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使徒信条を原理観で読み解く⑤ 子なる神について(2)-処女降誕の神秘

🔷聖書の知識160ー使徒信条を原理観で読み解く⑤ー子なる神について(2)-処女降誕の神秘


主は聖霊(せいれい)によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生れ(使徒信条)


前回、イエス・キリストとは誰か、即ち、キリスト論について解説しました。今回から使徒信条の「子なる神」のフレーズを逐次解説していきます。最初は「主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ」のフレーズです。


受胎告知(カール・ブロッホ画)



【処女懐胎の神秘】


イエス・キリストの誕生に際して、マタイ1章18節、ルカ1章35節は「聖霊によるマリアの懐胎」を示しています。これを文字通り聖霊による身籠りとするべきか、或いは何かの象徴と考えるべきか、議論の分かれるところであります。


これは確かに聖書の奥義です。伝統的なキリスト教は、使徒信条に示されている通り、これを文字通りマリアは処女で聖霊により身籠りイエスを産んだと信じられ、イエスが神であることの理由の一つとなっています。そこでこの項では、このイエスの出生を巡る問題の真相を考えてまいります。


【処女懐胎説と反処女懐胎説】


マタイ1章18節「マリアは聖霊によって身籠った」の解釈を巡って、様々な議論がなされてきました。大きくは、処女懐胎説と反処女懐胎説であります。


<諸説ー処女懐胎説、反処女懐胎説>


使徒信条の通り、伝統的キリスト教は、神の子イエスの出生に関し、全能の神が介入されたとする「処女懐胎説」が有力です。「神には、なんでもできないことはありません」(ルカ1.37)とある通り、神に不可能はないというのです。異端駁論を書いたエイレナイオスは処女懐胎説を擁護し、諸国の処女誕生神話などもこれを補強しています。


処女懐胎説論者は、創世記のアダム、エバは、結婚という手続きを経て生まれたのではなく、神が直接創造されたように、イエスの時も神が介入されて生まれたと主張しました。こうして処女懐胎説は伝統的キリスト教の解釈でありますが、イエスの神性を担保する一種の信仰告白であるという見方もあります。


これに対する「反処女懐胎説」として、聖書学的立場からは、イザヤ7章14節の「若い女」を処女だと「誤訳」したとの批判があり、また聖霊は女性名詞(へブル語)であり男性ではないとの指摘があります。聖書は、聖霊の力が働いているという意味を示しているが、処女懐胎とまでは言い切ってはいないとし、また科学や生物学的見地から見ても処女懐胎は非合理だとの批判があります。


更に「私生児説」も有力で、オリゲネスのケルソス反駁では、ローマ兵のパンテラがイエスの父であるとされ、タルムードにもパンテラとの性関係が記載されています。またイエスはヨセフとマリアの子とするエビオン派の主張などの説があり、ハルナックも婚約中のヨセフとの間に身籠ったと主張しています。


こうして、マリアの処女懐胎問題は、聖書の重要な奥義で、台湾元総統の李登輝が「最後まで自分を悩ませた難問だった」と告白し、ギリシャ正教では率直に「分からない」として保留にしているように、その解釈を巡りキリスト教を二分してきました。


<マタイ書に出てくる4人の女性との関連性説>


そのような中で、マタイ1章のイエス系図に出てくる4人の女性、タマル、ラハブ、ルツ、バテシバとの関連させて説明する有力な説があります。


即ち、イスラエルは父系社会であり、本来男系の系図が中心でありますが、マタイ1章1節~16節のイエスの系図の中に、マリア以外に上記ら4人の女性が出てきます。4人とも「異邦人」であり、またいわゆる「わけあり女」と言われ、普通の結婚ではない、いわくつきの形で身籠っています。


そこでこの4人の女性は、マリア処女懐胎という非合理的な身籠りの予型・布石・暗示ではないかというのです。つまり、マタイはイエス誕生の真相を知っており、マリアと同様、普通ではない身籠りをしたメシアの家系を形成する4人の女性を系図に載せることによって、マリアの「普通ではない身籠り」を暗示し、且つマリアの身籠りに正統性を与えたのではないかというのです。  


タマルは異邦人(カナン人)で舅ユダとの姦淫によって身籠り(創38.12~)、ラハブも異邦人(エリコ人、ヨシュア2.1)で神殿娼婦だと言われています(ヨシュア2.1~)。ルツは異邦人(モアブ人、ルツ1.4)で押しかけ婚であり(ルツ4.13)、バテシバも異邦人(ヘト人、2サム12.3)でダビデとの不倫で身籠りました(2サム11.22)。 しかもこれら4人の女性の子孫はメシアの家系を形成

しています。

                  

この4人の女性を説明する代表的見解として、姦淫を犯した罪人をも救われるイエスを象徴するという、ラテン教父ヒエロニムス(347~420年頃)が主張した「罪人説」 、 異邦人をも救われるイエスを象徴するとのルターの「異邦人説」、そしてカソリック神学者の「レイモンド・ブラウンの説」があります。


レイモンド・ブラウンは、4人の女とマリアを関連付け、メシアの家系を残すために寄与した女性として4人を評価し、マタイはマリアの聖霊による身籠りと処女生誕を証すために、4人の女性を、普通でない男性(パートナー)との関係で身籠りをした事例として記載したと主張しました。しかし、ブラウンは聖霊を「パートナー」に含めて考え、結局は処女生誕を擁護しました。                


<ザカリア父親説>


英国作家マーク・ギブス著「聖家族の秘密」には、イエスの父がザカリアであることが述べられています。即ち、イエスの父親はザカリアであり、聖母マリアの処女懐胎説はイエスの神聖を強調するための創作であること、イエスが私生児であるという誕生の経緯は当時の人々は概ね知っていたこと、ザカリア家の離反・失敗がイエスを十字架に追いやったこと、イエスの十字架は神の予定ではないこと、などが書かれています。


上記マーク・ギブスの主張を裏付ける説があります。マタイはイエス誕生の真の事情(私生児であること)を知っていたので、その事実を明らかにすることでさらなる迫害を恐れたのだというのです。上記4人の共通点は、普通でない仕方で身籠ったこと、及びイスラエル歴史の重要な転換点に関わって、メシアの家系を形成したことであり、マタイは、4人(特にタマル)をイエス誕生の予型と考えメシアの系図に入れたのであるとする有力な説です。


しかし、「たとえ私生児であってもイエスのメシアとしての価値を引き下げるものではない」ということが教理的に明確になるまでは、事実を明らかにすることは出来ないという事情がありました。マタイのインスピレーションにより、マリアの普通でない妊娠の布石として、同様の不規則的な妊娠をした4人を系図に入れ、そうして、聖霊によってという暗示的表現をとったというのです。


確かにルカ書には、マリアがエリザベツの家に3ケ月滞在中に妊娠したことが描かれ(ルカ1.39~56)、ザカリアがイエスの父であることが強く暗示されています。更にイエスの誕生に関して微妙な表現「イエスはヨセフの子と思われていた」(ルカ3.23)「あれはヨセフの子イエスではないか」(ヨハネ6.42)などと微妙な表現をしています。


以上から、マリアはザカリアと関係してイエスを身籠ったというのであり、これは原理観とも一致しています。ちなみにかの賀川豊彦は妾の子であり、この点でイエスに共感を持っていたと言われています。


【処女生誕神話には理由があった】


イエスが私生児だったという風聞は当時のユダヤにありました。しかしイエスが私生児だとなれば、当時の法律問題に引っ掛かり、親子で石打の死罪は免れないでしょう。


そういった法律問題だけでなく、前記したようにイエスが私生児であってもイエスのメシアとしての価値を引き下げることにはならないという教理的説明が出来ない以上、私生児であることを明らかにすることは危険でした。


また処女教説によって、キリスト教の発展のためにイエスの神性を担保する必要性があり、従って処女懐胎説はキリスト教のために一定の役割を果たしたとも言えなくもありません。


この点、「原罪淫行説」を否定し、原罪傲慢説や原罪自己中心説を採用したカトリックの立場と類似いたします。原罪淫行説を暗に認めながらも、その解決策が示されない以上、「結婚出来ない説」になりかねず、カソリック教会は信者の結婚を守るために原罪淫行説を採用できなかったというのです。


しかし、そういったことの解決策が示されれば、事実が明らかになっても問題はないはずです。結局マタイは解決策を見い出せないまま、神の不可思議な働きで生まれたという玉虫色の解決を図りました。


【考察―罪ある女の血筋から、如何にして無原罪のメシアが生まれ得るか】


「罪ある血統から如何にして無原罪のメシアが生まれ得るか」という命題は、神学上の最大の難問であり、この問題が解決されれば、私生児という事実が明らかになってもイエスのメシアとしての価値を引き下げないですむでしょう。


そしてこの大難問を歴史上初めて解明したのが、原理の「血統転換の法理」です。


原理は、創世記3章の失楽園の堕落物語を、天使とエバ、エバとアダムの姦淫に原因があったとする堕落姦淫説を取り、その堕落した血統をいかにして清められた本然の血統に転換できるのか、聖書の暗示を紐解いて解明したのが、いわゆる「血統の転換の法理」です。即ち、罪ある血統から如何にして罪なき血統に転換し得るのか、マリアの処女懐胎に関連して、この問題を原理観に沿って論じたいと思います。 


<メシアの家系を生み出した奥義―長子の立場を回復するという救済歴史>


神の霊感により聖書の中に象徴的、暗示的に「メシアの家系を生み出した奥義」が示されていると言います。本来の天的秩序は神→アダム→エバ→アベル→カインでしたが、堕落によりサタン→エバ→アダム→カイン→アベルと逆転したというのです。これを元返してメシアを生み出す血統を立てるという「血統転換の歴史」が聖書の歴史とも言えるというのです。


先ず、サタンの支配を受けたアダムの汚れた種が妻のエバの胎中に蒔かれ、カインとアベルが生まれました。カインとアベルは父母アダム・エバの善悪の象徴で、カインは悪の象徴、アベルは善の象徴として生まれたといわれます。


何故カインが悪の象徴、アベルが善の象徴となったのか、これは堕落の経路から説明されます。即ち、初めのエバと天使の堕落(霊的堕落)は、自己中心の過分な欲望が動機で、文字通り不倫でしたが、二番目のエバとアダムの堕落は神に立ち返りたいというエバの「より善の動機」があり、またもともとアダムとエバは神が予定した原理的な相対関係でありましたので、より善なる行為であるというわけです。


そこで最初の悪の行為の実がカイン、二番目のより善の実がアベルとして象徴され、悪の表示体としてカインが、善の表示体としてアベルが立てられたというのです。そしてまた、サタンは先ず最初の長子を好んで取るという「サタン先行論」でも説明されます。


しかし歴史は、カインがアベルを殺害したことから始まりましたので(創世記4章)、ここから弟のアベル的立場から兄のカイン的立場を屈服させ、長子の立場(神の祝福を受ける立場)を回復するという救済歴史が始まるというのです。


<ユダとタマルによる摂理―創世記38章の奥義>


先ず、この問題解決の糸口は創世記38章のユダとタマルの関係にあると原理は指摘します。このタマル物語の真相については、周藤健著『成約摂理解説』(光言社P145~152)で説明されています。


キリスト教ではユダとタマルの関係は汚点とされますが、タマルは、罪ある血統の中から罪なきメシアが生まれるための道を開いた最初の女性であるというのです。インスピレーションに導かれて、人間の堕落は天使がエバを誘惑したことから始まったので、その回復は逆の経路を辿って行うという償いの原理(蕩減復帰の原則)により、逆に神側のエバの立場に立つタマルが、天使の立場にあるユダを誘惑する立場に立ったというのです。創世記38章14節~19節には、タマルが娼婦を装い舅のユダを誘惑してユダの種(血統)を身籠る経緯が記されています。


歴史の二流は、アダム家庭では交差しましたが転換できず、ノア家庭では交差も転換も不可でした。ヤコブ路程では、ヤコブとエソウの一体化で善悪の交差と転換を外的に成功し外的条件を立てることができました(創世記33.4)。しかし、当時ヤコブは40歳で、それまでの期間を分別しなければならず、胎中まで遡って元返すという責任を担ったのがタマルだったと言うのです。


その昔ユダヤの国では、、祝福を受けた血統は途絶えてはいけませんでした。また、女性が子孫を残せずに死ぬというのは、女性としての道理ではなかったのです。ですからタマルは、自分の一代において祝福された血族を残せないことに対して、命を失うこと以上に苦悩するようになりました。


タマルはレビラート婚(エル→オナン→シラ)によってユダの血統を残すことがかなわないと知り(創世記38.11)、天使がエバを誘惑したので、上記のように逆にエバが天使を誘惑するという型を取りながら義父のユダと関係しました。


ちなみにレビラート婚とは、夫が子供を産まずに死んだ場合、その弟が夫となって兄のために子を生むという風習です。文鮮明先生の話によれば、当時タマルもリベカと同様、双子を産むという啓示を受け、「遊女を装うことは天啓だった」と言われています。私的性欲、ユダとの情関係、自己の栄光、などではなく、ただ選民の血統を残すという一念、完全無私の神への信仰のみだったというのです。


そしてタマルは胎中で双子を身籠り、月満ちて産道から兄のゼラが先に手を出しました。しかしゼラはこれをひっこめ、代わりに弟のベレツが兄のゼラを押しのけるようにして生まれてくることになりました。


ゼラが手を出したとき産婆は緋の糸をゼラの手に結んだと聖書は描写しています(創世記38.27~30)。 この霊感によって書かれた聖書の記述の中にこそ「胎中聖別」と呼ばれる血統転換を暗示する奥義があるというのです。これは、カインがアベルを殺した(創世記4.8)立場を胎中から元返して血筋を正したことを意味するもので、即ち、弟が長子の立場を胎中から回復したというのであります。まさに血統転換です。


これがイスラエル選民の内的出発勝利圏で、産婆がゼラに緋の糸を結んだことは正に神の霊感で、もし聖書がこれを書き残さなかったら「胎中聖別」や「血統転換」を整合性を持って説明するのが困難であったというのです。「このようなことが書かれてること自体、聖書が神の救いの経綸を記した神の言葉である証左である」と文先生は語られました。


このように、聖書の記述の背後に深刻な神の救済摂理が込められていることを知るにつけ、聖書が神の啓示の書であることを今さらに実感せざるを得ないものです。


そして、かってこの聖書の奥義を正しく解いた聖職者も神学者も誰一人いませんでした。「タマルが不道徳とも見える形でユダを誘惑した意味とは何か」、「何故兄のゼラを押しのけて弟のベレツが先に出てきたのか」、について誰も解くことができず、久しく覆いを被されたまま封印は解かれることはありませんでした。筆者はこの創世記38章こそ神の救済歴史を解く鍵であり、聖書最大の奥義がここにあると理解しています。


こうして神の血統を残さなければならないという生死を超えたタマルの絶対信仰によりサタンの讒訴を受けないメシアの血統基盤が形成されたというのです。ルツ記4章12節には「どうぞ、主がこの若い女によってあなたに賜わる子供により、あなたの家が、かのタマルがユダに産んだペレヅの家のようになりますように」とある通り、ルツも一切の体面を捨てて、ただ神の摂理に従いました。これらを創始者は「罪なき本然のより聖別された血統的基準に接近するための運動である」と言われました。そして、このタマルの信仰と勝利圏を相続したのがマリアであったというのです。


<マリアの信仰>


マリアも、イスラエルの血統を残すという決死の信仰で、天使に告げられた通り急いで親戚のザカリアの家に入りました。エリザベツもやはり啓示を受けていて、マリアを自宅に招き夫ザカリアのもとに手を引いて導いたというのです。


3ケ月過ぎて妊娠したことが分かってマリアはザカリアの家を出ていきました。一体ザカリアの家で何が起こったのか、この暗示的な情景を描いたルカ1章39節~56節も聖書の奥義です。


これらは、失楽園において天使長が神とアダムからエバを奪っていったので、逆に天使長の立場にあるヨセフからエバの立場にあるマリアを神側の天使長の立場にある祭司ザカリアが奪うという逆の経路を辿ってもと返していく道といわれています。このように、濁から聖への血統の転換は、失ったものの逆の道筋を辿って取り戻していくという、「蕩減的回復の道」を辿っていくというのです。


マリアからメシアが生まれるとの啓示はマリアとエリザベツ双方が受けていたと言います。エリザベツとマリアは母親側の従妹であり、これはラケルとレアの関係と言われ、神と霊の導きでマリアの手を引いて夫ザカリアの元に導いた行為は、エリザベツの信仰の勝利と言えるでしょう。レアがラケルから夫を奪ったので、逆にレアの立場にあるエリザベツがラケルの立場にあるマリアを祝福しました。こエリザベツとマリアの勝利で、レアとラケルが一体化できなかった立場を回復しました。


故にマリアはサタンの讒訴圏無く、胎中聖別を経ることなくイエスを産めたと言われています。「歴史以来、初めて神様の息子の種、真の父となるべき種が、準備された母の胎中に、サタンの讒訴なく着地した」(周藤健著「成約摂理解説」P157)と言うのです。


しかし神の啓示を受けたときの高揚感はいつしか消えていき、エリザベツはマリアに嫉妬するようになりました。マリアはエリザベツにとって愛の恩讐となり、エリザベツはみ旨を阻む恩讐となっていきます。マリアは3ケ月でザカリヤの家を出て、その後行き来した形跡はなく、本来、ザカリア家庭がイエスの囲いになるべきだったがそれが出来なかったと言われています。


また文先生は、イエスは「ザカリアの娘を新婦として娶るべきだった」と言われています。しかし血族結婚を知っていたマリアは、この結婚に反対し、み旨を理解できないマリアになっていました。勿論、エリザベツも反対し洗礼ヨハネも反対しました。カナの結婚を描いたヨハネ2章4節には「婦人よ、あなたは、私と、何の係りがありますか」とあり、イエスとマリアの冷めた関係が浮き彫りにされています。


一端サタンの侵入を受けると、かって啓示によって受けた恩恵と感動を失うというのです。結果的にイエスが結婚して真の父母になる道を阻んだマリアになってしまい、これがマリアの悲劇「マリアの涙の理由」であるというのです。


このような新しいマリア像は、とりわけマリアを神聖視するカトリックやギリシャ正教にとっては、到底受け入れがたいものがあることでしょう。しかし、マリアがキリストを産んだ母であることは確かであり、メシアをこの世に産み出した女性というこの一点において、永遠に讃えられることに異存はありません。


<無原罪のメシアとして来られる再臨主>


そして再臨主の母親(金慶継女史)も、タマル、マリアの信仰を相続した立場で、「命がけの絶対信仰で身籠る」という立場を通過するというのです。第三アダムとしての再臨主が、無原罪のアダムの立場で生まれ、ひとり娘としてのエバを探し出して、黙示録19章9節にある「子羊の婚宴」をされるのです。


お父様のみ言「救援摂理史の原理観」には次のように明記されています。


「再臨主はイエス様が果たせなかった神様の復帰摂理の根本を完成するためにこられます。すなわち、『創造理想を完成すべき真なる本然の赤ん坊の種』として来て、神様の真の愛、真の生命、真の血統の根源になる真の父母の理想を完成するためにこられます。彼は既に『イエスの時まで神側が勝利した根本摂理の土台の上』に臨在されます。すなわち、イエス様が大人になられる時までの勝利的な基盤の上に真っすぐ立たれて、彼が果たせなかった新婦を探し、真の父母になられ、万民を救ってくださるのです」(救援摂理史の原理観96.04.16 ワシントン・タイムズ財団創立大会 ワシントンDC)


しかるに、清心神学大学院教授で天一国天法院長の金振春氏は、その論文「独り子独り娘としての真の父母」の中で、次のように主張しました。


「真のお父様が完全に原罪を持たずに生まれたとは、言い難い。いつ真のお父様が独り子となり、原罪がなくなったのかと言えば、お生まれになった時ではなく、神様の召命に応じてメシアの使命を受けた16才の時であったことが理解できます」(2017年2月7日、孝情学術苑創立総会国際学術シンポジウムでの金振春研究発表論文)


つまり金振春氏は、「文鮮明先生は原罪を持って誕生され、16歳のとき復活されたイエス様を通して神様からメシヤの使命を受けて、メシヤの立場に立つようになり、原罪のない立場になった」というのです。


この見解は、明らかに聖書的なメシア観に著しく違背しています。また上記、本然の赤ん坊の種、即ち「無原罪の本然のアダムの立場」(第三アダム)で来られると語られたみ言「救援摂理の原理観」に代表される数々のお父様のみ言と完全に相反しています。


また、周藤健著『成約摂理解説』には、「イエス様の時と同様に、再臨主も生まれながらにして堕落前のアダムの立場で来られる」(P192)と明記され、金栄輝著『摂理の真実』には、「神様はまずアダムを復帰(再創造)する血統復帰摂理によって原罪のないアダム完成者を立てる路程を展開される」(P254)とあります。


筆者も、「つれづれ日誌6月1日-緊急提言 金振春氏の論文に反論する」において、聖書・原理講論が予定するメシアは罪なき神のひとり子であること、お父様誕生前後の時代背景の兆し、お父様のみ言自体の証言、そして自分自身の信仰告白などを挙げて、お父様は神の本然の血統を持った無原罪のメシアとして誕生されることを論証しました。(www.reiwa-revival.com/post/金振春氏の論文に反論)


従って、金振春氏のお父様のメシア観に関する言説は、完全な誤りであり、お父様のメシアの価値を貶める異端的妄言であることは明らかです。金栄輝氏は、「非原理、反摂理で真の父母理想を破綻させた金振春教授は、天一国天苑苑長、天法院長など全ての公職を辞して、今後は深い省察の生涯を送るべきである」と断じています。


そして韓国の世界本部は、遅まきながら、「この金振春氏の見解は、あくまでも金氏個人の見解であって、UCの公式見解ではなく、今後金氏には講義などをさせない」との金氏の見解を否定する公文を発表をしました。


以上、イエス誕生の奥義、及び血統転換の法理について縷々説明しました。これらは、マリアの処女懐胎という聖書の奥義に最終的な回答を与えるもので、再臨主により初めて明らかにされました。次回は、「カトリックのマリア観」について論考することにいたします。(了)