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「平和の母」特別コメント(2) 韓鶴子女史への批判に答える

🔷聖書の知識-「平和の母」特別コメント(2)ー韓鶴子女史への批判に答える

子羊の婚宴に招かれた者はさいわいである(ヨハネ黙示録19・9)

前回、聖書の知識-「平和の母」緊急コメントをまとめましたが、更なるコメントを希望するリクエストが結構寄せられ、又韓鶴子女史(以下、韓女史という)にネガティブな有志の会などと称する人々などによる批判が相次いでいますので、「平和の母」特別コメント(2)をしたため、これらに答えることにいたしました。

先ず最初に、前回、「平和の母」の冒頭と最後の箇所に、独立宣言、安重根、祖国解放と言った日本人としては触れて欲しくない場面があり、「違和感を禁じ得なかった」と率直な感想を述べましたが、誤解を避けるために、もう少し深掘りをしておきたいと思います。

3・1独立宣言については、「平和の母」のみならず、文先生の自叙伝にも印象深く描かれておりますが、この記述は、単なる日本統治への「恨」や非難を述べたものではなく、もっと深い摂理的事情から来ているということであります。

1919年3月は、丁度文先生が忠母様(金慶継)の胎内に身籠られた時であり、イエス様誕生の時のように、激動の時代でありました。日本統治によって主権を失っていた当時の朝鮮において、再臨主を迎える基台として、どうしても神側の主権がなくてはならない、そのために、霊的、条件的にでも神の主権を宣言しなければならなかった摂理的事情があったということです。そして、それが3・1独立宣言であり、上海の大韓民国臨時政府でありました。

こういう摂理的事情に我知らず呼応して、韓女史の祖母(趙元模)、文先生の大叔父(文潤国)も親族・血統を代表して独立運動に同参されたというのです。従って、独立運動は霊的、条件的な「摂理」として捉えるのが正解であると思われます。これが、「平和の母」冒頭と最後に出てくる意味で、決して日本を弾劾したものではないと思料いたします。

さて、今回の本題である、「韓鶴子女史批判に答える」に入りたいと思います。前にも述べましたが、韓女史への主だった批判は次の通りです。a独生女問題、b文先生原罪説、cみ言改竄説、の3点であります。それに加えて「第四アダムとは誰か」、「後継者とは誰か」、について混乱があるように思いますので、これも明確にしなければなりませんね。

[第四アダムとは誰か]

先ず、第四アダムとは何でしょうか。結論から言えば、第四アダムとは、四大心情圏と三大王圏を完成した祝福家庭を意味し、顕進氏を限定的に指す言葉ではありません。我々自身がそうならなければならないというのです。このことは、次の文先生のみ言で明確に示されています。

「第四次アダム圏時代とは、アダムとエバが堕落しないで完成し、理想家庭を築いたという、そのような時代圏を言います。地上では祝福を受けた家庭が、真の父母と縦的な関係における第四次アダムの資格を持ちます。真の父母は第四次アダム圏時代をつくられましたから、祝福家庭として生きる人は皆、第四次アダムになります」(主要儀式と宣布式Ⅲ第四次アダム圏時代宣布1997年9月11日イーストガーデン)

[後継者とは誰か]


次に後継者とは何でしょうか。これは、次のみ言で明確に語られています。

「私(文鮮明師)と韓鶴子女史は人類の真の父母・救世主・再臨主でありメシアであると宣布します」「真の父母というのは二組はありえません。唯一、ただ一組です」(み言多数あり)

上記、文先生のみ言の通り、真の父母がメシアであること、文先生ひとりでも、

韓女史ひとりでも、それぞれが男性メシア、女性メシアです。そして、真の父母は、後にも先にもなく、ただ一カップル、一組だけです。子女様と言えども、再臨主たる資格としての「真の父母」になり得ないことは明らかです。

文先生亡き後、第二の教主(平和の母P219~P220)であり、女性メシアたる韓女史が「真の父母」として、全てを統べるのは、文先生のみ言を待つまでもなく、摂理であり、原理であり、又自然の道理です。即ち、位置的後継であるというのです。そもそもこのような問題を人間側であれこれ論議するのは、ごう慢で過分なことと言わねばなりません。全ては、神と真の父母の主権の中でなされていくことであります。

「先生が霊界に行くようになればお母様が(自動的に)責任を持つのです」とみ言で何度も明言されている通りです。


[無原罪の独生女]

韓女史が無原罪の独生女であることに関しては、前回のコメントで述べた通りであり、いわゆる「独り子」に関する論議は言い古された過去の遺物であり、ここで取り上げるまでもありません。ただ、独生子という単語は、文先生のみ言に180回も出てくること、最終的には各人の信仰告白と聖霊体験が決め手であることを、念のため申し添えておきます。

又、韓女史は著書「平和の母」の中で、自らの若き日が「天の独り娘として、天の独り子に出会うための準備だった」(P100)と告白され、「私は文総裁を(無原罪の)独り子として迎え、神様のみ旨を成してさしあげると決心しました」(P114)と明記され、1960年を「神様の最初の息子、娘である独り子と独り娘の聖婚がなされる祝福の年でした」(P117)と明記されています。この、紛れもない公式の著書での「文先生無原罪宣言」こそ、他の何ものにも優る証言と言えるでしょう。

韓女史が完全に神から召された摂理的な女性であったこと、文先生と韓女史の出会いが、如何に神の導きの中で為された宿命的な出来事であったかということ、この結びつきが紛れもなく黙示録19・9に書かれた「子羊の婚宴」であること、これらは疑う余地のない事実であり、このことは「平和の母P46~P118」、及び「真の父母経典第二篇第二章、第四章」に詳細に書かれていますので、熟読されるようお薦めいたします。

批判者は、「洗礼ヨハネの妹も、第一、第二のお母様も無原罪というのだろうか」という疑問を投げかけました。この問題は、復帰摂理の三段階完成の法理によって解決できるでしょう。神の摂理は、結果として、全体としては三段階で完成するようになっているということです。イエスの時代でもなく、第一の妻、第二の妻でもない、文先生、韓鶴子女史で完結するということです。これが歴史的現実であります。

復帰摂理が6000年も要したことは、人間側の責任分担の喪失に原因があると言えますが、一方では、復帰摂理の完成は元々6000年必要だったというように言えなくもありません。その意味で、真の父母において、三段階による復帰摂理の完成は,、神の予定だったとも言えるのです。歴史上、初めて地上に完全な無原罪の男女のカップルが生み出されたということです。

従って、洗礼ヨハネの妹が無原罪であったか否かなどは、人間側で詮索するようなことではなく、専ら神の主権的領域に属する問題であります。要は、復帰摂理完成者としての文先生・韓女史という男女のカップルが、無原罪のメシアであるという事実が重要だということであります。

[み言の改竄(かいざん)はない]

文先生のみ言には、多面性を持つという一面があります。一つのことについて正反対とも取れる内容で語られている場面が多々あるのです。私たちは、神の言葉について、一節一句だけを極端に強調したり、意図的に勝手な解釈・引用をするのではなく、前後の脈絡や全体を俯瞰し、総合的でバランスの取れた解釈をしなければなりません。

キリスト教で何百という教派が分かれたのは、ひとえに聖書の解釈の混乱に主たる原因があることを留意しなければなりません。聖書の「付け加えてはならない、削ってはならない」(申命記4・2、黙示録22・18)を文字通り解釈し、結果的に文字崇拝者、文字の奴隷になって異端に陥った事例が多々あることに留意しなければなりません。

エホバの証人は、創世記 9:4の「肉を、その命である血のままで、食べてはならない」を極端に解釈して、「輸血拒否」という社会問題を起こしました。又ある教派では、神の宇宙創造を、創世記に記載がある「6日間」であると文字通り信じています。私たちは、このような両極端を避け、神霊と真理に照らして賢明な解釈をしなければなりません。これが正しい聖書の奥義の解明ということであります。

「批判者らがよく言う「み言改竄説」はその典型です。八大教本を付け加えてはならない、削ってはならない、一点一角を守れというのは、律法学者や上記教条主義者の典型です。原理講論総序の最後に次の言葉があります。

「ここに発表するみ言はその真理の一部分であり、今までその弟子たちが、あるいは聞き、あるいは見た範囲のものを収録したにすぎない。時が至るに従って、一層深い真理の部分が継続して発表されることを信じ、それを切に待ち望むものである」

一書完全無欠主義、文字絶対主義に陥らず、講論のように常に謙虚で柔軟な姿勢が肝要です。勿論、韓女史が、勝手にみ言を捏造したり、書き換えたりしておられないことは言うまでもありません。

[名称変更について]

最後に、「世界平和統一家庭連合」から「天の父母様教団」への名称変更についてコメントいたします。

批判者は、名称変更について暴挙と言っているだけで、何が暴挙なのかを説明していませんね。ただ、韓鶴子女史がしたことなので駄目だということでしょう。

蘇生期の「世界基督教統一神霊協会」という名称が、キリスト教の相続と統一を念頭に置いたもので、宗教そのものでした。次の「世界平和統一家庭連合」は、より超宗教的な色合いが有り、超宗教・超国家を全面に出したものです。そして、今度の「天の父母様教団」は、天地の主宰者たる神そのものを大胆に打ち出したもので、宗教でもあり、それを越えた普遍性をも持つものでもあります。当に完成期における超宗教的宗教という感じがして、私としては共感しております。

ただ、私は「天の父母様教団」より、「天の父母教団」として、「様」を取った方がいいと思っています。一般的に名称に「様」と言った形容詞は馴染まないこと、「天の父母教団」の方が神学的な響きもよく、名称としてはより格調高く感じられると思いますが、皆様は如何でしょうか。

遺伝子の権威である筑波大学名誉教授の村上和雄先生は、「笑い学会」という学会の運営をされているのですが、決して「お笑い学会」とは言わないと言われました。「お」があるかないかの一字違いだが、ここには天地の違いがある、と指摘されています。

以上、韓女史への批判に対する取り敢えずの回答であります。まだ、不足なところは多々ありますが、足りないところは後日述べることにいたします。最後までお付き合いして下さりありがとうございました。異論・反論は歓迎いたします。(了)