◯つれづれ日誌(令和4年6月15日)-同級会での意外な出会い
朋(とも)有り、遠方より来たる、また楽しからずや(論語-学而)
上記は、孔子のことばで「遠いところから、志を同じくする友人がわざわざ訪ねて来てくれるのは、なんと楽しいことだろう」という意味で、本来は、学問をする仲間について述べたものですが、広くいろいろな場面で使われています。
【高校同級会】
実は、この5月26日、久方ぶりに関東周辺に住む高校時代の同級生が集まる機会があり、ここで筆者は、この孔子の言葉通りの「一期一会」(いちごいちえ)とも言うべき出会いをすることになりました。
この4月、同じ兵庫県丹波の生まれで、小中高と席を共にしたY君が癌で亡くなったという報が、親友のA君からの電話で知らされました。
「そうか、じゃあ葬儀に行くのもコロナもあるので、『Y君を忍ぶ会』いう名目で、後日『柏原高校同級会』を持てばどうか。君はY君とは同じ商社マン(Y君→住友商事、A君→伊藤忠商事)として親交が厚かったので、幹事をやってくれないか」
「分かった。じゃあ、君は代表して故人の思い出を語ってくれ」
A君とこのような電話でのやり取りがあり、小石川後楽園の歴史的な建物である「涵徳亭」(かんとくてい)で忍ぶ会名目の同級会を持った次第です。
皆で15人ほどの男女が集まり、中には大阪や岐阜からも駆けつけてくれた旧友もいました。再会した後期高齢者になった同級生は、とにかくこの年まで元気で、こういった集まりに参加できたことを喜び合いました。
【カミングアウト】
この集まりで、何人かの同級生がY君の思い出話しや近況を語りましたが、筆者はこのような機会に、思い切って「カミングアウト」しておこうと意を決していましたので、自分がどういう人生を辿り、今何を考え、何をしているのかを告白することになりました。
ちなみに、カミングアウトとは、一般的に、秘匿していた自らの性向や持病や思想や出自などを明らかにすることで、例えば被差別部落出身者やユダヤ人が、その出自を明らかにしたり、自らが特定の宗教に入信していることを告白したりすることをいいます。
筆者は、ホームページ(https://www.reiwa-revival.com/)に自分がUCの信者であることを明記していますし、今までもUCの献身信者であることを断片的には話していましたので、同級生もそれとなく知っていたと思いますが、ここではっきりしておこうと思い、一通り故人の思い出話しを語った上で、次のように切り出しました。
「実は私は、何かと話題が多い統一教会の中核信者で、今も献身的に携わっています。故人のY君は小学生の時から商社マンになることが夢で、正にその通りの人生で本望だったと思います。しかるに私はその逆で、自分の夢とは対極にあったキリスト教系宗教を職業とするという、思いもよらない人生の選択を余儀なくされました」
上記のように述べたあと、還暦を過ぎてキリスト教神学と聖書の研究を始め、数年前に、キリスト教福音派の牧師になって、今は「統一教会宣教師」と「キリスト教牧師」という二足のわらじをはいている身分であることを証しました。つまり、統一教会とキリスト教の二つの宗教に帰依しており、両者は同じ神を共有しているので矛盾はないと云うわけです。
そして今まで対極にあった宗教は、今や適合する職業となり、かの内村鑑三と同様「聖書の研究を以て天職とす」となった旨、自らのアイデンティティーを吐露いたしました。
その上で、「本年秋に予定している神学書の出版記念会に皆さん全員を招待したい」と述べ、用意していた「つれづれ日誌(令和4年3月9日)-長崎キリシタンの里訪問記」を全員に配りました。
つまり、今回、完全にカミングアウトしましたので、筆者が何を考え、何をしているのか、これで一目瞭然になった訳で、かくしてこれら15名の同級生は、筆者の祈りのリストに加わった次第です。
【意外な出会い】
「人生は出会いである」といいますが、人間はその長い人生の中で、実に様々な出会いをいたします。勿論、食口にとって、原理との出会い、神様との出会い、そして再臨との出会いは、人生の三大出会いと言ってよいでしょう。 即ち、「神」と「み言」と「キリスト」との出会いです。
しかし、人間はその他にも、その人ならではの出会いを体験し、それぞれの個別的な人生を彩っていくことになります。筆者の場合は、40才での「法律」との出会い、70才での「聖書」との出会いが、筆者のアイデンティティーの大きな特徴になりました。これが「右手に聖書、左手に六法」を標語にしている理由です。(なお、この二つの出会いのいきさつについては、拙著『異邦人の体験的神学思想』に詳述しています)
そして筆者は、この度の同級会で、今一つの出会い、即ち「S女史」との意外な出会いをすることになります。
S女史とは、高校卒業以来、57年目にして初めて再会することになったのですが、著書『極楽の余り風』というエッセイ風の本を、彼女の実家の家業である「丹波新聞社」から出しており、筆者も友人から手に入れて持っていました。つまり、彼女の父は筆者の故郷で唯一の新聞である「丹波新聞」の社主でありました。
今回、本人が嫁ぎ先の岐阜から来るというので、敬意を表して本箱から取り出し、改めてこの本を読み直してみました。この本は、丹波新聞に週一で掲載されていたものを本にしたもので、時々の体験や出来事をつれづれ風に書きとめてあり、その中には「長崎旅行記」や「光秀の妻」のエッセイもあって、なかなか読みごたえのあるものでした。
そして筆者が最も驚いたのは、このS女史が、なんと20才の時に洗礼を受けたクリスチャンであることを筆者に告白したことでした。実は彼女の母親が敬虔なクリスチャンで、この母からの影響でキリスト教会に通うようになったと云うわけです。
しかも彼女は、今でも毎日朝夕の祈りを欠かさず、十一献金(レビ記27.30)も毎月行っているという、正に本物のキリスト者でした。彼女は、私が牧師であることを知って、自らがクリスチャンであることを打ち明けてくれたという訳です。
筆者は、同級会終了後、お茶み話しで、早速、聖書の通読を薦めると共に、 「神を知ることは知識のはじめ」(箴言1.7)という聖句をプレゼントし、彼女は、出版記念会には必ず参加すると約束してくれました。そうして筆者は、丹波新聞を購読することを約束し、早速、我が家に新聞が郵送されてきています。
奇しくも、故人のY君は、私の書いた文書類をよく読んでくれていたそうで、故人の取り持つ縁だったのではないかと密かに感謝しました。かくして、この度の同級会は、意外な展開を見せ、筆者にとっては、福音を呼び掛ける予期せぬ機会になり、神に感謝した次第です。
【光秀の妻】
さて、S女史の著書『極楽の余り風』には、「光秀の妻」(P146)と題して、明智光秀とその妻煕子(ひろこ)の話が書かれていました。妻の煕子は、華岡青洲の妻と並ぶ烈女で、また光秀は、当時の戦国大名の常として、側室を持つのが当たり前の世にあって、煕子ひとりを守った稀有な人物であります。そして煕子は、「散りぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ 人も人なれ」の辞世の句を残したかのキリシタンで有名な「細川ガラシャ」の母であります。
そしてこの本には、光秀とゆかりの深い丹波の「黒井城」と「福知山城」のことにも触れられていました。光秀が築城した福知山城がある福知山市(京都府)は、筆者の生まれた丹波竹田(兵庫県)の一駅京都寄りの県境にある町で、実は筆者が20才の時、最初の40日開拓伝道に赴いた町であります。
筆者は任地福知山に着いた夕方、早速、福知山城跡に登って、最初の祈りを捧げましたが、あの時の情景が、つい昨日のようにまざまざと蘇ってきました。勿論、福知山城が、丹波国を平定した明智光秀によって築城された城だったなどとは、ついぞ知らなかったものです。
更に、黒井城(別名保月城)は、母校柏原高校に近い丹波市春日町黒井地域の北にそびえる城山で、築城主は赤松貞範ですが、天正7年(1579年)、赤井直義の時、明智光秀に攻められ、奮戦したものの落城しました。
兵庫県立柏原高等学校 黒井城碑(保月城跡) 福知山城
つまり、筆者の故郷の丹波は明智光秀と大変深い縁があり、このエッセイ本を通して、このことを改めて理解することになりました。やはり、一冊の本には、著者の情念と体験が込められており、その影響は時間と空間を超えて訴える力があると再認識させられました。
「私は進歩しつつ書き、書きつつ進歩する人の一人であることを告白する」(アウグスチヌス書簡第7) とは、ジャン・カルバン著『キリスト教綱要』第一篇の冒頭に書かれているアウグスチヌスの言葉です。カルバンもプロテスタントの神学を打ち立てるに当たって、試行錯誤し、格闘しながら、書きつつ日々新たに進歩していったという気持ちが伝わってきます。
次元は格段に違いますが、筆者も同様の心情を体験しています。今、筆者のホームページに260本の記事がアップされていますが、神は400本まで書くように命じられており、密かに、その数を満たせば、何かが起こるかも知れないとの期待感を抱きつつ精進しているところです。
このS女史は、母親が師事していた丹波の俳人細見綾子の影響で俳句を詠み、今でも月一回は俳句の集まりにリーダーとして丹波に帰郷していると聞いています。筆者は、故郷を離れて久しく、今年、両親の名を富士宮朝霧霊園の墓誌に刻んで移したこともあり、二度と帰ることはあるまいと思っていましたが、心なしか、もう一度丹波について知って見ようと思わされた次第です。
カトリック信者の曽野綾子さんは、2018年、多摩川に飛び込んで自裁死した西部邁(すすむ)について、サンケイ新聞コラムで「人間の誰もが最後の日まで意外な運命の展開を持っている」と書きました。つまり、老いてなお、意外な(嬉しい)人生の出会いがあるかも知れないので、諦めてはならないというのです。
以上の通り、正にこの度の同級会は、思わぬ人生の展開のひとこまとなりました。(了)