◯つれづれ日誌(令和5年10月13日) 解散請求を受けて①ー反転攻勢への転換点 鈴木エイトを遂に提訴 !
パウロが姿をあらわすと、エルサレムから下ってきたユダヤ人たちが、彼を取りかこみ、彼に対してさまざまの重い罪状を申し立てたが、いずれもその証拠をあげることはできなかった。パウロは「わたしは、ユダヤ人の律法に対しても、宮に対しても、またカイザルに対しても、なんら罪を犯したことはない」と弁明した(使徒行伝25.7~8)
今や岸田政権は、数十万人の無辜(むこ)な信徒を持ち、60年の歴史と実績を有するれっきとした宗教団体を強権をもって潰そうとしています。岸田政権は10月12日の宗教審議会で形だけの了承の上、令和5年10月13日東京地裁に「解散命令請求」を申し立てました。いみじくも12日の産経新聞が報じているように、旧統一教会に対して「何もしなければ、内閣が飛んでしまう」との選挙目当ての政府の意向で強行されたもので、政治目的のための前代未聞の宗教弾圧であり、信教の自由を破壊するとはこのことです。おそらく岸田首相は、2000年前にイエスを十字架につけたパリサイ人やピラトのように、日本において宗教を弾圧した唯一の男として、その汚名を永遠に残すことになるでしょう。今後、5回に渡って、当該解散請求の問題点や私たちの取るべき姿勢などについて多面的に論じる所存です。
【海外有識者の声】
この度の岸田政権によるUCへの解散請求に関して、海外から強い懸念を表明する声が届いています。
イタリアの著名なカトリック系宗教社会学者であり、「新宗教研究センター(CESNUR)」の創設者であるマッシモ・イントロヴィーニャ氏は、「犯罪を起こしていない宗教団体を清算できるのは中国とロシアだけだ。刑事事件で有罪判決を受けていない旧統一教会を解散させれば、日本はこれを行う最初の民主主義国となる。これは中露のプロパガンダを助ける一方、日本の国際的イメージに深刻な悪影響を及ぼすだろう」と述べています。即ち、どの民主主義国でも裁判所が文化・政治・宗教運動の解散を宣告する場合、有罪が確定した刑事事件が1件ではなく複数あることを根拠とするのが普通だというのです。
またカトリック系では世界最大の通信社の一つである「アジア・カトリック連合(UCA)ニュース」は6日、解散請求を巡る日本政府の公正性に疑念を呈し、解散請求は、「責任を転嫁し、都合よくスケープゴートを特定するための政治的戦術にすぎないのではないか」と懸念を表しました。
一方、日本の異常なマスコミ報道について、海外から見ていると正に魔女狩りだと、海外有識者は次のように警告しています。
「日本のメディアは、安倍晋三元首相銃殺事件後、事件の真相解明よりも、容疑者の母親が所属している旧統一教会へのバッシングを続けている。旧統一教会関連報道は視聴率が稼げるということもあって、テレビのワイドショーは情報の信頼性、客観性は二の次で、元信者・元2世信者を招いては旧統一教会叩きに余念がない。その状況は中世時代の魔女狩りを彷彿させる。海外から見ていると、異常な情況だ」
また日本での旧統一教会信者の拉致監禁問題で無策の日本の宗教事情について、著名な国際人権擁護グループ「国境なき人権」(HRWF)の代表、ウィリー・フォートレ氏は、「日本は宗教の自由の無法地帯だ」と批判し、これは「信教の自由、基本的人権への蹂躙だ」と明言しました。しかも、日本では共産党系の左派弁護士、容共の聖職者たち、それに宮村峻氏らプロの強制脱会屋が、旧統一教会の信者を本人の意思に反して計4300名以上を拉致監禁し、強制脱会させて、重大な人権侵害をしてきた問題については、ほとんど報道されないというのです。
さて前記のマッシモ・イントロヴィニエ氏は、岸田政権の被害者の事情収集に問題があるとし、「政府が聞き取り調査をしたのは旧統一教会の反対派ばかりだ。政府消費者庁の委員会『霊感商法等の悪質商法への対策検討会』には全国弁連の紀藤正樹弁護士のような長年の反対派が加わっている。政府は極めて不公正なやり方で手続きを進めたように見える」と指摘しました。この点、中国における信教の自由と人権の状況に関するオンライン雑誌「Bitter Winter」が報道したイギリスの事例は参考になります。(以下、引用)
「イギリス政府は、1984年反『カルト運動』からの要請に基づき、イギリスの統一教会から『慈善団体の地位(日本の宗教法人格に非常に類似)』を剥奪すべく、背教者の統一教会に関する証言にほぼ全面的に依存するという不適切な行動を採りました。背教者の多くは、プロの強制的脱会説得専門家によって強制的に棄教させられており、大多数はイギリスやアメリカにおける反カルト運動の影響を受けていました。この事実が統一教会の代理人弁護士らによって暴露されると、政府の主張は崩れ、政府はその主張の完全な取下げを余儀なくされ、現在の価格で約6百万ドル(8.5億円)以上の費用を支払わされました」
更にイントロヴィニエ氏は、山上哲也の母親が2002年に何らかの事情で破産し、山上被告は22年に安倍元首相を殺害したと言われているが、この20年間に山上被告に何があったのか、そもそも何故山上被告が凶行に走ったかを問うべきだと指摘しました。即ち、山上被告は鈴木エイト氏ら旧統一教会に反対する人々とSNS上で交流していた証拠があり(実際、山上は犯行直前に鈴木エイトにメールしている)、旧統一教会を懲らしめたいという山上被告の意向というより、山上被告を刺激し犯行に走らせた人々の意向が影響したことを無視できない。つまり、犯罪行為を起こしかねない精神の弱い山上被告の敵意を刺激し犯行に走らせた可能性があるというのです。
ともかく、山上被告がテロに至った(隠された)真の動機、犯罪意思形成のプロセスが明確にされなければなりません。また、山上被告以外の第三者の手によるテロであると主張する識者も多くいます。そしてこの度、UCバッシングの急先鋒であり、山上被告の意思形成に少なからず影響を与えたと思われる鈴木エイト氏を、遂に教団側は名誉毀損で提訴しました。
【鈴木エイトを提訴】
さて、この10月4日、UC信者で長期間拉致監禁され強制脱会を強いられた後藤徹氏(59)らが、自称ジャーナリストの鈴木エイト氏を提訴し、記者会見とその報告会が持たれました。報告会で説明したのは原告の後藤徹氏、代理人弁護士の徳永信一氏、中山達樹氏で、徳永弁護士は名誉毀損訴訟の専門家であり、中山弁護士はコンプライアンス(法令遵守)・インテグリティ(高潔さ)の専門家として活動されています。
<エイトへの3つの提訴>
先ず「全国拉致監禁・強制改宗被害者の会」代表の後藤徹氏は、31才から44才まで12年5ヵ月に渡って強制拉致監禁され、棄教を強要されましたが、このことについて、被告のエイト氏が単なる「引きこもり」と断定的に発言し、名誉を傷つけられたとして、1100万円の損害賠償とX(旧ツイッター)への投稿の削除を求める訴訟を4日、東京地裁に起こしました。
既に裁判で後藤氏の拉致監禁の事実が認められ、2015年に最高裁で確定しているにもかかわらず、エイト氏はこれを「引きこもり」と侮蔑し、これをたしなめた福田ますみ氏に、「どうでもいいことだ」とうそぶき、返す刀で、「拉致監禁・強制改宗だと? 被害者ずらしてアピールしているだけ」とXに書き込みました。さすがにこの鈴木エイト氏の発言はあまりにもひどく、4300名にも昇る拉致監禁被害者の傷口に塩を塗るようなものであり、満を持してこの度の訴訟に及んだものです。
後藤氏は冒頭挨拶で、27才で監禁中自殺した女性、監禁中レイプされた女性、いまだにPTSD(心的外傷後ストレス障害)や後遺症に苦しむ信徒なと、拉致監禁の被害者の実例をあげながら、エイト氏の発言はあまりにも非人道的で、「鈴木エイト氏に人権を語る資格はない」と断言しました。
次に、UCの友好団体「天宙平和連合」(UPF)の日本支部は、4日、鈴木エイト氏による安倍晋三元首相に関する発言で名誉を傷つけられたとして、エイト氏を相手取り1100万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしました。訴状によると、UPFが2021年9月に開いた国際会議に安倍氏がビデオメッセージを寄せたのに対し、今年7月1日、エイト氏はXで、「トランプ大統領に1億、安倍晋三元首相に5千万の報酬を支払った」と書き込み、講演会や雑誌の取材にも同様に語り、間違ったメッセージを垂れ流しました。UPFは「安倍氏や関連団体には一切報酬を支払っていない」と明言し、5000万円を安倍元首相に支払ったという事実無根の発言は「安倍氏やUPFの社会的信用をおとしめるものだ」として提訴したものです。
更に第三の訴訟として、「子供食堂」を運営しているUC信徒の女性が、エイト氏を人権侵害で訴えました。母親が忙しい子供たちのために「子供食堂」を開いていたところ、エイト氏が「UCの信者が経営しているいかがわしい食堂だ」などと宗教ヘイトで妨害し、人権侵害されたというものです。
代理人の徳永弁護士は、UCバッシングに係わる宗教ヘイトの象徴たるエイト氏を訴えた上記三提訴で、マスコミ世論への「反転攻勢」の転換点にしたいと抱負を述べました。なお、上記三提訴の他に、世界平和女性連合が全国弁連の弁護士を相手取り、全国弁連の声明文の内容に意図的な捏造があり、女性連合の名誉を傷つけたとして提訴し、10月25日が初公判になっています。また、別途紀藤正樹弁護士を「UCが売春で稼いでいる」などとテレビで放言したことを名誉毀損として訴えており、12月5日に結審するということです。
これらの名誉棄損訴訟は、公正な言論を守り、正義が行われるための戦いであり、勝ち負けに一喜一憂するというより、訴訟を提起すること自体に意味があると言えるでしょう。
<報告会を視聴して>
さて4日の提訴報告会で、徳永、中山両弁護士から裁判に至った経緯や今回の訴訟の意義を述べられましたが、この内容は、大いに示唆に富むものでした。
中山弁護士は白板を使って後藤氏の訴訟について、2015年の最高裁確定前、2015年から2022年の安倍氏テロまで、2022年のテロ以後と三期にわけ、それぞれの区分における「引きこもり」発言の違法性の軽重を価値判断し、特に今回のエイト氏の発言がいかに重大な名誉毀損に当たるかを説明されました。また徳永弁護士は、エイト氏は最高裁の確定判決の事実認定が間違いであることを、自ら立証する責任があり、最高裁の事実認定を覆すのは至難の技であると明言されました。
ともかく、エイト氏の一連のUCヘイト発言は限度を超えており、カルトという曖昧な言葉を多用し、UCとその信徒には人権がないと言った言説をもって、真面目に信仰する信者の人権を否定するのは、正に信教の自由への挑戦というしかなく、今回の訴訟は、一人後藤氏の訴訟というだけでなく、今や危険に晒されている思想・信教の自由全般を守る戦いでもあるというのです。
そうして、「あなたの主張には断固反対する。しかし、あなたが反対の意見を表明する自由は死をかけても守る」との著名人の言葉を引用しながら、今のエイト氏に代表されるUCバッシングは、立憲主義・人権主義・多様性の共存といった価値の枠外にUCとその信徒を置こうとするもので、絶対に看過できないと警告される両弁護士の主張は、筆者も大いに共感し、まさに我が意を得たりという気がいたしました。
これらの名誉棄損の裁判を通じて、拉致監禁などの非人道的行為が、文科省が依存している全国弁連・反対牧師・脱会屋などの結託により日常的になされてきたことが明らかになり、岸田首相が断行した解散命令請求の裁判を有利に進めるための援護射撃になると確信するものです。
【パウロの弁明と私たち】
さて、使徒行伝21章から26章には、異邦人のために召された使徒パウロが、第三次世界宣教の旅からエルサレムに帰ってまもなく、ユダヤ人に涜神(とくしん)の罪をでっち上げられて捕まり、裁判にかけられる経緯が書かれています。結局、パウロはローマの市民であることを表明し、皇帝による裁判を求めてローマへと多難な船旅に向かうことになります。
筆者はこの箇所を読み返しながら、このパウロの姿は、現在のUCと私たちが立たされている状況と瓜二つではないかと思わざるを得ませんでした。
<パウロの召命>
パウロは第三次伝道旅行のあと、受難を覚悟でエルサレムに入りました。かっては熱心なユダヤ教徒であり、イエスに従う聖徒を迫害し、縛り上げて獄に投じ、かれらを死に至らせたパウロでしたが(使徒22.4)、ダマスコへの途上で復活されたイエスに会うという劇的な霊的体験に遭遇し、変えられて、今度はイエスをキリストとして証言する使徒となりました。まさにパウロの回心と召命であります。
「旅をつづけてダマスコの近くにきた時に、真昼ごろ、突然、つよい光が天からわたしをめぐり照した。わたしは地に倒れた。そして、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と、呼びかける声を聞いた。これに対してわたしは、『主よ、あなたはどなたですか』と言った。すると、その声が、『わたしは、あなたが迫害しているナザレ人イエスである』と答えた」(使徒22.6~8)
パウロの回心(二コラ・ベルナール・レピシ画)
このパウロの聖霊体験は、宗教改革の口火を切ったマルティン・ルターと瓜二つです。
1505年、ルターが22歳の時のことでした。家を出てエルフルトへ向かったルターは、エルフルト近郊のシュトッテルンハイムの草原で「激しい雷鳴」に遭遇することになります。雷鳴と共に稲妻が走り、彼を地面になぎ倒しました。落雷の恐怖に死すら予感したルターは思わず「聖アンナ様、お助けください。私は修道士になります!」と叫んだといいます。 こうしてルターは変えられてアウグスチヌス修道院に入り聖職者の道を進むことになりました。修道院に入るようになった ルターが雷に打たれたシュトッテルンハイムの野原には「歴史の転換点」と刻まれた石碑が立っています。この石碑は、この落雷の一撃がルターの生涯を変えただけでなく、西欧社会のあり方をも根本から変えたことを物語っています(徳善義和著『マルティン・ルター』岩波新書P18)。
こうしてパウロ、ルター両者に共通するものは、神からの一方的な「不可抗力的、宿命的な召命」でありました。筆者は、パウロやルターに神の霊が激しく注がれ、彼らを劇的に変えられたように、UCをバッシングする反キリスト者に万能の神が介入され、変えられるよう祈らざるを得ませんでした。
<パウロの弁明>
パウロはエルサレムで、ユダヤ人に涜神(とくしん)の罪で捕まえられ、殺されそうになりますが、治安の守備隊に保護されます。パウロは民衆に向かって語りかけ、クリスチャンを迫害してきた自分が、何故一転してキリストを証す証し人になったのかを、証言し弁明しました(使徒22.3~21)。
それでもユダヤ人の怒りは治まらず、結局総督フェストは、パウロをカイザリアで監禁し裁判につけることにします。
「パウロが姿をあらわすと、エルサレムから下ってきたユダヤ人たちが、彼を取りかこみ、彼に対してさまざまの重い罪状を申し立てたが、いずれもその証拠をあげることはできなかった。パウロは『わたしは、ユダヤ人の律法に対しても、宮に対しても、またカイザルに対しても、なんら罪を犯したことはない」と弁明した』(使徒行伝25.7~8)
パウロは自らがローマ市民であることを告白し、ローマの皇帝の前で裁かれることを望みます。総督フェストは、パウロをローマに送る前にユダヤの王アグリッパの前で弁明の機会を与え、パウロは一世一代の弁明、即ちキリストが死人の中から甦ったことを証言しました(使徒26.2~23)。
「それから、王も総督もベルニケも、また列席の人々も、みな立ちあがった。退場してから、互に語り合って言った、『あの人は、死や投獄に当るようなことをしてはいない』」(使徒26.30~31)
こうして冤罪を背負ってローマを目指すパウロの姿に、心なしか私たちの姿と重なり、感慨深いものを感じました。
【戦いながら改革し、改革しながら戦う】
さて、宗教改革の口火を切ったマルティン・ルターは「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える」との名言を残しました。では筆者はこう言うでしょう、「例え明日政府がUCを潰しても、今日、私は福音の種を植える」と。
全マスコミとマスコミに煽られた世論が、そして世論に忖度する岸田政権が、全て敵に回ったとしても(実際、そうなのだが)、そんなことはどうということはありません。この私たちが信じる神の言葉が、真実であるか否かが問題であるというのです。私たちが有する真理と信仰が、もし神に「義」とされるものなら(そして、実際そうなのだが)、何をか言わんやです。もはや私たちに恐れるものなど何もなく、天地を創造され、歴史を摂理される神と共に、迷いなく進むのみであります。
よしんば最高裁で、UC解散の判決が出たとして(実際、そういうことはあり得ないのだが)、一体それが何だと言うのでしょうか。そのようなことは、ユダヤの迫害の歴史、キリスト教の殉教の歴史、潜伏キリシタン迫害の歴史を見ても、既に経験済みの話しです。一体彼らは、迫害によって滅んだのでしょうか。2世紀の教父テルトリアヌスは、「殉教者の血は教会の種である」と語ったように、殉教の血は福音の種であると言われて久しく、信仰は殉教の度に燃え上がり、信徒の数は増大しました。
一体、真の信仰とは何でしょうか。真の信仰は試される度に燃え上がるというのです。鉄が叩かれて精錬されるように、信仰は試練の中で鍛えられるというのです。かのバビロン捕囚の「イスラエルの残れる者」が、全てを失ったあと、ヤハウェを再発見し、神のみ言(律法)と再結合したように、試練は私たちを、より深い神との出会いに至らせ、艱難は私たちを、より確かな神のみ言との結合に至らせてくれると信じます。いよいよ私たちの真価が発揮される時がきました。私たちは、パウロがユダヤの人民裁判の中で弁明し、神の義を貫いたように(使徒22.3~21)、選ばれた弁護団は、法廷にて私たちに代わって岸田首相に一太刀浴びせてくれると信じます。
そしてそれにもまして重要なことは、パウロが統治者アグリッパ王の前で弁明したように(使徒26.2~23)、法廷外において神の義を顕すみ業であります。それは、私たちを擁護する人々と連帯し、左傾化したマスコミ、拉致監禁という未曾有の人権侵害に荷担した全国弁連や脱会屋、鈴木エイトに象徴される似非ジャーナリスト、そしてこれらに忖度する岸田政権との断固とした「法定外闘争」であります。今や信教の自由は危機に晒されており、心ある信徒、国民、及び宗教者は、「信教の自由と人権を守る国民会議」(仮称)を設立し、思想・信教の自由を守る啓蒙運動を起こす時がきました。
そして更に重要なことは、かってカトリックがプロテスタントから辛辣な批判を受け、「対抗宗教改革」として、徹底的な自己改革を成し遂げて再生したように、真摯な悔い改めと、抜本的で自律的な自己改革・教団改革を成し遂げることが急務です。正に「戦いながら改革し、改革しながら戦う」ということに他なりません。かくしてこの未曾有の戦いを、悲壮感ではなく、かの高杉晋作のように、楽天的に超えていきたいと思います。そうして私たちは岸田政権に、「福音伝道のリバイバル」をもって答えようではありませか。アーメン、アージュ!(了) 牧師・宣教師 吉田宏
上記絵画*ローマ市街を眺める、鎖で繋がれたパウロ(作者不詳)