◯つれづれ日誌(令和4年10月19日)-安倍事件の重要論点再確認ー岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三、三代の霊的系譜を読み解く
ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。(ロマ書11.33)
上記の聖句は、「つれづれ日誌(令和4年8月3日)-安倍事件に思う 」にも使った聖句ですが、パウロが神の霊妙なみ業に感嘆した気持ちがよく表れています。
【贖罪の羊】
筆者は、7月8日のテロ事件の日、テロへの怒りと同時に、その夜よぎった言葉が「贖罪の羊」というフレーズでした。そして以来、本件事件とその波紋について、関連する11本の文書を発信し、ホームページにも掲載しました。今回一つの区切りとして、12本目の記事を書くにあたり、やはり一番ふさわしい言葉が「贖罪の羊」でした。原点回帰です。
前回の記事で、本事件の社会的風潮を思想的視点から見て、「有神論と無神論の戦い、一神教と多神教の相克」と捉えましたが、多くの方から共感のコメントを頂き、筆者の見解があながち的はずれではなかったことを確認して安堵いたしました。
そして前回、一神教の特徴として、その顕著な「分別思想」を、ワイドショーに象徴される多神教的な曖昧さや甘いヒューマニズム、即ち「宗教的未熟性」と対比して考察しましたが、今回はもう一つの特徴である「贖罪思想」、そして「新生思想」を安倍事件と関連して取り上げたいと思います。
第16代アメリカ大統領リンカーン(1809 ~1865)は、1965年4月14日、銃弾を浴びて56才の生涯を閉じました。この瞬間、彼は 一人の政治家から「合衆国の救世主」としての神話的人物へと変貌し、アメリカの理想を体現した聖者になりました。追悼の辞の中で主礼牧師は「約束の地カナンに入る直前に神に召されたモーセのように天へと引き上げられました。リンカーンはアメリカの贖罪の羊であり、キリストのように自身の血でアメリカを清めて国民に和解をもたらしました」と述べました。
この牧師の言葉は、そのまま安倍晋三氏にも当てはまる言葉です。安倍氏は、日本を生み返すために、そしてUCと私たちが生まれ変わるために、正に贖罪の羊、一粒の麦として天に帰りました。この「贖罪」という言葉は、多神教の国日本人にはなかなかビンとこない言葉ですが、ユダヤ・キリスト教国家では、誰もが瞬時に理解できる言葉です。新渡戸稲造は、「神道の神学には原罪の教義がない」と指摘し(新渡戸稲造著『武士道』P34)、また内村鑑三は、著書『余は如何にしてキリスト信徒となりしか』の中で、「日本の倫理的規範性は、決してキリスト教に引けを取らない」としながらも、「贖罪観念が欠如している」と指摘しました。
しかし、カトリック信者の永井隆の著書『長崎の鐘』には贖罪思想が顕著に表れています。1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾が浦上に爆裂し、浦上のカトリック信者八千の霊魂が一瞬に天主の御手に召されたあの出来事です。永井は、終戦と浦上潰滅との間には深い関係があるのではないか、つまり戦争という罪悪の償いとして、日本でキリスト教徒の人口密度が最も多かった聖地浦上が犠牲の祭壇に供えられ清い「贖罪の羊」として選ばれたのではないか、と問いかけます。
「信仰の自由なき日本に於て 、迫害の400年殉教の血にまみれつつ信仰を守り通し、戦争中も永遠の平和に対する祈りを朝夕絶やさなかった浦上教会こそ、神の祭壇に献げらるべき唯一の潔き子羊ではなかったのでしょうか」
浦上天主堂の信者である永井隆は、浦上と浦上天主堂は、神への燔祭であり、その尊い犠牲によって戦争が終結し、日本が「生まれ変わる」条件になったと理解しました。
そして安倍元総理のテロ事件が起こって100日目の10月15日、下関で県民葬が執り行われましたが、安倍昭恵夫人の次のあいさつは、心なしか 救われたような気がいたしました。
「主人の67年、本当に素晴らしい方たちとの多くの出会いがあり、多くの方に支えられて、そしてこの大好きな日本の国のために大きな仕事をさせていただいた、豊かな67年の人生であったと私は思っています」
あの青山繁晴議員は、7月8日の宝塚での街頭演説の最中、安倍氏の霊魂が青山議員の内臓まで入ってきて、「私は悔いはないよ。これからは俺なしでやるんだ」と安倍さんは言われたと証言し、「政治家として悔いなく逝かれた」と語りました。奇しくも安倍明恵さんも「豊かな67年の人生であった」と告白されたようにです。
「UCがスケープゴートにされ、反社会的団体呼ばわりされて葬られることは、決して安倍さんの本意ではないはず」という筆者の確信は、今も健在であり、筆者は、岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三という「三代の霊統」は、日本とUCの善神として私たちを導いて下さると信じています。正に「深いかな、神の知恵と知識との富は」(ロマ書11.33)とある通り、神の目に見えない「霊妙なご計画」は計り知れません。
【政府の動向と内外論客らの正論】
「捨てる神あらば拾う神あり」との格言の通り、10月17日、政府による旧統一教会への調査、即ち解散を視野に入れた「質問権の行使」が議会で表明されました。しかし一方では、トラブルなどは個別事案で対処すべきであり、行き過ぎた干渉は信教の自由を侵害することになるとの国内外からの正論が唱えられています。
<政府による質問権の行使とその危険性>
17日の衆院予算委員会で、岸田文雄首相は、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の問題を巡り、宗教法人法に基づく調査実施の検討に入ると表明し、文部科学相に指示いたしました。政府内には「信教の自由を侵しかねない」として調査に慎重な意見が多かったにもかかわらず、消費者庁の「有識者検討会」の提言を受け積極姿勢に転換することで、支持率低迷の要因である教団問題で局面打開を図る意向だと言われています。
つまり政府は、宗教法人法に基づく「質問権」(宗教法人法78条2項)の規定を活用する方針で、文部科学省などの関係省庁が教団に質問し、業務や管理運営に関して報告を求めるというものです。宗教法人法で規定する「質問権」を使った調査は、「解散命令の前段階」として、違法行為を防ぐ狙いで設けているもので、この権限を使った事例はかってなく、結果次第では「教団の解散命令の請求」につながると言われています。
また、問題があり、解散請求するとなった場合は、それを受けて裁判所が判断することになりますが、裁判所は解散事由無しとして、棄却する可能性が極めて高いと思われます。何故なら、宗教法人法に基づく解散命令の要件は、「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」(第81条)とあり、具体的には宗教法人の役員が刑事罰を受けている場合に該当するものであり、UCの場合は刑事罰を受けていないからです。
上記これらの政府の方針に対して、元大阪府知事の橋下徹氏が16日、以下のように疑問を呈しました。(フジテレビ系「日曜報道 THE PRIME」)
先ず橋下氏は「今の風潮は、何でもかんでも引っくるめて、法律の範囲を超えて旧統一教会に対して批判の声が強まっている」と行き過ぎた報道に疑問を呈しました。その上で、「あくまでも法律に基づいて判断すべきだ」と発言し、調査が実施された場合の問題点として「解散命令は裁判例では組織ぐるみになって違法行為をやった場合」であり、特に「組織の中枢幹部が違法行為を繰り返した場合」であるとした上で、「中枢幹部の違法行為までは、まだ明らかになっていません」と解散事由がないことを指摘しました。
また裁判例では「解散命令」は中枢幹部が刑事罰を受けた場合であり、「今、旧統一教会の中枢幹部は刑事罰を受けていない」とも指摘しました。そして、宗教団体で創価学会など旧統一教会以外にもトラブル相談事例はたくさんあり、旧統一教会に質問権行使を認めてしまうと「他のトラブルを抱えている宗教団体にも質問権を行使しなければいけない」と警告しました。
その上で「今、岸田政権は旧統一教会に対して厳しく行けば支持率が上がるんじゃないかと思っているかもしれないが、政治家が支持率を上げるために法律の範囲を超えたような権力の行使をやるのは非常に危険だと思います」と持論を展開し、世論に流されずに法律に基づいての判断をしてもらいたいと正論を述べました。
正論と言えば、政治評論家で作家の竹田恒泰氏は、動画で、山上容疑者に同情があつまり、多くの差し入れや減刑嘆願書が来ていることを問題視し、テロを容認し、英雄視する風潮に警告を発しました。悪者扱いされているUCや、とばっちりを受けた安倍晋三氏は直接テロとは関係なく、悪いのは山上であり、また(恣意的にリークした)奈良県警であるとし、そして山上を持ち上げて煽ったマスコミであると指摘しました。
昨日、デンマークの客人と意見を交換しましたが、デンマークでは、成人の大人が犯した犯罪と、家庭などの生い立ちなどと結び付けて論じることなどはおよそあり得ず、犯罪の責任はひとえに当該犯罪者にあるということでした。これがヨーロッパキリスト教個人主義の真骨頂であり、情実的な日本型多神教の宗教風土と著しく異なる点であります。
<CAP-LCによる国連への提訴ー被告席に着く日本>
さて、CAP-LC(良心の自由のための団体と個人の連携)の会長ティエリー・バレ氏は「国連自由権規約人権委員会」に、日本の旧統一教会に対して行われている「自由権規約違反」を提訴し、遂に日本は被告席に着いたというのです。安倍事件後の統一教会に対する攻撃は、「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(自由権規約)の複数の条項に抵触するというもので、以下、イタリアの宗教社会学者マッシモ・イントロビィニエのレポートに基づいて、その一部を紹介します。
先ずCAP-LCは、安倍事件以降、統一教会の法人としての権利と、その会員及び関連団体のイベントに参加した人たちの権利の両方が、日本において侵害されていると主張しました。
日本には「統一教会に敵対する組織」(全国弁連)が存在して、彼らは、この宗教団体が山上の犯罪に対してなにがしかの責任があるという世論を形成することに成功したとしました。そして「カルト」というレッテルを貼られた団体に対しては、マスコミの中傷を無抵抗に信じる傾向にある日本の状況下では、この間違った議論がそのまま受け止められ、自由権規約の下で保障された統一教会ならびにその信者の権利に対する深刻な侵害(自由権規約第17条および第19条3aの違反)が起きたというのです。
また統一教会に偏見を持つ反宗教的な全国弁連の弁護士(紀藤正樹)が、消費者庁当局の『専門家委員会』に参加していることは問題で、宗教の自由に敵対的な団体と提携することにより、日本政府は自由権規約の義務に違反していると警告しました。
更にCAP-LCは、消費者庁が立ち上げた「電話相談」にも次の通り懸念の理由を表明しています。
「このサービスを通して担当者は、被害者と称する人々を、反統一教会の弁護士に誘導する。そしてこのサービスが統一教会に関してのみ提供され、他の宗教的、非宗教的グループには提供されないという事実は、自由権規約によって禁止されている差別の明確な事例である」
CAP-LCは、消費者庁ならびに法務省の電話相談のデータを引用し、いわゆる「霊感商法」に関する苦情は、統一教会関連はごく一部であり、例えば2021年の割合は全体の1.87%に過ぎなかったと述べ、「統一教会に関する苦情は2012年の229件から2015年以降の100件未満に、そして2021年には27件と、一貫して減少している」と証言しました。
しかし予想通り、安倍暗殺と全メディアによる反統一教会キャンペーンの影響で掘り起こされ、2022年9月5日から22日までに受信された1952件の苦情のうち、1317件が統一教会に関するものであり、政府によると、70%は「金銭トラブル」に関するもので、「霊感商法」も入っていたとしました。
これに対してCAP-LCは、一方的な質問サンブルが作成され、同相談は統一教会の敵対者に容易に操作されやすく、さらに、電話をかけてきた人が名乗る通りの人かどうか、その苦情が真実か、誇張されたものか、捏造されたものなのかを確かめる手段がないと主張しています。また苦情を申し立てた人の65%は、10年以上前のことか、日付を特定できない事例について報告していたというのです。
CAP-LCは、「電話相談が証明しているのは、統一教会に対する魔女狩り状態が日本で進行していることだ。しかも統一教会は専門委員会が進められている間、自らを守る手立てを何ら与えられていない。そして統一教会が長年にわたり、苦情を受ける件数を大幅に減少させるのに効果的な措置を講じていたという事実などは無視されているのだ」と結論しました。
このように、UCに対する異常な日本社会のバッシングは、人権侵害として、国際標準に照らしてゆゆしい問題であり、自由権規約の締約国として、いまこそ日本は国際社会の厳しい監視に直面すべきだというのです。
【日本の背骨としての岸信介と安倍晋三】
それにしても岸信介、安倍晋太郎 、安倍晋三の岸家三代ほど政界のサラブレッドとして、他に抜きん出た存在はありません。そしてこの三代は日本の自由と繁栄に明確な道筋を示した「日本の背骨」と言えるでしょう。
<岸信介>
特に岸信介氏は東大法学部で民法の大家我妻栄と首席を争った秀才であり、他方では、「政治は力だ、金だ」と言って憚らない豪胆さを持ち合わせた、正に「昭和の妖怪」でありました。 岸氏は、日本の基地提供を義務付けた1951年の日米安全保障条約が「偏務条約」であることを問題視し、1960年、大反対を押し切って、日米安全保障条約をアメリカの「日本防衛義務」を明記した「双務条約」に改正した立役者でした。
安倍晋三総理の外交スピーチライターを長年務めた谷口智彦氏は、著書『安倍総理のスピーチ』の中で、「岸こそは、安全保障と経済繁栄の礎石を作った戦後日本建設の祖、偉大なアーキテクト(建設者)だったと呼ぶにふさわしい」(著書P170)と明言しています。筆者も、戦後総理を一人だけ選べと言われれば躊躇なく岸信介を選ぶでしょう。
そして岸信介氏は、文鮮明師(以下「創始者」と呼ぶ)、久保木修己元会長とは昵懇(じっこん)の仲であり、創始者と会い、創始者の思想を支持し、1984年には創始者が創設した「世界言論人会議」の議長を務めました。また、創始者が脱税容疑でアメリカのダンベリー刑務所に収監された時は、レーガン大統領に次の通り「意見書」をしたため、創始者の早期釈放を訴えられました。
「大統領閣下、私たちは『宗教の自由』および『言論の自由』を保障した米国憲法修正第一条に基づいて、閣下が直ちに過ちを是正する行動を取るようお勧めするものであります。文師を引続き投獄しておくことは、国家にとっても何ら利益になりません。私たちは閣下がこの問題に注意を向けてくださるようお願いするものであります。岸信介 元・日本国総理」
久保木修己元UC会長は岸信介氏を述懐して、次のように語っています。
「今思えば、岸先生は大変懐の広い政治家でした。教祖が韓国人ということも一般の日本人にとってマイナスのイメージとなっていました。しかし、岸先生はそういうことには一切関心がありませんでした。世間の評価とかマスコミの情報というものがいかに薄っぺらなものであるかを自分自身がよくよく体験してこられていたのです」(久保木修己著『愛天愛国愛人』)
また久保木会長は、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領と会うに際し、岸信介氏が直筆の紹介状を書いて下さったお陰で面会が実現したとも語られました。
正に岸信介ほど悪魔のように嫌われた政治家はいないという反面、「地球儀を俯瞰する目」の持ち主として、日本の安全保障と社会福祉の拡充に向けて確固たる方向付けをした戦後最大の政治家であったことは確かです。
<運命の子、安倍晋三>
さて、「血は水よりも濃し」との格言の通り、岸信介と安倍晋三は、文字通り「異体同心」でした。ある識者は、安倍氏には3つの宝があると指摘し、3つの宝とは、母の安倍洋子、父の安倍晋太郎、そして祖父の岸信介だというのです。
確かに安倍氏は、その思想性において祖父信介から、その人柄において父晋太郎から、その愛情において母洋子から、それぞれ資質を受け継ぎました。 かって母の安倍洋子女史は、「晋三は運命の子」と文藝春秋で語ったことがあります。
<アメリカ議会演説>
安倍氏が如何に祖父岸信介から影響を受けているかは、1957年6月20日の「岸信介米国下院での演説」と、2015年4月29日の「安倍晋三米連邦議会上下両院合同会議での演説」を見れば一目瞭然であります。
米議会演説としては、祖父岸信介に次いで安倍氏が二番目で、正に一世一代の米議会演説でした。安倍氏は演説に際し、58年前のやや甲高い、そしてよく通る祖父の米議会演説の録音テープに聞き入りました。懐かしい祖父の声でした。そして「議長ならびに議員諸君!」から始まる祖父の演説原稿を何度読み直したでしょうか。
安倍氏は、齡60才の、自分と同年の祖父の演説に魅了されました。敗戦国日本の総理でありながら、戦勝国アメリカの議会に堂々と乗り込み、「共産主義者の説くところは間違っている」と明言した上、「自由・正義・平等という民主主義の原則によらざるかぎり、真の平和もなく、安全もなく、また真の進歩も幸福もありえない」と熱く語りました。個人の自由と尊厳を基礎とする民主主義の高遠な原則を信奉する岸信介の真骨頂が表れています。
つまり、日本の将来は民主主義米国との堅固な関係抜きに成り立たないとの信念です。そして同様に安倍氏も、日米同盟は「法の支配、人権、そして自由を尊ぶ、価値観を共にする結びつきである」とスピーチしました。
安倍氏は演説の冒頭、岸信介の演説を引用して、次のように述べました。
「1957年6月、日本の総理大臣としてこの演台に立った私の祖父岸信介は、次のように述べて演説を始めました。『日本が、世界の自由主義国と提携しているのも、民主主義の原則と理想を確信しているからであります』」
正に安倍氏と祖父は異体同心でありました。そして安倍氏の米議会演説の意義について、前記の谷口智彦氏は、著書『安倍総理のスピーチ』の中で、次のように三点を指摘しています。(P111~114)
第一は、旧共産圏との対抗上生まれ、冷戦の産物だった日米同盟を一新し、未来指向への関係にすることです。
「米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、希望である、希望でなくてはなりません!」と「希望の同盟」を提唱して演説を閉じました。
第二は、日本の未来は海洋民主主義大国米国と共に切り開くものであって、大陸勢力への接近によって得られるものはないとして、国家の基礎を据え直したことです。
海洋民主主義国と地平をまたいで手を組み、志を結び、それで初めて中国の台頭に適切に対応することが出来る、それが安倍流「地球儀俯瞰外交」の本旨であるというのです。
第三は、日米愛憎相半ばした過去のいきさつに、戦後70年にして、大きなランドマーク(目印)を打つことです。
即ち、米国人がいまも抱く日本に対する「わだかまり」に、最終決着をつけておく必要があり、「私は深い『悔悟』を胸にしばしその場(第二次大戦メモリアル)に立って、黙祷を捧げました」と語り、「悔悟」(かいご)、即ちリペンタンス(悔い改め)という言葉を使って過去を清算しました。
こうして安倍氏は、正に自分の外交が祖父の足跡をあたかもなぞるようにして進んでいると実感していたことでしょう。
<日本とUCの善神として>
筆者は、創始者、久保木修己、そして岸信介と安倍晋三は、上記で縷々見てきた通り、深い心情と信念で固く結びついており、「善神」となって日本とUCを守り導いて下さると信じています。ちなみに善神とは「神と、神の側にいる善霊人たちと、天使たちを総称する言葉」であります(原理講論P120)。
今、蛇蝎(だかつ)の如く叩かれているUCですが、岸信介、安倍晋三が戦後日本の背骨であったように、UCと勝共連合は、戦後の日本の羅針盤として、預言者の如くその役割を果たしたと確信いたします。
奇しくも、1960年7月14日、総理官邸で、右翼テロリストによって6回も刺された岸信介でしたが、2022年7月8日、今度は孫の安倍晋三が、かのリーンカーンと同じく、あたかも「贖罪の羊」のように凶弾に倒れました。
天地を創造された唯一にして全能の神は、この一件を通して、一体何を示され、何を言わんとされているのでしょうか。もはやこれ以上失うものなど何もない私たちは、「主は私の切なる願いを聞き 主は私の祈りを受け入れられる」(詩篇6.9)とある通り、各人の真摯な祈りの中に、その答があることを信じます。(了)
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