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安倍晋三元首相の一周忌に寄せて UCバッシングの転換点

◯つれづれ日誌(令和5年7月5日)-安倍晋三元首相の一周忌に寄せてーUCバッシングの転換点


わたしは終りの事を初めから告げ、まだなされない事を昔から告げて言う、『わたしの計りごとは必ず成り、わが目的をことごとくなし遂げる』と。(イザヤ46.10)


この7月8日は安倍晋三元首相の一周忌です。多くの政治家、メディア、論客が、この稀代の政治家の人格と業績を讃え、追悼の言葉を述べています。


筆者は一年前、「つれづれ日誌(令和4年7月13日)-追悼安倍晋三元首相のテロに思う」の中で、ヨハネ書12章24節の「一粒の麦」を引用して、「安倍晋三氏は、日本が生まれ変わるために、日本という祭壇に備えられた祭物である、そして私たち自身が生まれ変わるために、教会の祭壇に捧げられた贖罪の羊でもある」 としたため、そしてかのリンカーン大統領のように「伝説になる」と書きましたが、一年過ぎた今もその思いはいささかも変わりません。


安倍晋三元首相(以下、親しみを込めて「安倍さん」と呼びます)は、祖父岸信介の思想・信条と父安倍晋太郎の人柄の良さ、そして母洋子の優しさを色濃く受け継ぎ、保守のタカ派のイメージと共に、母性的な思いやりを兼ね備えた希に見るバランスの取れた政治家でした。


月刊Hanada8月号の一周忌大特集で、森喜朗元首相は「安倍さんが亡くなったとき、安倍家の宿命のようなものを感じた」(P34)と語り、高市早苗議員は、「安倍さんがたびたび夢枕に現れて、『総理はご無事だったんですね』と声をかけると目が覚めた」(Will8月号P39)と述懐しました。


筆者もまた岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三という「安倍家(岸家)三代」の、日本の背骨というべき尋常ならざる霊統に想いを馳せつつ、この一文をもって追悼の言葉とさせて頂きたいと思います。



【預言者、王。そして大祭司になった安倍晋三】


ジャーナリストの有本香氏は、「あの偉大な政治家がおられたら、悪法(LGBT法)の制定も、米国大使(エマニュエル)が日本人を見下すこともなかったはずだ」(Hanada8月号P31)と述べておられますが、正にその通りで、世紀の悪法たる「LGBT法」に象徴されるように、安倍晋三というタガが外れた自民党は、今や羅針盤なき航海を余儀なくされる難破船のようです。


<論客たちの安倍晋三論>


月刊Hanada8月号大特集で、安倍晋三氏をよく知る政治家や論客は以下のように評しています。


菅義偉元首相は、「趣味は安倍晋三」と言って憚らず、「リーダーとしての器の大きさ、意外なほどの柔軟性や包容力、そして懐の深さには改めて驚かされるばかりです」(P46)と述べ、ジャーナリストの櫻井よしこ氏は、「戦う政治家としての姿勢と人としての優しさ、温かさを併せ持った人でした」(P54)と語りました。


安倍派の有力後継者西村康稔(やすとし)経産大臣は、「トランプ、プーチン、習近平、エルドアン、ドゥテルテ、ロウハニなどそうそうたる政治家と良好な関係を築いた安倍総理」と、その外交力を絶賛し、「追いつくのはそう簡単なことではありません」と告白しました(P91)。そして島田和久前防衛事務次官は、「自衛隊は国を守る最後の砦。首相にふさわしいか、ふさわしくないかを考えるとき、自衛隊の最高指揮官が務まるかどうかが重要だ」との安倍さんの言葉を引用して述懐しました(P83)。


また、月刊Will8月で長尾敬前議員は、 「総理を殺めた山上容疑者に、『でかした、暗殺が成功して良かった』、などと発する輩が社会的制裁を受けることなく日常生活を送っている」と怒りを露にし、「安倍晋三のいない自民党は自民党ではないかもしれない。こんなことにはならなかった」とも述べています(P140)。そして、「長尾たかしほど無鉄砲な男を見たことがない」と安倍さんが言われたことを述懐し、「見守って下さい。総理が蒔いた種を必ず花を咲かせ実を結ばせます」」(P145)と決意を述べました。


こうして見ると、安倍さんは、正に「百年に一度の政治家」(ジェイソン・モーガン)という名にふさわしい人物でありました。


<贖罪の羊、日本の大祭司>


上記の通り、安倍さんは色々な形で評価されていますが、筆者は、安倍さんを評する場合、先ず時代の一歩先を見る警醒の「預言者」を想起し、次に国の安寧を保つ統治者(王)を想起いたします。


ちなみにキリスト教でいう「メシア」(救世主)には、神の言葉を語る「預言者」(使徒3.22)、国を統治する「王」(ヨハネ1.49)、そして神と人との執りなしをする「大祭司」(ヘブル3.1)という3つの側面があると言われますが、正に安倍さんは預言者であり、統治者(王)でありました。そしてこの度の死によって、安倍さんは日本の大祭司になったというのです。


アメリカ大統領リンカーンは、1965年4月14日、銃弾を浴びて56才の生涯を閉じましたが、この瞬間、彼は 一人の政治家から「合衆国の救世主」としての神話的人物へと変貌し、アメリカの理想を体現した聖者になりました。追悼の辞の中で主礼牧師は「約束の地カナンに入る直前に神に召されたモーセのように天へと引き上げられました。リンカーンはアメリカの『贖罪の羊』であり、キリストのように自身の血でアメリカを清めて、『大祭司』として国民に和解をもたらしました」と述べました。


この牧師の言葉は、そのまま安倍さんにも当てはまる言葉です。安倍さんは、日本を生み返すために、そしてUCと私たちが生まれ変わるために、正に贖罪の羊として天に帰り、こうして安倍さんは、預言者や王だけでなく、神の前に日本を執りなして下さる「大祭司」になったというのです。


筆者は1年前、安倍事件に関して霊感を受けましたが、その霊的確信は今もなお変わりません。即ち、この安倍事件は「神の霊妙な計らいの中にある」ということ、そしてUCが未曾有のバッシングの中で葬られてしまうことは、決して「安倍さんの本意ではない」という2点です。筆者は、岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三という「三代の霊統」は、日本とUCの善神として私たちを導いて下さると信じています。


「ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい」(ロマ書11.33)


【局面大転換の予兆】


さて筆者は、この一周忌を期して、更なる状況の大転換、即ちUCバッシングの大きな変化が始まるとの予感を感じています。もちろん、いい局面への転換です。「サタン側は打って滅び、神側は打たれて復帰する」との文鮮明師(以下、「創始者」と呼びます)の言葉が身に染みます。そしてその兆候は保守的メディアや論客のUC擁護の論調などに顕著に見られます。


<『家庭連合信者に人権はないのか』出版記念シンポジウム>


6月24日午後、アルカディア市ヶ谷で、「『家庭連合信者に人権はないのか』出版記念シンポジウム」が開催されました。この本は、徳永信一(弁護士)、鴨野守(富山県平和大使協議会事務局長)、近藤徳茂(家庭連合本部法務副局長)、魚谷俊輔(UPF‐Japan事務総長)の各氏4人が編著者で、それぞれの分野から、議会、マスコミ、全国弁連、左傾コメンテーターなどによる一連のUC叩きの異常さ、そこに見られる人権侵害、理不尽性、違法性を訴えました。



このシンポジウムに参加された月刊Hanada編集長の花田紀凱(かずよし)氏は、6月29日の「夕刊フジ」に、特に徳永弁護士の発言に注目してコメントを寄せられました。冒頭花田氏は、「一連の統一教会批判の異常さに対してのパネリ ストたちの批判は、どれも冷静かつ納得のいくものだった。なかでも徳永弁護士の話は、人間、そして宗教に対する深い理解と洞察にもとづく、素晴らしいものだった」と述べられ、本書「まえがき」の徳永弁護士の一文を引用されました。


「目の前には、知性と忍耐に溢れ、理不尽な受難の中でも神に祈りを捧げ、懸命に生きている人々がいた。今、家庭連合に対して投げつけられているいわれのない批判は、どれもこれも信者に対する敵意と侮辱と差別を先導する『宗教ヘイト』そのものである」


そして徳永弁護士は、「地方議会の関係遮断決議、教団への高額送金を詐欺だという偏見、宗教二世を被害者と見る先入観、これらを理由とする質問権の行使や解散命令請求も、すべて国連憲章の原則を否定し、国際人権規約の基本的人権を侵害するものだ」と断じているというのです。


とりわけ、文化庁の解散命令請求に関して、警戒すべき点について徳永弁護士は鋭い見方を示しました。即ち、「基本的資料が揃っていなくても(見出だせなくても)、とりあえず政府としてやるべきことはやった、解散請求はやった、あとは裁判所におまかせする」といったなげやりのことがあり得るかも知れないと危惧しました。


最後に花田氏は、「そんなメディアこそ解散請求だ」と明言されましたが、流石に名編集長として一世を風靡した花田氏のぶれない読みの深さ、80才とは思えぬ頭脳の明晰さに、筆者はしばし脱帽を禁じ得ませんでした。


筆者は、つれづれ日誌(令和5年2月8日)「徳永信一弁護士の論文『旧統一教会信者なら人権侵害していいのか』月刊正論3月号」の中で、「旧統一教会とは今後一切関係を断絶する」といった憲法違反の市議会決議など、徳永弁護士の論文の論点について論評しましたが、今回徳永弁護士は、「反対派は、家庭連合の信者を、血も涙もない存在のように宣伝している。この認識を変える闘いをしなければならない」と強い励ましの言葉を頂きました。この場を借りて厚く感謝の意を表するものです


<谷口智彦、三浦小太郎両氏の投稿記事から>


さて、Hanada8月号の中で、筆者は特に安倍内閣で内閣官房参与を務めた谷口智彦氏の記事「安倍元総理・大和西大寺・韓鶴子」に注目しました。谷口氏は、安倍さんのスピーチライターを務めただけあって、客観的に安倍事件の顛末を分析し、冷静にその本質を述べています。


冒頭、「あの憎むべき犯罪は、防ぐことが完璧に可能だった。完璧に防ぎ得た犯罪によって、元総理は命を落としたのである」と警備の杜撰さを問題にし、「奈良県警がいかなる目論見によってか情報を漏らし、山上の動機は旧統一教会絡みだという話が広がった。山上自身があたかも社会的被害者であるかにみなす風潮が広まる」(P65)と奈良県警の責任転嫁を批判しました。


そして、山上が安倍さん殺害のきっかけとなったというUPF国際集会に安倍さんが送った「二つのビデオメッセージ」(2021年9月12日、2022年2月13日)を詳細に分析し、次のように指摘しました。


「安倍元総理が旧統一教会を不自然に称揚した言葉など、およそどこにもなかった。しかも山上が言及した動画において、安倍元総理は韓鶴子氏に儀礼的な挨拶を送ったほか、もっぱら時事問題に関し自説を開陳していた。すなわち山上の主張は徹頭徹尾言いがかりだったことが、一見直ちに明瞭だ」 (P69)。そして最後に、「野党とマスコミが安倍叩き一辺倒になるのを黙って見過ごした。旧統一教会に何度も資料を出させ、一種のガス抜きをさせたということだ」と岸田総理の対応を批判しました。


ところで、月刊正論8月号に掲載された評論家三浦小太郎氏の「信教の自由を脅かす旧統一教会への対応」も一読に値します。


三浦氏は、旧統一教会に対する質問権の行使は、もっぱら岸田首相の「政治決断」だったとし、解散命令請求の要件を、従来の刑法違反だけでなく、民法の不法行為まで朝令暮改的に広げたと批判しました。正にマスコミや世論に阿ったというのです(P61)。


そして、岸田首相が旧統一教会と「絶縁する」と明言し、時の政権が暴力団に使われる「反社会団体」と事実上認定したことが、洪水のようなバッシングの元凶になったとも指摘しました。


ただ三浦氏は、「韓国中心主義に基づく反日思想を教義の根本においている」(P67)と言われていますので、これは誤解であり、この点については弁明をさせて頂きたいと思います。


即ち、筆者は既に、「つれづれ日誌(令和4年9月14日)-現代の選民論 UC叩きの誤謬、UC教義に反日思想はない 」、及び「つれづれ日誌(令和4年9月7日)-文鮮明教祖の日本観と韓国観-UC教義に自虐史観はない」の中で、旧統一教会の教義に反日思想はなく、徹底的な世界主義であること、創始者は正に神中心主義であり、また真正な知日家・愛日家であること、について、教義と現実に照らして論証していますので、是非一読されるようお勧めいたします。 


例えばよく使われるUC反日論に、「日本はエバ国家で、姦淫の原罪により、日本はアダム国家韓国に尽くさなければならないという教えが根幹にある」(文藝春秋)という議論です。この間違った認識は、教義をよく知らない皮相な議論であり、上記「つれづれ日誌-UC教義に反日思想はない」の中で、次のように記しています。


「アダム国家とエバ国家とは相対的な対等な関係であって、上下の関係にあるのでないというのです。あたかも、夫婦関係が主従関係でも、また権利と義務の関係でもなく、相対関係、即ち愛と美の関係にあるのと同様であり、正にこれが原理観であります。アダム国家、エバ国家とは、父母として世界を生み返すという神が託した役割や使命であり、あくまで相対的な概念であって、その役割が果たせない場合は、かのユダヤ人からキリスト教に選民たる資格が取って代わられたように、韓国や日本に代わって次の国家や群れが担うことになるというのです」


ですから、文春らが主張するように「日本は贖罪として、韓国に尽くさなければならない」などという自虐史観的な思想など教義のどこにもなく、UCが反日団体であることを国民に植え付けんがための、マスコミの印象操作であることは明らかです。反対派マスコミは、全体の文脈を無視して、創始者や韓鶴子女史の発言の一節だけを取り出して鬼の首をとったように喧伝します。


例えば、本年6月末の韓鶴子女史の日本に関する発言が問題になり取り上げられています。曰く「日本は第2次世界大戦の戦犯国家で、罪を犯した国だ。賠償をしないといけない」との断片だけが独り歩きしていますが、よく読むと、日本は母親の国として、贖罪する立場で世界宣教を助けたが、これは日本の国のために忠臣の道を行ったことになる、即ち「日本のためになった」と言っているのです。もちろん、特にこの時期、誤解なきように、細心の注意を払って、慎重に言葉を選ばなければならないことは言うまでもありません。


また創始者は、神の救済摂理からみた日本の世界史的使命について、次のように言われています。


「このような文明史の推移を、神様の摂理として理解すれば、今日、天運の中心的な立場に置かれている島嶼国家は、正に日本であると考えざるを得ません。日本は神様の摂理を通して、人類歴史の舞台に立ったのです。日本の繁栄は、神様の摂理との関係において説明できるのであり、それ以外の理由では説得力がありません」(『平和経』二十一世紀における島嶼国家の役割P1365)


更に創始者は、次のように自らの韓国観について語られています。


「先生の教える主義は韓国式ではない。先生は韓国人ではない。韓国で生まれたが、韓国から今まで迫害されてきたものである。先生の主張するのは韓国の歴史にない主義を唱えている。風習、風俗、みな韓国式でなく神様の願う方式である」(み言集1972.4.23)


【大転換の時】


筆者は安倍さんの一周忌を前にして、今更ながら、その死の政治的、宗教的意味について深く考えざるを得ないものです。亀井静香前議員のように、「晋三は無念だったな」という声もありますが、青山繁晴議員のように、「安倍さんは、政治家として悔いなく逝かれた」との声もあります。また安倍昭恵夫人も「多くの人々に愛された豊かな67年でした」と挨拶されました。


父親の安倍晋太郎氏が、総理総裁を目前にして癌で倒れた無念さを思えば、戦後最長の首相を立派に務めた安倍さんは、むしろ果報者と言えるかもしれません。ただ、多くの論客が「安倍さんがおられたら、こんなことにならなかった」と現自民党の体たらくを嘆いているように、確かにLGBT法案を強引に通すなど、安倍さんなきあとの自民党は、羅針盤を失った船のようです。


しかし私たちは、「神は、共に働いて万事を益となるようにして下さる」(ロマ書8.28)とあるように、この死を決して無駄にしてはいけません。そして無駄にしないとは、即ち私たちが、国も個人も悔い改めて生まれ変わることであり、安倍さんが目指していた「美しい日本」を取り戻すことに他なりません。


かって内村鑑三の弟子であった東大元総長の矢内原忠雄は、大東亜戦争(日中戦争)の最中、(日本が生まれ変わるために)「一度、日本を葬って下さい」と演説しました。結局、この演説で東大を辞任することを余儀なくされましたが、矢内原の預言通り、正に敗戦によって日本は葬られ、新生日本の平和国家として再出発いたしました。そして文字通り安倍さんは、全国民に代わって自ら贖罪の羊として葬られたというのです。少なくとも筆者にはそう思われてなりません。


イザヤ書46章10節に、「わたしの計りごとは必ず成り、わが目的をことごとくなし遂げる」とある通り、筆者は全知全能の神の救済摂理を固く信じるものであり、今回の出来事は、神の計らいの中にある「生みの苦しみ」であり、新生のための試練であると信じるものです。


幸い、バッシングばかりではなく、上記した論客らの正論も随所に目立ち始めており、「捨てる神あれば拾う神あり」の格言の通り、筆者は一周忌を基点に局面が大きく転換すると確信しております。


最後に、「見守って下さい。総理が蒔いた種を必ず花を咲かせ実を結ばせます」との長尾敬氏の言葉をもって筆者の言葉とし、一周忌の追悼の辞といたします。安倍晋三、永遠なれ!(了)


ユニバーサル福音教会牧師、兼家庭連合ポーランド宣教師吉田宏

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