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映画「夜明けを信じて」 幸福の科学の原点を考える 

○つれづれ日誌(10月24日)-映画「夜明けを信じて」ー幸福の科学の原点を考える 

[夜明けを信じて]

10月24日、知人のお誘いで、幸福の科学大川隆法総裁(以下「総裁」と呼ぶ)の半生とも言うべき映画「夜明けを信じて」を観賞いたしました。この機会に映画の所感と共に、総裁の遍歴、幸福の科学の考え方などについて、おさらいをしておきたいと思います。   

この映画は、総裁(1956年7月7日~2023年3月2日)の幼少期、中高期、大学期、そして商社時代を経て、神仏の召命を受け、30才で事実上の立宗宣言をする迄の人生路程、思想遍歴が描かれています。

この映画は総裁をモデルにしたドラマですが、この映画を見て筆者の総裁に対する既成観念はかなり変わることになりました。

その一つは、学生時代における脅威的な読書量の多さです。哲学、思想、文学、宗教、法律、経済などあらゆる分野をカバーした読書遍歴には圧倒されました。筆者と対比して恥ずかしい限りです。総裁は、「学んでそれを伝えたい欲求」と表現しました。そして、知的探求のみにとどまらず、霊的な素質も同時に有していたのです。

その兆候は1981年大学卒業時に既に始まり、日興(日蓮の弟子)や日蓮、釈尊、イエス.キリストが現れ、いわゆる「霊言」を告げられることになりました。そしてそれ以降、「霊界を人々に如何に知らせて導くか」という事が、最大の関心事になったといいます。「悪霊よ出ていけ」と命じて、悪霊に苦しむ人を解放したとも言っています。

総裁は東大法学部時代に、既に共産主義の誤りに気づいていたとも述懐しました。法律や経済といったいわゆる実学よりも、思想や哲学などの形而上学を好んだ総裁には、唯物論は受け入れがたい思想でした。幸福実現党が共産主義と真っ向から対峙する姿勢の源流が既に芽生えていたのです。この共産主義に対する態度はUCと類似しています。

そして筆者が今一つ総裁の意外な一面を知ったのは、商社マン時代の姿です。1981年3月 総合商社のトーメン(現豊田通商)に三顧の礼をもって迎えられ、財務担当オヒィサー(ニューヨーク)、大手銀行20行の資金交渉担当(東京)などの分野で活躍しました。金融や財政は形而上学とは対極にある分野ですが、これにも精通したとは驚きです。

遂に、とりわけ仏教霊界からの教示を受け、30才で二度目の死と呼ぶ「立宗」という船出に出立しました。事実上の幸福の科学創設です。会社からも惜しまれ、淡い恋も振り切り、何故、全てを捨てて宗教家の道を選んだのでしょうか。それはただ霊的世界に目覚めた総裁が、自分自身と内なる声を信じて決断したというのです。また総裁は、GLA教祖の高橋信次から、教義を含む大きな影響を受けています。

大学卒業を控えた1981年3月23日に仏教僧の日興・日蓮との間で「霊道」を開き、その後に空海、イエス・キリスト、天之御中主と通信した内容を集めて幸福の科学の初期の霊言集が完成しました。1985年から「大川隆法」の名で父とともに出版活動を始め、1981以来4年間で収録した「霊言」を整理し、初めての著書「日蓮聖人の霊言」(善川三朗編、潮文社)を発刊、その後、「空海の霊言」「キリストの霊言」「天照大神の霊言」「.ソクラテスの霊言」「坂本龍馬の霊言」等の著書を出版しています。

なお総裁は、1988年4月10日、東京大学英文科を卒業したばかりの木村恭子さんと結婚し5人の子を儲けています。また妻大川恭子(木村恭子)さんとは2012年に離婚し、同年教団職員の近藤紫央(大川紫央)さんと再婚しました。

[幸福の科学の趣旨]

総裁は、1981年25才で大悟したといいます。1981年7月、釈尊が降臨し仏法流布による一切の衆生救済の使命を自らに託し、自らが大宇宙を創っている根本仏(根本神)たる「エル・カンターレ」であることを告げたとのことです(太陽の法P352)。そうして1986年30才で立宗し「幸福の科学」を設立しました。

1989年11月に「仏陀再誕」を出版し、1990年10月28日第12回大講演会(幕張メッセ)で、自身は「仏陀の魂の再誕」であると明示しています。また1991年7月15日に東京ドームで行われた総裁の「御生誕祭」で、総裁は自身が「エル・カンターレ」であると宣言し、神格化されていきました。

総裁は、諸宗教、諸思想、諸学問を統合する世界的な思想を探求し体系化したとし、この理念は主に著書「太陽の法」及び「正心法話」に記されています。その目的は、仏国土「ユートピア」を世界に建設することを目指すことにあり、以下のように趣旨が表明されています。

「日本には日本神道があり、世界にはイエス・キリストの教えや、釈尊の教え、ムハンマドやアッラーの教えがあります。それぞれが違う面を持ってはいますが、私たち幸福の科学は、これらの宗教を受け容れ、寛容な姿勢を示しています。これらの宗教を、同じ一つの方向を目指すものに作り変えていかなければなりません」

また1989年1月のセミナーでの総裁の宣言により、幸福の科学は思想・宗教の統合を目指す宗教団体に転換を図ることになりました。幸福の科学が、一部の宗教教団と違って、他の教団に開かれた姿勢を示しているのは、上記のような趣旨に基づいているからでしょう。この点は、万教一致の超宗教を目指すUCと同方向を向いています。  

信者は世界120カ国以上に広がり、全国・全世界に精舎・支部精舎等を700カ所以上、布教所を約1万カ所展開していると称しています。また総裁の説法回数は3200回、2700書を超える著書が発刊されていると言われています。2009年には幸福実現党を創立し、自ら党総裁に就任しました。その後同年8月の第45回衆議院議員総選挙で出馬しましたが落選する結果となっています。

[幸福の科学の理念]

ここで幸福の科学の理念と教義について見ていきたいと思います。前述したように幸福の科学の教義はGLAの教義をかなり取り込んだものとなっています。この度、再度「太陽の法」と「正心法語」を読み直し、ここに書かれていることを筆者なりに整理して見ました。但しこれは筆者が理解した範囲のものであり、足りないところはご指摘願えれは幸いであります。

幸福の科学の根本経典「正心法語」と「太陽の法」が、幸福の科学の宗教理論の基本書となると思われます。「太陽の法」は自動書記と称した方法で記述し、 その後「黄金の法」「永遠の法」を口述筆記し出版されました。

<真説・八正道及び四正道>


太陽の法では、宇宙、霊的世界の多次元構造や地球霊団創造の壮大な物語、気宇壮大な文明の変遷が説かれています。次元構造では、仏教の十界論の菩薩界、如来界をそれぞれ7次元、8次元と対応させています。そして最高真理として「仏法真理」が強調され、人間完成のための具体的な修行法が示されています。この修行方がより身近で分かりやすいので、先ずこれを解説することにいたします。

釈尊は「解脱」の具体的な方法として八正道を説きましたが、これを太陽の法では、「真説・八正道」として人間完成の道として奨励されています。(太陽の法P118~121)

釈尊の八正道とは、仏教において涅槃に至るための8つの実践徳目で、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定のことであります。釈迦は最初の説法において四諦(苦諦・集諦・滅諦・道諦)を説きましたが、八正道は悟りに導く実践を意味する「道諦」の中身にあたり、釈迦の説いた中道思想の具体的内容ともされています。

そして幸福の科学では「正しき心の探究」と、その具体化である「幸福の原理」としての四正道が、会員向けの基本教義になっています。幸福の原理とは、第一が「愛の原理」、二番目が「知の原理」、三番目が「反省の原理」、四番目が「発展の原理」となっています。即ち「愛」「知」「反省」「発展」の「現代的四正道」を説きました。ここで「正しさ」とは、結局、「大宇宙を創っている根本仏の理法に沿った心のあり方」のことをいい、この正しさのなかには信仰心というものが、当然ながら含まれています。

<愛の発展段階原理>


さてキリスト教は愛の宗教と言われています。イエス・キリストは愛の体現者として「太陽の法」の中でも高く評価されており、また愛は最大の徳目として強調されています。

愛は「与えること」そして「無償性」に本質があると説いていますが、これは当にキリスト教の愛の概念と同じです。そして「八正道+愛の探求」こそ現代人に望まれる修行の姿だとしています。(太陽の法P129)

ここでは、愛の発展段階が説かれ、愛を四種類に分けています。即ち、愛する愛、生かす愛、許す愛、存在の愛の四種の愛を説き、上記八正道にそれぞれを当てはめています。即ち、愛する愛は正見・正語に、生かす愛は正業・正命に、許す愛は正思・正精進に、存在の愛は正念・正定に対応させ、その意味を解説しています。

そこに更に「本能の愛」と「神の愛」が前後に加わり、神の愛に近づくほどより次元の高い霊界に入るという訳です。即ち、本能の愛→愛する愛→生かす愛→許す愛→存在の愛→神の愛であります。

この愛の種類をキリスト教的に解釈すると、アガペーの愛とエロースの愛に分類されるでしょう。ギリシア語には「愛」を表現する言葉が基本的に四つあり、エロース (性愛) 、フィリア (隣人愛) 、アガペー (自己犠牲的な愛) 、ストルゲー (家族愛) がそれであります。ヘブル語からの聖書翻訳者は、愛を表現すギリシャ語として、アガペーとエロースの概念を採用しました。

アガペーの愛は正に「与える愛」「無償の愛」であり、利他的な愛です。新約聖書では、キリストの十字架上での死において顕された愛として知られています。そしてこの愛の範疇に、上記の生かす愛、許す愛、存在の愛、神の愛が含まれるのではないかと思われます。

一方、エロースの愛は人間愛、または性愛(肉体の愛)を意味し、おおむね自己中心的な愛であり、聖書ではこの言葉は用いられていません。そしてこの愛の範疇に、本能の愛、愛する愛が該当するのではないかと思われます。

筆者は、愛の本質とは「犠牲」であると考えています。それが時間であれ、万物であれ、心情であれ、愛には愛する者へ投入するもの、即ち犠牲が伴うということです。これが十字架で示されたアガペーの愛でしょう。

[イエス・キリストへの高い評価]

さて、イエス・キリストはどのように位置付けられているでしょうか。イエスは9次元の悟りを得た10人の中の一人で、またイエスは、神の愛の体現者であると説明されています(太陽の法P128)。しかし人類最高の悟りを得たのが釈尊で、釈尊と共に、釈尊の本体であるエルカンターレから指導を受けたキリストほど仏法真理を究めた人間はいないとも言っています(同P21)。

また総裁は、1981年、イエス。キリストが降臨し霊言の形で衝撃の愛ある真実を告げたと告白し(P351)、イエスを高く評価しました。筆者は、前々から幸福の科学の方々が大変UC及びキリスト教と親和性があると感じてきましたが、上記の通り、イエス・キリストを高く評価するキリスト観を理解して始めて腑に落ちた次第です。

しかし、総裁は根本仏たるエルカンターレの化身であり、エルカンターレたる総裁は、イエス、孔子、マホメットなどの聖人をも指導したとしています。このような認識は、にわかに信じがたいところですが、ともかく幸福の科学の行き方は、おおむねこのような内容になっています。

ただUCを、オウム真理教と同列の社会問題を起こす団体として退けていますが(同P66)、これは30年以上も前の話しですので、そう目くじらを立てることはないでしょう。

[霊界観の違いについて]

最後に、キリスト教(UC)との霊界観の違いを指摘しておきたいと思います。 

幸福の科学では、輪廻の思想があり、人間の地上生活は短期間とし、魂は霊界との間を転生輪廻するとしています。 

HSUテキストである「幸福の科学的霊界観」には、「人間は肉体のみの存在ではなく、肉体と魂で成り立っている。その魂がこの世とあの世を転生輪廻し、神仏の御心に一歩でも近づけるように、永遠に魂の向上をめざし続けている」(P19 )とあります。あの世に還った魂は一定の期間を過ごした後、再び修行のためあの世からこの世に生まれ変わってくるというのです。

この転生輪廻の考え方は、バラモンや仏教の輪廻転生思想と類似しています。しかし、キリスト教では、この転生輪廻の思想はありません。キリスト教(UC)では、その人の霊魂は唯一不変で、死によって肉体と分離した霊魂は、そのまま同一性を保って永遠に霊界で生きるとされ、死後何かに(誰かに)生まれ変わるという考え方はありません。この点は仏教や幸福の科学と異なる点です。

更に敢えて指摘するなら、救済観の違いでしょうか。太陽の法では、修行し解脱して悟りに至ることを強調しているようですが、キリスト教では、贖いによる救い、即ち神の恩寵による上からの救いを唱えています。これは罪(煩悩)の捉え方が関係しているのかも知れません。

以上の通り、映画の感想及び幸福の科学について言及してきました。筆者の見るところ、幸福の科学の教えには、GLAの教えと共に、釈尊の悟りの境地、八正道、十界互具など仏教の思想を大きく取り入れており、またキリスト教的愛の思想が取り込まれ、更にギリシャ哲学や神話的要素も散見されます。ここには世界の宗教、思想、哲学を統合する思想を体系化せんとした大川総裁の意気込みが感じられまが、辛口で言えば各宗教を「いいとこ取り」した混合宗教の一面がなくもありません。 

万教同根、万教一致を標榜した出口王仁三郎や谷口雅春の言葉に習い、月並みな言葉ですが、宗教界は「小異を捨て大同団結」するしかありません。真の神(仏)のもとの一つの世界を夢みたいと思います。(了)

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