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伝道の書 注解

🔷聖書の知識95-『伝道の書』注解


すべてに耳を傾けて得た結論。

「神を畏れ、その戒めを守れ。」

これこそ、人間のすべて。(12.13)


【伝道者の意味】


伝道者は、ヘブル語で「コヘレト」といい、その意味は、「集める者」、「集会を召集する者」などで、そこから、教師、説教者、伝道者などの言葉が派生してきます。


しかし、聖書のタイトルになっている「伝道の書」や「コヘレトの言葉」よりは、むしろ「哲学者の言葉」の方が内容を的確に言い表していると思われます。即ちこの書は、神を抜きにした人生探究の哲学者の書であります。


『伝道の書』は、宗教、民族を超えた人生の空しさや諸行無常と言った普遍的な疑問の哲学的考察が試みられ、「知恵文学」に属しています。


「知恵文学」の起源は古く,エジプトはじめ古代東方諸国にもありましたが、イスラエルの「知恵文学」の形成はバビロン捕囚後のおよそ前4世紀から前1世紀の末頃の間と言われており、「主を恐れることは知恵の始めである」 (箴言1.7) との基本的な立場から神の前に人間として守るべきさまざまの教えや教訓が説かれています。旧約における知恵文学としては『ヨブ記』『箴言』『伝道の書』『詩篇』 が挙げられます。


伝道の書において提示される世界観は、旧約聖書の中で異色であり、そのため、キリスト教やユダヤ教を信仰していない異教徒や無宗教者、さらに不可知論者などにも、違和感を与えることが少なく、比較的馴染みやすい書と言われています。


【著者・目的】


『伝道の書』は冒頭の一文により、その著者がソロモンであることを仄めかしています。


エルサレムの王、ダビデの子、伝道者の言葉(1.1)


伝統的に旧約聖書の書物の中の三つ、即ち『雅歌』、『箴言』、そして『伝道の書』は著書がソロモンであると考えられてきました。

つまり、青年時代に愛の歌を歌い(雅歌)、壮年期に知恵の言葉をまとめ(箴言)、晩年に至って、この世のすべてを「虚しい」と告白した(伝道の書)と言われています。


しかし、近代における研究では、『伝道の書』はソロモンから数百年も後代の紀元前4世紀から同3世紀にかけて書かれたと推定されています。(『新聖書大辞典』キリスト新聞社)


この書は、神を抜きにして人生の充足を求めたソロモンの自伝であり、神抜きの人間の知恵だけで人生の充足を求めることの愚かさを教えるため、あるいは後世の者たちが、ソロモンの実験を繰り返す必要がないようにするために執筆されたと思われます。


『伝道の書』には厭世観に基づいた思想や現実的快楽思想が多分に含まれていますが、一方では神を畏れその戒めを守るべきことを説くユダヤ敬虔思想も少なくはなく、同書の結びの言葉がそれを端的に表しています。


すべてに耳を傾けて得た結論。「神を畏れ、その戒めを守れ。」

これこそ、人間のすべて。(12.13)


結局、伝道者は神への信仰こそ最大の知恵である事を悟りました。彼は自らの生涯が、神抜きでは何の意味も無い事を認め、読者にも、一時的な快楽よりも永遠の神を求めるようにと勧めます。こうして彼が、厭世感から自暴自棄にならなかったのは、この神への信仰にあったというのです。


勿論、伝道の書もまた霊感を受けた書と言えるでしょう。伝道者は、人生の探究を行っていた間も神を信じていました。しかし、その間の彼の信仰は、救いに至る信仰ではなかったと言えます。


この書には、神という言葉が49回出て来ますが、すべて「エロヒム」で、これは、「創造主」という意味で使っている言葉です。契約の救いの御名である「主」(ヤハウェ)という言葉は1度も出てきません。


筆者は、この書を読んで、豊臣秀吉の辞世の句を想起致しました。


「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」


【キーワードとソロモンの実験】


<空について>


「伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である」(1.2)


空という言葉は37回も出て来ます。但し、 この世のすべてのものは、永劫不変の実体ではないという教えの『般若心経』などの仏教教義とは異なり、伝道の書の「空」は、神なき人生の空しさを表現したものであります。


また「日の下で」(under the sun)はもう一つのキーワードで、29回も出て来ます。「日の下」とは、「現世」を意味し、死後の世界のことに触れず、地上の生活と人間の体験に限定されています。

<ソロモンの実験>

ソロモンは、人生の問題を提示し、そこから実験を開始しました。死が人生のゴールであるなら、生きている意味や目的はどこにあるのか。神を認めないなら、私たちの人生は「空の空」だというのです。この言葉はこの世の全てが一時的である事を強調するために使われています。


ソロモンは、「わたしは心をつくし、知恵を用いて、天が下に行われるすべてのことを尋ね、また調べた」(1.13)とありますように、現世の出来事を調べ体験していきます。


そしてソロモンの実験(1.4~12.12)は、科学的観察(1.4~11)、知恵と哲学の追及(1.12~18)、あらゆる快楽の追及(2.1~11)、富や事業の追及(2.18~6.12)と続き、最後に自らの道徳的見解(7.1~11.8)、若き人への警告(11.9~12.8)を語ります。


こうしてソロモンは、知恵、快楽、富、地位などあらゆるものを用いて実験しました。しかし結果は空しかったというのです。つまり、その実験の結果は、空であり、結局、神を恐れ、神の戒めを守ることに帰着します。(12.13)「主はいましたまう」。これが彼の到達点でした。


【若き日に、創造主を覚えよ】


ヨブは義人でしたが、神は彼が「罪人」であることを示され、ソロモンは知者でしたが、神は彼が「愚か者」であることを示されました。


こうして、「知恵が多ければ悩みが多く、知識を増す者は憂いを増す」(1.18)と知識の限界を述べ、「天が下のすべてのには季節があり、すべてのわざには時がある」(3.1)との知恵を語り、「神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた」(3.11)と語って永遠という価値について触れ、「富を好む者は富を得て満足しない」(5.10)と悟り、「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」(12.1)と言って神に還れと訴えました。


また、次の言葉も身に染みます。


「このむなしい人生において、そこには義人がその義によって滅びることがあり、悪人がその悪によって長生きすることがある。あなたは義に過ぎてはならない。また賢きに過ぎてはならない。悪に過ぎてはならない。また愚かであってはならない」(7.15~17)


以上が、伝道の書の解説です。次回はやはりソロモンの作品と言われる『雅歌』の解説をいたします。(了)





上記絵画*ソロモン王の聖書(ギュスターヴ・ドレ画)