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鎌倉霊園を訪れて

○つれづれ日誌(令和2年8月23日)-鎌倉霊園を訪れて

8月28日、安倍総理が電撃的に辞任を表明されました。卓越した外交で日本の国際的立ち位置は劇的に高まり、経済も雇用の改善や株価の倍増など大きく活性化しました。特に歴代政権が為せなかった安全保障法制の確立は画期的な業績でした。

持病の悪化が原因での退陣は苦渋の決断だったとは言え、未だ任期を1年残した余裕を持っての退陣は、次に繋がるものだと言えるでしょう。

しかし、憲法改正とロシアとの平和条約締結という悲願は道半ばであります。安倍総理はまだ65才、再度登板して、この悲願をやり遂げて欲しいと思います。ポスト安倍には岸田文雄政調会長や石破茂元幹事長などの声も上がっていますが、どうやら大勢は菅義偉官房長官になりそうな情勢にあります。

菅氏(71才)は安倍総理とは出自がまるきり正反対です。安倍総理は岸信介の孫、安倍晋太郎の次男という華麗な名門政治一族の生まれであるのに対して、菅氏は秋田の農家生まれの叩き上げです。働きながら法政大学の夜間部を出て、小此木代議士の秘書、横浜市会議員、そして国会議員と地を這うように下から這い上がってきた苦労人です。

菅氏は安倍総理の政策を引き継ぐ立場にあり、政策面でも安定していますし、何よりも2世議員や学歴に偏った風潮を打破する意味でも、筆者は菅総理実現を期待しています。


[恒例になった鎌倉霊園墓参]

さて筆者は8月23日、鎌倉霊園に墓参に行って来ました。雨の中の墓参でしたが、参拝後、嘘のように雨は上がり、眼前に現れた雨上がりの爽やかな光景に、鎌倉霊園はこんなに美しかったのかと感動いたしました。

毎年恒例になった鎌倉霊園詣でです。いつもは8月15日に墓参に訪れるのですが、この夏は知人と一緒でしたので、知人に合わせて23日になった次第です。

この鎌倉霊園には、原見榮さんという横浜の篤志家が眠っておられ、筆者は原見さんとは公私に渡って深く親交していました。この日、ご一緒した知人は、筆者に原見さんを紹介して下さった方で、この方のお陰で原見さんを知ることになった次第です。

原見さんは、横浜中華街で大きな薬局店を経営され、親子三代に渡って薬剤師の仕事をされており、筆者の知る限り、文字通り「UCきっての義人」でした。筆者はこの方の相談にのり、また相談にも乗って頂いて、いわば二人三脚でみ旨を歩んだ関係になります。

特に筆者の任地であるポーランドとラスベガスの宣教活動には、物心両面の協力を頂き感謝に耐えません。改めて御礼と感謝の意を表するものです。その原見さんが80才後半で聖和され鎌倉霊園に大好きだった母(義母)と共に眠っておられるのです。

[鎌倉霊園墓参は死者慰霊の象徴]

鎌倉は、武士政権の発祥の地であり、武士が好んだ鎌倉五山に象徴される臨済禅が栄えた気品のある地で、昔から筆者のお気に入りの町でした。

筆者は、この鎌倉霊園墓参を、ただ単に原見さんの墓参だけに訪れているのではありません。筆者の先祖を含む死者全体の慰霊の機会と考えているのです。筆者にとって鎌倉霊園は、いわば死者全体の慰霊を象徴す場であり、一年に一回の墓参は、霊界の死者に深く思いを馳せる良い機会になりました。尾瀬霊園での慰霊祭の意味もここにあると言えるでしょう。

内的なものは、外的なものに優ると言えますが、内的なものは外的な形式(儀式儀典)を通じて獲得できるいうこともまた真理です。カソリックの秘蹟に代表されるキリスト教の儀式礼拝はこれを象徴しています。

いままで筆者は、形式や儀式をあまり重視しない傾向が強く、文字通り典型的な「実質主義者」でありました。墓参などしなくても、内心において心からの祈祷を捧げ、死者を鎮魂すればそれで十分ではないか、と。

しかしここに来て儀式的なものの価値や意味の重要性を再認識しているところです。日本の天皇制度は「儀礼の体系」と言われ、天皇の最大の仕事は、祖霊、国民、国家への祈りの儀式を、日本の大祭司としてその司式を執り行うことにあります。儀式は内的なものを復帰する無視出来ない宗教行為であるというのです。アウグスチヌス流で言えば、「客観的恩寵論」でしょうか。

[善霊の再臨復活を信ず]

キリスト教は先祖供養に否定的ですが、UC創始者は先祖を祭ることをよしとされています。UCは、祖霊が地上人に再臨協助することによってより高い霊界に復活し、また地上からの祈り(供養)が祖霊に良い影響を与えるという教理を持っております。再臨復活思想です。

筆者はこの度の鎌倉霊園にて、次の3点について信仰告白をすることになりました。第一に、永遠の霊界が実在し、全ての死者はその霊界で永生すること、第二に、死とは霊界に再生するための第二の出生であること、第三に、死者は子孫や地上人に再臨復活して協助すること、この3点についての信仰を改めて告白いたしました。

ただ、これらのことは食口にとって既に原理が示している自明の理であり、今になってこのようなことを言えば、「あなたはまだそんなことを言っているの」と言われそうであります。しかし筆者にとって、これらを改めて確認し再確信する必要があったのです。

[内村鑑三の復活と永生]

内村鑑三は1912年、最愛の娘ルツ子(18才)を病気で亡くしました。妻加寿子の死の時もそうでしたが、愛するものの死は地上と霊界との距離を縮めます。生者は死者を感じようとする情熱によって天国(霊界)からの風を感じることになるのです。

内村は、ルツ子の最後の言葉「もう(天国へ)行きます」という息絶える中での一言で、霊魂の不滅、天国(霊界)の存在を確信したと語りました。むしろルツ子は天にあって内村らの働きを支え祈る(協助)存在となったと告白しました。 

内村は、最愛の妻と娘の死を通して、その愛に由来する永遠の生命を確信し、復活と再会を確信していきます。これが内村の再臨思想に繋がっていきました。「真の愛によって永生が可能になる」(天聖経-地上生活と霊界)と言われた創始者の言葉が身に染みます。 

また、「霊界は復活させるべき所であり、地上は復活すべき所です。先ず地上で復活したと言わねばなりません」と語られ「我々は、数千代の善の先祖たちが再臨する基盤にならなければなりません」(同)とも言われました。

雨上がりの広大な自然の鎌倉霊園は、カンカン照りの霊園とはうって変わって、洗われ清められた美しい姿をみせ、復活した霊的世界を見るようでした。(了)


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