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宗教と政治の在り方を考える 理念と宗教なき日本の政治的欠陥

◯つれづれ日誌(令和5年8月16日)-宗教と政治の在り方を考えるー理念と宗教なき日本の政治的欠陥


しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。あなたがたは、以前は神の民でなかったが、いまは神の民である(1ペテロ2.9~10)


岸田政権の内閣支持率が危険信号の20%代に突入し、併せて自民党支持率も20%代に減少しました。これには色々な要因が考えられますが、最大の要因は岸田首相(政権)の理念なき政治にあり、そして反宗教的政策の結果であることは、前回のつれづれ日誌でも指摘したところです。


【岸田首相(政権)の致命的欠陥】


最近、いわゆる木原事件、即ち、影の総理と言われている岸田首相の最側近である木原誠二官房副長官のスキャンダルが大問題になり、これに追い討ちをかけるように木原氏が違法風俗店を利用し、いわゆるデルヘル嬢の違法性的サービスを頻繁に受けていたことが直近の週刊文春の報道で明らかになりました。「度が過ぎている」とはこのことで、木原氏の妻が前夫の不審死に関与しているのではないかとの疑いで、重要参考人として取り調べを受けている最中にも、なんと頻繁にデルヘル嬢との不道徳な行為を行っていたというのです。


岸田首相の知恵袋として、我知らずのうちに反UC・反宗教的諸政策を行ってきた木原氏の行状は、「汝、姦淫するなかれ」との戒めを持ち、貞操を最大の徳と考えるキリスト教倫理にも大きく違背していることは明らかです。かって、韓国の朴元淳(パクウォンスン)ソウル市長が、やはり女性スキャンダルを苦にして自殺しましたが(64才)、自殺はともかくとしても、議員辞職しても決しておかしくない事件であります。岸田首相や木原氏は、大手新聞やテレビが取り上げないことをよいことに、騒ぎのほとぼりが覚めるのを待つというのでしょうか。


筆者は、美しい自然と和と寛容の高い精神性を持つ祖国日本を、愛する心情において人後に落ちるものではありません。しかしここにきて、日本の政治、ないしは政治家についての致命的欠陥について、はっきり言っておかなければならないと感じています。それは現岸田政権に代表される日本の政治の無宗教、無信仰、更に言えば反宗教性であります。


そしてそれはそのまま日本のマスコミにも言える言葉です。マスコミは放送法編集基準5項で、「信教の自由を尊重し公平な報道に務めるべきこと」が明記されているというのに、UCに対しては一方的な魔女狩り的バッシングを行いました。これは日本のマスコミの無宗教性・反宗教性を如実に示す典型例です。


【アメリカ大統領の信仰と政治】


翻ってアメリカはどうでしょうか。


かって筆者は、地元選出の衆議院議員の事務所を訪問し、政策のこと、選挙のこと、後援会入会手続きなど色々意見を交換しました。その中で、自分が聖書を研究していること、福音派の牧師をしていることを明らかにした上、政策の根源に宗教的背景が必要であり、特にアメリカ政治の本質を理解するためには、アメリカ大統領のキリスト教信仰を理解することが必須であることを述べた次第です。そして後日代議士と会った際には、この度のLGBT法は自民党の岩盤保守層が離反する極めてゆゆしい法律であり、特に学校教育の場で怪しげな教育がなされないよう厳しく監視して欲しい旨を伝えました。


つまり、アメリカの歴代大統領は、政治家である前に敬虔なクリスチャンであり、その政治政策がキリスト教の世界観、歴史観に深く根差していることを理解せずしてアメリカ政治を理解できないというのです。「アメリカは神の特別の召命のもとにある」とのアメリカ的選民観は、歴代大統領に共通する信条であります。これがマニフェスト・ディスティニー(明白なる使命)と言われているものです。


ワシントン、アイゼンワー、レーガンはアメリカの普遍的なキリスト教的信条を体現する「市民宗教型大統領」でありました。ちなみに「市民宗教」とは、ピューリタリズム、聖書的選民観、愛国的心情が融合した、教会の垣根を超えた普遍的宗教信条であり、アメリカ教、ないしは「アメリカ的霊性」とも言えるものです。国民がこの信条を基礎にして国を盛り立てていくのがアメリカ精神であるというのです。日本で言えば、「日本的霊性」(日本教)と呼ばれる概念です。


またカーター、クリントン、ブッシュは信仰的回心を体験した「ボーンアゲイン型大統領」として知られており、またリンカーンは市民宗教の信奉者であり、同時にボーンアゲインを体験した大統領で、彼の演説はまるで牧師が説教をしているようだったと言われています。即ち、偉大なアメリカ大統領は祈りの人であり、在職中の日曜礼拝はほとんど欠かしたことがなく、また、演説には必ず聖書を引用しました。


ワシントンは独立戦争の最中、アメリカに寄せられる神の大いなる摂理を体感し、一人で神に祈ることが日課でした。1789年の大統領就任演説で 「アメリカ人ほど神の見えざる摂理の導きを尊ぶ国民はいない」と述べています。ワシントンは、このアメリカ教とも言うべき市民宗教を体現した最初の大統領で、アメリカのモーセと讃えられました。またリンカーンは聖書に精通し、牧師が聖書を説くように国民に語りかけ、独立宣言、合衆国憲法、そして聖書を尊び、「アメリカの預言者」「市民宗教の神学者」と呼ばれました。


トランプ政権もまた福音政権でありました。副大統領のペンスは敬虔なクリスチャンであり、ハドソン研究所にて「中共による無神論的世界秩序の形成を絶対に許さない」という聖書的世界観に基づく演説を行いました。アメリカは、「神なき勢力」に対抗して自由を守る責務があるとの決意です。


このように、歴代の大統領は、市民宗教の体現者として、あるいはボーンアゲインを体験した信仰者として、まさに篤実なキリスト者というアイデンティティーを持っていました。そういえば台湾の李登輝元総統も敬虔なキリスト教徒であり、聖書を政治判断における最大の拠り所にしていました。


【理念なき日本の政治家】


では日本の政治家はどうでしょうか。日本の政治家の演説から、先ず「神」という単語を聞くことはありません。まして聖句の引用などは論外です。せめて仏典からの引用でもと期待しますが、遂ぞ聞いたことはありません。ならば閣僚会議の前に祝詞(のりと)でも唱えればと思うのですが....。


ただ例外もあります。大平正芳はクリスチャンでした。麻生太郎のカトリック洗礼名はフランシスコであり、石破茂の家系は歴代クリスチャンで本人もプロテスタントの洗礼を受けています。また、石橋湛山は僧籍を持ったまま首相を務め、綿貫民輔は神主でありながら衆議院議長を務めました。しかしその信仰がどれほど政治判断に生かされているかというと、大変心許ないものを感じます。信仰とまではいかなくても、政治理念を持っていた政治家としては、岸信介、中曽根康弘、安倍晋三を挙げることができるでしょう。


こうして、ほとんどの日本の首相は、人がいいだけで、本当の意味で理念がなく、無宗教・無信仰と言ってもよく、この点がアメリカ大統領との最大の違いであります。一国の政治は、「その国の民度を越えることはない」と言われますが、日本には宗教的精神性はあっても明確な宗教的アイデンティティーはなく、この民度の反映が歴代首相に見る非宗教性であると思われます。


【政治と宗教の関係ーUC創始者の国連改革】


久保木修己元UC会長は、著書『愛天愛国愛人』の中で、国際連合の問題点を指摘されました。即ち現在の国連には、①安全保証理事会のメンバーである米英仏露中の五大常任理事国に拒否権が与えられ、肝心の安全保障理事会が機能していないこと、②国連は主権を有する国単位の集まりであり、世界政府の機能を果たせていないこと、③あくまでも国家が構成単位であり、宗教者や宗教団体の意見が反映される仕組になっていないこと、即ち宗教的価値観を反映する機能の欠如という三点の欠陥を抱えているというのです。


政治と宗教は、謂わば体と心のような関係にあり、体が健康であるためには心が健全でなければならないように、政治がよく機能するためには宗教の存在が不可欠であり、この点、現国連は片肺飛行に陥っているというのです。


歴史的に見て、もともと伝統的な社会においては、宗教と政治は、不完全ながら丁度心と体のような共存関係、補完関係にありました。しかし、近代国家においては、「政教分離」の原則のもとに、宗教は公的領域における影響力を失い、「私事」の領域に閉じ込められるようになりました。


もともと政教分離原則は、国家(政府)と教会(宗教団体)の分離の原則(Separation of Church and State)であります。政教分離とは、国家が特定の宗教を国教にして優遇したり、逆に排斥したりせず、国家の宗教的中立を守ることによって、信教の自由を担保するための「制度的保証」であるというのです。即ち、政教分離と信教の自由は手段と目的の関係にあると言えるでしょう。しかし今日、政治は宗教的価値観を失って世俗化し、物質的・経済的利益を追求する傾向が強くなりました。


UC創始者は、こうした国連の課題を解決するため、2000年8月、UPF(天宙平和連合)の前身であるIIFWP(世界平和超宗教超国家連合)の主催で、ニューヨークの国連本部で開催された国際会議「アセンブリ2000」において、「国連超宗教議会」の創設を提唱されました。


世界平和超宗教超国家連合2000総会 ニューヨーク・国連経済社会理事会 2000年8月


国家を代表する政治家や外交官によって構成される従来の国連を「下院」とすれば、一国の利害を超えた地球規模の視点から発想することのできる、宗教家や精神世界の指導者たちによって構成される超宗教議会は「上院」に当たります。これにより、国連は人間の心と体、宗教と政治の両方が代表される総合的な機構となるというのです。


この国連改革を日本の政治に当てはめれば、現在の衆議院・参議院の二院制を改革して、世俗を代表する下院と、宗教世界を代表する上院(超宗教議会)に改変することが理想です。かって宗教者の国会議員による「宗教議員連盟」の設立が模索されたことがありましたが、正にこの宗教議員連盟を拡大して、聖職者・宗教者による上院を設立することを提案いたします。このことにより、日本の政治(家)の非宗教性を克服できるでしょう。しかし、これには宗教者の宗教的霊性と人格が問われますが、今の多神教的日本の宗教事情ではおぼつかないところがあるのは確かです。


既にUC創始者は、何百人の宗教学者を動員し、10年の歳月をかけて超宗教的な「世界経典」を編纂されましたが、これは上院を構成する超宗教議会の理念的アイデンティティーとして活用できる画期的な経典であります。久保木会長は、宗教一致の方案として、①根っこの共通部分を見ること、②共通の目標を探ることの2点を指摘されましたが、人間は、日本人、アメリカ人、韓国人である前に「神の子」であるという宗教的アイデンティティーを確立することが肝要であります。


【UC創始者の驚くべき講演】


UC創始者の活動分野は、宗教に留まらず、政治、経済、思想、言論、文化、芸術、スポーツ、事業など実に多方面に渡りますが、しかし何と言っても宗教家としての業、即ち神の言葉を語るキリストとしての働きこそ最たるものであります。それは、政界、経済界、マスコミ界、学者など世界の要人を前に語られたスピーチの内容に端的に現れています。


<世界言論人会議モスクワ大会のスピーチ>


1990年4月、モスクワで開催された「第11回世界言論人会議モスクワ大会」において、創始者は創立者として基調講演をされましたが、そのスピーチの内容は実に驚くべき内容でした。創始者は、神と人間の統一、精神と肉体の統一、即ち「良心革命」を提示されると共に、1000人以上のジャーナリスト、政治家、要人を前に、なんと「人間の堕落が、成長期間の未完成期に起こったエバと天使長との不倫の性関係にあった」という宗教教理の根幹について語られたというのです。そして韓国での「モスクワ大会勝利歓迎大会」でも、「それでは人間において、愛の起源地、生命の起源地、血統の起源地は果してどこでしょうか。それが生殖器です。ところがこの生殖器が天理を破壊した凶悪な本源地になってしまいました」(『文鮮明師と新ソ連革命』P70)と大胆に罪の起源について語られました。


1990年・11回世界言論人会議モスクワ大会  ゴルバチョフ大統領とのクレムリン会談


また1990年4月11日、創始者はソ連のゴルバチョフ大統領とクレムリンで会見されましたが、この時も「宗教の自由」の必要性と、「ソ連国民の信仰心の復興がソ連の発展に不可欠である。ソ連の成功の秘密は、神を全ての中心に置くことだ」と述べ、統一原理を学ぶことを推奨されました。


<ワシントン・タイムズ財団創立大会の講演>


1996年4月16日、ワシントンのホテルで行われた「ワシントン・タイムズ財団創立大会」での「救援摂理史の原理観」と題する講演は更に驚くべき講演でした。いならぶアメリカのVIPや要人を前に、国際情勢の在り方を語るのではなく、あるいは世界平和の方案を述べるのでもなく、なんと神の天地創造の理想、人間の堕落の原因、救いの摂理の全体像など、神の救援摂理の根本を聖書の奥義を明らかにしながら説かれたのです。正に牧師の説教、あるいは形を変えた原理講義に他なりませんでした。このような説教ともいえるスピーチは、キリスト教の背景を持つアメリカならではのことであります。


先ず創始者は、「神様は御自身の体としてアダムを先に造りました。アダムは神様の息子であると同時に、体をもった神様自身でもあります。その次に、アダムの相対者としてエバを造って、横的な愛、すなわち夫婦の愛の理想を完成しようとしました」と、始めに神の創造理想について語られ、次に、「人類の堕落、アダムとエバの堕落は神様の真の愛の理想に背いた不倫の犯罪です。守るべき戒めが必要だった堕落前のアダムとエバは、未完成段階、すなわち成長期間で堕落しました。蛇で表示された天使長の誘いを受け、エバが霊的に堕落し、そのエバがアダムを誘って(時ならぬ時に善悪の実を取って食べる)肉的な堕落をしてしまったのです」と、人間の堕落の原因について語られました。


そして堕落人間の救いのために、神の救援摂理が始まり、それは、失った真の愛の創造目的を再び回復する復帰摂理であり、また再創造摂理でもあるというのであり、従って、復帰摂理の根本は、いかいして創造理想を完成する人間の種、即ち「本然の赤ん坊の種を見いだせるか」にあると明言されました。無論、この赤ん坊の種とは、原罪なきキリストとして来られる再臨を意味します。こうしてスピーチの内容は、正に神・罪・救いという聖書66巻の展開の通りでした。


更に創始者は、創世記38章のいわゆるユダとタマルの聖書箇所の奥義を紐解かれ、長子権復帰のための神様の摂理、即ちサタンの血統と生命を分立させるための摂理を説明されました。そして、「タマルは選民の血統を続けなければという一念から、売春婦に変装して、舅であるユダを迎え、双子の赤ん坊を身ごもった」とタマルを見上げた信仰者として評価されたのです。双子が生まれる時、先に手を突き出して出ようとした長子の赤ん坊(ゼラ)が再び入り、弟になるべき次子の赤ん坊(ベレツ)が兄になって先に生まれたのですが(創世記38.29)、これこそが、タマルの胎中で長子と次子が争って分立され、胎中復帰がなされた場面、即ち血統転換の場面だというのです。


そして、このような基盤の上に、聖母マリヤが摂理の主流に登場することになります。マリアは聖霊に導かれて、イエス様をザカリヤの家庭で懐胎しました。ここに、歴史始まって以来、初めて神様の息子の種、真の父となるべき種が、準備された母の胎中に、サタンの讒訴条件なく着地したというのです。


創始者はこの講演の中で、イエス様とマリヤ・ヨセフ・ザカリア・エリザベツ・洗礼ヨハネなどとの葛藤や内情を詳細に明らかにされ、「不幸にも、彼らはイエス様を神様の息子として証しただけであって、侍り従った実績は何一つなかった」と述べられましたが、これは「イエス様とマリヤを解放させてあげるためだ」と言うのです。そして、来るべきキリストについて次の言葉で結ばれました。


「再臨主はイエス様が果たせなかった神様の復帰摂理の根本を完成するために来られます。すなわち、創造理想を完成すべき真なる本然の赤ん坊の種として来て、神様の真の愛、真の生命、真の血統の根源になる真の父母の理想を完成するために来られます。彼は、既にイエスの時まで神側が勝利した根本基台の上に臨在されます。すなわち、イエス様が大人になられる時までの勝利的な基盤の上に正しく立たれて、彼が果たせなかった新婦を探し出し、真の父母になられ、万民を救ってくださるのです。それゆえ、真の父母は血統を伝授する新しい結婚行事を通じ、全人類をして、神様の真の愛、真の生命、真の血統に接ぎ木して、真の人として救援し、さらには真なる家庭を成して地上天国を建設なさるのです」


【日本は宗教国家たれ】


1ぺテロ2章9節に、「祭司の国、聖なる国民、神につける民」とある通り、日本もアメリカと同様、名実共に神の摂理を担う宗教国家になりたいものです。前述してきた通り、よい政治にはよい宗教が欠かせません。こと宗教に限って言えば、日本の政治家は、最大の同盟国であるアメリカ大統領とその政権のキリスト教信仰を見習うべきであります。


歴代アメリカ大統領は、いわゆる「メンター」と呼ばれる牧師などによる「霊的アドバイザー」をホワイトハウスの顧問にしてきました。ビリーグラハムは戦後の歴代大統領の霊的顧問であり、韓鶴子総裁主宰の世界聖職者協議会(WCLC)設立集会で祝辞を述べたポーラ・ホワイト牧師は、トランプ大統領の重要なメンターでありました。


日本の政治も、木原氏のような俗人を側近に置くだけではなく、優れた牧師や宗教家を霊的アドバイザーとして特別顧問に置くことを真剣に考えてもいいのではないかと思います。(了)

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