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安倍事件 起死回生の大逆転を!

より◯つれづれ日誌(令和4年11月2日)-安倍事件ー起死回生の大逆転を!


わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。(2テモテ4.7~8)


最近、日本共産党が発した2つの発言から、安倍暗殺事件とその波紋に関して、今まで筆者が指摘してきた以下の2点について、再認識させられることになりました。


筆者は、10月12日のつれづれ日誌で、今回の安倍暗殺事件とその波紋の本質は、思想的に見れば「有神論と無神論の戦い」であり、宗教的に見れば「一神教と多神教の相克」であると指摘しました。


そして、一見、マスコミと世論のバッシングを受けて窮地に立たされているUCですが、実は一方では、これ以上ないUCとその教義のよい広報の機会になっていることも併せて指摘しました。そしてこれらの筆者の予感が当たっていたことを、改めて確認したものです。


【論点確認①-有神論と無神論の戦いー共産党志位委員長発言】


この前日本共産党の志位委員長は、ツイートで次のように発言しました。ジャーナリストの田原総一朗氏が、今の現況は「共産党からすれば、統一教会との最終戦争だ」と述べたことに反応したものです。


「長い闘いだった。彼らが反共の尖兵として最初に牙を剥いたのは1978年の京都府知事選だった。2000年の衆議院選挙では、膨大な規模の反共・謀略ビラがまかれた。今度は決着つけるまでとことんやりますよ」


この志位委員長の発言を要約すれば、今回は、正にUCへの「リベンジ闘争」だと言っているのです。つまり、UCがマスコミから異常なバッシングを受けている真相は、実はUC対共産党との戦い、即ち有神論と無神論の戦いが根底にあるということを雄弁に物語っています。


共産党は、関連団体やシンパを総動員して、全国弁連、マスコミ、世論、ひいては自民党まで洗脳して、UC=カルト=反社という構図を造り出すことに成功したかに見えます。


しかし、背後に共産党の存在が明らかになることは、私たちにとって、必ずしもマイナスではありません。共産党、即ち「共産主義と真っ向から戦うUC」という、愛国的なUCの姿が浮き彫りになることで、むしろ心ある国民の理解を得ることができるからです。


かってUC創始者が、理不尽な罪に問われてアメリカのダンベリー刑務所に収監されたとき、何千人というキリスト教牧師らが立ち上がって、信教の自由を守る運動を展開しましたが、日本でも、UCへの宗教弾圧を機会に、宗教勢力が大同団結して、唯物論から信教の自由を守る運動が期待されるところです。先般、鈴木宗男議員が主宰している大地塾で、鈴木氏と講師の佐藤優氏は、昨今のUC叩きや政府の質問権行使の動きに対して、宗教弾圧につながる恐れがあると警鐘を鳴らしました。


【論点確認②-逆宣伝になる共産党のUC叩き】


「坊主憎けりゃれば袈裟まで憎い」とはよく言ったもので、この前の衆議院予算委員会で日本共産党国会対策委員長の穀田恵二(こくたけいじ)議員が行った質問は、何か何でもUCに結びつけて叩きたいという共産党のなりふり構わない執念が如実に表れていました。


<外務省の表彰を問題にする共産党>


即ち穀田氏は、モザンビークで25年以上に渡り、現地で学校教育のボランティア活動を行った宝山晶子さんの献身的な活動を、UCと関連づけて問題にしたのです。


モザンビーク太陽中学校・高校の理事長である宝山さんのモザンビークでの実績は、現地でも高く評価され、日本の外務省(当時外務大臣河野太郎)から表彰されたのですが、実は宝山さんが旧統一教会の関連団体「世界平和女性連合」から派遣された人物だったということで、いちゃもんをつけてきたというのです。


曰く、これは統一教会の正体を隠した偽りの活動であり、これを外務大臣名で表彰することは、反社会的団体であるUCにお墨付きを与えることになるから問題だとして、政府に詰め寄りました。


しかし、この25年に渡る活動は、日本とモザンビークの友好親善に寄与し、モザンビーク政府からも高く評価されていると外務省役人は次の通り答弁しました。


「学校運営にあたり女性連合から支援も受けていると認識していたが、長年の教育・医療関連活動はモザンビークからも評価されていたことに鑑みて表彰した」


<逆宣伝になる共産党の質問>


実は筆者は恥ずかしいことに、このモザンビークでのボランティア活動について、穀田議員の質問で始めて知ることになり、日本女性がアフリカまで来て、こんな立派な活動をしていたのかと、正直感動いたしました。そして 穀田氏は、「数千人の日本女性が海外宣教に派遣させられている」とも証言しましたが、「これらはUCのよい広報になっている。共産党は実によい宣伝をしてくれた」という実感がしましたが、如何でしょうか。


この点に関して、史吉子女史の本『原理に関するみ言の証』(光言社P298~P301)には、「世間の誤解と反対は、必ずしも嫌がることばかりではない」と、次の通りの記載があります。


「草創期から、統一教会は淫乱集団だとマスコミに叩かれましたが、お父様は『叩かれて損をすることは一つもない。お金もかけずに宣伝してくれて、伝道してくれるのに何が心配なのか。教会に対して悪い噂が立てば、人々が関心を持つ。このように関心を持ってみれば、霊界が協助をする』と説明されました」


「人の不幸は蜜の味」とはよく言ったもので、堕落人間は「誰々がよくやった」といういい報道より、「誰々が人を殺した。不倫をした」という悪い記事にはとても関心を持つというのです。正に「悪事、千里を走る」とはこのことです。


そしてその典型が今回の共産党によるUC叩きですが、マスコミの意図とは裏腹に、逆宣伝になる可能性が多分にあるというのです。


<正体を隠した布教が何故悪い?>


穀田氏は、宝山さんらの活動が、統一教会を隠した布教だから問題だと非難しています。無論、宝山さんらの活動は、モザンビークの教育水準向上に純粋に貢献したもので、女性連合の目的に沿ったものであり、決して一宗教団体の布教目的ではありません。


しかし百歩譲って、穀田議員のいう通り、これが正体を隠した布教だったとして何が悪いというのでしょうか。筆者は、「つれづれ日誌(令和4年9月28日)-記者会見の検証」の中で、「正体を隠した布教が何故悪い?」と 題して一文をしたためました。


色々な分野での活動による間接伝道は、「布教のいろは」であり、どの宗教団体も多かれ少なかれ、「フロント組織」を持って活動しているものです。そういう共産党自体、世界平和女性連合と同様、国連NGOである「新日本婦人の会」を組織しており、この婦人の会は共産党の集票組織として、選挙の際には絶大な力を発揮しています。かって筆者は学生時代、部落差別撤廃運動に共感し、部落問題研究会に入部し、しばらく活動をした経験があります。しかし、後になって分かったことですが、この部落問題研究会は、日本共産党のフロント組織である民主青年同盟、いわゆる「民青」の巣窟だったのです。


もし穀田氏が、世界平和女性連合がUCのダミーで正体を隠した布教であると言うなら、共産党の新日本婦人の会や民青も同じ穴のむじなということになるでしょう。


キリスト教でも、教育機関、病院、慈善団体なとを運営し、キリスト教思想の浸透を計っています。いわゆる伝道方法には、エバンジェリカルな福音の直接伝道と、社会活動をメインにした間接伝道があり、宗教的信念に基づく間接伝道組織は、それ自体の活動目的を自己完結的に有すると同時に、結果的に布教に寄与するという「二重目的」を持っているものであり、これが伝統的に確立された布教の在り方であります。従って、UCの様々な関連組織が「正体を隠した布教」として非難される謂れは微塵もありません。


このフロント組織から、自然と本体へ導かれるのは布教の在り方として当然であり、むしろ間違った先入観で門前でつまずいて、せっかくの救いを逸してしまうことを防ぐ意味もあるというのです。


【論点確認③ー宗教法人解散論議の顛末】


ここでUC信者なら誰でも気になる政府による質問権行使と解散命令請求の問題について解説しておきます。


<質問権を使った調査と解散請求>


「質問権」とは宗教法人法78条2項に基づき、文部科学省などの関係省庁が教団に質問し、業務や管理運営に関して報告を求めるというものです。そして岸田文雄首相は、旧統一教会の問題を巡り、宗教法人法に基づく調査実施の検討に入ると表明し、文部科学相に指示いたしました。


宗教法人法で規定する「質問権」を使った調査は、「解散命令請求の前段階」として位置付けられ、この権限を使った事例はかってなく、結果次第では「教団の解散命令の請求」につながると言われています。政府内には「信教の自由を侵しかねない」として調査に慎重な意見が多かったにもかかわらず、消費者庁「有識者検討会」の提言を受け積極姿勢に転換することで、支持率低迷の要因である教団問題で局面打開を図る意向だと言われています。


宗教法人法に基づく解散命令の要件は、「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」(第81条)とあり、具体的には宗教法人の役員が刑事罰を受けている場合に該当するのが過去の判例でありました。しかし岸田首相は、解散請求事由に、今まで刑法違反に限るとしていたのを、朝令暮改的に解釈を変更し、民法の不法行為も含まれると解釈を変更しました。


<質問権行使の基準を検討>


そして「質問権」を行使するため、文科省は10月25日、宗教団体幹部や大学教授など19人で構成される「専門家会議」(宗教法人制度の運用等に関する調査研究協力者会議)を開き、行使するにあたっての基準などについて検討を始めました。


文部科学省は専門家会議の議論を踏まえて、年内にも旧統一教会に対し宗教法人法に基づく「質問権の行使」による調査を実施し、解散命令に該当しうる事実関係を把握した場合には、宗教法人審議会の意見を経た上、裁判所への解散命令請求を検討する方針だと言われています。


こういった動きに対して、元大阪府知事で弁護士の橋下徹氏(53)が自身のツイッターで、「フランスで散々議論された反セクト法では解散命令の条件は複数の有罪判決が要件で、民法上の不法行為は含まれない。民法上の不法行為まで含むとした岸田総理の解釈は世論に迎合した反法治国家的だ」と持論を述べました。


そして宗教法人法に詳しい近畿大学の田近肇教授は、「政治問題化して政治や世論に押される形で始まることになったが、『質問権』の行使は前例がなく、今後、ほかの宗教法人に影響を与える可能性もあり、宗教法人法の解釈や運用の正しい在り方について冷静な議論を期待したい」と述べています。


また憲法学が専門の九州大学の南野森(みなみのしげる)教授は、専門家会議で議論が始まる「質問権」の行使について、「政府の相談窓口に寄せられた内容が事実なのか、旧統一教会に説明を求めることが想定される。しかし検察の捜査のような強制権限はないので、悪質性、組織性、継続性を証明できるような新たな事実を出すのは難しいと思う」と指摘しました。


<今後の流れ>


実際岸田首相は「解散請求」に慎重な立場だっただけに、一見前向き対応に転換したかのようにも見えますが、その本気度は疑わしく、調査には同法上の制約が多く、十分な調査ができるかは不明であり、仮に「シロ」となればかえって同教団に「お墨付き」を与える恐れもあるといった見方もあります。


自民党のある衆院議員は「首相側も支持率対策が必要だったので、有識者検討会の報告書は質問権行使のきっかけになった。ただ実際に質問権行使までいくかどうかも分からないし、ましてや解散命令請求なんて考えられないのではないか」と語り、「結論次第では世論の反発もありうる。だから結論の期限なんて設けない」と明かしました。つまり、世論の関心が薄れるまでの時間稼ぎの可能性が濃厚だというのです。


そして同党のベテラン秘書は「前進した感じがするが、これで本当に解散命令請求につながると思っている与党議員は誰もいないのでは。もし請求という段階になれば、創価学会などほかの宗教団体も警戒心を強め、党内には反対論も当然出てくる」との見方を示しました。


しかし一方、10月31日付け産経新聞は、今まで民事裁判で統一教会の組織的な不法行為が2件、使用者責任が20件認められているとした上、民法の不法行為に関する組織性、悪質性、継続性という要件をクリアするため、調査を通じてより多くの証拠をすくいあげたいのが本音であり、政府内では「解散命令請求は既定路線」との見方が強いと報道しています。


万一、調査の結果、重大な違法性ありとして解散請求がなされた場合、裁判所で審議され、法律に照らして判断されることになります。今までの裁判事例では、解散とされるのは組織ぐるみで違法行為が行われ、教団幹部が刑事罰を受けている場合に限るので、UCに当てはまるかどうか、筆者としては極めて難しいのではないかと思っています。


また、10万人以上の真面目な信徒を抱える宗教団体を、果たして解散させられるか疑問であり、国際社会からの非難も避けられないでしょう。百歩譲って、裁判所で解散命令が出たとして、UCにどれだけのデメリットがあるのか、宗教学者の島田裕巳氏が30日放送の読売テレビで次のようにコメントしました。


もし解散命令が出た場合、固定資産税など、税制の優遇が得られなくなり、社会的信用の面でもデメリットは避けられないとしながら、 それでも宗教団体としては活動できるし、「統一教会はあまり土地を持ってないので、デメリットは少ないと思います」と指摘しました。


また、解散命令請求まで行くと思うかと問われた島田氏は「簡単には行かない。司法の判断というのが、この材料だけで下しようがないんじゃないのか。首相も先走りしすぎてるような感じだ」との見解を示しました。


【三人の追悼文ー安倍晋三は伝説になる】


さて私たちは、安倍元総理(親しみを込めて、以下「安倍さん」と呼びます)が凶弾に倒れたあの日を決して忘れることはできません。良きにつけ悪しきにつけ、この人の死ほど大きな衝撃と深い意味を持った事件はなく、永久に語り継がれることでしょう。


かってイエス・キリストが十字架で死んだとき、残された弟子にとって最も腐心したことは、一体このあってはならない尊師の死が、何故起こったのか、そして「如何なる意味を持っているのか」ということでした。そしてイエスの十字架は「人類の罪の贖罪である」、これが弟子たちの結論でした。


前にも述べましたが、安倍さんがテロにあった夜、筆者の脳裏に思い浮かんだのは、やはり銃弾に倒れたアメリカ大統領リンカーンのことでありました。安倍さんは、リンカーンのように「伝説になる」とのインスピレーションです。そして葬儀主礼牧師の次の追悼の言葉を想起いたしました。


「約束の地カナンに入る直前に神に召されたモーセのように天へと引き上げられました。リンカーンはアメリカの贖罪の羊であり、キリストのように自身の血でアメリカを清めて国民に和解をもたらしました」


あの事件から120日にならんとする今、筆者は、菅義偉、野田佳彦、そして安倍昭恵夫人の「追悼の辞」を読み返しながら、改めて、安倍さんの死の意味について、深く考えざるを得ませんでした。


菅義偉前総理 野田佳彦元総理 安倍昭恵令夫人


<菅義偉前首相の追悼文から>


菅氏は第二次安倍内閣の官房長官として、7年8ヶ月、安倍さんを支えた盟友中の盟友であります。


菅氏は9月27日の国葬で友人代表として弔辞を述べ、冒頭「天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から、生命を召し上げてしまったのか。口惜しくてなりません。哀しみと、怒りを、交互に感じながら、今日の、この日を、迎えました」と語りました。


「よりにもよって天は何故」とは筆者も同じ思いでした。かの永井隆も著書『長崎の鐘』の中で、何故よりにもよって浦上天主堂8000人のクリスチャンが原爆の犠牲にならなければならなかったのか、を問いました。そして浦上天主堂の信者である永井隆は、浦上と浦上天主堂は、神への燔祭であり、その尊い犠牲によって戦争が終結し、日本が「生まれ変わる」条件になったと理解したのでした。


菅氏は、まだ駆け出しの政治家時代に、北朝鮮問題で始めて安倍さんと話した時、「この人こそは、いつか総理になる人、ならねばならない人なのだ」と直感し、この確信において、一度として揺らがなかったと述懐しました。安倍さんが、持病で総理の座を退いて、5年の雌伏の後、二度目の自民党総裁選出馬を決断する時、菅氏は3時間をかけて説得したといいます。「ようやく、首をタテに振ってくれた。私はこのことを、菅義偉 生涯最大の達成として、いつまでも、誇らしく思い出すであろう」と述べています。


また「総理が官邸にいるときは、欠かさず、一日に一度、気兼ねのない話をした」と述べ、「総理、あなたの判断はいつも正しかつた」とも述べ、「総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした七年八か月。私は本当に幸せでした」と告白しました。そして菅氏は、「国難を突破し、強い日本を創る。日本を、あらゆる分野で世界に貢献できる国にする」との安倍さんの信念を披瀝(ひれき)して追悼の辞をとじました。


この菅氏の追悼の辞は国民の感動を呼ぶものとなりました。筆者は、菅氏と安倍さんのあまりにも深い絆を改めて知り、「菅氏は安倍さんがやり残した夢をやり遂げるかも知れない」との思いが込み上げてきたものです。


<野田佳彦元首相の追悼演説に思う>


立憲民主党の野田佳彦元首相は、10月25日午後の衆院本会議で安倍晋三元首相に対する追悼の演説を行いました。冒頭、「政治家としてやり残した仕事。次の世代へと伝えたかった思い。そして、いつか引退後に昭恵夫人と共に過ごすはずだった穏やかな日々。すべては一瞬にして奪われました」と述べ、総理としての「重圧」と「孤独」を共有したことのある一人として、非業の死を悼み、哀悼をささげました。


野田氏は、安倍さんとは「必ずしも政治的な立場を同じくするものではなかった」としながら、同期当選の政治家として、率直にその政治的資質を評価しました。特に、平成18年(2006年)9月、第90代の首相に52才で就任し、持病を悪化させ1年あまりで退陣を余儀なくされ、「もう二度と政治的に立ち上がれないのではないか」と思い詰めたどん底からはい上がって、政治家として大成した安倍さんの人間力を称えました。


「どん底からの復活」、次元こそ違いますが、内村鑑三も筆者も体験した世界です。「再チャレンジ」という安倍さんの政策は、正に一度死んで復活した人間の実感が込められた政策であります。野田氏は「あなたの再チャレンジの力強さとそれを包む優しさは、思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです」と語りました。


また、5年の雌伏を経て平成24年(2012年)、再び自民党総裁に選ばれた安倍さんと、当時首相の職にあった野田氏は、以降、国会で対峙し激しい党首討論をしたこと、陛下の生前退位に向けた環境整備について、1時間あまり二人きりで話し合ったことなどにも触れ、「第1次政権から数え、通算在職日数3188日。延べ196の国や地域を訪れ、こなした首脳会談は1187回。最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、ただただ心からの敬意を表します」と労いの言葉をかけました。


そして、「あなたの政治人生の本舞台は、まだまだ、これから先の将来に在ったはずではなかったのですか」と語りかけ、「安倍晋三とはいったい、何者であったのか。あなたがこの国にのこしたものは何だったのか。そうした『問い』だけが、いま日本中をこだましています」とも語りました。


野田氏は最後に「あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿るからです」と語りかけ、「政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命がかかっています」と強調しました。実は野田氏は、毎朝6時から地元の駅で30年に渡って街頭活動を行ってきました。政治家の握るマイクを重視する言葉には、野田氏ならではの体験からくる真骨頂が滲み出ています。 追悼演説のあくる26日の朝も、野田氏はJR東船橋駅前で、街頭演説しビラ配りを行いました。


そして安倍元総理のテロ事件が起こって100日目の10月15日、下関で県民葬が執り行われましたが、安倍昭恵夫人は、あいさつの中で、夫の父・安倍晋太郎が総理目前に志し半ばで亡くなったことを、秘書をしていた夫は誰よりも無念に感じていたと述懐し、また地元山口にお世話になったことのお礼を述べたあと、次のように締めくくりました。


「この大好きな日本の国のために大きな仕事をさせていただいた、豊かな67年の人生であったと私は思っています」


【改めて安倍さんの死の意味を問う】


菅氏が「よりにもよって天は何故」と問い、野田氏が「安倍晋三とはいったい、何者であったのか」との問いを発したように、筆者もまた安倍さんの死の意味を改めて問いました。


山上容疑者の犯行の動機がUCへの恨みであったとリークされ、UCと安倍さんの関係が強調されることで、テロリストが正当化され、悪いのはUCと安倍さんであるといった捏造された風潮に怒りを覚えざるを得ないものです。しかし安倍さんの死はそんなレベルの低いものでも、単なる個人的な怨恨事件に巻き込まれたものとして片付けられるものでもありません。


かのリンカーンのように、あるいはあの長崎の鐘のように、もっと歴史的で天的な、意味のある死として位置付けられなければなりません。そしてそれが故人への礼儀であり、真摯な追悼であります。


筆者は繰り返し強調したいと思います。「安倍さんの死を無駄にしてはいけない。安倍さんは、日本とUCが生まれ変わるために、燔祭として日本とUCの祭壇に捧げられた祭物である」と。そして、これは安倍さんの死の美化でも、荒唐無稽な主観でもなく、ましてやテロを正当化しているわけでもありません。これは歴史の真実であり、やがて歴史が証明することでしょう。


筆者は、青山繁晴議員が、7月8日の宝塚での街頭演説で、「安倍さんは政治家として悔いなく逝かれた」との実感を語られ、昭恵夫人が「豊かな67年の人生でした」と述べられたことに、深く安堵したことを告白いたします。誤解を恐れずに申せば、国内外を問わず、これだけ多くの人々に惜しまれ、追悼されて旅立った安倍さんは、「男子の本懐」と言えなくもありません。


そして「あらゆる分野で世界に貢献できる国にする」との安倍さんの遺言を実現し、UCを「真に福音的で愛国的な教団に大改革する」ことを、改めて誓おうではありませんか。


安倍さんの死に際し、次の聖句をお送りいたします。


「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである」(2テモテ4.7~8) (了)


安倍晋三 MEMORIAL (月刊 Hanada 編集)より











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