◯つれづれ日誌(令和5年9月13日)-岸田政権のUC解散請求方針の危険性-史上最悪の反キリスト政策
主は殺し、また生かし、陰府にくだし、また上げられる。主は貧しくし、また富ませ、低くし、また高くされる( 1サムエル記2.6~7. ハンナの祈り)
文部科学省(文化庁)は9月6日、世界平和統一家庭連合(以下、UCと呼ぶ)に対し、宗教法人法に基づく質問権行使に適切に対応していない、即ち教団側は500項目のうち2割の約100項目に回答しなかったとし、これは回答拒否に該当するので行政罰の過料を求めることを決め、同日宗教法人審議会(文部科学相の諮問機関)で了承を得て、翌7日、過料を科すよう東京地方裁判所に郵送で通知しました。
宗教法人法は質問権行使に対し、法人側が回答を拒んだり虚偽の報告をしたりすれば10万円以下の過料(行政罰)を科せると定めています。同庁は2022年11月に同法に基づく質問権を初めて行使し、23年7月まで7回にわたり組織運営、財産、活動実態などの回答を求めてきました。
【記者会見】
上記文科省による過料申し立てを受けて、9月8日、教団本部でUCは記者会見を開き、UC顧問弁護士の福本修也氏と法務局長が本件に対する考え方と経過を述べ、記者の質問に応答しました。
この記者会見の内容は動画でも発信されていますが、結論としては、文科省の過料は認められず、全面的に争うということであります。即ち、教団は、「そもそも質問権行使は違法であり、回答する理由はないと考えているが、しかし質問には毎回真摯に回答してきた。従って過料の裁判では質問権行使自体の適法性を含め徹底的に争う」との見解を公表しました。
つまり、過料の前提になっている質問権行使自体が違法であること、従って質問に回答すること自体、本来拒否できる性格のものであること、しかし、教団としては諸般の情勢に鑑み、可能な限り誠心誠意回答し文科省に協力してきたこと、などの説明がなされました。従って、質問に答えていないどころか、十分対応しており(段ボール十数箱分の回答をしている)、文科省の主張は的外れという他ありません。
教団は5日、ホームページで「当初から、質問権の行使は違法であり、回答する理由はないと考えてきたが、当法人のコンプライアンスや社会と国民に貢献できる公益法人としての歩みを正確に伝え、少しでも理解してもらうために、信者らのプライバシーおよび信教の自由などを守りつつ、質問に毎回、真摯に回答してきた。そもそも当法人が解散を命じられる事由はなく、過料は認められない」と説明しています。
【理不尽な質問権行使と過料申し立て】
文科省は過料申し立てとは別に、解散命令請求の可否をする構えであり、今回の過料の一件は、裁判所にUCの解散請求を申し立てるための布石だと思われます。宗教法人法81条1項は「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をした場合」に裁判所が解散を命じることができると定めており、岸田首相はこれに該当するか否かを精査した上で解散請求に踏み込むとものと予想されます。
政府は、従来の「刑事罰に限る」としていた宗教法人の解散事由を、一夜にして解釈変更し(2022年10月19日)、民法上の不法行為でも「組織性・悪質性・継続性」が認められれば解散命令の要件に当たるとの新たな基準を設けました。野党でさえ朝令暮改と揶揄したこの前代未聞の解釈変更が、白昼堂々と岸田首相によって行われたというのです。
宗教法人法は、質問権の行使の要件を「法令に違反して、著しく公共の福祉を害する行為の疑いがある場合」(78条2)と規定しています。岸田首相は2022年10月17日、文科大臣に質問権行使を指示した上、18日の国会答弁では、この規定でいう「法令違反」は刑事事件を指すとの見解を示しました。しかるに翌19日には「民法の不法行為も入る」と一夜にして解釈を変更したというのです。これを受けて永岡文科大臣は、過去の民事訴訟で教団や信者らの不法行為責任を認めた判決などを根拠に、質問権を行使しました。
これに対し、教団は意見書で、民法の不法行為は、質問権の行使の要件とされる法令違反には当たらないと主張し、政府の解釈変更について、「一夜にして法解釈を変更しており、法治主義の理念に著しく反する」と指摘しました。従って違法な質問権行使に基づく過料申し立ては、そもそもその前提を欠き、理不尽であることは明らかです。にも拘らず、前述の通り、質問に関しては、個人情報に配慮しながら誠意を持って回答してきました。このようにUCとしては、そもそも質問権行使は違法であること、しかし文科省の質問に対しては可能な限り誠実に回答したこと、従って過料の申し立てには理由がないことを主張しました。
国際弁護士中山達樹氏の小冊子『拝啓. 岸田文雄首相ー家庭連合に、解散請求の要件なし』(光言社)には、「法令」の解釈を巡って次のように明記されています。
「会社法や一般社団・財団法人法の解散事由は、『刑罰法令に触れる行為をした場合』である。会社法等が『刑罰法令』違反に限定しているのに、より厳格に解釈されるべき宗教法人の解散で、広く不法行為を含むのは著しく均衡を欠く。それゆえ、宗教法人法81条1項1号の『法令』には民法を含まない。これが確定した判例である(オウム真理教高裁決定、平成7年12月19日)。判例に反する判断は国民の予測可能性を奪い、信教の自由を侵害する」(P4)
また、同書には、UCに解散請求や質問権行使の要件である「組織性・悪質性・継続性」が全く認められないことが、過去の民事訴訟の分析や他宗教法人と対比しながら明確に論証され、従って裁判所は「政府文科省の解散請求を認めることはない」と結論付けられています。
専門家によっては、「判例の解釈変更は憲法解釈の変更ではないので、政府でも可能であり、解散事由の『法令』に民法の不法行も含まれ得る」といった見解もありますが、確定された判例解釈の変更は専ら裁判所にその権限があり、また信教の自由を保護する宗教法人法の精神に照らして、前述した記者会見の法律解釈は妥当であり、筆者は全面的に支持したいと思います。
【岸田首相はルビコン川を渡ったのか】
さて世界日報9月4日の12面に、「解散請求は、結果がどうなるか分からないが、やれることは全部やるしかない。もうルビコン川を渡ってしまったから、後戻りはきかない」との文科省関係者の発言の記事が出ていました。では、岸田文雄首相も、既に解散請求に向けてルビコン川を渡ったのでしょうか。
質問権行使を通じて解散請求の証拠集めを行ってきた文科省のやり方の中で、最も許せない態度は、「左翼と野合してUC潰しに奔走している」という点であります。即ち文科省は、解散請求の根拠になる証拠固めを、いわゆる左翼の全国弁連や左派系マスコミ、そして脱会者(元信者)などの極めて偏った一方的な情報のみに依存してきたという事実です。
昨年8月31日、岸田文雄首相は、マスコミや世論に忖度して、何の法的根拠も示さずUCとの「絶縁宣言」を行い、同10月17日には、教団への解散命令請求を視野に宗教法人法に基づく「質問権」を行使することを表明し、文部科学大臣に速やかに着手させると表明しました。宗教法人に対する質問権の行使は、平成8年にこの規定ができて以来初めてとなる前代未聞の出来事です。
そしてこの意向を受けてルビコン川を渡った文科省が、こともあろうに左翼と一体となって、最も体を張って無神論(左翼)と戦ってきたUCを葬るために、なりふり構わず解散請求という理不尽なゴールに向かって走っているというのです。このような反宗教的、反キリスト的な政府・文科省の在り方は、信教の自由の侵害に当たるだけではなく、歴史を摂理されてきた神の意思に反するものであり、神は絶対に許されることはないでしょう。ロマ書12章19節に、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」とある通りです。
筆者は、文科省が過料申し立てをしたあと、文科省の正門を閉じて、職員などが裏口から入るように厳戒態勢を引いたという報道を聞いて唖然としました。一体、文科省は誰に対して、何に対して警戒しているというのか、あるいは厳戒態勢を取らなければならないほど身に覚えがあるのか、筆者は、日本の官僚機構の偏った硬直性と去勢された脆弱性をまざまざと見せられたような気がして、日本の明日に寒気がしたことを告白いたします。
【岸田政権の反宗教性と歴史の逆行性】
岸田政権と岸田首相が、我知らずのうちに反宗教的政策に手を染めてきたことは、筆者は既に「つれづれ日誌(令和5年8月2日)-反キリスト政策への神の怒り」の中で述べています。
昨今の岸田政権と自民党の支持率低下の原因は、岸田首相(岸田政権)の反キリスト的政策にあり、それと共に、「理念なき世論におもねる政治」 、即ち、世論への忖度が唯一の物差しである政治の結果であると断言できるでしょう。
岸田首相の長男・翔太郎氏が、6月1日、官邸を私物化したことで首相秘書官を事実上更迭され、政策的には、河野デジタル大臣によるマイナンバーカードをめぐる致命的な失策が支持率低下の発端となりました。この河野太郎氏は、昨年10月、消費者庁にUCをめぐる「有識者検討会」を立ち上げ、こともあろうに、公正中立を旨とすべきメンバーに全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)の紀藤正樹弁護士を入れました。紀藤氏は反UCの急先鋒で、強制脱会に手を染めた左翼弁護士であり、一説には、河野太郎氏と旧知の仲との噂があります。 またこの度、洋上風力発電をめぐり、逮捕された原発反対急先鋒の秋本真利衆議院議員は河野氏の最側近であります。
更に6月16日に強硬可決したLGBT理解増進法は、正に戦後最悪の法律で、岩盤保守層が政府と自民党から離れる決定的な法律となりました。作家の百田尚樹氏は、LGBT法の成立を受けて、自民党と訣別し、「日本保守党」をジャーナリストの有本香氏と共に立ち上げました(10月17日正式結党)。有本氏は、有田芳生などの反対勢力による圧力は半端ではないことを吐露した上、「自民党旧知の政治家と絶縁することを恐れない。批判は覚悟の上、批判やアンチは養分と思って前に進む」と決意のほどを述べています。
これは我がUCにもそのまま教訓としたい言葉です。私たちは、岸田政権がUCを切る前に、百田氏同様、むしろ私たちから岸田政権に引導を渡すという姿勢を持ちたいと思います。またこれを機会に自民党を卒業し、独自の新しい愛国的集団に脱皮する願ってもないチャンスだと思料しますが、如何でしょうか。
そして、とどめは木原誠二官房副長官を巡るスキャンダルです。木原氏の妻の殺人関与の嫌疑、政治的圧力をかけて警察の捜査を中断させたのではないかという疑惑、そして木原氏の女性問題への常識外れの非倫理的行状が大問題になっています。この木原氏は、岸田首相の知恵袋とも影の総理とも言われ、岸田首相の政策に決定的な影響を与えてきました。前記のUCへの質問権行使にも、更には、岸田首相をして「UCと断絶する」と言わしめた憲法違反の発言にも、陰に陽に影響を与えたことは想像に難くありません。結局、9月13日の内閣改造で木原氏は官房副長官の退任を余儀なくされました。
こうして見ると、法律違反の質問権行使にせよ、日本の骨格を破壊するLGBT法にせよ、倫理観欠如の木原問題にせよ、岸田首相は我知らずのうちに、反キリスト的、反宗教的政策に手を染めており、このような政権を神が許されるはずがないことは明らかです。因果は巡ると言いますが、こうしてUC絶縁宣言をした岸田首相も、紀藤正樹氏を使った河野氏も、岸田首相に入れ知恵した木原氏も、反宗教的政策を強硬した報いを受ける羽目になりました。これらは皆、神の警告であることを知るべきであります。
【解散請求は、神を否定する暴挙】
最大の問題は「解散請求に踏み切ることで政権として教団側と決別する姿勢を示したい」という岸田首相の姿勢です。元検事の若狭勝弁護士がいみじくもその危険性を指摘されているように、この解散請求が純然たる法律的判断ではなく、自民党政権がUCと断絶したことのアリバイ作りといった政治的思惑や選挙目当てによって行われるなら大問題であります。
解散請求に踏み切るということは、裁判所の法的判断は別として(裁判所は解散請求を認めない)、岸田政権・岸田首相が、UCは日本に害悪な宗教団体だと公式に認定し、国家の意思でUCを完全否定、排斥することに他なりません。教団側にとっては、まさに死刑宣告であります。それは岸田首相が知ると知るまいと、あるいは好むと好まざると、宗教的観点、即ち神の救済歴史観から見て、致命的な結果をもたらし、日本が衰退していく元凶になることは明らかであり、この責任は岸田首相とその氏族が未来永劫に負うことになるでしょう。申命記に、「わたしを憎むものには、父の罪を子に報いて三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には恵みを施して千代に至るであろう」(申命記5.9~10)とある通りです。
何故なら、岸田首相には理解の範疇を超えることでしょうが、日本UC信者は、身を捨てて神の救済摂理の中核を担ってきた群れであり、また無神論・唯物論を標榜する共産主義と真っ向から戦って、神の復権を目指してきた愛国的集団であるからです。UCが創設以来、常に批判され、バッシングされたのは高額献金問題があるからというより、共産主義の無神論思想の欠陥を指摘してその間違いを理論的に明らかにし、人間と社会の根源的な改革に挑んできたからであるというのです。 ちなみに共産党の志位和夫委員長は、「何故共産党は結党以来100年間、常に叩かれ批判され続けてきたのか」との問に対して、「これは共産党が社会を大本から変えようとする革命政党だからだ」と答えていましたが、逆の意味でUCが叩かれるのは、徹底的な神主義を標榜する革命的な宗教であるからであります。
筆者は宗教家・牧師として、改めて岸田文雄首相に警告いたします。世論に忖度してルビコン川を渡り、このUCを政権維持と選挙目当てのために切り捨てる(解散請求する)なら、岸田氏は、当然その報いを受けることになり、ユダのような背信者として、未来永劫、歴史に汚点を残すことになることでしょう。これは決して脅しではなく真実であり、愛に基づく諫言であります。ゆめゆめ間違った選択をして、あのバテレン追放令を出した豊臣秀吉(1587年)や、キリシタン禁教令を出した徳川幕府(1614年)のような反キリスト政策の轍を踏まないよう強調したいと思います。
【大艱難に際して】
この未曾有の大艱難に際して、筆者が霊感を受けて今まで繰り返し述べてきたことが三つあります。第一にこの大艱難は、神の霊妙な計画(計らい)の中にあること、第二に安倍晋三元首相はUCが葬られることを決してよしとされず、岸家三代の霊はUCと共にあって必ず働くということ、そして第三に、このバッシングはUCと信徒が新しく生まれ変わるためのよい機会であることであります。この三つの霊感は、今でも筆者の変わらざる確信であり、正に「神は、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さる」(ロマ書8028)とある通りです。
奇しくも有本香氏が、「批判やアンチを養分に」と語りましたが、試練は恵みに、十字架は必ず復活に通じると固く信じるものです。イスラエルやキリスト教の歴史を見るまでもなく、およそ豊かになって滅んだ宗教はあっても、迫害によって滅んだ宗教はありません。まさにキリスト教は殉教によって発展してきた宗教であります。おしまいに1サムエル記のハンナの祈りの一節を共有したいと思います。
「主は殺し、また生かし、陰府にくだし、また上げられる。主は貧しくし、また富ませ、低くし、また高くされる」( 1サムエル記2.6~7) (了)
牧師・宣教師 吉田宏