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創世記 注解⑦ アブラハムからイサクへ、リベカ双子を産む

🔷聖書の知識64ー創世記注解⑦ーアブラハムからイサクへ、リベカ双子を産む


主は彼女に言われた、「二つの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹から別れて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう」(創世記25.23)


それにしても創世記には、人類歴史の縮図が詰まっています。中川健一牧師も、創世記を理解することは聖書66巻の半分が分かったことになると言われています。特にアブラハム、イサク、ヤコブの族長物語には神の救済(復帰)摂理の奥義がその記述の中に秘沈されています。


[イサクの家庭の摂理が始まる]


さて原理は人類歴史を、失われた「信仰基台」と「実体基台」を復帰し「メシアを迎えるための基台」を造成した上でメシアを迎えて原罪を脱ぐという蕩減復帰歴史と見ています。


ちなみに信仰基台とは象徴献祭でもあり、人間の立場から見れば神との関係の回復であり、神の立場から見れば、所有権の決定と言えるでしょう。また実体基台とは、実体献祭でもあり、堕落性を脱いでみ言の実体となること、即ち個性完成することに他なりません。


そしてアブラハム、イサク、ヤコブの族長物語は、メシアのための家庭的基台を造成してイスラエル民族を形成し、将来サタンを民族的に屈伏させる典型路程の史料となるというのです。


イサク献祭を通じて、イサクはアブラハムから引き継いで信仰基台を復帰した立場に立ちましたので、このイサクの家庭においてエソウとヤコブがそれぞれカインとアベルの立場に立って実体基台を造成していく摂理が始まります。


前回、三種の供え物とイサク献祭の二つの象徴献祭について見てきました。今回上記の歴史観をベースにしながら、その後の族長たちの様相を見ていきます。


即ち、サラの死と埋葬(創世記23.2)、イサクの嫁探し(24章)、イサクとリベカの結婚(24.67)、アブラハム側妻を娶る(25.1)、アブラハムの死と埋葬(25.8)、イシマエルの子孫(25章)、リベカが双子を産む(25.21)、エソウ、ヤコブに長子権を売る(25.33)という順で族長時代の歴史のポイントを見ていくことにいたします。


[イサクの嫁探しーイサクとリベカの結婚]


さてアブラハムの妻サラは127才でヘブロンで亡くなり埋葬されました。アブラハムはヘト人エフロンからヘブロンにあるマレムの前のマクベラの畑と洞穴を買い取り、そこにサラを葬りました。これがアブラハム家の墓所となり、後日アブラハムもここに葬られることになります。


サラが死んだ後、アブラハムは故郷の親族の住むハランにイサクの嫁を探すために僕エリエゼルを送ります。行先はナホルの町(ハラン)(創12.4)で距離は約4700キロ、ほぼ東京から岡山までの距離がある長旅でした。


僕一行はハランに到着して井戸のある水汲み場でアブラハムの兄弟ナホルと妻ミルカの息子ベトエルの娘リベカと遭遇いたします。


この時、旅のラクダに水を飲ませたこの美しいリベカこそ神がイサクのために備えられた娘だと悟った僕は、リベカの父ベトエルとリベカの兄ラバンと交渉して、リベカをイサクの嫁としてもらい受けることになりました。


若いリベカはまだ見ぬイサクとの結婚を決断し受け入れ、次の朝、間を置かず父母と別れカナンに出発することになりました。アブラハムの僕とは昨日水汲み場で会ったところなのに、今日はイサクの元に旅立ちです。それにしてもリベカにとってなんと言う劇的な運命の展開でしょうか。


リベカはこの結婚が神の願いであることを霊的直感で感じたのです。かってアブラハムが行き先知らずして出発をした(ヘブル11.8)ように、リベカも見知らぬ地、まだ見ぬイサクの元に向かいました。それにしてもリベカに不安はなかったのでしょうか。リベカの信仰は見上げたものです。



聖書には水汲み場(井戸)は男女の出会いの場として度々出てきます。最初がこのリベカとの出会いの箇所で、次にヤコブとラケルの出会い(創29.9~12)、そしてモーセとチッポラの出会い(出2.15~21)も水汲み場でした。水は生命の源であり、砂漠での貴重な水が取り持つ縁でしょうか。


古代では、こうしたまだ知らぬ男女が初めて会って結婚するケースは少なくありません。日本でもひと昔前には、結婚式で初めて会う男女もいました。筆者は、郷里の薬屋さんのあるクリスチャン夫婦が、教会でくじ引きのようにして決められた相手と結婚したことを聞いたことがあります。いかにもこの夫婦が不釣り合いだったので、「何故あんな美男子があんな不美人と結婚したんだろう」と子供心に不思議に思っておりました。今ようやく、かの夫婦は信仰によって結ばれたということが分かりました。我がUC、我ら食口の結婚や如何に!


ともあれ、リベカとイサクは霊妙な神の導き、ある意味で神の祝福の御手の中で、カナンで初めて出会い、天幕に入って結婚し、イサクはリベカを愛しました。そしてこのリベカはイスラエルの祖ヤコブを産むことになります。


即ち、結婚の要諦は、それが、いかなる形であるにせよ、神の公認(祝福)において結ばれることに価値があるということでありましょう。かのアダムとエバのように、時ならぬ時に、神抜きで結婚したことが問題になったというのです。


[信仰の父、アブラハムの死去]


アブラハムはサラが亡くなったあと、ケトラという女性と再婚し、6人の子を産みました(創25.1~2)。従って、イシマエルとイサクを合わせて8人生んだことになります。


アブラハムはその所有をことごとくイサクに与えましたが、ケトラの子らは、イサクから離され、餞別をもらってヨルダン川の東側、アラビアの地方に住むようになります(創25.6)。またイシマエルの子孫は、西はシナイ半島の北から、東はバビロンの西国境まで、ほぼ、アラビア半島全域にわたって住むようになりました。


そうしてアブラハムは175才で死に(25.7)、イサクとイシマエルは彼をサラが葬られているマクペラのほら穴に葬りました。こうして信仰の父たるアブラハムは霊界に旅立ちました。


アブラハムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教世界三大一神教の父祖(源流)であり、歴史上初めて、神を唯一にして創造主たる人格神と明確に認識した人物であります。神はアブラハムに出会ったことを小躍りしてよろこばれ、UC創始者は、「神が多くの涙を流されたあと、初めてアブラハムに着地された」と言われました。


アブラハムは決して全てに完全無欠な人間ではなく、失敗もしてきました。しかし、にも拘らず、アブラハムは次の三点において、「信仰の父」と呼ばれるにふさわしい人物でありました。


先ず第一は、ヤハウエの声に従って、住み慣れたメソポタミアの地を離れ、行き先定かではないカナンに向いました。ひたすら神の呼び掛けを信じて! これは、私たちが、慣れ親しんだ父母、学校、職場、郷里を離れて、行き先知らずの神の道、献身の道に向かったのと軌を一にしているではありませんか。


第二は、信じることが出来ない立場を信じたアブラハムの信仰です。老齢のアブラハムには子がなく、妻も年老いていました。しかし主は彼を外に連れ出して言われました。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい。あなたの子孫はあのようになるでしょう」(創世記15.5)と。そして アブラムはこの主の言葉を信じ、「主はこれを彼の義と認められた」(創15.6)というのです。パウロも「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」(ローマ4.3)と記しています。


そして第三は、言うまでもなくイサク献祭において示したアブラハムの信仰であります。命に優るひとり子イサクを神を信じて捧げました。そして死んだ立場から復活したというのです。このイサク献祭は、聖書が到達した信仰の頂点と言えるでしょう。


こうしてアブラハムは信仰の父という称号を得たのです。そうして、アブラハムの死は、死ぬ前になしておくべき点について、次の3つの教訓を残してくれました。


即ち第一に、旅人の寄留地たる地上生活において、永遠の霊界での永住についての確固たる認識を確立しておくこと、第二に、財産について死後の争いの種を取り除いておくこと、第三に、自らが生きた証を残しておくこと、この3点であります。


[リベカ、双子を産む]


さてリベカと結婚したイサクは、長らく(20年間)子が産まれませんでした(創25.21)。リベカも不妊の女だったのです。


ちなみに聖書の摂理的な女性は、何故か皆不妊の女でした。アブラハムの妻サライも不妊の女でした。ヨセフの母ラケル、預言者サムエルの母アンナ、洗礼ヨハネの母エリザベツもそうでした。サタンが摂理を妨害したこと、祝福の前には必ず試練があるといった理由の故でしょうか。


そうしてリベカはやっと身籠りました(創25.21)。ところがその子らが胎内で押し合ったというのです。以下聖書にその記述があります。


「こんなことでは、わたしはどうなるでしょう」。彼女は行って主に尋ねた。 主は彼女に言われた、「二つの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹から別れて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう」(創25.22~26)


この上記の聖書箇所は解釈が難解な神学上の論点であります。一つは、何故双子が胎内で争ったのか、もう一つは、まだ産まれもしていない双子に、何故「兄は弟に仕えるであろう」と神は明言されたのか、という厄介な問題であります。合理的に考えてこんな不条理なことはありません。


実は、ここに重要な摂理的な奥義があるというのです。この問題に関して、キリスト教神学は、聖書には兄と弟の葛藤が散見され、神が弟を用い、兄を退けられる記載が多々あることを指摘しているものの、何故そうなのかは説明していません。


ただキリスト教では、ロマ書9章11節~13節の「まだ子供らが生れもせず、善も悪もしない先に、神の選びの計画が、 わざによらず、召したかたによって行われるために、『兄は弟に仕えるであろう』と、彼女に仰せられたのである」を引用し、神の選びの確かさについて教えていると説明しています。


また、ヨハネ15章16節の聖句「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです」を根拠に、やはり神の選びの絶対性を強調しました。前述の中川牧師も、神への忠誠に両者の違いがあると述べるに留まり、これ以上の説明はされていません。しかし、これでは神が何故選んだのかの説明にはなりません。


一方原理は、エサウとヤコブが、胎内で争ったというのは彼らが、各々悪と善の表示体に分立されたカインとアベルと同様、相対立する立場に立ったからであると言っています。それが人間であれ、社会であれ、善悪が混ざっている中間状態では、神の摂理を進めることができず、これを善と悪に分立しなければなりません。これが摂理歴史の鉄則だというのです。


従って神は、まだ胎中にいる時から、エソウを悪の表示体、ヤコブを善の表示体として立てて摂理を進めざるを得ないという訳です。ですから、神はエサウを胎内より憎んだと記録されていますが、これはエソウが復帰摂理の蕩減条件を立てていく過程において、サタンの側であるカインの立場であったために、憎しみを受けるべきその立場にあったということをこう表現されたものにすぎず、決して文字通り神がエソウを憎まれた訳ではありません。


即ち、神が胎内にいるときからヤコブを愛し、エサウを憎んだというのは(ロマ9.11~13)、堕落の経路に従って、彼らが各々アベルとカインの立場で、善悪の表示的な存在であったからであります。この兄と弟の葛藤は、カインとアベル、セムとハム、エソウとヤコブ、マナセとエフライム、ゼラとベレツなどの関係を見ても明らかであり、神は兄よりも弟を選ばれました。そう言えば、ヨセフ、ダビデ、ソロモンも弟であり、イエスも洗礼ヨハネに対して弟の立場にありました。


そしてその理由は、堕落の経路に遡って説明し、また善悪の分立摂理という復帰史観によって解明されています。更に、サタンが先に長子を奪っていったので、逆に次男の立場から長男の立場を回復していくという、いわゆる長子圏復帰の法理であります。兄が弟になり、弟が兄になるという蕩減復帰の原理です。


そして確かに結果的にも、エソウは粗野であり、自分勝手にカナンの妻を娶りましたが、ヤコブは温厚で信仰があり、セムの系譜に属するラケルを妻に娶りました。


以上の通り、イサク献祭を終えてから、エソウとヤコブの誕生までを見て参りました。繰り返しますが、ここにも聖書の文字の背後に神の霊妙な摂理があり、如何なる神学者と言えども解明出来なかった奥義がありました。


この難解な聖書解釈を一つの法則と原則において体系的に説明したのが原理の「蕩減復帰歴史観」であります。全てのキリスト者は、これが聖書の奥義を解き明かした真理であるか否かを、神と霊界に祈り、謙虚に尋ねて見る価値があることを改めて強調するものです。


次回は、イサクの家庭におけるエソウとヤコブにおいて、如何に実体基台が打ち立てられ、如何にしてスラエル民族が摂理歴史の中心資料になっていったかを考察していきます。(了)





*上記絵画:左.リベカとエリエゼル(ムリ-リョ画)、右.イサクとリベカの結婚(レンブラント画)

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