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幸福の科学大川隆法総裁の死に思う 高橋信次のGLA(God Light Association)との接点

◯つれづれ日誌(令和5年3月22日)-幸福の科学大川隆法総裁の死に思うー高橋信次のGLA(God Light Association)との接点


神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた(創世記1.3~5)


先日、小山田秀生氏の神学研究会がUC教会本部であり、そのスピーチの中で小山田氏曰く、「吉田さんの『異邦人の体験的神学思想』を読んだが、とてもいい内容だった。よく書けている、是非お薦めしたい」と述べられたそうです。キリスト教に詳しい方からの評価はありがたく、この本が信徒、牧会者、クリスチャンの教材として広く読まれることを祈念しております。


さて、3月16日、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が 、韓国大統領としては5年振りに来日され、首相官邸で岸田文雄首相と会談しました。UCは、日韓関係のよい絆は両国のみならず、アジアや世界のためにも大きな意味を持つ、いわば「世界史の鍵」になる関係と主張してきましたので、この度の訪日は大歓迎でした。長い日韓底冷えの年月を経て、待ちに待った本格的な雪解けが到来するのでしょうか。安倍事件で激しいバッシングに晒されたUCですが、このような動きを見るにつけ、神の深淵なご計画の一旦を感じ、背後に厳然とある「救援摂理の確かさ」を改めて確信したものです。


一方、この3月2日、幸福の科学の大川隆法総裁が死去されました。享年66才。本人は2050年まで生きると言われていたそうですが、あまりにも突然の死であり、この出来事にも「霊的な何か」を感じざるを得ないものがありました。幸福の科学の信者の方々も驚かれたことと思いますが、大川総裁のご冥福を心からお祈り申し上げます。


筆者は幸福の科学の方々とは、色々面識がありますが、霊的波長が合うというか、話していても何かUC信者と会っているような気がしておりましただけに、今後幸福の科学と信者がどのようになっていくのか、大変気になっているところです。ネット上では、流動化するとか、空中分解するとかの情報も飛びかっていますが、後継者を立てて、一定のまとまりを維持していくのではないでしょうか。


【大川総裁とGLAの接点】


実は今まで筆者は、このような親しみのある真面目な信者が、幸福の科学の如何なる教義に共感し、大川総裁のどこに惹かれて帰依しているのか、少なからず関心と疑問を抱いてきました。教団職員の方に「幸福の科学の教義が書いてある本があれば紹介して欲しい」と聞いたところ、『太陽の法』と『正心法語』に教えが書いてあるということでした。そこで早速この本を読んだところ、何か靴の上から痒いところを掻いているようで今一理解できず、上記の疑問が解けないまま今日に至っていた次第です。


そのような経緯の中で大川総裁の死に際して、改めて大川総裁と教団について調べたところ、上記の疑問を解くヒントになる事実に遭遇しました。即ち、大川総裁は、当初宗教法人GLA(God Light Association)を創設した高橋信次に師事し、幸福の科学の根幹部分の教えがGLAから来ているということが分かった次第です。「幸福の科学は高橋信次のGLAの分派で、教義をパクった」といった風評もあるほどで、このことは、長男の大川宏洋氏も度々証言しているところです。


かって大川総裁自身も、『黄金の法』旧版において、「私は、人間・高橋信次の遺した心の教えを土台として、さらに、これから五十年近い年月の間、『正法神理』を説いてゆこうと思っております」と書いていたようです。


そこで筆者は、パクったか否かは別として、高橋信次の教えと幸福の科学の教えを注意深く対比しところ、根幹となる多くの部分がほとんど同じであることが分かり、これで筆者の疑問の大半が解決することになり、腑に落ちた次第です。


ところで、戦後、大本教の流れを汲む新宗教が成立していったことは周知の事実であり、生長の家の創始者である谷口雅春は、大本の専従活動家だったし、世界救世教の創始者である岡田茂吉は、やはり大本の幹部でした。こうして、大本の教理の根幹である「万教同根」の考えを基礎とする新宗教が多く生まれました。また、立正佼成会は霊友会から別れた宗派であり、御木徳近はひとのみち教団を引き継ぐ形で「PL教団」立教しました。このように見ると、幸福の科学がGLAを土台にして生まれたとしても、不自然なことでも非難されることでもありません。



【GLA高橋次の素顔】


では幸福の科学が取り入れたというGLA創始者高橋信次の教えとは、如何なる教えなのでしょうか。先ず、その概略を検証いたします。


<高橋信次の来歴と原点>


高橋信次(1927年9月2日~1976年6月25日)は、1927年、長野県南佐久郡平賀村(現在の佐久市)の農家に男3人、女7人の10人兄弟の次男として生まれました。


1938年、10歳の終わり頃から、原因不明の病気にかかり、幾度か死線をさ迷うという体験をし、、何回か呼吸が止まる状態が続いていったとき、やがて「もう一人の私」となっている自分に気がついたといいます。


自分の肉体を抜け出している間は、肉体の自分を見たり、この世では想像もできない美しい世界で遊んだりするときがあったと証言しましたが、一種の臨死体験乃至は幽体離脱なのでしょうか。そして、この病気をきっかけとして、「もう一人の私」というのは誰であろうかという疑問を探求することなり、この病気を機に、家の近くにあった権現様と呼ばれる村の小さな社にお参りするようになりました。これが「第一の宗教的原体験」であります。


彼は、健康の祈願と「もう一人の私」とは誰であるかという疑問を解くために、毎日朝夕の参拝を4、5年続けたといいます。こうして神とはいったい何か、もう一人の自分とは誰かの探究は、その後30年近くに及びました。


1944年、陸軍士官学校に進学し、実戦訓練として外国に出征しました。復員後、日本大学工学部に入学してからは、化学書や物理学書をひもとき、極微の世界から、極大の宇宙へと、物質的な研究を進めましたが、それは「もう一人の自分」というものをどうしたら証明できるかということについての物質を主体とした研究でもあったといいます。この間、人の心が(守護霊を通して)見抜けるといった超自然現象を体験しています。


1952年、25歳のとき小さな工場を借りて、自動制御装置を開発する為の仕事をするようになるも失敗し無一文になりました。1954年、結婚し新しい生活に踏み出しましたが、この頃から不思議な現象が始まるようになったといいます。即ち、出会う人の悩みや心配事を瞬時に見通したり、予言がその通り的中したりして、家を訪ねてくる人が後を絶たなかったというのです。「第二の宗教体験」です。


一方、経済力がなくては人を救うこともできないと考えるようになり、1964年、高電工業株式会社を設立し、電子機器の設計製造に着手しました。事業は順調に伸び、神奈川と長野に生産工場を設置しましたが、しかし一方では、会社内をはじめ、家庭内も混乱するようになっていったといいます。


1968年(41才)、7月より1ヶ月くらいの間に、人生が180度変わってしまうような出来事に遭遇し、刹那的な生き方から、執着を捨てて他のために生きる生き方に転換したとされています。こうして生き方が一変し、「本当の自分」を自覚し、宇宙を貫く法(神理)を悟る境地に到達したというのです。こうして利己から利他への大転換を経験し、「本当の自分」を自覚し、人々に魂の真実を説き始めました。これが「第三の宗教的原体験」です。


1969年(42才)、精神復活運動のために、浅草に建設中のビルの3Fフロアを開放し、第一回の集会が開かれ、名前を「神理の会」としました。1969年4月、有志により「大宇宙神光会」が創設されました。GLAは創立当初には神光会あるいは大宇宙神光会と称していましたが、1970年に団体の名称をGLAへ改め、1973年に宗教法人になりました。


そして神仏の子としての使命を果たすために「正法」を学び、心と行いの調和を計り、安らぎと平和な「ユートピア」を完成させること、それが「魂の修行」の重要な目的であるとしました。


1976年、自らの48歳での帰天(死去)と青年の中から後継者が出現することを予言し、後継者を探し始めました。同年、当時大学生であった長女の高橋佳子を法の継承者として指名し、予言通り、同年6月25日、48才で死去しました。葬儀「感謝と誓いの式」が挙行され、式辞の中で2代目主宰高橋佳子は、祖師高橋信次の志である神の光が顕現した「仏国土・ユートピア」具現の使命を引き継いでゆくことを表明しました。現在の会員数はせいぜい数万人と思われます。


<超人、高橋信次>


さて、上記のような原体験を持つ高橋信次ですが、一方では超能力を持つ超人であることが証言されています。


第一には、人の心が分かり、全てはお見通しだというのです。これは、相談にくる人の「守護霊」が、あらかじめ教えてくれるからだといい、それは数々の実験で証明されています。


第二に、霊視・除霊・救霊の能力です。いい霊、悪い霊の見分けや、人に憑依している霊を追い出すことも度々行いました。但し、かってイエス様が悪霊の追い出しや病気の癒しをされましたが、「あなたの信仰があなたを救った」(ルカ18.42)と言われたように、憑依霊の追い出しは、あくまでも信仰に至らせるための手段に過ぎないと高橋信次は強調しています。


彼は、人の周期や運命を見ることが出来、あまりにも当たったと言われていますが、こういった「占いごと」に依存し過ぎると、人は奇跡や、現実の利益ばかりを求め始め、正しい教えの学びを忘れて安きに走ることを戒めています。正しい生活をしていれば占いごとは不要だとも明言しました。


第三に、過去世の言葉(異言)を話すという奇跡を行いました。信者が、中国語、古代インド語、ギリシャ語などで語り始め、集会後、このデモンストレーションを行ったと言われています。使徒行伝5章のベンテコステや、1906年のロサンゼルスのアズサ・ストリート・リバイバルを彷彿とさせる出来事です。高橋信次は、過去世の言葉を語ることで、転生輪廻が証明されるとしました。


その他にも、夢テスト(夢の中で回心しているかどうか、美女・お金・名誉などでテストする)、旅行(家にいながらに、瞬時に世界旅行に行く)、金粉現象(金粉が吹き出る)、死期の予言(1976年9月に重大な危機が訪れる⇒1976年6月25日に死去)など、超自然的能力を発揮しました。


高橋信次には、このような超人という側面がありましたが、飾らず、柔和温厚でユーモアがある、利他の精神に徹した人物だったと言われています。


【高橋信次の教えと大川総裁の教義の対比】


次に、高橋信次の教え(GLAの教義)と、大川総裁の教え(幸福の科学の教義)を対比して論考することにいたします。

a.神観

GLAでは、一切の生命の源にして、宇宙の意思(本体)たる「大宇宙大神霊・仏」ともいうべき大いなる存在としての神を信じ、その慈愛がこの世界に顕現するとしています。聖書に、「神は『光あれ』と言われた」(創世記1.3)とありますが、高橋信次は神を光と形容しています。そして、「自己の確立」と「世界の調和」を生きる一人ひとりを通じて、神の光はこの世界に現れるとします。


但し、神を特定の図像などで表現し、これを本尊として崇拝の対象にすることは戒め、曼陀羅や法華経のご本尊などを崇めるのは偶像崇拝として退けています。また、形式的な先祖供養を批判し、「自分が救われていること、幸福であることを、先祖に見せることこそ最大の先祖供養である」と強調しました。この点、大和カルバリチャペルの大川従道牧師も同じことを言っておられます。


確かに「大宇宙大神霊・仏」とはキリスト教のGodに当たると言えますが、その明確な定義は曖昧で、その神観は未だ漠然としています。また、神を自らの心にいましたまう内在神とする一方、大宇宙・自然そのものが神であるとする、汎神論的な色彩が見受けられます。


一方、幸福の科学では、「大宇宙大神霊・仏」を宇宙の主宰神「エル・カンターレ」と呼び、大川総裁は自らが大宇宙を創っている根本仏(根本神)たるエル・カンターレであることを宣言しました。即ち、1990年10月28日第12回大講演会(幕張メッセ)で、自身は「仏陀の魂の再誕」であると明示し、また1991年7月15日に東京ドームで行われた「御生誕祭」で、自身が「エル・カンターレ」であると宣言し、神格化しました。こうして大川総裁をエル・カンターレの化身とし、礼拝の対象としました。この点、高橋信次は自らを普通の人間として偶像崇拝を嫌い、大宇宙を貫く神理を中心としており、幸福の科学とGLAとの大きな違いがここにあります。


b.転生輪廻の思想

GLAでは、人生の目的は「魂の修行」であるとし、魂の光の量を増やすことの大切さを説いています。そして、人の魂はあの世(実在界・死後の世界)とこの世(現象界現)を転生輪廻し、自己同一性を失わない永遠の生命であるとします(高橋信次著『心の原点』三宝出版P32)。困難の多い現世を「魂の修行の場」と捉え、そして本当の自分に目覚める原点回復を導く新たな人間観・世界観を「魂の学」として集成しました。こうしてGLAでは、バラモン教、仏教などインドの特徴的な死生観である転生輪廻の思想を受け継いでいます。


この点、幸福の科学も転生輪廻の思想を受け継いでおり、同様にこの世を「魂の修行」の場と考え、魂はあの世とこの世を転生輪廻するとしています。そして、「この世・あの世」という高橋信次がよく使った言葉は、やはり大川総裁が好んで使うフレーズです。しかし、この転生輪廻の考え方はキリスト教やUCにはありません。


c.魂の次元構造

次にGLAの特徴的な教えとして、「魂の次元構造」の概念があります。GLAでは、人間はその内側に次元の異なる心や魂の世界があり、その中心に仏性、神性を持っているとしています。そしてあの世(実在界)は、四次元、五次元、六次元…と区分されるとし、9次元には、釈迦、イエス・キリスト、モーゼらがいるとしました。


この「あの世観」(霊界観)は、同じく幸福の科学の『太陽の法』でも、宇宙・霊的世界の多次元構造が説かれています。次元構造では、仏教の十界論の菩薩界、如来界をそれぞれ7次元、8次元と対応させ、やはり釈迦やイエスは9次元と位置付けられ、そして最高真理としての「仏法真理」が強調されています。こういったあの世観(霊界観)は、正にGLAから受け継いだものと言えるでしょう。


また、GLAでは誰しもが「守護霊」を持っているとされ、守護霊に聞くことで、相手が何を課題としているかが、一目瞭然に分かるとし、高橋信次は相談者の相談事は事前に守護霊に聞いていて全てお見通しだったと言われています。幸福の科学でも「守護霊」という重要な概念があり、大川総裁の霊言は守護霊を呼び出して行われると言われています。


d.八正道の教え

高橋信次は八正道の教えを説きました。人が正しく生きるためには、「正法」の実践が求められるとし、具体的には八正道(中道)の実践を説きました。これは仏教の教えを借用したもので、GLAの教義には仏教用語が多用されており、高橋信次は自らの霊的体験を縦軸に、仏教を横軸に折衷して正法を説いたと思われます。


ここで正法とは、「正しい法、万古不滅の神の理、神の心、すなわち宇宙の法則をいう。それは神の大慈悲であり、大いなる神の愛といえよう」(『心の原点』P141)と定義し、八正道とは、釈尊の教えで、仏教において悟り(涅槃)に至るための8つの実践徳目を指し、「正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定」のことであります。


このように、「解脱」の具体的な方法として八正道を説きましたが、これを幸福の科学の太陽の法では、「真説・八正道」として人間完成の道として奨励されています(太陽の法P118~121)。


そして幸福の科学では「正しき心の探究」と、その具体化である「幸福の原理」としての四正道が、会員向けの基本教義になっています。幸福の原理とは、第一が「愛の原理」、二番目が「知の原理」、三番目が「反省の原理」、四番目が「発展の原理」となっています。即ち「愛」「知」「反省」「発展」の「現代的四正道」を説きました。この「反省」という言葉も悟りに欠かせないキーワードとして高橋信次がよく使った言葉です。但し、キリスト教では、反省という言葉より宗教的にもっと深い意味を持つ「悔い改め」という言葉を使います。


以上の通り見てみると、幸福の科学の教義の根幹はGLAと瓜二つであり、大川総裁が幸福の科学を立ち上げるに際して、高橋信次のGLAを土台としたことがよく分かります。こうして筆者の第一の疑問、即ち、「幸福の科学は如何なる教義を持っているか」という問題があらかた解決いたしました。


【幸福の科学の独自性】


しかし、幸福の科学とGLAは、カーボンコピーのように全てが同じかと言えばそうではなく、幸福の科学ならではの独自性があります。


幸福の科学の創成期において、高橋信次に師事し、『高橋信次霊言集』を出版したことで一部の信者から、大川総裁は高橋信次が生前に予言した「法の後継者」ではないかとみなされたこともあったと言われでいます。しかし、大川総裁は独自の路線を進む指針を示し、結局、高橋信次の霊言には嘘や誤魔化しがあるとして否定しました。


両者の最も異なるところは、高橋信次が偶像崇拝を否定し、自らを一人の人間だと考えましたが、上記したように、大川総裁は自らを根本仏(根本神)たる「エル・カンターレ」であるとして神格化したことです。


次に、高橋信次は守護霊を通して人の心を見抜くといった霊的能力を示しましたが、大川総裁は、いわゆる「霊言」を多用し、数千冊の霊言本が出版されています。これは幸福の科学の顕著な特徴です。大川総裁は、「霊界を人々に如何に知らせて導くか」という事が、最大の関心事であったと述懐していますが、この霊界の存在を世に知らしめたことは、大川総裁の功績と言えるでしょう。


また、大川総裁の教えにはキリスト教から取り込んだ「愛の発展段階の教え」があり、これは幸福の科学独特の教えです。イエス・キリストは愛の体現者として『太陽の法』の中で高く評価されており、また愛は最大の徳目として強調されています。


愛は「与えること」そして「無償性」に本質があると説いていますが、これは当にキリスト教の愛の概念と同じです。そして「八正道+愛の探求」こそ現代人に望まれる修行の姿だとしています(太陽の法P129) 。


ここでは、愛の発展段階が説かれ、愛を四種類に分けています。即ち、愛する愛、生かす愛、許す愛、存在の愛の四種の愛を説き、八正道にそれぞれを当てはめています。即ち、愛する愛は正見・正語に、生かす愛は正業・正命に、許す愛は正思・正精進に、存在の愛は正念・正定に対応させ、その意味を解説しています。こうして、キリスト教から愛の教えを取り込みました。


更に大川総裁は、諸宗教、諸思想、諸学問を統合する世界的な思想を探求し体系化したとし、その目的は、「仏国土・ユートピア」を世界に建設することを目指すことにあるとしました。


こうして幸福の科学の教えには、釈尊の悟りの境地、八正道、十界互具など仏教の思想を大きく取り入れており、またキリスト教的愛の思想が取り込まれ、更に古事記やギリシャ哲学や神話的要素も散見されます。ここには世界の宗教、思想、哲学を統合する思想を体系化せんとした大川総裁の意気込みが感じられると共に、他宗教から「いいとこ取り」した混合宗教と言えなくもありません。


以上、高橋信次と大川総裁、GLAと幸福の科学との対比を通じて、幸福の科学の教義の本質を考察いたしました。ただ両者には、明確な救済観と摂理観が欠如しており、この点が十字架、贖罪、復活、救援(復帰)歴史というはっきりした救済思想を持つキリスト教との大きな違いと言えるでしょう。冒頭に述べましたように、この度の大川総裁の死去は、多くの霊的意味を考えさせられる機会となり、神の霊妙なみ業の一端を見るような気がいたしました。(了)

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