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使徒信条を読み解く⑬ 聖霊なる神について(2) 聖霊論

🔷聖書の知識168ー使徒信条を読み解く⑬ー聖霊なる神について(2)-聖霊論


わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである (テトス3.5)


前回は、「神の霊」について解説しましたが、今回は本題である「聖霊」について論考いたします。即ち、新約聖書に出てくる聖霊について、その位置付け、役割、働きを考えます。


【キリスト教における聖霊の位置付け】


伝統的なキリスト教は聖霊をどのように考えているのでしょうか。


キリスト教では、聖霊は旧約聖書に出てくる「神の霊」と基本的に同じ霊として捉えられています。聖霊は大きくは神の霊の働きと言えますが、前回、神の霊について論じた通り、原理では旧約聖書の神の霊と新約聖書に出てくる聖霊を区別して考えています。


キリスト教でいう「聖霊」は、存在論的には、「父なる神」と、「子にして神であり人でもあるイエス・キリスト」と共に、三位一体の一つの位格(人格)であると位置付けられ、「聖霊なる神」とされています。即ち、カトリック教会、聖公会、プロテスタント、正教会、非カルケドン派において、聖霊は三位一体の一つの位格(神格)であると位置付けられ、これらはニカイア公会議(325年)の頃からコンスタンティノポリス公会議(381年)の頃にかけて、神なる聖霊の定式が整理されていきました。


三位一体の教理は「一つの神の本質のうちに、父、子、聖霊の3つの位格(人格)の神がある」というものです。つまり、「父、子、聖霊は各々が独立した神であるが、そこに三人の神がいるのではなく、いるのは一人格の一人の神である」という教理で、これは理性の認識を越えた神秘だとされ、大神学者も明確に説明出来ない難問だとされています(シーセン著「組織神学」P224)。


この三位一体の論議は別途議論するとして、キリスト教では聖霊は第三位格の神と位置付けられています。そして、父なる神がイエス・キリストを通して信者に送られるというのです。カトリック教会において、「来たり給え、創造主なる聖霊よ」のような聖霊を賛美するグレゴリオ聖歌もあり、また聖霊が使徒らに降った聖霊降臨(使徒2.1~4)を記念して祝日として祝われています。


マタイ28章19節は「父、子、聖霊の御名(単数)によってバプテズマを授けるように」と教えており、これは三位一体のひとりの神を集合的に捉えていると言われています。従って、原理が解くように、聖霊がイエス様の相対者、即ち母なる霊としての存在であるという認識はありません。


【聖霊は人格を持った存在】


次に聖霊は力か、人格か、それとも他の何か、が問題になります。この点、エホバの証人では、聖霊は三位一体の第三位格の神であることを否定すると共に、聖霊は神の「非人格的な活動力」だと主張しています。 しかし次の通り、聖霊が「人格を持った存在」であることを多くの聖句が示しています。


聖霊は、イエスをキリストと証し(1コリント12.3、ヨハネ15.26)、人々を真理に導き(ヨハネ16.13)、罪と義とさばきについて目を開かせ(ヨハネ16.8)、そして命令されます(使徒伝8.29)。 これらすべてのわざは、ただの力でも、物でも思考でもなく、人格が関係することを示しています。


更に、聖霊の「特質」も人格を指しています。聖霊には命があり(ローマ8.2)、意思があり全知であり(1コリント2.11)、永遠です(へブル書9.14)。


以上から、聖霊は人格を持った霊であります。


【聖霊の働きと役割】


では、聖霊の働きと役割とは何でしょうか。幾つかの聖句から考えていきたいと思います。


<聖書的根拠>


「それで、イエスは神の右に上げられ、父から約束の聖霊を受けて、それをわたしたちに注がれたのである」(使徒2.33)とありますが、この聖句は、復活されたイエスが、その相対圏にたつ聖霊を神の祝福のもとに復帰して送られることを示しています。


「聖霊によるのでなければ、誰もイエスは主であると言うことはできません」(1コリント12.3)との聖句は、主の証し人としての働きで、これが聖霊の最大の役割であります。


ヨハネ書に「わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう」(ヨハネ16.26)とある通りです。


ジェーゴブズも著書『キリスト教教義学』(聖文舎)の中で、「聖霊独自の職務と働きは、キリストを啓示し、キリストに栄光を帰せ、キリストについて証言することである」(P221)と言っています。


また、「真理の御霊(聖霊)が来る時には、あなた方をあらゆる真理に導いて下さる」(ヨハネ16.13)とは、聖霊が真理に導く霊であることを教えています。


「わざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである (テトス3.5)」。これは人々を悔い改めに導き、新生させてくださる聖霊の重要な働きです。


「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか(1コリント3.16)」。これは聖霊が内住され導かれることを意味します。この聖霊の内住は、旧約時代にはなかったことです。


「またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、 またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている(1コリント12.8~10) 」。この聖句は聖霊が、各人に様々な賜物を与えられ、「癒しや奇跡の働き」をされることを示しています。


「二人は聖霊によって送り出され、セレウキア下り、そこからキプロスにむかった(使徒14.4)」。これは聖霊は宣教の助け手、導きの霊であります。 


以上のように、聖霊の働きと役割は、a.主の証し人であり(1コリント12.3)、b.内住し人を真理に導き(ヨハネ16.13)、c.悔い改めと新生の役事をされ(テトス3・5)、d.慰労・癒し・奇跡の業をなされ(1コリント12.8~10)、e.助け手として宣教を導びかれる(使徒14.4)、といったところでしょうか。


そしてこの中でも、a.主の証人、b.悔い改めと新生の役事、c.慰労・癒し・奇跡の業は、聖霊の3大役割と言えるでしょう。


このような聖霊の働きと役割は、UCの聖霊観にも当てはまります。我々は、成約における実体聖霊の慰労と癒しの賜物を通じ、また各人の祈りを通じて、大きな恵みを享受できることは明らかです。


<聖霊は救いに如何に関わっているか>


そして聖霊は神学上、「救済論」の文脈で語られることが多々あります。救いは、キリストの十字架の贖罪と復活によって既に成就したとされますが、その救いの各人への適用には、聖霊が新生・聖化・栄化の全ての局面で神の恩寵として深く関与するというものです。


即ち、私たちの個々人の救いは、「悔い改め・回心・許し・新生・復活・永遠の命」という救いの内的プロセスと、それを保証する「祈祷・訓読・礼拝・典礼儀式」という具体的方法の両面でなされていくというのです(梅本憲二著「やさしいキリスト教神学」P115~136)。


ジェーコブズ著『キリスト教教義学』には、「聖霊が、み言を通して、人の心に回心を起こされる」(P287)とある通り、聖霊の恩寵により、人は悔い改めに導かれて新生に与り、救いのプロセスを成就すると言われています。しかも、この内的プロセスは、義認から新生までが順番に起こる場合もあれば、同時に起こる場合もあり、その前後を一概には言えません。ともかく、ここに至って私たちは「聖霊の証印」を押され、「救いの確証」に辿り着くというのです。


「あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである」(ピリピ1.13) とある通りです。


ちなみに、聖化とは、新生され原罪を清算されたクリスチャンが、残存する悪い性質(堕落性)を清算して更に清められ、信仰者として霊的に成長していく漸進的な過程であります(2コリント4.16)。  


上記のジェーコブズは「義認と新生は神のみ業である。しかし聖化は、そこに新生を通して与えられた力により、新生者が協力する」(同著P294)と語り、聖化の局面では人間の行為の必要性を認めています。


また、栄化とは、キリストにより神性を持った完成された「復活の体」になること、即ち人格完成であります。ここに至って、文鮮明先生が言われる通り、もはや宗教も信仰も祈りも不要になるというのです。


このように、救いのプロセスに聖霊が密接に関与いたします。聖霊の働き、聖霊の賜物が、救いの完成に不可欠であるということです。この事実は、成約時代にも適用される真理であります。


【新しい視点】


ここで、聖霊についての原理観を述べておかなければなりません。


原理講論に、「霊的な真の父であるイエスと、霊的な真の母である聖霊との授受作用によって生ずる霊的な真の父母の愛によって新たな命が注入され、新しい霊的自我に重生されるのである」(P266)とある通り、復活されたイエス様を真の父、聖霊を真の母とし、この霊的な父と母の愛を受けて霊的に新生されるのがクリスチャンであるというのです。


従って聖霊は、真の母(霊的母)として、また後のエバとして来られた方であるので女性神であり、慰労と感動の働き、悔い改めの業をされ、聖霊によって信徒は新婦として立つようになるのです。(同265)。


このように聖霊は、「イエスの相対者、新婦としての人格的な母性の霊」であります。従って、三位一体でいう位格の一つとしての「聖霊なる神」とは異なると言わざるを得ません。


イエスは天(陽)で働かれますが、聖霊は地(陰)において業(役事)をされる母性の霊であり、広くは神の霊の働きの一つといえるでしょう。但し、イエス様は結婚して相対者がいた訳ではありませんので、誰それの霊といった特定個人の霊では無く、神の女性性相を体現した「イエスの相対の役割をする霊」ということになります。文先生は、聖霊は、「サライ・リベカ・ラケルの総合霊、それにマリアの霊が加わったもの」といった象徴的表現をされたことがあります。


ちなみに神が創造された人類始祖アダムとエバ、即ち最初のアダム(1コリント15.45)は、双方とも無原罪の無垢な男女でありました。即ち神は、アダムとエバを罪なき人間として創造されました。従って第二アダム、即ち第二アダムであるイエスとその相対としての聖霊も「無原罪のメシア」であり、更に第三アダム(再臨)、即ち真の父母も「無原罪のメシア」ということになります。


神の霊は、旧約時代から「神の愛の活動する力」として働かれましたが、新約時代は、この神の霊に加えて、イエスの新婦たる聖霊がより具体的にクリスチャンに働かれる時代圏だというのです。


【聖霊とリバイバル】


筆者は、拙著『異邦人の体験的神学思想』の中で、キリスト教の歴史の特徴として、殉教、異端、リバイバルの3つを挙げましたが、その中でもリバイバル(霊的覚醒)は最も注目すべき特徴と言えるでしょう。キリスト教の歴史において、教会の形骸化や信仰が沈滞した時、周期的に、また必然的に起こりました。 特にアメリカキリスト教(プロテスタント)の最も注目すべき特色は、周期的に信仰を改革し、回復させるリバイバル(大覚醒)の勃興であり、過去、3回~5回のリバイバルがありました。


リバイバルとは、第一に、我々キリスト教徒・食口が霊的に覚醒されること、即ち信仰の復興であり、第二に、それが信者の劇的な増加、教会の成長をもたらすことです。その際、聖霊は大きな役割を担うと言われています。


リバイバル運動は、例外なく1人又は数人のキリスト者の回心、無名の牧師の回心から草の根運動として始まっております。その思想は、①悔い改め(repent) ②回心(convertion)、③新生(born again)、の3つであり、その際、重要な働きをするのが聖霊の役事であります。


尾形守著『リバイバルの源流を辿る』の中で、どのリバイバルも悔い改めの祈りと聖霊が源であり、そして、リバイバルは「どん底や絶望的な行き詰まり、人間の無力さ(へりくだり)をとことん経験した無名のキリスト者の回心」 から始まっていると指摘しました(P245)。


つまり、良い人間であるからでも、頭がよくて霊的になったからでもなく、むしろ絶望的な状況に置かれていた人間だからこそリバイバルに与ることができるというのです。


尾形守氏はリバイバルの要件として、a.徹底した祈りと悔い改め、b.強い渇望と求める心、c.聖霊の働き、d.福音のみ言葉とそれに伴うしるしによる伝道の4点を挙げています。


以上、聖霊について論考しました。次回は、霊の中でもマイナスの働きをする「悪霊」について解説いたします。(了)



上記絵画*聖霊降臨(エル・グレコ画)

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