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安倍晋三の三たびの総理誕生はあるか-改憲の系譜

○つれづれ日誌(6月30日)-安倍晋三の三たびの総理誕生はあるか-改憲の系譜


最近、長谷川幸洋氏のYouTubeニュースチャンネルで、安倍晋三元総理をゲストに招いての動画が三回に渡って配信されました。


第一回目は外交について、第二回は内政について、第三回は政局について、それぞれ安倍氏の率直な意見を聞くという構成で行われました。


そこで今回は、歴代総理の中でも、最長政権を維持した「安倍氏の考え方」、「安倍氏の再復活はあるのか」、そして「安倍氏のルーツ」について、考えて見ました。


【血は水よりも濃し】


「血は水よりも濃し」という言葉がありますが、安倍氏を考える上で欠かせないのは、安倍氏のルーツであります。


宇野正美氏は著書『ユダヤが分かるとこれからの日本が見える』の中で、安倍氏には3つの宝があると指摘しました。3つの宝とは、母の安倍洋子、父の安倍晋太郎、そして祖父の岸信介だというのです。(P69)


確かに安倍氏は、その思想性において祖父信介から、その人柄において父晋太郎から、その愛情において母洋子から、それぞれ資質を受け継ぎました。


かって安倍洋子は、「晋三は運命の子だ」と文藝春秋で語ったことがあります。過去二回総理を体験し、そして今や再度復活しつつあり、ポスト菅の最有力は安倍晋三だという風評が日本を駆け巡っています。


潰瘍性大腸炎という難病(特定疾患)に悩まされ、政権を手放した安倍氏に、そのどん底からの三たびの大復活は果たしてあるのでしょうか。


そのために先ず、運命の子安倍氏のルーツ、なかんずく安倍晋三の原点とも言うべき岸信介から語らなければなりません。


【昭和の妖怪岸信介】


岸信介(1896年~1987、90歳没)について、次のような言葉があります。「田中角栄と岸信介は、二人とも刑務所の塀の上を歩いていたが、田中は塀の中に、岸は外に落ちた」と。


<昭和の妖怪>

岸は「政治は力だ、金だ」と公言し、常々「金は濾過機にかけて浄化しなければならない、濾過しないととんでもないことなる」と言っていました。


こうして岸は、貪欲に政治資金を集めただけでなく、満州国産業開発五カ年計画に手腕を発揮した満州国国務院高官時代には、芸者衆との酒席を好み、裏社会とも付き合うなど、人間岸信介の意外な一面を持ち合わせていました。当に「清濁併せ呑む」と言ったところでしょうか。これこそ、岸が昭和の妖怪と呼ばれる所以であります。


しかし一方、東大法学部時代には、民法の大家我妻榮と首席を争う秀才でもありました。

また商工省次官を経て、東條内閣では商工大臣として入閣し、戦前は「革新官僚」の筆頭格として陸軍からも関東軍からも一目置かれていました。


戦後は、A級戦犯として巣鴨刑務所で3年半過ごし、1952年公職追放から解放されたあと、政治家の道を辿って行くことになりました。


1953年(昭和28年)4月、自由党公認候補として衆議院選挙に当選して、吉田首相から憲法調査会会長に任じられて自主憲法制定を目指しました。しかし1954年、吉田の「軽武装・対米従属」路線に反発し、自由党を去ることになります。


岸は、真の日本独立を実現するためには、政治的には「民族の魂が表現された憲法」を制定し、自主防衛を目指し、経済的には国民を養っていくための「経済的自立」を達成しなければならないと考えました。そのためには、先ず保守合同して「政局を安定」させなければならないとしたのです。


即ち、自由党を辞めたあと、日本民主党の結党に加わり、自由党、民主党の保守合同を手掛けて「自由民主党」が結党されると、その幹事長に就任しました。


石橋内閣総辞職のあと、内閣総理大臣に指名され、在任3年5ヶ月(1957年2月25日~1960年7月19日)の中で日米安保体制の確立に尽力し、1960年の日米安保条約の改定も乗り切りました。


首相退任後も政界に強い影響力を持ち「自主憲法制定国民会議」を立ち上げました。


<岸と朴正煕>

岸は満州時代、当時満州国軍将校だった韓国大統領朴正煕と関わりを持ち、1965年の日韓国交回復にも強く関与しました。岸は親交のあった朴大統領に助言し、日韓国交回復の影の立役者でもあったのです。


岸は椎名悦三郎・瀬島龍三・笹川良一・児玉誉士夫ら満州人脈を形成し、日韓国交回復後には日韓協力委員会を組織し、日韓の橋渡し役として尽力しました。


<岸と文鮮明>

また岸は、国際勝共連合を通じて統一教会教祖文鮮明師と親交し、その交遊は晩年まで続きました。文師は岸を高く評価し、岸も文師を尊敬しました。


1974年5月7日、東京の帝国ホテルで開催された文鮮明師の講演会「希望の日晩餐会」では、岸が名誉実行委員長となっています。


1984年に関連団体「世界言論人会議」開催の議長を務めた際には、米国で脱税被疑により投獄されていた文師の釈放を求める意見書をレーガン大統領に連名で送りました。


東京都渋谷区南平台(地区は松涛)の岸邸隣に世界基督教統一神霊協会(統一教会)があり、岸も、統一教会本部やその関連団体「国際勝共連合」本部に足を運びました。



これら岸信介と文師の親交こそ、その後のUCと国家指導者との「一丁目一番地」となったと言っても過言ではありません。UCと勝共連合は、岸信介から始まる福田赳夫、中曽根康弘、安倍晋太郎、安倍晋三という日本の政治的本流と良好な関係を維持してきましたが、その原点こそ岸信介だったのです。


<岸と新興宗教>

岸信介と地元田布施町の踊る宗教こと「天照皇大神宮教」の教祖北村サヨ(1900~1967年)との関係は有名です。


岸が巣鴨プリズンへ留置される前に北村サヨは「心配せんでもええ。岸はいずれ首相になる」と予言したと言われています。その後も岸を訪れており、北村の葬儀には岸も駆けつけました。自民党参議院議員の北村経夫は北村サヨの孫であり、UCも選挙応援をいたしました。


また岸は、創価学会第2代会長戸田城聖との個人的な付き合いがあり、1958年3月16日に大石寺大講堂で行われた広宣流布の記念式典に出席することになっていました。しかし、直前になって横やりが入り出席を断念し、代理として、安倍晋太郎・洋子夫妻、南条徳男・前建設大臣を出席させました。


<積善の岸家>

こうして岸信介は、本人の信仰はともかく、宗教には広く開かれた姿勢を持ち、目に見えない神の摂理を、我知らず体感された人物でありました。


岸家には「積善の岸家」という言葉が残っているように、神に選ばれた家系であることは間違いなく、この霊的系譜は安倍晋太郎・洋子を経て安倍晋三に至ることになります。


【三度目の総理就任はあるか】


では、この岸信介の血を引いた安倍晋三(1954年9月21日生れ)に、三たびの総理就任はあるのでしょうか。この点について、冒頭に触れた安倍晋三をゲストに迎えて行われた長谷川幸洋氏の動画を参考に見ていきたいと思います。


<外交>

先ず長谷川氏は、日本にとって重要国家のトップである習近平、プーチン、トランプ各氏について、総理在任時に会って話した時の印象についての質問がありました。


習近平は前半は硬い表情をしていたが、後半はかなり打ち解けて話ができるようになったとし、これは、習氏が自国での権力固めに自信を持って来たからではないか、との安倍氏の説明がありました。


次にプーチンですが、彼は日本の柔道に造詣が深く、日本通のところがあるとし、しかし基本的には力の信奉者の一面があると語られました。GDPこそ韓国と同レベルで、日本の3分の1しかないが、戦略核を保有し、国際政治の世界で発言力があるということです。


トランプとは、何度もゴルフをしたとし、これが公私に渡る信頼に結び付いたと語りました。安倍氏は在任中、6回の選挙でことごとく勝利を納めましたが、選挙の勝利はトランプの信頼を嫌がおうにも増幅することになったというのです。また、安倍氏が強い関心を持つ北朝鮮の拉致問題にも、トランプは最大限の配慮を示したということでした。


<内政>

次に内政ですが、何と言っても改憲問題です。安倍氏は、在任中、憲法9条の1項2項はそのままにし、別条項で自衛隊を憲法の中に明記する案を出しました。これは、衆参両議院で三分の二の多数で改憲発議する必要があり、このためには公明党など幅広い賛同を得る必要があるための、苦渋の選択だったと語りました。


<政局>

いよいよ政局問題ですが、菅政権はまだ始まったばかりなので、ポスト菅とか、安倍氏の再々登板などの話しは不謹慎だとし、自分はあくまで菅政権を支えていくとしました。


しかし安倍氏は、二階俊博幹事長が会長を務める「自由で開かれたインド太平洋推進議員連盟」の最高顧問に就任するなど、他の多くの議員連盟の名誉顧問に就任しています。これらは、事実上、「安倍の復権」と言えなくもないと思われますが、安倍氏は「来るもの拒まず」の姿勢であって、他意はないとしています。


<再々登板で憲法改正を!>

これはあくまで私見ですが、安倍氏は2024年9月21日の古稀の誕生日には、総理として再々登板しているのではないか、と筆者は思っております。


菅総理は1948年12月6日 生まれで、現在72歳ですが、これから3年総理を務めたとして、2024年には75才になります。最大続いても、これが菅総理の精一杯の任期のような気がいたします。


そして、三回目の安倍内閣は、当に「憲法改正内閣」です。そして「中国封じ込め内閣」です。もし、安倍氏の手で憲法改正が成し遂げられたなら、この瞬間安倍晋三は祖父信介を名実共に越えることになるでしょう。


【天は二物を与えず】


菅総理と安倍晋三ほど対象的な政治家はいません。一方は秋田から集団就職で上京し、苦学して夜間大学を出て、横浜市会議員から政治家人生をスタートした、文字通り叩き上げの人物であります。


他方安倍氏は、当に銀のスプーンを加えて誕生し、華麗な政治家一家のサラブレッドとして、なるべくして総理まで登りつめました。しかしこの二人は極と極だけに、逆に強く引き合うものがあるようです。


そして安倍氏に、サラブレッド特有のエリート意識や、上から目線の態度を微塵も感じることはありません。安倍氏は、祖父から思想性と豪胆さを受け継ぐと共に、父晋太郎から「人柄の良さ」を引き継ぎました。これが、安倍氏の謙虚さや律儀さに繋がっていると思われます。


更正堂薬局の原見榮さんという方が、文鮮明先生の自叙伝『平和を愛する世界人として』

を安倍氏に郵送した時のエピソードがあります。さっそく安倍氏から直接原見さんに電話が入り「安倍です。自叙伝をありがとう御座いました。しっかり読ませて頂きます」と話されたと述懐されました。安倍氏にはこういう律儀さがあるというのです。


しかし、人間安倍晋三にも人生の苦しみがありました。


一つは上記した潰瘍性大腸炎という難病です。彼は終世この難病と戦うことを余儀なくされました。第一次安倍政権を手放した時は、この病魔の影が色濃くにじみ出ていました。そのどん底の安倍氏には、まさかの復活など考えられないことだったと思われます。しかし、この難病は、逆に人間を謙虚にするというのです。


2コリント12.7に「そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである」とあります。


パウロは肉体的なハンディキャップ(目が弱い?)を抱え、背も低かったと言われています。彼は3度神に解決を祈りましたが、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう」(12.9)との回答でした。


安倍氏のもう一つの悩みは、安倍昭恵夫人(1962年6月10日生れ)との間に子宝がないということです。従って、政治家として後継者がいないというハンディキャップを背負うことになりました。


安倍夫人は、やはり文藝春秋で、色々な事情の中で、結局「養子を貰って育てることを断念しました」という苦渋の心情を吐露されました。


「天は二物を与えず」という言葉がありますが、戦後最大の名総理たる安倍氏にも、パウロのように「とげ」があったのです。しかし、それ故にこそ神は、「運命の子」安倍晋三にかけがえのない使命と祝福を用意されているというのです。安倍晋三の再々登板よ来たりませ!(了)