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平和とは何か 文鮮明先生における平和の考察

◯徒然日誌(令和6年8月14日)  平和とは何かー文鮮明先生における平和の考察 

 

終りの日に次のことが起る。律法はシオンから出、主の言葉はエルサレムから出る。彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。(イザヤ2.2~4)

 

冒頭のイザヤの言葉「彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない」(イザヤ2.4)は、国連広場の壁に書かれている有名な平和の聖句であり、この一節に国連の平和の理念が端的に語られている。 

 

しかし、世界は今、ロシア・ウクライナ戦争やイスラエル・イラン紛争に代表されるように、様々な形の争いの坩堝の中にあり、世界の火薬庫と呼ばれる中東は、まさに一触即発の危機の中にある。人類の歴史はアダムの家庭における殺人事件(カインがアベルを殺害、創世記4.8)以来、闘争の歴史であり、聖書は、「人類歴史は善と悪の闘争の歴史である」と語っている。およそ人間のいるところ、個人、家庭、氏族、民族、国会、世界に至るまで、有史以来争いは絶えなかった。つまり、人類歴史は平和の対極にあったのである。では人類が希求する平和とは何か、今回は「平和」について考察する。 

 

【平和の概念】 

 

文鮮明先生(以下、「創始者」と呼ぶ)は、「平和」という言葉を頻繁に使っておられる。例えば、世界平和家庭連合、天宙平和連合、世界平和女性連合、世界平和超宗教超国家連合、世界平和教授アカデミー等々。また自叙伝『平和を愛する世界人として』にも平和という文字が見られる。これは創始者が如何に平和という言葉を重視されているかの証左である。 

 

しかし、「平和」という言葉ほどあいまいで抽象的な概念はなく、平和とは何かを定義するのは、そう簡単ではない。平和には大きく「現実的平和」と「恒久的平和」があると考えた場合、現実的平和とは、特に国家・民族間の「戦争のない状態」と一応定義できる。現に世界は、様々な紛争を抱えており、現実の世界は平和の状態にはない。神に選ばれた自由の国アメリカを中心とした自由主義陣営は、結束して独裁的覇権国家を屈服させなければならない。これが「現実的平和」の原則である。ちなみに独裁的覇権国家とは、ロシアであり、中国であり、北朝鮮であり、そしてイランである。これらの国々が世界平和を損ねる元凶となっている。 

 

また、国家間の争いだけでなく、世界には民族間の争い、人種間の争い、宗教間の争い、思想間(特に共産主義)の争い、貧富の争いなどがある。更に言えば、家庭内での争いがあり、究極的には個人内にも心と体の争いがあり、まさに世界は争いの連鎖の中にある。パウロは次のように内なる争いを告白し、我が内に平和はないと吐露している。 

 

「すなわち、わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。わたしは、なんというみじめな人間なのだろう」(ローマ書7.22~24)

 

<イスラム国家、共産主義国家の平和>

 

以下は、イスラム国家、共産主義国家の平和の概念である。 

 

イスラム研究家の飯山陽氏は、イランのようなイスラム至上主義国家は、平和とは戦争やテロのない状態のことを指すのではなく、イスラム的世界秩序が実現した時、即ち全世界がイスラム教を受け入れた時、はじめて平和が達成されたと考えるのであると言われた。例えばイランやハマスは、地図上からイスラエルが消滅した時、はじめて中東の平和が実現すると考えるのである。 

 

同様に、共産主義のいう平和論は極めて明確で、端的にいうと、共産主義の平和とは、共産主義世界観に基づく共産主義社会が実現された状態であって、平和運動とはそれの邪魔になる障害物を除去することであるという。共産主義社会実現に対し、最も大きな障害になっている勢力は米国であるから、マルクス主義者は米国とは言わないで、「米帝国主義」と言い、それと反対の勢力、即ち共産主義勢力を「平和勢力」と言う。従って「米帝国主義」や日本などのいくらかでもそれに近い勢力は「平和の敵」であり、それに対する闘争を「平和闘争」と称する。つまり、争い自体が平和の手段なのである。(世界平和教授アカデミー会長 松下正寿)

 

<勝共連合の平和論> 

 

日本UCは、1968年、「このままでは日本が滅びる」との愛国者としての危機感と、「神を否定する哲学を許せない」という宗教家としての信念から、「共産主義は間違っている」とのスローガンを掲げて、大学や街頭での宣伝や集会などを行い、草の根的な勝共運動をスタートさせた。 

 

久保木修己初代国際勝共連合会長は、勝共とは単なる反共ではなく、キリスト教的な「神主義」(ゴッドイズム)を基本理念としており、共産主義の本質を「神を否定する思想」、即ち「神への反逆の思想」と捉える平和啓蒙運動であると言われた。そして、「共産主義は神と人間を断絶させ、神を葬り去ろうとした思想です。つまり神の敵であり、故に人類の敵です。また全ての宗教者の敵です」(著書『愛天愛国愛人』P100)と言われた。即ち、平和の最大の敵は共産主義であり、無神論を標榜する共産主義に勝利し屈服させない限り、真の平和は来ないのであり、これが勝共運動の平和論である。 

 

また久保木会長は、共産主義は憎悪と反逆を動機として、人間の罪の性質(堕落性)を理論化して現れた思想であり、何よりも自らが内なる罪と戦う姿勢が大切であると強調され、「神の喪失と愛の喪失、これらを見失っているところに、人類の最大の不幸がある」と言われた。故に勝共運動の本質的意義は、「これらの二つを再発見することによって、世界の真の平和を実現することに帰着するのです」(著書P102)と強調された。 

 

<イエスに見る平和思想> 

 

マタイ伝10章34節に「地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである」というイエスの有名な言葉があり、また「わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。そして家の者が、その人の敵となるであろう」(マタイ10.35~36) との言葉がある。 

 

このイエスの言葉を文字通り捉えれば、戦争を肯定し、夫婦親子など家庭の争いを奨励し、子供が親にさからうことを是認するなど、とんでもない不道徳な教えということになる。かっては親泣かせの原理運動と言われ、今はワイドショーで、UCの親子、二世問題がクローズアップされている。 

 

実は、このイエスの言葉は、一種の「分別思想」であり、真の平和に至るための必然的なプロセスであるというのである。ユダヤ・キリスト教には、光と闇、神のものとサタンのものというように、善と悪を分ける分別思想(聖別思想)が厳然とある。内村鑑三も、「キリスト教の優れた特質は、この光と闇、生と死との峻別であります」(自叙伝P227)と言っている通りである。しかし、この分別思想は、日本の温厚だがぬるま湯的な和の思想、寛容だが曖昧な多神教の文化とは相容れない思想であり、この水と油の思想的土壌の違いが、日本でキリスト教が根付かなかった原因の一つだと言われている。 

 

ではイエス・キリストは、文字通り「つるぎ」で平和を壊し、家庭に争いをもたらすことを奨励されているのだろうか。そうではなく、個人にせよ、家庭にせよ、社会にせよ、善悪混沌とした中間状態の曖昧さを糾し、善悪を分別して神に従う道を選択するよう勧められているのであり、そのためには、人間的な常識通念に囚われてはならないと言われているのである。つまり、今までの世俗的な人間関係を一旦清算し、神を中心とした新しい関係に脱皮せよと言うことに他ならない。

 

神から離れて堕落した人間は、神とサタン、即ち善悪が混沌となった中間状態に陥り、このままでは神の復帰摂理を進めることができないために、善悪を分別する闘争が必要になるのである。まさにこれがイエスの平和論である。 

 

【創始者に見る平和の概念】 

 

それにしても、創始者ほど「平和とは何か」について繰り返し論評された宗教家はいない。天一国三大経典の『平和経』には、「真の平和の根本原理」、「真の平和世界」、「神様と人類が求めていく平和の国と世界」、「平和の根源は神様」、「ために生きる生活で平和世界を創建しよう」というように、神の復帰摂理的観点から縷々平和を語られている。まさに創始者は平和の王である。 

 

<戦争・闘争の意味>

 

では、平和と対極にある戦争や闘争は何故起こるのであろうか。本来人間は、一人の主人、即ち神のみに主管されるように創造されたのだが、堕落により

サタンにも支配されるようになり、人間は神とサタンという二人の主人に主管されるという非原理的立場ち立つようになった。故に堕落人間は、善を指向する本心と、この本心の命令に逆らって悪を指向する邪心があって、この二つの心が常に闘っている。 

 

神はこのような非原理的立場の人間をそのまま摂理をすることはできないので、善と悪の二つに分立して神と相対できる善を中心に摂理を進めなければならなかったのであり、もしこの堕落社会に闘争も分裂もなかったら、この社会はそのまま永続するはずであるから、神の復帰摂理は成就できないということになる。従って、人類歴史は必然的に善悪闘争の歴史にならざるを得ないのである。(原理講論P294)

 

故に、戦争や闘争は、善の目的を達成するために善と悪を分立してきた一つの過程的な現象でもあるのであり、このような見地からして、人類歴史が、神の復帰摂理によって、絶えず善と悪との分立を繰り返しながら善を指向して発展してきたという事実を知ることができるのである。(原理講論P493)

 

<真の平和の根本原理> 


さて「真の平和の根本原理」(『平和経』P96)など平和経には、恒久平和の根源的解決方案が示されている。究極的な平和の根源は、個々人の心と体の闘いに終止符を打つことにあるという。前述したように、個人の中に善と悪を指向する二つの要素があり、人間自身の心身が闘う戦場になっている。従って、平和は先ず人間個人の心身(霊肉)の争いを無くすることにあるというのである。闘う個人があり、闘う家庭があり、闘う民族があり、闘う国家があるが、闘う世界の始発点は個々人であり、また男性と女性の二人の問題であるという。即ち、心身統一と夫婦統一が平和の基礎であり、闘う心身と男女(家庭)、この二つの問題さえ解くことが出来れば、世界の複雑多岐な問題は解決すると言われた。つまり、平和とは離れていた二つのものが一つになることに他ならない。 

 

では何故、心身は分裂し、男女は一つになれないか、これが最大の問題である。それは端的に言って、人類始祖アダムとエバの堕落に起因するという。言葉を変えて言えば神と断絶したことであり、サタンに支配されて、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を受け継いだことにある。従って神を中心とした真の愛、真の生命、真の血統へ転換することであり、これが宗教とメシアの目的である。 

 

真なる恒久平和は知識や富、そして、社会的な位置や政治権力のような外的条件では決して実現できない。闘争から平和への転換は真の真理(統一原理)によって始まり、メシアを迎えて罪(原罪)を贖われなければならない。そして再臨主による国際合同祝福結婚式は、人類始祖アダムとエバの堕落によって失った本然の愛・生命・血統を復帰する大転換儀式であり、まさに世界平和の祭典であるという。これは神がなされるみ業である。そして心身統一と夫婦統一の理想型を、国家、世界に拡張することによって地球大家族社会を形成するときにのみ、恒久の世界平和は実現するというのである。即ち、それは三大祝福(創世記1.28)の完成に他ならない。 

 

<超宗教超国家運動と国連改革> 

 

前述したように、堕落人間は神にもサタンにも主管される善悪混沌の中間状態にあるので、復帰摂理を進めるためには善悪分別の闘争が必須であり必然である。従って人類歴史は闘争の歴史とならざるを得ない(原理講論P294)。では如何にして「恒久的平和」を実現できるか、これが心身統一、男女統一であり神の三大祝福の完成である。 

 

自由の国アメリカにおいても、いまや道徳の衰退と犯罪の増加、殺人、麻薬、暴動、離婚、幼児虐待、若年未婚者の妊娠などの悪徳に犯されている。これが物質文明の罠であり、その根因は家庭の崩壊にある。そして物質文明から精神文明への転換は経済、権力、知識、外交ではなく、人間の内なる闘い(堕落性)を根絶する真の真理に回帰することにある。 

 

平和経の「神様と人類が求めていく平和の国と世界」には、恒久平和の唯一の方法は、失った個人と家庭を復帰すること、即ち神の三大祝福(個人完成・家庭完成・万物完成)を完成することにあると明記されている。そして次の4つの恒久的平和への道が示されている。 

 

①    神主義・頭翼思想により「ために生きる個」の確立(心身統一)

②    真の家庭の完成(男女・夫婦統一)

③超宗教的な和解と協力→超教派超宗教運動の展開

④国連改革→宗教人による上院を創設し、宗教的、霊的次元から世界の問題を解決する。 

 

創始者は、世界平和超宗教超国家連合を設立されて、最大限の心情と時間と予算を宗教の一致に投入された。創始者の宗教一致にかける思いは半端ではない。また平和世界実現の理想に、包括的、根本的な面から接近するために、国連に超宗教的代表者たちの議会を併設することを提唱された。宗教人による上院の創設である。こうして創始者は、恒久的、根本的平和(①②)と、現実的平和(③④)の方策を示されたのである。 

 

そして世界平和のために、WANGO(世界NGO連合)、平和大使、米国聖職者指導者会議(ACLA)、国際交叉祝福結婚などを主宰され、創始者の一代で、世界191ヵ国に超人種、超宗教、超国家的な基盤を築かれたのである。歴史には多くの偉大な宗教教祖が生まれたが、一代の内に世界的基盤を作られた宗教教祖は創始者だけである。こうして創始者は世界恒久平和のビジョンとモデルを具体的に示された。 

 

平和経には次の通りある。 

 

「葛藤と闘争を解決する方法は、利他的で犠牲的な愛、即ち『他のために生きる人生』です。神の理想平和国家の実現は、怨讐を愛する思想を持った個人から出発します。神様の究極的な理想は、宗教と人種と国家を超越して、真の愛で平和統一された世界、即ち人類一家族を形成することです。私たちは、怨讐を愛する真の愛を実践し、霊界を正しく知る真の人となり、真の家庭を作らなくてはなりません。世界平和の基点はここにあります」(「平和世界実現のために」P260~P264)

 

以上、今回は平和について考察した。創始者における平和とはまさに「神の国」と同義であり、それは一人一人の心の中から始まるのである。(了)

牧師  吉田宏

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