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イスラエルの残れる者

聖書の知識1 イスラエルの残れる者


今回は「イスラエルの残れる者」(レムナント)という言葉についての話です。


[レムナントとは]


「レムナント(イスラエルの残れる者たち)」とは、イスラエル民族の過酷な試練の中にあっても、真の信仰を貫いた少数の人たちのことです。不信に流れる民の中にあっても、神の民の霊的な核として、新しい神の民を形成する者となる「残りの者」がいたのです。「霊的イスラエル」とも呼ばれるこのフレーズは、エレミヤ書、イザヤ書など旧約聖書に66回出てきます。


 その日、主は再び手を伸べて、その民の残れる者をアッスリヤ、エジプト、パテロス、エチオピヤ、エラム、シナル、ハマテおよび海沿いの国々からあがなわれる」(イザヤ11.11) 



左.預言者エレミア  右.預言者イザヤ  (ミケランジェロ・ブオナローティ画)


特にこの「残りの者」のフレーズは、エレミヤ書の中で24回使われています。 


わたしの群れの残った者を、追いやったすべての地から集め、再びこれをそのおりに帰らせよう」(エレミヤ23.3) 


主はこう仰せられる、告げ示し、ほめたたえて言え、『主はその民イスラエルの残りの者を救われた』と」(エレミヤ31.7) 


神のさばきをくぐり抜けて、神の民の霊的な核として、新しい神の民を形成する者となる「残りの者」はイザヤ書でも特愛用語となっている。 


その日にはイスラエルの残りの者と、ヤコブの家の生き残った者とは、もはや自分たちを撃った者にたよらず、真心をもってイスラエルの聖者、主にたより、残りの者、すなわちヤコブの残りの者は大能の神に帰る。あなたの民イスラエルは海の砂のようであっても、そのうちの残りの者だけが帰って来る」(イザヤ10.20~22)  


その日、万軍の主はその民の残った者のために、栄えの冠となり、麗しい冠となられる」(イザヤ28.5) 


三か月前、聖書の研究とリバイバルを旨としてスタートした「令和リバイバル」ライングループでしたが、今朝(令和元年11月24日)その参加者が丁度40人になりました(なお令和6年5月12日、メンバーが200人になった)。まさにこのメンバーはぶれない「イスラエルの残れる者」である。 

[大患難の試練に立つイスラエル]

BC582年のバビロン捕囚によって、国土・主権・国民・神殿が壊滅し、国王をはじめユダ王国の指導者はバビロンに捕囚されていきました。この国の大患難の試練の中にあって、民の心は二つに分かれました。

信じていたヤハウエの神は戦争に負けた弱い神、無能な神であり、もはや信じるに値しない神として捨て去っていった人々と、逆に、責任はヤハウエにあるのではなく、不信仰の罪を犯したイスラエル自身にあるとして、悔い改めて神に立ち返り、ヤハウエの神と再結合を目指した人々の二つの群れであります。

そしてこのヤハウエとの再結合を目指した人々こそ「イスラエルの残れる者」即ちレムナントであります。旧約聖書はこの捕囚時代前後のレムナントによって編集されました。歴史の二流という言葉がありますが、患難に際し、必ず二つの道に分かれるのが歴史の原則です。

UC創始者の次の言葉は含蓄のある言葉です。

 

「神様は終わりの日になれば、人類の前に7年の大患難があるだろうと予告されました。人間の絆がみな壊れていき、信じられない環境にぶつかる時です。その時は、希望が揺れる時であり、私たちが信じている信仰の中心が揺れる時であり、信じて従った指導者が揺れる時です。信じられないような患難の中でも『神様を愛する、神様と共に生きる』と言い得る真の息子、娘を探すために、そのような時が来るというのです」


私たちは患難の時、レムナントの道を選択したいと思います。そして患難の時こそ「聖なる書」即ち神の言葉に立ち返る時です。「神の言葉の中にこそ全ての回答がある、神の言葉の中にしか回答はない」。筆者もこの自覚の中で聖書の研究を始めました。共に切磋琢磨したいと思います。(了) 




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