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厚木大山登山顛末記ー偉大な宗教家たちの霊的召命体験

◯つれづれ日誌(令和5年11月15日)-厚木大山登山顛末記ー偉大な宗教家たちの霊的召命体験


1935年4月1日、復活節の日、定州猫頭山にて、夜を徹しての涙ながらの祈祷の果て、イエス・キリストが現れて、多くの啓示と教示を下さいました。嵐のように忽然と現れたイエス様は『苦痛を受けている人類のゆえに、神様が悲しんでいらっしゃる』とおっしゃり、そして『地上でみ旨に対する特別な使命を果たしなさい』と語られました。(自叙伝『平和を愛する世界人として』創芸社P62~63)


この11月9日、筆者は旧知の知人と共に、念願の厚木の大山に登山することができました。大山は神奈川県伊勢原市・秦野市・厚木市にまたがる標高1252mの山で、久保木修己元UC会長が、その頂上で断食5日目に劇的な「霊的神体験」をされた由緒ある山で、一度は登って見たいと思っていました。


ケーブルカーで山の中腹まで行くことができ、そこから1時間半ほど歩いて山頂まで登るのですが、筆者にとっては正に地獄の行程で、頂上までなんと3時間も要しました。筋肉痛に襲われ、何度も諦めかけましたが、知人に励まされながらほうほうの体でなんとか頂上までたどり着いた次第です。久保木会長の本『愛天愛国愛人』を読む限り、それほど難しい山ではなさそうな印象を受けていましたので、大山を甘く見ていたと大いに反省したものでした。




【解散請求の痛みの中で】


さて昨年来、岸田首相と自民党による「UCと一切断絶する」という発言から始まり、前代未聞の質問権行使と過料の申し立て、そして10月13日の不当な解散命令請求の申し立てと続いた岸田政権のひどい仕打ちは、岸田自民党に裏切られたという痛みと共に、今は亡き久保木会長を想起せざるを得ませんでした。何故なら、会長は勝共連合発足以来、首相など保守政治家と信頼関係を築くために全力投入され、実際、歴代首相らから強い信頼を得られていたからであります。


「今生きておられたら、このUCの現状をどう感じられ、何をされるだろうか」という問題意識が常に筆者の思いの中にありました。そのような思いがあり、久保木会長のあの神体験の現場に立って霊界の会長に直接聞いて見たいという衝動に駆られていました。


そこで今回は、久保木会長を始め偉大な宗教家が如何に神と出会い、如何なる回心を成し、如何に変えられたか、その回心と召命を追体験して、この未曾有の試練を乗り越えるヒントとしたいと思います。何故なら、彼らは皆、厳しい試練と命がけの真理探求の中で神と出会い、行くべき道を示されたからです。


【厚木大山での断食談判祈祷と劇的回心】


久保木会長は、32才の誕生日に、厚木大山山頂にて劇的な霊的神体験をされました。1963年1月末、40日の原理修練会が終わった後、「統一原理の教えが本物であるかどうかを神に問うてみたい。生きた神との出会いを実感し、私に対して願われる神の意志を知りたい」(久保木修己著『愛天愛国愛人』光言社P80) と、久保木会長は、神霊と真理で神を体恤するべく、凍てつく厚木の大山に登り、断食談判祈祷に挑戦されました。


「神の回答を得るまで祈り続ける」との決死の覚悟での談判祈祷でしたが、ようやく5日目の最後の頂上での祈りで、遂に「神と一対一の出会いという神秘体験」をしたというのです。(『愛天愛国愛人』P80~85) 。これは、モーセが断食をしてシナイ山に登り、神が指をもって書かれた二枚の石板をモーセに授けられた あの時の光景(出エジプト31.18) と瓜二つでした。



実はあの時、断食5日目になっても神から何の返事もなく、共に祈っていた5人の兄弟も寒さと疲れで下山し、文字通りたった一人、一対一で神に対面するすることになったのです。そして絶叫して祈っていたその時、「こっちへ来い」との心の奥底から、そして宇宙の果から響き渡るような声が聞こえ、その不思議な声に誘われて更に頂上へと向かいました。山頂で腰掛けて座ろうとすると、「ここでは靴を脱げ」との更なる声です。出エジプト記3章5節の「足から靴を脱ぎなさい。その場所は聖なる地だからである」と正に同じ光景であります 。


そうして靴を脱いで極寒の中、2時間近く祈りました。「断食して真剣に祈れば分からないことはない」との文鮮明先生の言葉を信じて祈るも、なお神からの回答はありません。「やはり自分には宗教家の素地はないのか」と諦めて山を下ろうかと思いかけたその瞬間のことでした。目の前の空が急に赤焼けしたと思うと、それはやがて渦巻いた紅蓮(ぐれん)の雲のようなものが金色となって、ぐるぐると口から吹き込まれたというのです。ワッと叫んで大地に叩きつけられた会長に、神は覚悟のほどを問われました。「汝、この信仰を全うする気持がありや。ならば立って山を下り福音を宣べ伝えよ」との前と同じ神の威厳のある声です。


躊躇する久保木会長に「私が共にある」と釘を刺さされたというのです。会長はその場で暫く意識を失ったようになり、その後宙を舞うような足取りで「別人となって」山を降りました。奇しくも1963年2月3日、会長32才の誕生日のことでした。


会長にとって、この山頂での劇的な神秘体験こそ、神への帰依と、その後の宗教活動の原点、即ち、信仰者としての「一丁目一番地」となるものでした。あのシナイ山での神との出会い無くして、その後のモーセが無かったように、この霊的体験無くして、その後の久保木修己は無かったし、その後のUCはもっと苦難の行軍を強いられたことでしょう。実に会長とUCにとって、それほど大きな意味を持つ回心体験、即ち劇的な召命であり、もはや一切の迷いはなくなりました。


筆者は今回の大山登山の途中、会長の神体験のくだりを想起しながら、高齢の身には過酷過ぎる登り下りの急坂を(実は、下りの方が大変だった)、文字通り這うように終えることができました。激しい筋肉痛の末に、やっとの思いで家にたどり着きましたが、心なしか受難の後に訪れる「心地よい平安」と共に、久保木会長が聞かれた言葉「神が共にある」が甦りました。そしてまた、かのパウロや空海の神秘的回心体験にも思いを巡らしました。


【パウロと空海の霊的体験】


さてパウロは、キリスト教を民族宗教から世界宗教へと転換させ、小アジア・ギリシャ・ローマなど異邦人世界に福音を宣べ伝えた大宣教師でした。一方、空海は、真言密教を確立して日本の聖地高野山を開いた最澄と並ぶ仏教の立役者であります。この二人に共通するものは、劇的な回心を伴う霊的体験であり、神からの一方的な召命でした。


<パウロの霊的体験>


パウロはキリスト教の大宣教師ですが、かってはクリスチャンを迫害していたローマ市民のパリサイ人でした。使徒行伝に自己紹介があります。


「わたしはキリキヤのタルソで生れたユダヤ人であるが、この都で育てられ、ガマリエルのひざもとで先祖伝来の律法について、きびしい薫陶を受け、今日の皆さんと同じく神に対して熱心な者であった。そして、この道を迫害し、男であれ女であれ、縛りあげて獄に投じ、彼らを死に至らせた。さらにわたしは、この人たちからダマスコの同志たちへあてた手紙をもらって、その地にいる者たちを縛りあげ、エルサレムにひっぱってきて、処罰するため、出かけて行った」(使徒行伝22.3~5)


しかしパウロは、ダマスコへの途上で衝撃的なイエスとの出会いを体験し(使徒9.3~7)、ユダヤ教からキリスト教への劇的な回心と召命を受け、その後のキリスト教の礎を築きました。正にキリストの迫害者から証し人への大転換です。


「旅をつづけてダマスコの近くにきた時に、真昼ごろ、突然、つよい光が天からわたしをめぐり照した。わたしは地に倒れた。そして、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と、呼びかける声を聞いた。これに対してわたしは、『主よ、あなたはどなたですか』と言った。すると、その声が、『わたしは、あなたが迫害しているナザレ人イエスである』と答えた。 わたしと一緒にいた者たちは、その光は見たが、わたしに語りかけたかたの声は聞かなかった。 わたしが『主よ、わたしは何をしたらよいでしょうか』と尋ねたところ、主は言われた、『起きあがってダマスコに行きなさい。そうすれば、あなたがするように決めてある事が、すべてそこで告げられるであろう』。 わたしは、光の輝きで目がくらみ、何も見えなくなっていたので、連れの者たちに手を引かれながら、ダマスコに行った」(使徒行伝22.6~11)


上記のようなパウロの大変身を導かれた神のみ業を知るにつけ、現下のUC迫害者に神が介入され、文字通りパウロのように転換し、迫害する者から証しする者へ変えられることを祈ります。


<空海の霊的体験>


更に空海も劇的な霊的神体験をした宗教家です。讃岐生まれの空海は、若き頃一沙門(修行僧)に出会い、「虚空蔵求聞持法」(こくうぞうぐもんじほう)を教えられました。即ち「虚空蔵求聞持法」の真言を百万回唱えると、一切の教典に通じることができると教えられ、この真言を唱えながら伊予の石鎚山、阿波の大滝岳、土佐の室戸岬を歩いて真理探求の山岳修行に身を投じました。


そして室戸崎の海食洞窟の中で、一日一万遍、百日かけて真言を百万遍唱える苦行に入りました。虚空蔵求聞持法の唱題中、ついに久保木会長と同じく、「明けの明星が飛来して口中に入り、身体と合一し、宇宙と一体となった神秘体験」をすることになります。


明けの明星(金星)は虚空蔵菩薩の化身とされており、この体験こそ虚空蔵求聞持法の真髄であり、またこの体験こそ虚空蔵菩薩と一体化した瞬間であり、正に原理でいう「神人愛一体理想」という信仰体験だったというのです。


空海の24才の時の処女作『三教指帰』(さんごうしいき)序章には、「阿波の大滝岳に登りよじ、土佐の室戸岬に勤念す。谷響きを惜しまず、明星来影す」 と記しており、正に空海の真言密教探求の「一丁目一番地」になりました。


ちなみに「虚空蔵求聞持法」とは無限の智慧と記憶と慈悲を持った菩薩である「虚空蔵菩薩」を本尊として修法する修行で、一定期間のうちに虚空蔵菩薩の真言を百万遍唱える者は、あらゆる経典を瞬時に記憶する能力が得られるという荒行で、『三教指帰』序には次のように記されています。


「ここにひとりの沙門あり、余に虚空蔵求聞持を呈す。その経に説く、もし人、法によってこの真言一百万遍を誦すれば、すなわち一切の教法の文義、暗記することを得る」


多分に巫人的体質(霊媒体質)を持ち超自然的神秘の存在に親しむ空海は、我が身に電撃的感応を与えてくれるこれらの秘術に強い関心を抱きました。室戸岬の洞穴で得た神秘体験は、正にそれまでの儒教的教養を完全に打ち砕き、肉体を地上に残したままその精神を神的世界に没入させる決定的な契機となりました。正にこの体験は、真言密教の「即身成仏」への原体験となったというのです。見えるものといえば空と海のみの洞穴の中で、夜明けの明星が衝撃とともに体中に入るという体験をしたことこそが「空海」の名を名乗るきっかけとなり、彼をして後の弘法大師たらしめる最初の一歩となりました。


【文鮮明先生の霊的体験と真理の解明】


それにしても、文鮮明先生ほど聖書的伝統に立った決定的な霊的召命に遭遇された宗教指導者はいません。『真の御父母様の生涯路程1』には、定州猫頭山にてイエス様との霊的出会いを体験した経緯が鮮明に書かれています。それまで文先生は、次のような人生と宇宙の根本問題の悩みを抱えて、真理を探し求めてこられました。


「私は誰であるか。どこから来たのか。人生の目的は何か」「死ねばどうなるか。霊魂の世界は果たしてあるか」「神は確実に存在するのか。神は本当に全能のお方か」「神が全能のお方であるとすれば、何故世の中の悲しみをそのまま見捨てておかれるのか」「神がこの世をつくられたとすれば、なぜ悪がこの世にはびこるのか」「わが民族の受ける苦痛の意味は何なのか」「何故人間は憎み合い、争って、戦争を起こすのか」(自叙伝『平和を愛する世界人として』創芸社P61)


それは1935年4月1日、16才(数え年)の復活節の早朝、定州猫頭山での談判祈祷の最中のことでありました。猫頭山にて、長時間の涙ながらの祈祷の果てに、イエス・キリストが現れ、多くの啓示と教示を下さったというのです。



「1935年4月1日、復活節の日、定州猫頭山にて、夜を徹しての涙ながらの祈祷の果て、イエス・キリストが先生に現れて、多くの啓示と教示を下さいました。嵐のように忽然と現れたイエス様は『苦痛を受けている人類のゆえに、神様が悲しんでいらっしゃる』とおっしゃり、そして『地上でみ旨に対する特別な使命を果たしなさい』と語られました。その日、私は悲しいイエス様をはっきり見、その声をはっきり聞きました。死ぬほどの恐れ、胸が張り裂けるような感激が襲いました。本当に恐ろしく、何とか辞退しようとして、イエス様の服の裾をつかんで泣き続けました」(自叙伝P62~63)


この体験こそ、正に文先生への明確な召命であり、 それが啓示の始まりでした。以後、霊的な世界が広がり、先生は自由に、霊界にいる聖者たちと思う存分通信できるようになったというのです。北朝鮮の地、静かな山中で、先生は何度もイエス・キリストと直接対話をし、その時に啓示された真理の内容が、今の「統一原理」の核心になったというのです。正に聖書の奥義を明らかにした真理の解明であります。


その特別な出会いがあった時から、「私は生きていらっしゃる神様と、イエス様を含めた霊界のすべての聖賢たちと、絶えず対話をしてきました。その内容は、言葉ではすべてを表現することはできません」とも証言されています。そして次のように語られました。


「それから九年間、先生はいつも全能なる神様、そしてイエス様と共に暮らしました。先生は何回にもわたり、霊界に入ってみました。順次に神様は、驚くべき真理を教えてくださいました。それはあたかも、長い長い暗い夜が過ぎ、朝日が昇るようなものでした。その真理のなかで、私は光栄なる新しい文化の曙光を見ることができました」


また、この啓示の性格について次のように語られています。


「新約聖書に基礎をおいたこの特別な啓示は、ユダヤ教の教えよりも、もっと立派なのです。この啓示は、すべての宗教を包摂して一つに結ぶことのできる力と能力をもっているのです。先生が受けたこの啓示は、今日『原理』と呼ばれていて、先生は神様から、この原理を地の果てまで伝えなさいという指示を受けました」(以上、「真の御父母様の生涯路程1」)


こうして偉大な宗教家は明確な霊的体験(回心体験)と神の確かな召命を受けましたが、しかし久保木会長やパウロや空海のような、あるいは文鮮明先生のような劇的体験でなくても、ルターやカルバァンのように、コペルニクス的な神学的解釈の転換とインスピレーションによって回心に導かれた宗教指導者もいることを忘れてはなりません。要は自分にとっての確かな神体験、回心体験を大切にすることであります。


【共にある神】


久保木会長が大山頂上で神体験した際、ひるむ会長に神は「私が共にある」と語られ、モーセが神の召命に躊躇した時、「わたしは必ずあなたと共にいる」(出エジプト3.12)と言われました。「神共にあり」は、正に聖書を貫くテーマであるというのです。


神はヨシュアに対しても、「わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう」(ヨシュア記1.5)と明言され、兄エソウの怒りを避けてハランの地に向かうヤコブが、途上石を枕に仮寝した時見た「ベテルの夢」(ヤコブのはしご)は有名です。


「わたしはあなたと共にいて、あなたを守り、わたしは決してあなたを捨てない」(創世記28.15)


マタイ1章23節に「その名はインマヌエル、『神われらと共にいます』という意味である」とある通り、「神が共におられる」ということこそ、聖書全体を貫く中心的なメッセージであり、聖書は様々な場面で「神様は私達と共におられる」ことを語っておられます。


今正に未曾有の大艱難に遭遇しているUCとその信徒ですが、神が久保木会長に「私が共にある」と大山頂上で言われたように、私たちにもまた「共にある神」であることを固く信じるものです。著書『愛天愛国愛人』には、「山を下りたその日は、奇しくも私の誕生日でした。私はその日を私自身が神の懐で生まれた日として、決して忘れまいぞと決意しました」(P85)と記されています。


今イスラエルは、ガザのテロ組織ハマスの卑劣な攻撃を受け、ホロコースト以来の大艱難に遭遇しています。しかしハマスの一方的なひどい殺戮にも関わらず、「悪いのはハマスではなく、イスラエルの方である」といった「反ユダヤ主義」が台頭し、大きな試練に直面しています。同様にUCも「悪いのは山上被告ではなく、UCの方だ」との理不尽な「反UC思想」のバッシングを余儀なくされ、岸田政権からは不当な解散命令請求まで申し立てられました。


しかしユダヤ人は、この試練の只中で、歴史を通じて民族と共に歩まれた神を、へりくだって真剣に求め始めたといわれています。かってバビロン捕囚の大艱難にあって神と再結合したように、今イスラエルで、「主よ、わたしは深い淵からあなたに呼ばわる」から始まる詩篇130篇を朗読し、「その地を、いやす」で終わる歴代志第二7章14節の聖句を噛みしめ、党派と教派を超えて一つとなって祈る「国家祈祷日」が提唱されています。私たちも「全信徒祈祷日」を設けて、祈りとみ言に再帰したいと思います。(了)

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