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憲法改正集会に思う 憲法に神の復権を!

○つれづれ日誌(6月17日)-憲法改正集会に思う―憲法に神の復権を!


日本の戦後総決算は、憲法改正を以て完結す!


上記中曽根康弘元総理の言葉は、中曽根氏の終世変わらぬ政治信念でした。


この6月10日、憲政記念館にて、超党派の新憲法制定議員同盟が主催した、中曽根康弘元総理を偲ぶ「新しい憲法を制定する推進大会」が行われ、筆者も参加いたしました。



今回は動画配信で行われ、コロナのため無観客集会になりましたが、筆者は憲政記念館で動画を視聴したというわけです。


ちなみに大会主催者の「新憲法制定議員同盟」とは、改憲を目的とする超党派の議員連盟で、会長は中曽根康弘氏でした。現在は自由民主党を始め、国民民主党・日本維新の会・無所属に会員がいます。また関連団体に、非議員で構成する「新しい憲法をつくる国民会議」(自主憲法制定国民会議)があります。


【大会の推移と内容】


今回の「新しい憲法を制定する推進大会」 は、司会の柳本卓治元議員による開会の言葉で始まり、大会は2部制で行われました。概ね下記のような内容でした。


<第一部記念講演>

第1部は、バイオリニストの大江馨さんによる演奏のあと、杏林大名誉教授で日本会議議長の田久保忠衛氏と産経新聞社元社長で相談役の熊坂隆光氏の記念講演がありました。


田久保氏は、「現憲法は、現実に合わないぼろぼろになったもので、今さら護憲を叫ぶのは恥ずかしいことだ、今回のコロナ騒動で、緊急事態に対応できないことがはっきりし、疫病・自然災害・尖閣諸島問題に対応できる憲法が必要だ」と指摘されました。そして国連事務総長が、「日本はPKOに参加できる改憲が必要だ」と言った言葉を引用して、「外交、防衛は車の両輪であり、国際情勢の激変、特に中国の脅威に対抗できる憲法が急がれる」と語られました。


また、熊坂 氏は、中曽根派担当記者だったころ、中曽根氏が常々「政治の究極の目標は憲法改正だ。改憲なくして戦後の総決算はない」と語っておられたことを披瀝され、中曽根氏の初登頂は黒ネクタイ姿であり、当初は黒ネクタイで通された、とのエピソードを語られました。


また、現憲法は、日本の軍隊の解体を目的とし、日本を二度とアメリカの脅威にしないための「押し付け憲法」だった、と持論を述べられました。 故に世界一改憲が難しい憲法になっているとし、今回憲法に緊急事態条項がないため、コロナ対応に支障をきたしたと指摘され、マスコミも改憲について、大いに議論すべしと訴えられました。


<第二部大会>

次に第二部の「新しい憲法を制定する推進大会」 です。


先ず、国家斉唱と黙祷から始まり、会の幹事長である愛知和男元衆議院議員から開会の挨拶がありました。


愛知氏も、51年の初当選の頃、中曽根氏から「政治の目標は憲法改正だ、これなくして戦後の総決算は終わらない」との薫陶を受けたと述懐されました。


次に菅義偉自民党総裁のビデオメッセージがありました。菅氏は、現行憲法の自主的改正は自民党結党以来の党是であり、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の3つの基本原理はしっかり堅持した上、初めての憲法改正への取組みをさらに強化したい、と語られました。


また、憲法に緊急事態条項をいれるべきだとする案には、国民の70%が賛成しているとし、今回、「国民投票法改正案」が成立し、「憲法審査会」も設置され、改憲の機運は盛り上がっていると強調されました。


次は議員同盟名誉顧問である安倍晋三元総理の挨拶です。


安倍氏もまた、中曽根氏から「改憲に取り組め」との指導を受けたと、中曽根氏との思い出を語られたあと、何故憲法9条2項をそのままにして、別途自衛隊条項を加えるという改憲案にしたかの説明がありました。


安倍氏は、自衛隊を憲法に明記する事に、当初学生らは51%の賛成でしたが、丁寧に説明したあと賛成が81%になったと自らの体験を語られ、いかにしっかり説明する事が大事かを強調されました。


その後、自民党憲法改正推進本部長の衛藤 征士郎氏は、憲法改正によって「戦争に巻き込まれる」「徴兵制が復活する」「軍国主義が復活する」「9条のお陰で平和が守られた」などという左翼の宣伝を論破し、改憲を成し遂げたいと決意を表明されました。


また、公明党の憲法調査会長の北川一雄氏は、改憲の世論を後押ししたいと述べられ、日本維新の会の足立康史氏は、9条は自民党に譲るとしても、緊急事態、裁判所改革、統治問題ではリーダーシップを発揮したいと述べられました。


そして足立氏は、最大の障害は「自民党と立憲民主党の55年体制の復活にある」と述べ、維新が伸びなければならないと強調されました。


最後に国民民主党の山尾志桜里氏が登壇され、中曽根語録の本を紹介し、「国政の軸は改憲にある」との語録を紹介されました。


あと、経団連常務理事の井上たかし氏、日本商工会議所特別顧問、日本青年会議所副会頭が挨拶に立ち、新藤義孝事務総長により大会決議が読み上げられ、最後に中曽根弘文氏の閉会の辞で閉会しました。


【本流と傍流】


<歴史の二流>

筆者は、この大会に臨んで、強く感じたことがありました。それは、物事には必ず二流があること、思想的にはヘレニズムとヘブライズム、聖書的にはカイン型とアベル型の二流があること、そして政治の世界にもそれが言えるということでした。


今回、この大会に名を連ねた政治家は、いわゆる保守本流を形成する人たちであり、いわば日本の伝統や文化、そして真の平和を背負う政治家と言っていいでしょう。今や改憲問題は、この歴史の二流を政治的に決定するリトマス試験紙と言えます。


何故なら、この憲法改正問題には、日本のよき美風、自主性、 愛国心、アジアの平和と言った価値をどうするかという問題が包摂されているからです。


<原理創始者の慧眼>

それにしても、原理創始者の政治的指導者を見る目の確かさには驚きます。


文先生は、戦後日本の政治的本流は、先ず岸信介から始まり、福田赳夫、中曽根康弘、安倍晋太郎(安倍晋三)という流れにあると確信され、その時々の指導者に、久保木会長を通じて神の摂理を伝達されました。そしてこれらの政治家は皆、改憲に並々ならぬ意欲を示しました。


UCが、左翼やマスコミのサンドバッグのようなバッシングに見舞われながらも、今日まで生き残れたのは、勝共連合を中心に、これらの政治家との関係を絶やさなかったことにあると言っても過言ではありません。


文先生は、日本留学時代、「日本人の誰よりも日本を愛した」と言われましたが、これは、「日本人の誰よりも日本を知っていた」と置き換えてもいいでしょう。 かように文先生の人を見る目の確かさには、脱帽するしかありません。


【八木秀次氏の憲法観】


筆者は最近、高崎経済大学教授である八木秀次著『憲法改正がなぜ必要か』(PHP)を読む機会があり、その憲法観に大いに共鳴するところがありました。そこで、以下八木氏の改憲思想を叩き台に考察したいと思います。


八木 秀次(1962年生、59才 )は、憲法学、法思想史の学者であり、一般財団法人「日本教育再生機構」理事長、フジテレビジョン番組審議委員、産経新聞正論メンバー、「新しい歴史教科書をつくる会」第3代会長でもあります。


八木氏は、平成30年3月14日 、公益財団法人日本国防協会で「今、なぜ憲法改正が必要か」と題して講演されましたが、ここでその講演骨子を中心に改憲を考えたいと思います。


<憲法成立の経緯について>

八木氏は、昭和21年11月3日公布され、22年5月3日施行された日本国憲法は、アメリカが作成した憲法草案を日本側に呑ませるために「もう1発原爆を落とす」とか、「天皇の身はどうなるか分からない」などと言って脅したと指摘され、マッカーサーは、天皇を戦犯として取り調べるべきだという外からの圧力に対して、天皇を断固守ってきたと恩を売ったと指摘されました。


そもそも占領の目的は、良く言えば平和構築、平たく言えば懲罰を兼ねて日本を物理的精神的に武装解除することでした。


日本国憲法の草案起草の実務責任者チャールズ・ケーディスは、「新憲法の最大の目的は、日本を永久に非武装のままにしておくことだった」 と明言し、そのために憲法9条2項が作られたと告白しました。 日本は連合国共通の敵として懲罰的に憲法9条2項を押し付けられ、非武装のままの状態で存在することを求められたというのです。


<ポツダム体制から東西冷戦へ>

その後の東西冷戦や朝鮮戦争によって、アメリカの占領政策は大きく転換を余儀なくされ、武装解除から再軍備へと舵をとることになります。


1950年8月10日警察予備隊が設置され、マッカーサーは「日本が行った戦争は自衛戦争だった」と言い出す始末です。


1951年、サンフランシスコ講和条約が締結、同時に日米安保条約が締結され、ようやく日本の主権が回復されました。「ポツダム体制」から「サンフランシスコ体制」への転換です。そして警察予備隊から保安隊を経て自衛隊が創立されました。


「今や日本は共産主義の侵略から自由主義陣営を防衛するため、非常に重要な地位を占めている」との認識です。


しかし、日本国憲法の改正要件は世界一厳しく、容易に改憲はできません。それに、「憲法を改正すると軍国主義や徴兵制が復活する」、「集団自衛権の限定行使が可能になると戦争に巻き込まれる」「憲法9条があるから平和は守られた」といった左翼の宣伝が世論を反改憲へ誘導しました。


<改正すべき点>

後述しますように、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」といった抽象的な他人任せの憲法前文は、総取り替えすべきだと八木氏は主張されていますが、現実論としては、なんといっても9条の2項、ここを改正すべきだというわけです。また、これは自民党政府の悲願であります。


しかし安倍首相は、9条の1項、2項をそのままにして、新たに自衛隊条項を憲法に明記してはどうかという提案をしました。


9条2項の改正というのが理想ではありますが、そのようなことをこれまで何十年も言ってきて1ミリも動いていないわけです。従って、まず自衛隊を憲法に明記することから始めるというのは、もっともなことだと八木氏は言われます。


しかし、9条1項、2項をそのままにして自衛隊を憲法に明記するというのは、たとえ明記しても自衛隊の権限や任務は何も変わらないわなので、「それでは憲法を変えなくてもいいのではないか」と護憲派は主張します。


しかし今の自衛隊の法的根拠は、「自衛隊法」と「防衛省設置法」で、その法的根拠は大変脆弱であり、もし自衛隊の法的根拠が憲法になると、その法的根拠は強くなり安定するわけです。


即ち、自衛隊法3条「自衛隊の任務」1項、2項、及び7条「内閣総理大臣の指揮監督権」の規定をそのまま憲法に持ってくればいいのではないかというわけです。 こうして自衛隊法から憲法に昇格させることによって、自衛隊の法的根拠は格段に高まり、確固たる組織になるということになります。


なお自民党は、2017年12月20日に憲法改正に関する論点整理を取りまとめ、「改憲4項目」を提示しました。


即ち、「自衛隊合憲化」「非常事態宣言規定」「衆議院議員選挙区の合区と地方公共団体」「教育の充実化」、の4項目です。


<読売新聞の9条改憲案>

ちなみに読売新聞による安全保証に関する改憲試案を次の通りであります。


第三章 安全保障(現行第二章 戦争の放棄)


第一一条(戦争の否認、大量破壊兵器の禁止)

(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを認めない。

(2)日本国民は、非人道的な無差別大量破壊兵器が世界から廃絶されることを希求し、自らはこのような兵器を製造及び保有せず、また、使用しない。


第一二条(自衛のための軍隊、文民統制、参加強制の否定)

(1)日本国は、自らの平和と独立を守り、その安全を保つため、自衛のための軍隊を持つことができる。

(2)前項の軍隊の最高の指揮監督権は、内閣総理大臣に属する。

(3)国民は、第一項の軍隊に、参加を強制されない。


なお、「新しい憲法をつくる国民会議」(自主憲法制定国民会議)も改正案を出しています。


<国防とは何か-国防義務>

自衛隊を憲法に明記することと同時に、国民に「国防の義務」を負わせるという規定も必要だと八木氏は主張されています。


およそ世界中の憲法の中で、自衛のための軍隊を否定し、国防のための義務を規定しないのは日本だけで、近代国家はどこの国でも憲法の中に「軍隊と国防の義務」を明記しています。この異常な国日本は、一刻も早く「普通の国」に戻らなければなりません。


そして国防とは、「国民の生命自由財産を守るのみならず、場合によってはそれらを犠牲にしてまで国家の主権、国家の連続性を守ること」と一応定義できます。


国家とは国民共同体のことであり、国民共同体とは、今生きている人のみならず、すでに亡くなった人たち(祖先)、それからまだ生まれてない子孫、これら3者によって構成されるものだといえます。


国民共同体による国家の連続性を守るために、ある時代のある世代の人たちが、自らの自由生命財産を犠牲にしてまで行う崇高な行為が国防だということです。勿論、過去の歴史が全て正しかったか否かについては、きちんとした検証が必要であることは言うまでもありません。


いずれにせよ、国防に殉じた兵士を、国家が篤く弔う義務があるというのです。中国、韓国が、首相をはじめとする閣僚の靖国神社参拝を執拗に問題視しているのは、その背後に国民の国防意識を削ぎ落とす意図があることを見抜かねばなりません。


即ち、憲法9条の問題は安全保障に加えて、「国家としていかにあるべきか」という観点からトータルにとらえるべきだというのです。


【憲法の思想的淵源を考える】


そして八木氏は、現憲法が前提とてしている国家観は、ジョン・ロックの社会契約モデルに基づいたもので、歴史的共同体である日本を否定し、日本らしさを失いかねない国家観になっていると指摘されています。


一体、日本国憲法に、そのよって立つべき思想的根拠や国家観はあるのでしょうか。


<先ず、憲法前文の改正を>

八木氏は、歴史の連続性を自覚していた明治憲法に対して、現憲法にはそれがない、と指摘されました。


それぞれの国の憲法で、政治制度や人権規定などは、どこの国も似たり寄ったりで大きな違いはないが、どこが大きく違うかと言えば、それが「前文」だというのです。この前文にこそ、文化的、歴史的なその国の由来、国柄などが表明され、そこから立ち上ぼる国家の理想が謳われるというのです。(『憲法改正がなぜ必要か』P99)


例えば大韓民国憲法前文は「悠久なる歴史と伝統に輝く我が大韓民国は」の書き出しで始まり、ポーランドでは「巨大な犠牲によって贖われた独立のための戦い、国民のキリスト教と全人類的価値に根差した文化に感謝し」と表明されています。またキリスト教やイスラム教国家では、多くが「全能なる神の名において」といった表明をしています。


つまり前文は、国家の歴史的連続性、先人らの努力により今日があること、それを守る義務があり、その淵源が何に依拠するか、を明らかにするものであるというのです。


それが、現憲法にはありません。従って、改正されるべきは、先ず前文であるというのです。この前文改正案については、自民党案(中曽根案)、産経新聞案など、複数出ているところです。


<憲法の思想的淵源>

上記しましたように、八木氏は、『憲法改正がなぜ必要か』のまえがきの中で「日本国憲法が前提としている国家観は、17世紀イギリスの思想家ジョン・ロックが提示した社会契約モデルに基づいたもので、個人の生命・自由・財産を確実に保障するためにこそ、人々が社会契約をして国家を作ったとする国家観です」と語っておられます。


つまりその国家観には、歴史的共同体である日本や日本らしさという観念が欠如しているというのです。


ロックによれば、国家は厳粛な信託、つまり社会契約によってできたものであり、その目的は個人の固有の「生命・自由・財産に関する権利」を安定的に保障することにあるとしました。これが保障されない場合は「革命権」を行使して政府を変更できると考えたのです。近代立憲主義憲法が「人権保障の体系」であるとされる所以です。


そしてこのロックの思想を引き継いで作られたのが、アメリカの独立宣言であり、アメリカの憲法であります。アメリカの独立は、イギリスの植民地統治を批判し、イギリスの歴史から離脱して、全く新しく「歴史を継承しない国」を創るところに目的があったからだというのです。(同著P39)


そして日本国憲法は、アメリカ憲法の影響下で作られ、日本の憲法でありながら、またアメリカとは事情が異なるにもかかわらず、歴史的存在としての日本を排除し、その長い国家としての歴史と伝統が否定されていると指摘され、これが日本国憲法の最大の欠陥だと警告されました。そしてその元凶が「憲法前文」だというわけです。


しかしロックは、敬虔なプロテスタントのクリスチャンであり、個人固有の「生命・自由・財産」を、神に由来する天賦の権利・人権としました。


この天賦人権思想は 、バァージニア権利章典で「すべて人は生来ひとしく自由かつ独立しており、一定の生来の権利を有する」とされ、これがアメリカの独立宣言に相続され、有名な独立宣言冒頭の次の文言になりました。


「われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等で あり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」


この独立宣言やアメリカ憲法の考え方は、日本国憲法の第13条に、その影響が見られます。


「第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」


京都大学教授の佐藤幸治氏は、著書『憲法』(青林書院)の中で立憲主義に触れ、立憲主義憲法とは、権力濫用を防ぎ、国民の権利保護を目的とする憲法と定義され、「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められない社会は、憲法を持ったと言えない」との1789年フランスの「権利の宣言」を引用されています。


そして価値の究極的担い手は民族・国家ではなく、個人にあるとする個人主義に基づき、全ての国民は個人として尊重さること、即ち人権尊重とは「個人の尊厳」を守ることであるというのです。


では、「人間は何故に固有の尊厳」を有するのか、そもそも「個人の尊厳とは何で、どのようにして人権が基礎付けられるか」に答えるのは限界があると佐藤氏は吐露され、結局、宗教信条や自然法なくして根拠付けは難しいとされました。


このように、最大の問題は、日本国憲法が歴史や伝統を相続していないというだけではなく、ロックの思想やアメリカの独立宣言には、神から付与された権利・人権という観念があるのに対して、日本の憲法には、この人間の尊厳を基礎づける宗教信条が欠如しているというのです。


つまり憲法の淵源に、「神による個人の尊厳」という観念が存在しないという点であり、神なき人権は、傲慢や利己主義の温床になりかねません。 そしてこれこそ、日本国憲法の致命的な欠陥だと言えるでしょう。従って、憲法に「神の復権」が不可欠だというのです。


「画竜点睛を欠く」(がりょうてんせいをかく)との言葉が示す通り、日本国憲法に神という眼を入れなければならないということであり、これこそが、「真の改憲」であります。


以上、今回は「新しい憲法を制定する推進大会」に参加し、憲法改正、国防、国民の権利と義務、そして憲法の思想的淵源について考察いたしました。皆様の意見をお聞かせください。(了)