◯つれづれ日誌(令和4年12月21日)-富山市議会決議取り消し訴訟に思うー功山寺決起とエズラの改革に学ぶ
至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり(安倍元総理座右の銘)
この度、画期的な訴訟が提起されました。
12月16日、富山の旧統一教会信者が、富山市を相手に訴訟を提起しました。富山市議会が「旧統一教会及び関係団体と今後一切の関係を断ち切る」と決議したことにより、「憲法の保障する議会への請願権や信教の自由などを侵害された」などとして、市に対して「決議の取り消し」と慰謝料など350万円の支払いを求めて富山地裁に提訴したものです。
【取り消し訴訟の提起とその意義】
筆者は、かって政権党の自民党が党の方針として「統一教会と関係を断つ」と宣言した際、信教の自由違反を理由に、自民党を相手取って訴訟を含む何らかの抗議行動を取るべきだと主張し、つれづれ日誌でも明記しました。
この点、数量経済学者の高橋洋一氏は、自民党が「UCとの関係を絶つ」と宣言し、各議員にUCとの関係について「アンケート調査」を行った行為は実質的に思想調査であり踏み絵だと明言され、憲法の「思想及び良心の自由」(憲法19条)、及び「信教の自由」(憲法20条)に抵触する可能性があることを指摘されました。特に信者が自民党の公認をとるとき問題になり、訴訟になる点を示唆されました。
現に自民党徳島市議会議員を6期も務めた現職議員は、統一教会信者であることを公言したため、自民党徳島県連から理不尽にも公認を出さない旨、通達されました。あるキリスト教牧師は、このような一連の自民党の態度は、あまりにも恩知らずの人道に悖る行為だと断罪されていました。
従って、筆者はこの富山の訴訟提起のニュースを耳にした時、「やっと立ち上がってくれたか」との感激と共に、これを強くバックアップしなければならないとの思いに駆られた次第です。正にこれは天の声であり、「主が言われる。復讐はわたしのすることである」(ロマ書12.19)とある通り、天が報復を始められました。
<原告の主張>
原告信者は、「富山をよくするために藤井裕久市長や保守系市議会議員らを応援し、選挙協力に力を尽くしてきた」と述べ、しかし、安倍晋三元首相の銃撃事件以降、一方的報道によって「突然巻き起こった社会的偏見の嵐にさらされることになった信者たちは、息をひそめるようにして事態の成り行きを見守るほかはなかった」と告白しました。
訴えによると男性は、市議会が可決した教団との関係を断つ決議の取り消しを求めるため、議会への請願に必要な「紹介議員」になるよう複数の議員に掛け合ったものの、決議を理由に断られたと主張し、決議により請願権や信教の自由などが侵害されたとして、訴訟に踏み切ったものです。提訴後に会見した男性は「信者も含めすべての市民に対して中立、公平、平等であってほしい。市政に参加し、意見する場を取り戻したい」と述べ、「これはただの宗教差別であり、宗教を理由とした村八分でしかありません」と主張し、信者の政治参加を排除しないよう訴えました。
訴訟代理人の徳永信一弁護士によると、富山市の他にも、大阪市と富田林市でも同様の訴訟を、23日に提訴することを明らかにしました。
ちなみに、徳永弁護士は、令和4年11月号『正論』に「統一教会問題が暴いた戦後レジームの欺瞞性」と題する記事において、京大の学生時代、UCの施設に出入りし教義に触れたことがあり、かなり興味を持ったと証言されています。
徳永氏は、イエズス会系の幼稚園に通い、聖書になじんでいたこともあって、UCの「福音書解釈の巧みさに感銘を受け、加えてマルクス主義が依拠する哲学(唯物論)、歴史観(階級闘争史観)、そして経済学説(労働価値説)に対する批判には、知的好奇心を大いにくすぐられた」と述懐されました。
しかしそれでも信仰には至らなかったのは、その原罪理解に起因する「性と恋愛に対する厳格さ」であったと率直に吐露しています。 つまり、若かった徳永氏には、「性愛に禁欲的な信仰生活はとても耐えられないと思えた」と告白した上、テレビなどで統一教会の信仰体系を小ばかにし、違法な洗脳があったと決めつけ、信仰者を哀れむコメントを吐く出演者の高慢に遭遇するが、「吐き気をもよおす」と切り捨てています(正論P129)。
そしてこの度、こうした原体験を持つ徳永氏が、40年以上の歳月を経て、今度は世間から叩かれているUC擁護のために弁護役をかって出たというのです。なんという見えざる神の計らいでしょうか。神は徳永信一という人材をこの日のために取っておいて下さっていたのです。少なくとも筆者にはそう思われました。
徳永氏はツイッターで次のように述べています。
「そんな民衆の敵を擁護して、イエスと同じゴルゴダの丘を登ることが弁護士の理想だった。そんな理不尽な弾圧が目の前に起こったら、僕は彼らの擁護のために立ち上がるのが弁護士の正義だと思う。弁護士冥利に尽きる光栄だ」
徳永氏は、富山市議会の「統一教会とは一切関係を持たない決議の取り消しを求める裁判」で、 市議会の決議が、憲法15条(請願権)、憲法20条(信仰の自由)、憲法14条(法の下の平等)に違反する処分であることは明らかだと主張しています。
<令和の「功山寺決起」>
一体今どき、公の市議会が特定の宗教団体を名指して「今後一切の関係を断ち切る」とは何という暴挙、何という浅はかさ、何という人権侵害でしょうか。正に風評の類いのマスコミ情報とそれを鵜呑みにする世論に忖度した衆愚政治の典型です。
筆者は富山の訴訟提起を耳にした時、この勇気ある賢明な信者の行動に、ちょっと大袈裟に聞こえるかも知れませんが、令和の「功山寺決起」(こうざんじけっき)を想起し、そして、これを請け負った徳永代理人に、あのバビロン捕囚からユダヤ人を解放したペルシャのクロス王を連想しました。 ちなみに「功山寺決起」とは、幕府にただ恭順を示すだけの長州藩の佐幕派(俗論派)に対して、敗けを覚悟で敢然と反旗を翻した正義派高杉晋作(1839~1867)の決起です。 高杉晋作は1864年12月15日夜半、功山寺で挙兵しましたが、功山寺に集結したのは伊藤俊輔(博文)率いる力士隊と石川小五郎率いる遊撃隊と、義侠心から参加した侠客のわずか84人だけで、対する相手は数千人でした。
挙兵日は赤穂浪士の吉良邸討入と、吉田松陰が東北遊学の為に危険を冒して脱藩した日である12月14日と定めました。高杉らは挙兵に際して、自ら死を覚悟して義のために戦った赤穂浪士や、師である吉田松陰の覚悟を、挙兵する自らになぞらえていたと言われています。そして12月15日深夜、遂に高杉晋作らは多くの反対を押し切って功山寺にて挙兵しました。高杉は上背150cm位でしたが、精悍な人物で、師の吉田松陰より「生きている限り、大きな仕事が出来ると思うなら、いつまででも生きよ。死ぬほどの価値のある場面と思ったら、いつでも死ぬべし」と教えられており、高い志を持っていました。高杉は吉田松陰が主宰していた松下村塾に入り、久坂玄瑞、吉田稔麿(としまろ)、入江九一と共に松下村塾四天王と呼ばれていたのです。
この吉田松陰の教えが、高杉に周囲の反対を押し切って、勝ち目のない挙兵を動機付けたと言われ、死を覚悟した高杉は知人に遺書まで託しています。 高杉の決死の挙兵は、のちに奇兵隊ら諸隊も加わり奇跡的に勝利し、1865年3月には長州藩の佐幕派(俗論派)を一掃して藩の実権を握りました。この決死の挙兵の勝利は、長州藩を倒幕に導き、以後、1866年の薩長同盟、第二次長州征伐戦争勝利、1867年大政奉還、王政復古と続く倒幕運動と明治維新の成功に決定的な転換点となりました。後に総理になる伊藤博文や山県有朋は、共に吉田松陰の門下生であり、また高杉の決起軍に参加し、高杉から薫陶を受けて明治政府の立役者になりました。
そして安倍晋三元総理は郷里の高杉晋作をこよなく敬愛し、晋三の「晋」の字は晋作から取ったものと言われています。
筆者は、この度の富山での訴訟の意味は大きく、今後も続くと思われる同様の議会決議への牽制になるだけでなく、またひとりUCの事案に留まらず、広く信仰の自由、国民の平等な権利、宗教活動の理解に資する歴史的な訴訟になると確信しています。願わくば、功山寺挙兵が倒幕維新への大きな一石になったように、今回の訴訟がUC問題への潮目の転換点になることを祈念するものです。
次の言葉は、安倍元総理の座右の銘でもある吉田松陰の著書「講孟余話」から取った名言です。
至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり(出典『孟子』離婁<りろう>上)
【エズラの改革に学ぶ】
「ペルシャ王クロスの元年に、ペルシャ王クロスの心を感動されたので、王は全国に布告を発し、また詔書をもって告げて言った。『天の神、主は、主の宮をユダにあるエルサレムに建てることをわたしに命じられた。神の助けを得て、ユダにあるエルサレムに上って行き、イスラエルの神、主の宮を復興せよ』」(エズラ記1.1~3)
前記は、エズラ記冒頭の聖句です。 BC586年、ユダ王国が新バビロニアに征服され、神殿を破壊された上、指導者層がバビロンに連行され、捕囚となりましたが、前538年にアケメネス朝クロス2世によって解放されました。
半世紀以上にわたる捕囚の苦難を過したユダヤ人をバビロニアから解放したのは、なんとメシアならず異邦人であるペルシアの王クロスでした。つまり、天地を創造した神は、アッシリアを使って北イスラエルを滅ぼし、バビロニアを用いて南ユダを打たれ、遂にはクロス王に働いてユダヤ民族を解放されたというのです。ユダヤ民族を打たれたのも、救いの手を差し伸べられたのも同じ神でした。
筆者はこのバビロン捕囚・解放・再建の一連の出来事が、何か現下のUCとだぶって感じられてなりません。「つれづれ日誌(令和4年8月17日)」においても、「心なしか現下のUCの現況が、このバビロン捕囚と重なって感じられてなりません。バビロン捕囚の大患難に際して、イスラエルが何を悔い改め、何を悟り、何に復活の道筋を見出だし、如何にしてメシアを迎える民として立ち直ったか、これを今のUCの受難とダブらせながら考えて見たいと思います」としたためています。
今回は特に、クロス王による解放後、エルサレムに帰還後、律法を整備し、民を分別して霊的覚醒をなして、民族の宗教的アイデンティティーを確立した「預言者エズラ」に注目しました。何故なら、エズラの霊性改革は、私たちがこれから進むべき改革の在り方を端的に示してくれているように感じられるからです。
<エズラの改革>
一体、エズラは如何なる預言者で、何をしたというのでしょうか。
エズラは、エズラ記の著者であり、大祭司ヒルキヤの子孫で、ペルシャ宮廷の律法の書記官でした。バビロン捕囚の間は、神殿もなく祭司として働くことは出来ませんでしたが、その間、モーセの律法を熱心に学んだ律法学者でした。即ち、エズラは高級官僚、祭司、律法学者、そして預言者でした。
エズラは、前538年にゼルバベルに率いられた最初の帰還から約80年後、前458年エルサレムに到着し、律法によってユダヤ民族をまとめなおそうとしたユダヤ教復興の祖と言われています。 ゼルバブルは神殿を再建(前515年)し、エズラは信仰を再建しました。
キリスト教徒は、旧約聖書の偉人として、アブラハム、モーセ、ダビデ、預言者イザヤやエレミヤといった名前を挙げるのが相場と言われいますが、しかし、エズラを挙げる人はほとんどいません。 エズラ記などには、エズラのリーダーとして見せた勇気、記した書巻、主と主のみ言に対する揺るぎない信念がつづられているにもかかわらず、「偉人」リストに挙がってこないというのです。しかし、ユダヤ人が聖書の偉人と言う時、ほとんどの場合、エズラの名前が真っ先に挙げられるといいます。 ユダヤ人の歴史の中で、エズラ以上に重要な人物はダビデ王だけだと言われているほどだといいます。
祖国と神殿を失ない、神の臨在と守りの全てを失った喪失感は「われらはバビロンの川のほとりにすわり、シオンを思い出して涙を流した」(詩篇137.1)で始まる詩文の中に余すところなく現れています。神殿が完成した後、エズラが歴史の舞台に登場するのはそれより約60年後のことですが、その頃になると民全体の信仰は堕落の一途をたどるようになっていました。そして神は、絶望に沈み、未だ異教の思想や風習を分別できないユダヤ民族に、その解放のメッセンジャーとして、情熱、高潔、カリスマ性を持ち、ユダヤ人に、主への愛とみ言に仕える心を呼び起こす霊性の人、エズラを送られたというのです。
エズラは、祭司、書記、律法学者、そして預言者として当時のユダヤ教に大きな影響を与えたにとどまらず、歴史的に「み言の回復」に尽くし、ユダヤ教を確立しました。神とみ言への愛を復活させるために、全地域の離散したユダヤ人共同体に、「トーラー研究専門学校」制度を設立し、み言を祭司の独占から解き放ち、人々の手と心の中に書き写した人物として歴史に名を残すことになりました。またエズラは、「シナゴーグの考案者」として高く評価されています。 更にエズラは、バビロン中で最も尊敬されていた学者であり、「最終的なトーラー編集の責任者」でもありました。エズラはバビロンのユダヤ人共同体で書かれた文献に貢献したことでも有名で、聖書学者たちは、エズラはエレミヤ書・第二列王記・第二歴代誌の一部とエズラ記の全部、ネヘミヤ記の数章、そして詩篇119篇を記したと言っています。
また特筆すべき改革は、ユダヤ人に蔓延していた雑婚(異教徒との結婚)の罪を糾弾し、異教徒の妻と子どもを追放することを断行したことです。ソロモンの事例でもそうでしたが、異民族との結婚は、偶像礼拝をもたらすからであります。
「時に祭司エズラは立って彼らに言った、『あなたがたは罪を犯し、異邦の女をめとって、イスラエルのとがを増した。それで今、あなたがたはこの地の民および異邦の女と離れなさい』」(エズラ10.10~11)
こうして、エズラの知恵と霊性により、ユダヤの歴史の道筋が変わりました。ネヘミヤ記8章には、こよなくみ言を愛したエズラが、律法の書(トーラー)を手に何千人ものイスラエル人の前で律法を朗読し解き明かしたと書かれています。
「祭司エズラは律法を携えて来て、男女の会衆およびすべて聞いて悟ることのできる人々の前にあらわれ、あけぼのから正午まで、男女および悟ることのできる人々の前でこれを読んだ」(ネヘミヤ8.2~3)
エズラは大いなる神、主をほめ、 民はみな起立して律法の書に耳を傾けました。そして民はその手をあげ「アーメン、アーメン」と言って答え、こうべをたれ、地にひれ伏して主を拝して泣いたというのです。 エズラと総督のネヘミヤと、民を教えるレビびとたちは、すべての民に向かって「この日はあなたがたの神、主の聖なる日です。泣くことをやめなさい。」(ネヘミヤ8.9)と叫びました。
そしてその結果、この日、民は変えられたのです。歴史を見ると、ここでユダヤの民が個人として、また集団として悔い改めに導かれたことが分かります。民はついに自分たちの神とそのみ言に、再び結び合わされたというのです。エズラ記は霊的覚醒の書と言われ、正にエズラは、悔い改めとみ言の力による宗教改革者でありバイバリストでした。
ちなみに、エズラ記は神殿の再建と信仰の回復に焦点を合わせた書、ネヘミヤ記は城壁と生活の改善、及び律法の確立に焦点を合わせた書であります。両書には、神殿を再建したゼルバベル、民に律法を教え、霊的覚醒をもたらしたエズラ、城壁を再建し民の社会生活と経済生活を確立させたネヘミヤが主人公として描かれています。
<私たちへの適用>
以上に見てきましたように、イスラエルは未曾有の試練の中で、深い悔い改めの中からヤハウェの無力への懐疑や不信を克服して、民族を越えた唯一創造の救済神を見出だし、その神との再結合によって、より堅固な神の民、メシアを迎える準備された民に脱皮しました。
私たちは正に「令和のバビロン捕囚」の只中にいると言えるでしょう。私たちもまた、深い悔い改めの上に、天地を創造し、歴史を司り、UCの群れを導かれる生きた神に改めて回帰し、「令和のエズラ改革」を断行すべきです。唯一の神、摂理される神、救済の神との再結合です。
そしてかの捕囚後のユダヤが、エズラの声に耳を傾け、み言に回帰することで回心し復活したように、私たちも、そしてUCも神の言葉に回帰し、再臨のキリスト、成約の救いを大胆に宣べる「福音的な教会への大転換を図れ」という神の声に耳を傾けたいと思います。
おしまいに敢えて言うなれば、今回のUCバッシングは、ワイドショーに象徴される世俗的ヒューマニズムに染まった日本に一石を投じ、本質的な問題提起をされる神の深謀遠慮ではないかとさえ感じることがあります。奇しくも徳永信一弁護士が正論で「統一教会問題は戦後レジームの欺瞞性を暴く契機」と指摘されている通りです。
マスコミの魔女狩り的なUC叩きや賛否両論の沸騰する議論を通じて、宗教や献金の本質とは何か、信仰に伴う犠牲の意味、信仰の自由や宗教と政治の在り方、反宗教的な世俗的ヒューマニズムへの警鐘、そしてそもそもUCとは何者でその理念とは何か等々、タブー視され隠されていた論点が白日のもとに明らかになるような気がしています。
以上、富山市議会への訴訟とその意義、そして高杉晋作の功山寺決起とイスラエルのバビロン捕囚後のエズラ改革の意義について、UCの試練との関係で述べました。(了)
宣教師 吉田宏
上記画像*上から順に 徳永信一弁護士、預言者エズラ
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