼ばれているのは、神の性質の代表的な表現であって、本来、神は慈母のようなお方でもあるのです。つまり、神は父性的であるばかりでなく、同時に永遠に母性的な方でもあるのです。

人において、エバはアダムから造られました。つまり人においては男が主体であるので、私たちは神を呼ぶとき、神を男性的に呼んで「天の父」と呼びます。しかし本来神の中には、永遠に母性的な性質もあるのです。

ある殺人犯で死刑にされた息子の母親の話しがあります。ついに刑が執行され遺体は慣習にしたがって、監獄の庭に葬られました。しかし彼女は臨終のとき、ただ一つ遺言を残し、自分が息子のかたわらに葬られることを願いました。彼女は、自分が殺人犯の母と知られることを恥じませんでした。母には、このような愛があると言うのです。

こうして、神の中には父性と母性があることがはっきりし、カソリックは、この神の母性をマリアで象徴したというのです。

以上が久保氏の見解ですが、これらの見解は、マリアが神の母性を象徴しているか否かは別としても、神が男性格と女性格を持つと認識し、神様を「天の父母」と呼ぶUCの神観念と完全に一致し、大変示唆的であります。カソリックは、マリアの中に女性格としての聖霊を象徴するものを見たのでしょうか。

本来聖霊は新婦の神なので、新婦の姿を備え、新婦の形体を成して、私たちはそれを恋い慕うことができなければなりません。そして聖霊は、キリストを証し(ヨハネ5:26)、真理と信仰に我々を導き(ヨハネ16・13)、悔い改めと新生を得させ(ヨハネ3・5)、癒しと奇跡と感動の賜物(1コリント12・8~10)を与えて下さる人格的な母性の霊であります。

イエス様を真の父、聖霊を真の母とし、この霊的な父と母の愛を受けて霊的に新生されるのがクリスチャンだとする原理観から考えれば、マリア信仰が疑似聖霊の役割を果たしたとも言えなくもありません。読者の見解は如何に!

以上の通りマリア信仰について見て参りました。無論、マリアの神格化は、聖書的にも原理的にも同意出来ないにしても、神の母性を表現するもの、或いは土着化宣教戦略という観点から見れば理解できるという一面があることは確かです。皆さんはどのように感じられたでしょうか。

今回、マリア信仰の論点について整理すると共に、マリアの聖霊的な働きについて言及しましたので、次回は、「聖霊とは何か」について更に深掘りしたいと思っています。特に、東西教会の大分裂まで引き起こしたいわゆる「聖霊発出論争」(フィリオクェ論争)にも言及いたします。(了)



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