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韓国のキリスト教③ 韓国巫俗宗教、神霊神秘主義宗教とUCの関係、及び混淫派との峻別について

🔷聖書の知識42-韓国のキリスト教(3)ー韓国巫俗宗教、神霊神秘主義宗教とUCの関係、及び混淫派との峻別について

前2回に渡る考察で、韓国におけるキリスト教の歴史と特徴が何であったかを明らかにし、何故韓国でキリスト教が激増したかの要因を論じました。今回は、特に1900年代から始まり、1920年から1930年代に生まれた新イエス教、聖主教、腹中教など神霊的神秘宗教、及び韓国の伝統的土着的な巫俗宗教とUCの関係性とその違いについて明らかにすると共に、いわゆる混淫派と呼ばれる「血分け」問題についてUCとの峻別を鮮明にしたいと思います。

特に、韓国・朝鮮の宗教を研究する渕上恭子氏は、1930年代のキリスト教神秘主義に始まり新イエス教会の系譜に連なる聖主教や統一教(UC)などの教団や、黄国柱(ペク・ナムジュ)にみられる熱狂的神秘主義者を「血分け教」(混淫派)と呼び、新イエス教を創立した李龍道(イ・ヨンド)を「血分け教の開祖」と位置付けました。このような間違った認識は、特にUCに反対するグループが好んで使う常套句ですが、このような認識が如何にして生まれたのか、またどこに問題があるのか、を明らかにしなければなりません。 

【神霊的神秘主義運動の勃興】


3・1独立運動が終息したあと、神霊的神秘主義運動が韓国キリスト教の一つの特徴になっていきました。1900年初頭から、「再臨主が肉身を持って平壌(ピョンヤン)にくる」と言った啓示が降り、キリスト教徒たちの間で、神霊運動が燎原の火のごとく広がっていました。東の元山では新イエス会の白南柱(ペク・ナムジュ)、李龍道(イ・ヨンド)、黄國柱(ファン・グクチュ)など男性による神霊の役事が、西の鉄山では聖主教の金聖道(キム・ソンド)、腹中教の許浩彬(ホ・ホビン)など女性による神霊の役事が広がりました。

新興神霊運動は1907年世界教会史上初めて「早天祈祷会」と「通声祈祷」を提唱した吉善宙(キル・シンジュ)牧師主導の大復興会を皮切りに、1930年代にイエスが自身に親臨したとして「降神劇」を行った劉明花と李龍道や、熱狂的神秘主義の黄国柱などに繋がっていきました。神霊的神秘主義を端的に表現する言葉として「通声祈祷」「聖霊臨在」「按手治療・治病」「接神」「降神劇」などが挙げられ、このような新興聖霊運動は韓国国内だけでなく韓国人が住む世界随所に現れていると言われています。

上記神霊神秘宗教について、韓国の宗教に詳しい崔吉城(チェ・キルソン)教授は、「宗教から神霊性を強調する神秘主義を抜いてしまった場合は宗教性が弱くなるが、反対にそれを過度に強調した場合も神学自体が無視される」とし、「これらの適度な調和が宗教発展に要求される」としました。

<李龍道の「新イエス会」について>


李龍道はメソジストの牧師で、著名な復興師(リバイバリスト)でしたが、同僚の白南柱の紹介で、1927年ころからイエスが「親臨」したとする神学生の劉明花との出会いがありました。この劉明花の親臨・入神・再臨の神託を、多くの反対にも関わらず李龍道はこれを受け入れました。しかし、1932年1月28日平壌老会により劉明花、李龍道、白南柱らの降神劇は異端とされています。

そして、1933年6月3日、李龍道、白南柱、黄國柱らは、神霊的神秘宗教の「新イエス教」を設立しました。この神霊運動は、李浩彬(イ・ホビン)、金百文に受け継がれ、聖主教や腹中教に影響を与えることになります。浅見雅一著『韓国とキリスト教』(中央新書P110)には、「この李龍道らの神秘主義的異端は、1950年代以降に生まれるカルトの母体となるものであった」と記しています。


<真の父母と神霊宗教との関係>


韓鶴子女史の父韓承運(ハン・スンウン)は李龍道の新イエス教の中堅幹部を務め、32才で李龍道が亡くなったあと、新イエス会を引き継いだ李浩彬の主礼で洪順愛(ホン・スネ)女史と結婚式を挙げています。ちなみにUC創始者も1944年5月4日、李浩彬牧師の主礼で、崔先吉女史との婚礼を行っています。(文鮮明著「平和を愛する世界人として」P92)

韓鶴子女史の祖母趙元模(チョウ・ウォンモ)女史、母洪順愛女史は長老派のクリスチャンでしたが、新イエス教に出会って信仰するようになりましたが、既成教会からは異端として追われた教会でした。洪順愛女史は、黄国柱・李龍道との出会いについて、次のように語っています。

「19歳になった年に、李龍道牧師が新しい役事を起こし始めたのですが、私も三日間恵みを受けました。また同時に、李龍道牧師と同じ復興師であった黄国柱氏が人々に多くの恩恵を与えました。私は黄伝道師の妹(黄恩子)からも大きな感銘を受けました」

洪順愛女史は新イエス教と出会う前、復興伝道師の黄国柱の伝道団に加わり、100日間の伝道の旅に出たといいます。その後、元山の新イエス教に入信し、更に新イエス会と関係のある鉄山の聖主教に通うようになりました。聖主教は白南柱も設立に係わった神霊的神秘宗教ですが、韓鶴子女史は4才の時、聖主教に母親と行ったと証言しています。

そして1944年、聖主教の教祖金聖道(キム・ソンジュ)が死んだ後、許浩彬(ホ・ホビン)が後を継ぎ腹中教を設立しました。1944年、洪順愛女史は、趙元模女史と共に腹中教にはいりました。

「洪順愛さんは新しいもの好きなのか、当時異端と呼ばれた教団を渡り歩いたようです。そして神霊神秘主義教団の教義はどれも似ていたのです」との証言があります。その後、洪順愛女史は、南で金聖道の長男鄭錫天(チョン・ソクチュン)氏を通し文先生に会うことになりました。ちなみに金聖道の孫、鄭壽源氏はUCの祝福家庭です。こうして洪順愛女史は、再臨主に会いたいという一心で、長老派教会→黄国柱伝道団→新イエス会→聖主教→腹中教と宗教遍歴を重ね、1955年、遂に待ち焦がれた文鮮明先生と出会えたのです。まさに韓鶴子女史の背景には、祖母の趙元模女史、母の洪順愛女史の敬虔なキリスト教信仰の伝統がありました。

一方、文鮮明先生(以下「創始者」と呼ぶ)が10才の時、大叔父の文潤國(ムン・ユングク)牧師の影響で一家全員がキリスト教に回宗し、標高310mの猫頭山(ミョドウサン)のふもとにある徳興長老教会に入教し、創始者は礼拝に欠かさず出席し、誰よりも熱心に聖書を学んだたと言われています。そうして創始者は16才の時、猫頭山でイエス・キリストとの劇的な出会いがあり、使命を託されました。


その後、ソウルでの学生時代、五旬節教会や新イエス教会に通いました。また、解放後日本から帰国し、1945年10月、ソウルの新イエス教の流れを汲む金百文のイスラエル修道院を訪れ、半年くらい金百文の教会に通いました。新イエス会から始まる神霊神秘宗教は、白南柱の弟子であった金百文のイスラエル修道院に引き継がれ、洗礼ヨハネ的な使命を持っており、金百文は創始者を「ソロモンのような使命を持った人」と一旦は証しましたが、結局、創始者を再臨主として受け入れることはできませんでした。こうしてキリスト教摂理の失敗後、創始者は、啓示に従って北朝鮮に行き蕩減路程を余儀なくされました。北でも創始者は獄中で腹中教教祖と接触しています。

創始者の話によれば、外形を見れば李龍道→李浩彬→金百文という流れでキリスト教の摂理が相続されていったとしています。このように見てみると、韓鶴子女史、創始者共に、これらの神霊宗教との繋がりがあり、これら神霊宗教が再臨摂理の「摂理的宗教」であったことが分かります。なお、梨花女子大学副教授でアメリカを開拓した金永雲女史は、かって李龍道牧師と出会い霊的感化を受けたと証言しました。

【神霊神秘宗教の教えとUC教義との関係】


一部の宗教学者や反UCグループにおいて、UCの教義は上記の神霊神秘宗教の教えと瓜二つであり、創始者はこれらの宗教、特に金百文の教義を模倣、ないしはパクったと言っています。以下、これらの流言飛語の間違いについてきちんと反論しておかなければなりません。

確かに神霊宗教の教えとUCの教義には似たところがあります。聖主教では、堕落は淫乱によるものであること、イエスは十字架にかかるために来たのではなく、十字架はむしろ神の悲しみであったこと、主は女性の体から生まれてくること、韓国に主が来られること、などを主張していました。そしてこれらは神霊神秘教団に共通している教理と言われています。

以下は、金聖道の堕落論から派生した神霊集団の流れです。


1923年 金聖道が、堕落の原因が姦淫にあるという啓示を受ける

1932年 金聖道の元に神霊集団の白南柱・李龍道らが集う

1933年 李龍道、白南柱、黄國柱らが新イエス教を設立

1935年 金百文が白南柱の弟子になる

1936年 創始者がイエスから啓示を受ける

1936年~45年 創始者が堕落論含む原理の解明をする

1945年 創始者が金百文のイスラエル修道院に通う

1946年 創始者が金百文から「ソロモン王の使命がある」との祝福を受け、創始者が神

     霊集団を相続した立場に立つ

さて金百文は、自ら悟ったことを、1954年に「聖神神学」に現し、1958年「基督教根本原理」を著しました。反対派は、「原理講論」と金百文が書いた「基督教根本原理」の目次を示し、酷似していると批判し、パクリだとします。

しかし、「基督教根本原理」(1958年)より以前に「原理原本」(1952年)、「原理解説」(1957年)が出ていること、創始者が1945年に金百文に会う前に既に堕落論を含む原理の解明(1916年~1945年)は全て終わっていたこと、UC教義は神とイエスの直接的な啓示に基づくオリジナルなものであること、などを見ても反対派の批判は的外れであります。ちなみに、原理原本は1952年5月10日に創始者が釜山で書き終えられたもので、この原理原本を元に、弟子の劉孝元氏が神学的に体系化し、1957年に原理解説を、1966年に原理講論を出されました。UC教義(原理)は、創始者の悟りと神からの啓示によるものですが、聖書の奥義を解明した新しい聖書の解釈論として著されました。


それに金百文の教理には、歴史観が欠如しているのに比して、原理には神の救済摂理歴史(復帰摂理歴史)が大きな比重を占め、また姦淫原罪説の堕落論についても、金聖道のお告げどころか、精緻に体系的に聖書に依拠して解かれています。原理講論がイエスの召命に基づき、聖書的伝統の上にしっかり立っている「聖書の奥義を明らかにした神学書」とされる所以です。 

従って、反対派が主張し喧伝するように、神霊宗教で行ったとされる混淫の秘儀や金百文の「男女間の性的交際において肉体の情欲性を聖化する」といったいわゆる「血分け」の教理は、その態様や存在事実の信憑性はともかくとして、そもそもUC教義とは根本的に出発点が違うということであります。また、仮に金聖道らの教えとの共通項はあったとしても、創始者がここから学んで教義に取り入れたことなどはあり得ません。創始者は16才のときイエス様から直接召命を受け、あくまでも神とイエスの直接的な一問一答の中で真理を獲得され、聖書的伝統に立って独創的に原理を解明したものです。

また、上記聖主教などの教えと一部共通項はあったとしても、創始者がここから学んで教義に取り入れたことなどはあり得ません。世の宗教教祖が諸国を回り、多くの宗教家や思想家との交わりを通じて真理を探求するのは世の常であり、創始者も求道時代、韓国中の聖賢、思想家を訪ね歩いたと証言され、特に聖書は何度も読んで研究されました。神は色々な宗教や聖賢を通して真理の断片を啓示されていることは歴史が示すところであります。


従って、創始者が聖主教やイエス教、イスラエル修道院などの神霊的神秘宗教の教えに触れることと、それをそのまま教義として模倣することとは峻別しなければなりません。聖書に、「人間から出たものなら自滅し、神から出たものなら滅ぼすことはできまい」(使徒行伝5.38~39)とある通りです。


【いわゆる混淫派「血分け」問題について】


李龍道、白南柱らが、接神女(霊媒師・いたこ)の劉明花らと交わり、神託にかこつけた降神劇を行った事が、混淫事件として問題となり、混淫派と呼ばれました。その後、白南柱は、平安北道鉄山で「聖主」を自称する金聖道を立てて「聖主教会」を開きました。彼らは平安道粛川七里で聖主教総会を開き、そこに集まった男女40余名の会員に聖職者の按手を与えました。そして、これがいわゆる混淫事件と言われているものであります。

ただ、これらの事件の真相は闇の中にあり、一体どういう事件の中身だったのか、推測の域を越えるものではありません。また、当時、洪順愛女史は聖主教に通っていましたが、彼女の口からそれらしき証言はありません。

さて、1955年7月4日、梨花女子大学事件で創始者が逮捕収監されましたが、その容疑は「兵役法違反」と「不法監禁」でした。結果的には、1955年10月4日無罪判決が言い渡されました。しかし、当局が狙っていたのは、特にメソジスト派や宣教師と連携して、姦淫問題(血分け問題)で立件し、創始者を陥れてUCを邪教として叩き潰すことにありました。結局、姦淫当事者として嫌疑をかけられた関係者らの告訴が一切なく、姦淫関係の事実は立件されませんでした。(武田吉郎著「受難の源流」P189)

このように、渕上恭子氏ら一部の学者や反対派が喧伝するように、神霊宗教や金百文の神秘主義が「血分け教」(混淫派)だとし、UCがその系譜を引いているとするなどとの主張には、如何なるエビデンスもない悪質なプロパガンダに過ぎないことが明らかです。 

韓国の自称「新興宗教問題研究所」所長であり、いわゆる「血分け」という陰湿な響きを持つ言葉を広めた卓明煥(タク・ミョンファン)氏は、UCのみならず多くの宗教団体についてスキャンダルや虚偽を撒き散らし、これを商売にしてきました。UCとの裁判においても彼の言動が嘘であることが判明し、彼は1978年にUCに対して次のような謝罪文を公表しました。

「私は、出版物『統一教その実相』、スライド『これが統一教である』などで、一部の統一教会離脱者たちが提供した資料に基づき統一教会を『非倫理的邪教集団』『淫乱集団』と批判してきました。しかし、いずれもその根拠のないことがわかりましたので、ここに訂正し謝罪いたします」

また、1992年に、創始者の弟子だった朴正華が『六マリアの悲劇』という、喜劇のような嘘の本を書きましたが、利益目的で書いたと自ら証言し、1995年11月に『私は裏切り者』という本を執筆し、『六マリアの悲劇』が虚偽に満ちたものであることを自ら証言し謝罪しました。

がって吉田清治が荒唐無稽な扇動本『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)を刊行し、朝日新聞がこの本の主張を丸飲みして間違った慰安婦像をでっち上げる事件が起こりました。後日、朝日新聞はこの吉田の本が何の根拠もない間違った営利本であることを認め謝罪しましたが、上記の出版物もその類いであります。

さらに、日本テレビ1995年5月19日放送の「ザ・ワイド」の中で中村敦夫氏は「合同桔婚式は血分けの儀式」と、テレビで発言して、UCが刑事告訴し受理されました。中村氏によれば、血分けとは、「神の啓示を受けた人物が信者とセックスし、それを伝播することで、その血分けを受けてこそ救われる」とする教理だということだというのです。つまり、キリストの生まれ変わりであると主張する創始者が、「原罪を背負った人々を清めるためにセックスをする」ということです。

しかし、こういったことは前記吉田清治の扇動本と同様、事実無根の荒唐無稽な流言であり、これまで「血分け」淫乱説でUCを誹膀中傷したものは全て、裁判で有罪判決を受けたり、また発言内容の訂正や謝罪に追い込まれています。

確かに、UCの聖酒式、祝福儀式、血統転換などの儀式が混淫派の教えに似通っていると誤解され、初期のUCでは混淫派と同じ ように「血分け」 の秘儀が行なわれたのではないかと喧伝されました。しかし、統一原理から導かれる「血統転換」「原罪清算」などの教理は反対派が言う「血分け」などとは似て非なるもので、神の聖書的な救済摂理から出た神主義に基づく救済観であり、その立ち位置はいわゆる混淫派などとは天地の開きがあり100%無縁であることは明らかです。

それにしても、著名な人物を陥れるのに、女性問題ほど威力のあるものはありません。

2020年7月10日、ソウルの著名な現職市長朴元淳(パク・ウォンスン)氏がセクハラ疑惑告訴を苦に自殺しました。衝撃です。またマーティン・ルーサー・キング・ジュニアもFBIから不倫問題で脅迫を受けていたことが明らかになっています。創始者も「血分け教」教祖のレッテルを貼られ、男女問題で様々な嫌疑をかけられてきました。しかし、この朴元淳市長の告訴のように、只の一件の告発も告訴もなく、裁判では全て無罪です。これは、一種の「有名税」と考えるべきなのでしょうか。


しかし、今では、流石にこの血分け論争は終息に向かっているようで、ほぼ過去の遺物になりました。根も葉もないことなので、当然と言えば当然の話しではあります。そもそも「血分け」なる言葉そのものが、悪意を持ったブロパガンダのための造語であり、何の科学的な根拠もエビデンスもないものであり、軽々に使うべきではありません。


【補講ーUC教義が韓国の巫俗的土着宗教や神霊神秘宗教の延長にあるという論評の間違いについて】

最後に、韓国の宗教に詳しい一部宗教学者らのUC教義に対する見解と、その見解への応答(反論)を述べることに致します。これらの宗教学者は、韓国の代表的な情緒である「恨」について、UCとの関係を論じています。以下、宗教学者の見解に対する筆者の応答です。

見解① 李龍道のイエス像は、苦難を堪え忍ぶ存在、十字架にかかる無念さの強調、予定にない死への怨念といったものである。そしてこれらは、巫俗(霊媒)宗教と類似性があり、UCのイエス観もこの延長にある。これら悲惨なイエスへの共感から、聖主教ではシャーマニズム的な恨解り(ハンブリ)の儀礼を行うが、UCでもこの恨解り(恨みを解く)類似の儀礼を行っている。またUCはこの恨解りを教義の根幹においている。

応答→ 確かに創始者は、伝統的なキリスト教が神の栄光を唱えるのに比し、むしろ神の悲しみやイエスの恨を強調し、神こそ救われなければならない存在、イエスこそその恨から解放されなければならない存在としている。それはイエスの十字架が神の予定ではなく、イスラエルの不信に起因するとしているからである。しかし、これは神の人格性の中心を心情と捉える神概念から来ているもので、巫俗(霊媒)宗教や李龍道の考え方からきているものではない。神の心情には悲しみや恨みだけでなく、喜びや愛の情念があり、むしろこの側面が神の本質である。即ち、神の創造自体が対象を求める愛の発露だったのであり、愛と喜びの創造理想を回復、実現することこそ教義の根幹であって、恨みを解くことが教義の中心ではない。

ましてや、シャーマニズム的な恨解り(ハンブリ)の儀礼と、いわゆるUCの先祖解怨の役事は、似て非なるものであり、動機、目的、出発点、全てにおいて異なるもので、この点において根本的な誤解をしている。

見解② 恨の中核要素は悲哀であり、解けない恨、解くべき恨、回復としての恨ブリ(恨解き)は巫俗の中心的な鎮魂儀礼だった。UCの恨み多い無念のイエス像は、神霊宗教と同列にあり、近年UCは恨を教義の核心にして巫俗シャーマニズム的なものに変質した。

応答→ 確かに、恨の解放という点から見れば、一見UCと神霊宗教は同じ系譜にあると見えなくもない。しかしその出発点、動機、立ち位置が根本的に違っている。UC教義(原理)は、創始者に与えられた神とイエス・キリストからの直接的な啓示に基づくもので、原理は聖書の奥義を明らかにした新しい聖書の解釈論であり、聖書的な霊的伝統にしっかり立ったものである。

見解③ UCの総解怨式(1975年)、統一解怨式(1978)、地獄解放と天国開門宣布(1998)、万物解放の日宣布(1998)などは「神の恨ブリ」である。近年巫俗宗教の死後結婚に似た儀礼をイエスら聖人に施し(1973年1月3日)、UCは巫俗シャーマニズム的なものに変質した。 

応答→ UCの先祖解怨の役事は、創始者の勝利圏の特別の恵みによるものであり、神の恩寵である。カトリックの煉獄(れんごく)の死者への祈祷ないしは代償に近いものがあり、あくまで聖書的世界観、霊界観から来ているもので、韓国の巫俗シャーマニズムから来ているものではない。ましてや、この「恨ブリ」が、教義の中核でも信仰行為の中心に位置付けられるものでもなく、位置付けたとしても、副次的な周辺に位置するものでしかない。あくまでも信仰の中心は、罪の悔い改めと回心、新生と復活、永遠の生命という救いのプロセスにある。

見解④ 学者らは「原理講論は、韓国イデオロギーの代表例、原理講論には巫俗の自然観、霊魂観、苦難の民族近代史が色濃く投影され最も韓国的とされる統一教の教理だ」との文芸評論家川村湊の言葉を引用している。

応答→ 一体、原理講論のどこに巫俗思想があると言うのだろうか。繰り返すが、原理は聖書的伝統に依拠し、聖書の奥義を明らかにした聖書の新しい解釈論であり、巫俗シャーマニズムや神霊宗教とは、似て非なるものである。よく読んでしっかり吟味した上、批評すべきである。


以上、今回は、韓国の神霊神秘主義宗教や巫俗シャーマニズムとUCの関係、UCが混淫派ないしは「血分け」教団であることの荒唐無稽性、UC教義の正統性を論じました。次回は韓国キリスト教関係の最終項として、日韓の歴史問題を取りあげることに致します。(了)



*上記絵画:神の召命(ワベ・シゲヨシ画)

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