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大阪、高野山聖書セミナーを終えて 聖書的霊性を学ぶ

◯つれづれ日誌(令和5年11月22日) 大阪、高野山セミナーを終えてー聖書的霊性を学ぶ 


数多の哲学者や宗教家はあれど、誰一人として秘められた神の心情と聖書の真義(奥義)について知る者はなく、霊的には暗闇に覆われているかのようでした。盲目にして無知なる人間の行為の記録ともいうべき人類の歴史の背後に、一つの公式とパターンのあることを悟り、歴史の秘密の全てを解明してその法則と原理を見出したのです。(『御旨と世界』創立以前の内的教会史P593~596)


11月15日、16日の二日間、関西三ヶ所で聖書セミナーが行われ、筆者は講師として参加し、多くの恵みを受けることになりました。そこで、大阪市中央公会堂と高野山で行われた二つのセミナーについて、その内容の骨子をシェアしたいと思います。


【はじめにー池田大作氏逝く】


この11月15日、創価学会の池田大作名誉会長(1928年1月2日~2023年11月15)が死去されました(享年95才)。ご冥福をお祈りいたします。初代会長の牧口常三郎、2代会長の戸田城聖とともに「永遠の師」と位置付けられ神格化されたカリスマ指導者池田大作氏の死去は、今後、創価学会・公明党に大きな影響を与えることは必至であり、良きにつけ悪しきにつけ、注意深く見守りたいと思います。


池田大作氏は1947年10月(19才)、創価学会に入会し、1960年5月3日、32才で創価学会第3代会長に就任しました。折伏大行進で教勢を拡大し、また一方では公明党を設立し政治に進出しましたが、1979年(52才)に大石寺とのトラブル(本尊模刻問題)で会長辞任を余儀なくされました。1991年11月28日には創価学会は日蓮正宗から破門され、本家本元の日蓮正宗大石寺と訣別しました。2010年(82才)からは池田氏の公的活動は一切なくなり、重病説や死亡説が流れました。


ところで、「三つ子の魂百まで」とある通り、池田氏の「絶対平和主義」や「民衆のために」(貧しい人のために)という思想は、池田氏の戦前の貧しく多難な生い立ちの中から生まれています。父は病床に伏し、4人の兄は出征し(長兄は戦死)、母一人で家計を支えるという赤貧の生活を余儀なくされ、尋常小学校卒業後、中学進学を断念して軍需工場である「新潟鉄工所」に就職し、早くから働いた苦労人です。兄の戦死や爆撃にさらされた経験などから、戦争に反対し平和に徹するという思想が形成され、貧しい生活の経験から民衆のためにという考え方が生まれたと思われます。


ちなみに池田大作氏の信仰的原点、即ち信仰の一丁目一番地は、虚弱体質で早くから生死の問題を考えていた池田氏が、南無妙法蓮華経で病気治癒した原体験だと思われます。池田氏は10代で肋膜炎を患い結核療養所へ入院するための順番待ちをしていた中で終戦を迎えたと言われ、「夫は30才まで生きれないと思っていた」と妻の香峯子夫人は述懐しています。創価学会への入信動機の80%が、いわゆる「貧・病・争」の現世利益だと言われていますが、これは正に池田氏の入信経緯を見ても頷けるというものです。こうして、池田氏の基本的な思想と信仰はほぼ20才までの間に形成されています。(後日、「池田大作論」をまとめる所存です)


ところで今年は、池田氏だけでなくいわゆる新宗教のカリスマ指導者が亡くなりました。幸福の科学総裁の大川隆法氏は3月2日(67才)、創価学会の天敵である富士大石寺顕正会会長の浅井昭衞(あさい しょうえい)氏は10月16日(91才)に死去しています。正に宗教の大転換期を象徴しているかのようです。


クラウドチャーチ牧師の小林拓馬氏は、岸田首相が「池田大作氏は、国内外で、平和、文化、教育の推進などに尽力し、歴史に大きな足跡を残されました。ここに謹んで御冥福をお祈りするとともに、衷心より哀悼の意を表します。内閣総理大臣 岸田文雄」とXに総理大臣名で池田大作氏を持ち上げる投稿をしたことに関して、これは政教分離の原則に反するのではないかと問題提起しています。


池田氏には総理大臣名で哀悼の意を表し、一方、大川隆法氏や浅井昭衞氏の死去は無視したことと比べてもバランスを欠き、ましてや旧統一教会に対して無理筋の解散請求を申し立てるとは、あまりにも扱いが差別的だと小林氏は指摘しました。LBGT法の強硬採決やUC解散請求といった反宗教政策に手を染めてきた岸田政権は、最近の時事通信世論調査で、内閣支持率21.3%、自民党支持率19.1%と、遂に政権危険水域の青木率50%を大きく下回ってしまいました。正に戦後最悪の首相であり、総理大臣失格とはこのことです。


【大阪市中央公会堂での聖書セミナー】


左*大阪市中央公会堂   右*再臨運動時代の内村鑑三


さて15日午後、大阪市中央公会堂で行われた聖書セミナーは大変問題意識のある信徒が多く、筆者としては語りやすく、率直、大胆な話が出来ました。また当該会場は、内村鑑三が最後の再臨講演を行なったとされる由緒ある場所で、参加メンバーは、内村鑑三の志を継承して令和の「聖書研究会」を継続して行きたいと意気込んでいました。



当日のセミナーは、拙著『異邦人の体験的神学思想』を教材に使い、今回は第一章の「聖書とは何か、その多面的考察ー聖書的霊性の相続」をテーマに、聖書を学ぶことの意義、聖書・神学には何が書いてあるか、原理の正統性の問題、比較宗教の勧め、聖書の奥義について(文鮮明先生は何故メシアと言えるか)、聖書的霊性の相続などについて学びました。以下、この中から何点かについて、その内容を述べることにいたします。


<イスラエルと日本UCの同時性>


先ず冒頭、現下のイスラエル・ハマス戦争で起こっていることと、日本でのUCバッシングの現象が瓜二つの「同時性を有している」ことについて指摘しました。福音派の中川健一牧師は親イスラエルで有名であり(但し、UCはキリスト教の異端だと言っている)、彼はイスラエル・ハマス戦争の本質について3点を指摘されています。これは正に日本のUC問題に関して起こっていることと瓜二つであり、筆者も我が意を得たりという感がありました。


一つは、「無差別テロを起こしたハマスは悪いが、イスラエルはもっと悪い。ハマスには一理ある」という国際世論の風潮であり、ガザでの爆撃によるガザ市民の悲惨さばかりが報道され、イスラエル悪しの「反ユダヤ主義」が台頭しているというのです。同様に、「安倍元首相を殺害した山上哲也被告は悪いが、UCはもっと悪い。山上被告には一理ある」という「反UC思想」が蔓延し、むしろ山上被告が美化されているというのです。


この両者が何故言われなきバッシングに見舞われるのか、それは両者とも聖書の民(群れ)であり、神の救援摂理にとってかけがえのない存在であるからに他なりません。つまり、正に黙示録7章4節の「144000人」であり、この群れが世論のよい評価を受けることに不都合な勢力が存在するということであります。


第2点は、「イスラエルは世界を二分する」ということです。即ち、今やイスラエル・ハマス戦争は、ハマスの背後にいるシリアやロシアなどの独裁国家と、イスラエルを擁護する西欧民主主義国家に二分され、世界を巻き込んだ戦いに向かう趨勢にあるというのです。また、イスラム教的イデオロギーとユダヤ的イデオロギーの二分があるという事実です。世界の人口0.2%に過ぎない小国イスラエルが、良くも悪くも何故このように世界的に注目されるのでしょうか。


同様に、日本でのUCバッシングの一件は、ジャーナリストの福田ますみさんも指摘されているように、イデオロギーの問題、即ち一神教と多神教の相克を背景とした「有神論と無神論との戦い」と見ることができるというのです。そして一神教の顕著な特徴に「二つに分ける分別思想」があり、この度のUC問題は、曖昧な空気感で左右され安い日本の多神教的風潮への「善悪分別の一石」と言えなくもありません。最近、喜悦大学教授の高橋洋一氏が、共産主義と戦っている旧統一教会が叩かれて、中国とズブズブの公明党・創価学会が持ち上げられるのが分からないと言われていましたが、正に善悪の混乱が蔓延しており、UCは何が善で何が悪なのかを示す国家の羅針盤であるというのです。


第3点は、イスラエル・ハマス紛争は人々を「聖書」に関心を向けさせ、UC問題は人々を「原理」に注目させたということです。 イスラエル・ハマス紛争は、1500人の犠牲の上に、人々をエゼキエル書や黙示録など聖書に関心を向けさせたと神学者や牧師は指摘しています。同様にUC問題は、安倍元首相の犠牲の上に、「原理の教義とは何か、文鮮明師とは誰か」という本質的な問いに人々を向かわせたというのです。UCに批判的な宗教社会学者の櫻井義秀氏でさえ「統一教会とは何なのか、どういう宗教なのか、何故人を集められるのか、何故離脱しないのか」(櫻井義秀著『統一教会』P316)と言った本質的な問を発しています。


今イスラエルでは、正に国家存亡の大艱難の時と位置付け、詩篇130篇を朗読し、歴代志第二7章14章の聖句を噛みしめ、党派と教派を超えて一丸となって国家的回心を目指す「国家祈祷日」が提唱されています。我がUCもイスラエルと同様、正に教団存亡の大艱難の時であり、イスラエルに習って「全信徒・教団祈祷日」を設けて祈りの時を持てばどうでしょうか。


<原理の正統性について>


次に当該セミナーにおいて、「原理の正統性」という重要な問題を考察しました。前記したように、昨年の安倍元首相殺害以来、良くも悪くもUCが脚光を浴び、またUCの教義である「原理」が注目されるようになりました。その中で、UCに批判的な学者や評論家は、「原理」が、李龍道の新イエス会、金聖道の聖主教、金百文のイスラエル修道院などの、いわゆる韓国の神霊的神秘宗教からのパクリであるといった根も葉もない言説を喧伝しました。前述した北大教授の櫻井義秀氏や予備校世界史講師でユーチューバーの茂木誠氏らは、文鮮明師(以下、「創始者」と呼ぶ)が解いた原理は、聖主教の教えや金百文の著書『基督根本原理』を模倣、ないしはバクって、いわゆる「血分け」の教えを引き継いだと批判しました。


しかし、これらの言説は全くのフェイクニュースで何の根拠もないことは明らかで、事実は以下の通りです。


確かに神霊的神秘宗教の教えとUCの教義には似た点があります。聖主教では、来たるべきキリストは女性の体から生まれてくること、堕落は淫乱によるものであること、韓国に主が来られること、などを説いています。そしてこれらは神霊的神秘教団に共通している教理と言われています。また金百文は、自ら悟ったことをまとめ、1958年『基督教根本原理』を著しましたが、反対派は、『原理講論』と金百文が書いた『基督教根本原理』を示し、酷似していると批判し、パクリだとしています。


しかし、創始者が解放後日本から帰国し、1945年10月、ソウルのイエス教の流れを汲む金百文のイスラエル修道院を訪れ、半年くらい金百文の教会に通いましたが、ソウルで金百文に会う前に既に堕落論を含む原理の解明は終わっていました(1936年~1945年)。また『基督教根本原理』(1958年)が出る前に、既に創始者が書いた『原理原本』(1952年)、及び弟子の劉孝元氏が書いた『原理解説』(1957年)が出ており、批判者の言説が間違いであることは明らかです。


そして何よりもUC教義は、創始者が16才の1935年4月1日、定州猫頭山にてイエス様から直接的な啓示を受け(自叙伝P62~63) 、その後、聖書の研究と神との一問一答に基づいて真理を見出した100%オリジナルなものであることです。むしろ 創始者は金百文とは決別し、天命により1946年6月(26才)にソ連占領下の平壌に向かい、そこで独自の教義に基づく教会を設立しています。


また、聖主教などの教えとの共通項はあったとしても、創始者がここから学んで教義に取り入れたことなどはあり得ません。前述の通り、原理は、創始者が16才でイエス様から召命を受け、9年の歳月をかけ、文字通り血と汗と涙で聖書の奥義を解明した正にオリジナルなものです。それに金百文の教理には、歴史観が不足しているのに比して、原理には神の救済摂理歴史(復帰摂理歴史)が大きな比重を占めています。


従って原理は、朝鮮の宗教研究家の渕上恭子氏、櫻井義秀氏ら一部の学者や反対派が喧伝するような模倣でもパクリでもありません。ましてや神霊宗教や金百文の「男女間の性的交際において肉体の情欲性を聖化する」といったいわゆる「血分け」の教理をUCが引き継いでいるなどとの主張には、如何なるエビデンスもない悪質なプロパガンダに過ぎないことは明らかです。即ち、原理はイエス・キリストと聖書の上にしっかり立った正に「正統的神学」であるというのです。


<比較宗教の勧め-聖書と原理の対比>


また筆者は、「比較宗教の必要性」について強調しました。比較宗教学の祖マックス・ミューラーは、「一つの宗教しか知らないものは、いかなる宗教も知らない」と述べました。つまりミューラーは、一つの宗教を正しく理解するためには、もう一つの宗教を研究し、これと対比することによって、即ち比較宗教によって、より正しく理解できると言うのです。


かって久保木修己元UC会長が、法華経を研究していたお陰で創造原理がよく理解できたと言われましたが、原理をよく理解するためには、もう一つの宗教教義を研究し、これとの対比の中で原理がより深く理解できるというのです。パウロはキリスト教に改宗する前、律法の大家でありましたし、古代最大の教父アウグスティヌスは、先ずマニ教を学び、次にプラトンなどのギリシャ哲学に精通し、その上でキリスト教神学を確立していきました。内村鑑三も神道、仏教、そして武士道に精通し、西欧哲学にも明るかったと言われています。


勿論、原理だけを学ぶことでも充分とは言えますが、神道でも仏教でもキリスト教でも、原理の他に何か一つの宗教に精通し、その宗教教理の、どこが原理と同じでありどこが違うのか、どちらがより深いのかといった対比の中で、より一層深い原理の理解に至るというのです。


無論、最も良い対比は「原理と聖書との対比」であることは言うまでもありません。従って私たちは、原理を聖書との対比の中で学ぶ時、聖書をよりよく理解出来る共に、何よりもより深く正しい原理の理解に到達できるというのです。ここにも聖書を学ぶ意義があります。


なお、日本最初の比較宗教のモデルとしては、儒教・道教・仏教を対比した空海の著書『三教指帰』(さんごうしいいき)があります。三教指帰は空海が24才の時に書いた本で、儒教・道教・仏教を比較し、結局仏教が最も優れた教えであることを述べています。


そして、この書の隠れた真の意図は、空海の仏教への出家の決意表明でありました。空海は、当時日本で唯一の最高学府である奈良の大学を、周囲の反対を押し切って中退して栄達への道を自ら閉ざし、仏教へ帰依することを選択したというのです。空海は三教指帰の最後に「冠のひもやかんざしで象徴される官位など、捨て去らないで良いものでしょうか」と明記しています。つまり、自らは官界に入ることを望まず、むしろ世俗を超えた仏法に身を投ずる覚悟であるという、青年空海の内心を表明したのです。


<創始者は、何故、メシアと言えるか>


筆者は当該セミナーにおいて、「創始者は、何故、メシアと言えるか」という問を発し、参加者に質問いたしました。この問は前述の櫻井氏や論客が投げ掛けている問でもあります。この問題については拙著『異邦人の体験的神学思想』のP488~P492で論じていますが、ここではその一つだけを指摘しておきたいと思います。


「創始者は、何故、メシアと言えるか」、それは何と言っても「聖書とその奥義を解明したこと」に他なりません。聖書はその重要な部分が比喩や象徴や暗示、即ち奥義として書かれていますが、その奥義をことごとく明らかにしたのが原理であり、これは、神の啓示として創始者に与えられ、それが原理として顕現したというのです。つまりヨハネ黙示録5章の神のみ手にあった巻物には聖書の奥義が秘められ、その封印を解くとは、この奥義が明らかになると云うことであり、奥義が秘められた7つの封印を解く人こそメシアだというのです。


アメリカの宗教学者や神学者は、創始者は8つの分野、即ち「神」「サタン」「人間」「霊界」「イエス」「聖書」「人類歴史」「真の家庭」に精通したチャンピオンだと指摘しました。この8つの分野の第一人者であると言うのです(平和経P1587~1591)。しかし、その中でも聖書の奥義を解明し、聖書を完全に解釈したことは特に抜きん出た業績であり、このこと故に、創始者はメシアの資格があると言えるでしょう。


とりわけ神の天地創造(創世記1章~2章)の動機の解明とニ性性相の神観の定立、そして人間の堕落の真相、即ち、罪(原罪)の根本に人類始祖の姦淫問題(創世記3章)があったことを精緻に解かれたことは、サタンの讒訴圏のない罪(原罪)なきメシアにしかできない仕事と言えるでしょう。創始者自身も、「この終わりのときに、天地の秘密、神様が隠していた秘密、サタンが隠していた秘密、歴史的秘密、哲学者達の秘密の全てを解決しました」(天聖経第八篇第四章P924)と証言され、次のように語られました。


「数多の哲学者や宗教家はあれど、誰一人として秘められた神の心情と聖書の真義(奥義)について知る者はなく、霊的には暗闇に覆われているかのようでした。盲目にして無知なる人間の行為の記録ともいうべき人類の歴史の背後に、一つの公式とパターンのあることを悟り、歴史の秘密の全てを解明してその法則と原理を見出したのです」(『御旨と世界』創立以前の内的教会史P593~596)


つまり聖書にはいまだ解明されざる奥義があるというのです。 そしてその奥義の最たるものしては、 前記創世記3章(失楽園)の他に、聖書が一貫して記述する兄と弟の葛藤の問題(神は何故弟を愛し兄を憎まれたのか)、罪ある血統から如何にして無原罪のメシアが生まれ得るかという問題(創世記38章のユダとタマルの暗示的な記述)、マリアの聖霊による身籠りの真相(マダイ1.20、ルカ1.35)、十字架と復活の意義とその真相、など多々あり、神学者の間で激しく議論されています。そしてこれらの聖書の奥義は、原理によってことごとく明らかにされました。これはメシアにしかできない仕事であり、聖書の奥義を解明されたことこそ、正に創始者がメシアである証左であります。


以上述べてきたことが、当該セミナーで語った骨子ですが、おしまいに翌16日に高野山で行われたセミナーについて、少し触れておくことにいたします。


【高野山セミナー-再び高野山へ】


翌16日、真言密教の聖地高野山で聖書セミナーが開かれ、筆者は前回の8月17日に引き続き、再度高野山を訪問することができました。実のところ、生きているうちにまさか高野山を訪問できるとは思っても見なかった想定外の出来事で、神に深く感謝すると共に、セミナーを段取りして下さった信徒の方々に御礼申し上げます。参加者の方々のみ言を学ぶ真剣さには、正直驚くべきものがありました。


前回、真言宗総本山の「金剛峯寺」と空海の墓所である「奥の院」を見ましたので、今回は奥の院と並んで真言密教の聖地である根本大塔、金堂など「壇上伽藍」を見ることが出来ました。壇上伽藍は空海が描く真言密教の世界観を顕したもので、特に根本大塔には大日如来の世界を実体化した曼荼羅が立体的に展開されており、壮大、荘厳な迫力が伝わってきました。


左・高野山 根本大塔  中・金堂  右・空海が悟りを開いた室戸岬「御厨人窟」


そして今回のセミナーのテーマは「偉大な宗教家たちの霊的召命体験」であります。特に空海の室戸洞窟での霊的神体験と、久保木修己元会長の厚木大山での霊的神体験には、極めて類似性があり、この両者の信仰体験を対比しつつ、この劇的な神体験をセミナーで追体験いたしました。この体験は両者の信仰的原点、即ち信仰の一丁目一番であり、この顛末については、「つれづれ日誌(令和5年11月15日)-厚木大山登山顛末記ー偉大な宗教家たちの霊的召命体験 」の中で詳しく述べていますので、参考になさって下さい。


今回筆者は、真言密教の目的たる「即身成仏」と、キリスト教や原理で言う「神人愛一体」の類似性、そしてその世界に至る道筋がよく似ていることに驚きました。即ち、空海の真言密教は、大日如来が本尊で、この大日如来と一体(梵我一如)となることにより「即身成仏」できるというのが根本の教えであり、そして「即身成仏」するための修法が、「三密加持」(さんみつかじ)であるというのです。


「三密」とは、密教の重要な概念で、大日如来の身体活動(身)と、言語活動(語)と、精神活動(意)の三つのことを言い、「加持」とは仏が衆生に力と加護を与えることです。そして人間の身体の行為である身(動作)、言語表現である口(言葉)、心のはたらきである意(意思)の三つの行為(三業)、即ち身・口・意をもって仏の三密と感応(三密加持)することにより「即身成仏」できるというのです。即ち、手を組み合わせてその如来を象徴する形を作り(印契)、煩悩を焼きつくす護摩をたいて口に真言(マントラ)を唱え、心の中でその如来と一体化する「三密加持」の行(瞑想行)であります。


ローマ書10章9節に「心で信じ口で告白して救われる」とある通り、真言密教の三密加持は、キリスト教の信仰告白と瓜二つです。特にカトリックには、心で自らの罪を悔い改める「悔悛」、次に口で罪を言い表す「告白」、そして身体で罪を償う「賠償」の3段階からなる「告解」(悔悛の秘蹟)というサクラメントがありますが、これは正に身・口・意で行う三密加持そのものです。


こうして大日如来と一体となり即身成仏を成就することになります。そして三密は人間の理性を越えた世界であるので、「密教」と言われます。この秘密(奥義)は三密加持、キリスト教的に言えば信仰告白によって知り得るというのです。


さて、こうして大阪、高野山でのセミナーは大きな霊的興奮と共に終わりました。「リバイバル」、即ち霊的覚醒は例外なく草の根的な無名の信徒の「悔い改めの回心」から始まっています。この日本UC始まって以来の大艱難の今こそ、正に「神に還れ、神の言葉に還れ!」の霊的覚醒運動が開花する時であります。神よ、導きたまえ!(了)

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