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創世記 註解③ カインの末裔とセツの流れ、ノアの洪水物語

🔷聖書の知識60-創世記注解(3)-カインの末裔とセツの流れ、ノアの洪水物語

彼はぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。 9:22カナンの父ハムは父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。 (創世記9.21~22)

神は、創造主としての責任を負って、アダム.エバの堕落直後から救いの業を始められました。しかし、アダム家庭の摂理はカインがアベルを殺害することで失敗し、10代1600年を経てノアを呼び出されました。今回は、アベルの代わりに立てられたセツからノアまでの経緯、そしてノアにおいて起こった出来事とその解釈について考えていきます。

[カインの末裔、セツの流れ]

多かれ少なかれ私たちは皆、エデンの東に追放され、地上をさ迷うカインの末裔であります。カインの末裔(descendants of Cain)とは、人類の起源と人間の罪深さ、宿業を示す象徴となり、キリスト教の重要なテーマとなりました。後に日本の作家、有島武郎が「カインの末裔」という小説を書いています。

そしてカインは町を建て、カインの7代後のレメクに至って農耕、製造業、サービス業の分化が起こり、神に背を向けたカインの末裔はそれなりに定着していきました。(創世記17~24)これが、ヘレニズムの源流です。

一方、アベルの身代わりとして生まれたセツ(土台という意味)の子孫は、アダムから10代目にノア(慰めるもの)にたどり着きます。このセツの流れは「主の名を呼ぶ」(創世記4.26)もの、神と共に歩む者であり、ヘブライズムの源流をなす流れになっていきます。そしてこのノアこそ今回の主役です。

アダムから10代目のノアは、全きの義人であり、本来「信仰の父」との栄誉を受くべき存在でありました。神は山頂に巨大な方舟を建造することをノア命じられます。全ての事の始まりは、この神の啓示から始まりました。

ノアの系図は次の通りです。

アダム→セツ→エノス→カイナン→マハラレル→ヤレド→エノク→メトセラ→レメク→ノア

なおノアは、イスラム教においても、アブラハム、モーセ、イエス、ムハンマドと共に五大預言者のうちの一人とされています。

[ノアの洪水物語]

さて、天使と女との不自然な関係でネピリム(巨人)が生まれたり(創世記6.4)、地が暴虐で満ちたので、神は「人を造ったことを悔い」られ、遂に地上から洪水をもって一掃することを決心されます。(創世記6.13)

これが洪水物語の始まりであり、原理は、この洪水前の地上の暴虐と混乱は、世の終わり、即ち歴史の終末として捉えています。

実は、古代の大洪水にまつわる伝説や神話(大洪水神話)は、世界中に存在するのです。そして創世記7章の洪水物語は、それに先立ってバビロニアのギルガメシュ叙事詩にその原型があります。

ギルガメッシュ叙事詩とは、シュメール人の英雄叙事詩でメソポタミア文明の代表的文学で、旧約聖書に先立つ「大洪水」が見られ、世界最古の物語とされています。

不死を追い求めていたギルガメシュ王は、地上の楽園・ディルムンで、ウトナピシュティムに出会います。大洪水によってすべての生命を破壊するという神の計画について、エア神(シュメール神話のエンキ神に類似)から警告されたウトナピシュティムは、船を作って彼の家族や友人、財産や家畜を守るよう指示しました。

大洪水の後、神はみずからの行動を悔やみ、ウトナピシュティムに不死を与えるという物語です。

創世記の中で、「ノアの物語」を含む天地創造からバベルの塔にいたる物語は「原初史」といわれ史実を述べているというよりは世界の事物の成り立ち、由来についてのユダヤ的見解(神話)を表しているものと通常は考えられています。しかし、創世記の神話(原初史)には、神が暗示された歴史の奥義があり、そこには、神が霊感によって示された隠された真実があるというのです。  

では、洪水にはどのような意味があるのでしょうか。一般的には悪の暴虐に対する神の審判と考えられています。原理では洪水審判による善悪の分立の摂理と捉えられていますが、要するに世界を一旦リセットし、一新して出直すと言うことであります。

これは、私たちの信仰生活にもよき教訓になるでしょう。ともすれば惰性に流され停滞したり、罪の縄目や後悔の念に苛まされたりして、個人的にも終末的状況に直面することが多々ありますが、これらを思いきって一掃してやり直すことが大切です。

そして誤解を恐れず言うとすれば、UCも一旦リセットして、一からやり直すと言った大胆な視点、あるいはそれくらいの内的発想があってもいいかもしれません。「み言」は永遠不変ですので、このみ言をもって一から出直せばいいだけの話しです。

[方舟の意味と洪水後の鳩の儀式について]

さて、神が長さ、幅、高さまで詳細に指示された方舟の大きさは、1キュビトを44.5cmとして換算すると、およそ「長さ133.5m、幅22.2m、高さ13.3m」になります。これは、幕屋の3倍の高さであり、前庭の3倍の広さとなっており、この大きさによって、神における人類の魂の救済という意味が同時にこめられていることを聖書の著者が念頭においていたことが示唆されています。

またこの「長:幅:高=30:5:3」の比率は、現在のタンカーなどの大型船舶を造船する際に、最も安定しているといわれる比率とほぼ同じとなるということです。

この箱舟には一体どのような意味があるのでしょうか。キリスト教の解説では、アベルが供物を捧げたように一種の供物といった意味合いの他に、単に洪水からノアを救う手段として神がノアに造ることを命じられたものと考えられているようです。

しかし、原理で語られているように、方舟には更に深い摂理的意味がありました。方舟は天宙を象徴し、箱舟を供物として捧げることにより、堕落によってサタンに奪われた世界を条件的に取り戻すという意味があるというのです。そしてそのことにより、いわゆる信仰基台を復帰することになります。

方舟が三層によって成り、一番上にノアが、真ん中にノアの家族が、一番下に動物が入りました。これは、三段階で完成する世界を意味すると同時に、「神、人類、万物」から成る天宙を象徴するというのです。

更に、洪水後放ったカラスは洪水後のノアの家庭をサタンが狙っていることを示し、三度に渡って鳩を放った意味は、その後に展開される全歴史を予言的に象徴すると言われています。 

即ち、第一の鳩は堕落した第一アダムを、第二の鳩は第二アダムたるイエスを、第三の鳩は第三アダムたる再臨主の摂理を象徴するというのです。

そして、このような歴史の秘密を解き明かした解釈は原理以外にありません。これ一つをとってみても原理が神の完成期的な啓示であることは明らかであります。

なお、第二の鳩がオリーブをくわえている図が平和のシンボルとして描かれることがありますが、これはノアの物語に由来しています。

[ハムの行為が何故罪になったのか]

次に、ノアの物語で最も難解な聖書の箇所は、「ノアの裸を見て取ったハムの行為が何故罪になったのか」という創世記9.20~22の解釈であります。

伝統的なキリスト教では、ノアがブドウ酒を飲むこと自体は罪ではないが、その結果、泥酔したことが問題であり、またハムが父の裸を否定的な目で見た(陰部を情欲の目で見た)だけでなく、見て覆うことをせず、兄弟に告げ口をして父を嘲ったことが問題であると主張します。

ハーベストタイムの中川健一牧師は、非の打ち所の無かったノアでさえ(泥酔するという)罪を犯すことはあるものだとし、これを教訓的に解釈され、人間はすべからく罪を犯す存在であり、救われなければならない罪人だと強調されました。この罪多き人間の姿を「ボーン.アゲイン」という本を書いたチャック.コルソンの回心体験を引き合いに出して説明されています。

この点、原理では、このノアの泥酔の場面を、罪がなかった無垢のエデンの園を再現する摂理的場面として捉え、ノアの泥酔はノアのだらしなさだと考えるより、神がそのように仕組まれたとしています。

即ち、洪水後の世界は無垢だったエデンと同じ新天地であり、エデンでアダム.エバが裸でいても恥ずかしくなく、神の前で全てをさらけ出して天真爛漫に振る舞っていたそのときの状況を再現(蕩減復帰)して、ノア家庭がサタンの前に無垢であるすることを証明することを願われた摂理であるというのです。そしてハムはこの場面で父ノアと心情一体となることで、堕落性を脱ぐための条件である実体献祭の中心人物になり得たという訳です。

結局、ハムはノアの泥酔を恥ずべき行為と考え、また兄弟をも扇動して二重の罪を犯すことになりました。ここに至って、神の洪水後の新天地における摂理は失敗し、ハムの子孫はセムやヤペテの奴隷となる運命を背負うことになったという訳です。

このノアの家庭における失敗は、「蕩減復帰」という歴史観無くして説明できるものではありません。原理によってのみ明らかにできる奥義の解明であり、この原理の高い啓示性は、他の追随を許すものではありません。

それにしても、このようなちょっとした些細とも思えるハムの過ちで摂理が崩壊し、ハムが奴隷になるというのは酷ではないか、という疑問が出て参ります。即ちこれらは過剰制裁ではないかという問題であります。

これは、アブラハムが鳩を割かなかったという一見些細とも見える過ちが、イスラエルの400年の奴隷生活につながった事案と類似しています。

しかしやはりそこには、摂理的中心人物たる者は、ほんの些細な出来事であっても、深い祈りと真摯な姿勢が必要であり、そういった配慮の中で摂理を為していかなければならないということなのでしょうか。

ハムは、あらゆる誤解や嘲笑を浴びせられながらも、120年に渡って方舟を作り続けた父ノアの信仰や人となりを知っていた筈であります。であれは、ノアの泥酔について何か意味があるかも知れないと悟るべきであり、あるいは少なくとも静かに覆いを被せるなどの配慮があっても良かったと言えるのかもしれません。

[セム、ハム、ヤペテのその後]

ノアはセム、ハム、ヤペテを生み、これらが人類の先祖となりました。

<ハムの子孫>

ハムは主にエジプト、エチオピアなどアフリカ大陸に移住して行きました。ハムの子孫では最初の権力者になったニムロデが有名です。ニムロデは、いわゆるバベルの搭事件の首謀者と言われています。おそらくニムロデが治める月神礼拝の都シアヌル(バビロン)においてバベルの搭事件が起こったのではないかというのです。

そしてハムの悪い性質が息子カナンに受け継がれました。聖書は「カナンはのろわれよ」(創世記9.25)と言っています。カナンの子孫は、ガザ、ソドム、ゴモラなどに広がりました。

<ヤペテの子孫>

ヤペテの子孫は、エーゲ海からカスピ海、更にヨーロッパ、ベルシャ、インドなど広範囲に広がりました。白人はヤペテの子孫だと言われています。

<セムの子孫>

セムの子孫はメソポタミアに定住していきました。イスラエルはセムの流れと言われています。セムから10代目にアブラハムが出てきました。セムの系図は次の通りです。

セム→アルパクサデ→シラ→エベル→ペレグ→リウ→セレグ→ナホル→テラ→アブラハム

<バベルの搭事件>

バベルの塔とは、旧約聖書の「創世記11.1~9」中に登場する巨大な塔のことですが、神話とする説、紀元前6世紀のバビロンのマルドゥク神殿に築かれたジッグラト(聖塔)の遺跡と関連づけた説、などの議論があります。

いわゆるバベルの搭事件の首謀者は上記したハムの息子ニムロデと言われています。彼は人びとを説得して、彼らの繁栄が神のおかげではなく、彼ら自身の剛勇によることを納得させ、そして神への畏れから人間を解き放す唯一の方法は、たえず彼自身の力に頼らせることであると考え、しだいに事態を専制的な方向へもっていったといいます。

また天に届く搭は、占星術や新宗教の施設ではないかとも言われており、聖書的には神のようになろうとする「人間の傲慢さを象徴」しているとされています。

遂に神は怒りを発せられ、言語がバラバラになって意思不通になり、人々は全地に散らされたのでした。

以上、今回はノアをテーマに考察してきました。ノアを中心に、カインとセツの子孫、洪水と方舟の意味、ハムの失敗の真相、ノアの子孫など聖書の原初史について見て参りました。

次回は、ノアの論点の中で、原理講論にもなく、また今回触れなかった「ノア契約」(創世記9.9~16)について、及び聖書の一大テーマである「契約思想」について考察したいと思います。(了)