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文鮮明先生は何故メシアと言えるか 起死回生の戦略的転換を!

◯つれづれ日誌(令和4年8月10日)-文鮮明先生は何故メシアと言えるか 起死回生の戦略的転換を!


世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。(1ヨハネ5.5)


聖書の最も顕著な思想は「メシア思想」であり、旧約聖書は初臨を預言し、新約聖書は再臨を預言する書と言われています。特に旧約聖書には300ものメシア預言があるといわれ、聖書が救世主を待望する書であり、メシア思想が聖書の根幹であるといわれる所以であります。


文鮮明先生(以下、「創始者」と呼ぶ)は聖書について、「聖書には一貫した統一性があり、メシア思想に貫かれています。これはこれら聖書記者の背後に、真の著者としての思想的核心の存在(神)がいるからです」(み言葉集)と述べられました。


【UC創始者は何故メシアと言えるか】


では、UC創始者は何故メシアと言えるのでしょうか。筆者は以下の3点を挙げたいと思います。


<聖書の奥義の解明>


先ず第一に、何と言っても「聖書とその奥義を解明されたこと」であります。聖書の奥義をことごとく明らかにした原理は、神の啓示として創始者に与えられました。つまり黙示録5章に預言されたの7つの封印を解いた「ダビデの若枝」こそ創始者その人であるというのです。


「すると、長老のひとりがわたしに言った、泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」(黙示録5.5)


ある神学者は、創始者は8つの分野、即ち「神・サタン(罪)・人間・霊界・イエス・聖書・歴史・真の家庭」に精通したチャンピオンだと指摘しました。この8つの分野の第一人者であると言うのです。(平和神経平和メッセージ13) 


しかし、その中でも聖書の奥義を解明され、聖書を完全に解釈されたことは特に抜きん出た業績であり、このこと故に、創始者はメシアの資格があると言えるでしょう。とりわけ神の天地創造(創世記1章~2章)の動機の解明とニ性性相の神観の定立、そして人間の堕落の実相、即ち、罪(原罪)の根本に、人類始祖の姦淫問題(創世記3章)があったことを精緻に解かれたことは、サタンの讒訴圏なき罪(原罪)なきメシアにしかできない仕事と言えるでしょう。


創始者自身も、「この終わりのときに、天地の秘密、神様が隠していた秘密、サタンが隠していた秘密、歴史的秘密、哲学者達の秘密の全てを解決しました」(天聖経第八篇第四章P924)と証言され、次のように語られました。


「数多の哲学者や宗教家はあれど、誰一人として秘められた神の心情と聖書の真義(奥義)について知る者はなく、霊的には暗闇に覆われているかのようでした。盲目にして無知なる人間の行為の記録ともいうべき人類の歴史の背後に、一つの公式とパターンのあることを悟り、歴史の秘密の全てを解明してその法則と原理を見出したのです」(『御旨と世界』創立以前の内的教会史P593~596)


では、聖書の奥義とは何でしょうか。 奥義には 「秘密」「神秘」「秘められた計画」といった意味がありますが、平たく定義づけるとすれば、「かつては隠されていたが、今や明らかにされたキリストによる神の秘密」となります。即ち、旧約時代には隠されていたが、新約時代には明らかにされ、また新約時代には隠されていた再臨時代には全てが明らかにされる真理であります。


このように、聖書には比喩や象徴で暗示された秘義、未だあからさまにされていない奥義があると云うのです。数多の神学者はこの奥義と取り組んできましたが、結局、誰一人としてきちんと解明できた人は存在しませんでした。


そしてその奥義の最たるものしては、 上記創世記1章~3章の解明の他に、救いの摂理における次のような諸点を挙げることができるでしょう。


その一つは、聖書が記述する兄と弟の葛藤の問題です。聖書には、兄と弟の葛藤が随所に記載され、神は弟を愛し「兄が弟に仕える」(創世記25.23)という系譜があリます。カインとアベル然り、エソウとヤコブ然り、ゼラとベレツ然り、マナセとエフライム然り、またヨセフもダビデもソロモンも歴史の主流は弟が担いました。「私はヤコブを愛し、エサウを憎んだ」(ロマ9.13)とある通りです。


では一体、何故神は兄を憎み弟を愛したのでしょうか。聖書に出てくるこれらの記述をどう解釈すればいいのでしょうか。これらは今日までいかなる神学者、いかなる聖職者と言えども説明できない難問、即ち聖書の奥義でした。


そしてそれは、創始者のみ言を神学的に体系化した原理講論に回答が明記されている通りです。(講論後編「アダムの家庭を中心とした復帰摂理」P291~292参照)


次に、これは前記兄と弟の葛藤にも関連しますが、「罪ある血統から如何にして無原罪のメシアが生まれ得るか」という問題であり、これは神学上の最大の難問であると言えるでしょう。この難問は創世記38章のユダとタマルの暗示的な記述を解くことにより明らかにされます。いわゆる血統転換の法理です。    


創始者によれば、タマルは、罪ある血統の中から罪なきメシアが生まれるための道を開いた最初の女性であるといわれ、インスピレーションに導かれて、堕落は天使がエバを誘惑したことから始まったので、(償いは逆の経路を辿って行うという原則により)逆にエバが誘惑する立場、即ち姑ユダを誘惑する立場にタマルは立ったというのです(創世記38.14)。但しキリスト教では、このユダとタマルが関係したことを汚点としています。


そしてタマルは胎中で双子を身籠り、月満ちて産道から兄のゼラが先に手を出しました。しかしゼラはこれをひっこめ、代わりに弟のベレツが兄のゼラを押しのけるようにして生まれてくることになりました。


ゼラが手を出したとき産婆は緋の糸をゼラの手に結んだと聖書は描写しています(創世記38.28)。 この霊感によって書かれた聖書の記述の中にこそ「胎中聖別」と呼ばれる血統転換を暗示する奥義があるというのです。これは、カインがアベルを殺した(創世記4.8)立場を胎中から元返して血筋を正したことを意味するもので、即ち、弟が長子の立場を胎中から回復したというのであります。まさに血統転換です。


これがイスラエル選民の内的出発勝利圏で、産婆がゼラに緋の糸を結んだことは正に神の霊感で、もし聖書がこれを書き残さなかったら「長子権回復」や「胎中聖別」を整合性を持って説明するのが困難であったというのです。「このようなことが書かれていること自体、聖書が神の救いの経綸を記した神の言葉である証左である」と創始者は語られました。


そしてこの胎中での長子の立場の回復がより内的なものであるとすれば、弟のヤコブが兄エソウと和解した聖書の記述は(創世記33.4)、ヤコブによる長子の立場の回復としてはより外的なものと言えるでしょう。


こうして神の血統を残さなければならないという生死を超えたタマルの絶対信仰(ルツ4.12)によりメシアの血統基盤が形成されたのであります。ルツ記4章12節にある通りです。


「どうぞ、主がこの若い女によってあなたに賜わる子供により、あなたの家が、かのタマルがユダに産んだペレヅの家のようになりますように」


創始者はこれらを、「罪なき本然のより聖別された血統的基準に接近するための運動である」と言われました。そして、このタマルの信仰と勝利圏を相続したのがマリアだったというのです。


マリアは、イスラエルの血統を残すという絶対信仰で天使に告げられた通り急いでザカリアの家に入りました。エリザベツも啓示を受けてマリアを自宅に招いたのでした。3ケ月過ぎて妊娠したことが分かってマリアはザカリアの家を出たと聖書は記述しています。(ルカ1.39~56)


これらは、失楽園において天使長が神とアダムからエバを奪っていったので、逆に天使長の立場にあるヨセフからエバの立場にあるマリアを善の天使長の立場(神側)にあるザカリアが奪うという逆の経路を辿って償っていく道といわれています。このように、濁から聖への血統の転換は、失ったものの逆の道筋を辿って取り戻していくという、蕩減的回復の道を辿っていくというのです。


そして再臨主は、タマル、マリア、イエスの勝利的基盤を受け継いだ立場で生まれてくる、即ち、イエスの時までに神側が勝利した基盤の上に正しく立たれて、彼が果たせなかった新婦を探し出し真の父母になる道を行かれるというのです。(以上、周藤健著『成約摂理解説』P132~P176参照)


以上の通り、血統転換の法理は、カルバンやシーセンの言を待つまでもなく、まさに「キリストの神秘」であります。


上記に挙げた他にも聖書の奥義は、「マリアの聖霊による処女懐胎の神秘」(マダイ1.20、ルカ1.35)、「十字架と復活の真相」、「終末と再臨の意義」など、多々あり、激しく議論されています。そしてこれらの聖書の奥義は、原理によってことごとく明らかにされているというのです。


<霊肉重生の救い>


次に、創始者が何故メシアと言えるかの第二の理由は、創始者が韓鶴子女史と共に「真の父母」として、完成期的な救いの担い手、即ち完全な霊と肉の両面に渡る「重生」(新生)の摂理を成就された方であるという事実で、これが救済論的には最も意味のある内容です。これらの重生論は、原理講論のキリスト論(P262~266)に解説されている通りです。


イエス・キリストは「私はまた来る」(黙示録20.12)と言われましたが、何故再び来なければならないのでしょうか。つまり、イエス様がやり残した救いの摂理を成就をされるために再臨されるというのです。


イエスは十字架で霊的復活を遂げられましたが、肉体はサタンに蹂躙されました。従って、来たるべきメシアは、霊と肉の双方において重生の役事をなされるというのであり、創始者はその生涯において6度牢獄(通算5年間)に入って十字架に架かりながら、これを生きて超えられ、人間を完全に贖われる霊肉重生の道を拓かれました。これが真の父母の本質であります。


<共産主義を屈服>


更に創始者がメシアである第三の理由は、共産主義を屈服させられたことです。カイン的ヘレニズム思想の集大成ともいうべき共産主義を崩壊に導かれ、共産主義に代わる新しい神主義に基づく「新しいヘブライズム思想」(頭翼思想)を提示されたことです。


1968年に国際勝共連合を設立され、1870年代から共産主義の指導理念である唯物弁証法と唯物史観の間違いを指摘されてきた創始者は、ソ連共産主義が70年、8代を超えることが出来ないことを予告されていました。そして1985年に第2回世界平和教授アカデミー国際会議で「ソ連帝国の崩壊」をテーマに掲げられ、「ソ連共産主義は70年を超えられない」と共産主義の崩壊を明確に預言されたのであります。その予告通り、1991年にソ連は崩壊しました。


そしてその共産主義崩壊に至る背後で、レーガン、ブッシュ、ゴルバチョフなど世界の主だった要人を叱咤激励し、創刊された「ワシントン・タイムズ」を通じて、明確な理念と方向性を示されて、共産主義崩壊に決定的な役割を果たされました。


レーガン大統領勝利に貢献(1980年)クレムリンでゴルバチョフ書記長と会談(1990年)金日成主席と会談(1991年)


その後1991年、北朝鮮の金日成主席と会われ、「主体思想は間違いである」ことを明言された上、神主義・頭翼主義でなければならないことを教示されました。正にこれらは、メシアにしか出来ないことであると言っても過言ではありません。


以上の通り、創始者がメシアである理由を3点述べましたが、その他にも理由を挙げることができるでしょう。「世に勝つ者はだれか。イエスを神の子(キリスト)と信じる者ではないか」(1ヨハネ5.5) とあるように、改めて筆者もまた創始者を、再臨されたキリストであると告白いたします。


【起死回生の戦略的転換① 預言者の原点に帰れ!】


前記しましたように、東西冷戦の終結に創始者が決定的な役割をはたされ、ワシントン・タイムズがその理論的支柱になったことを述べましたが、8月5日のTBS730(BS)で、ジャーナリストの木村太郎と、ハーバード大学で比較宗教学を専攻したパトリック・ハーランことパックンが米UCと政治的影響についてコメントいたしました。木村氏は、「ワシントン・タイムズを読まないと保守陣営の情報は得られない、まともに仕事はできない」と発言し、またパックンは「ワシントン・タイムズを創設した文氏の戦略は、アメリカ政治に強い影響力を持った」と、いずれも文氏のメディア戦略を高く評価しました。


そして、その他世界的通信社であるUPIや世界日報などの関連メディアを有し、保守の論陣をはって世界の言論に大きな影響を与えてきたことは、周知の事実です。そしてこれらはある意味で荒野で叫ぶ者のように、独立自尊の道を行く「預言者」としての役割だと言えるでしょう。


この度、政権党(自民党)とUCの関係がクローズアップされ、UCとの関係が問題視されて、内閣改造に当たっても、その点検や瀬踏みを行うことが報じられています。ならばこの際、こちらの方から関係を見直してはどうでしょうか。


幸福実現党の及川幸久氏は、「UCはそろそろ自民党ベッタリを見直してはどうか」と発言され、筆者も「なるほど」と感じています。つまり、政権党と言えども、「是は是、非は非」として、ほどよい距離感を保って、むしろUCは預言者に徹することがベターではないかと感じています。


イスラエルの預言者は、権力に向かってはその奢りや腐敗を糾弾し、国民に向かっては不信仰、不道徳を糺すのが役割でした。従って、国王からも国民からも敬遠される「嫌われ者」でありました。つまり、嫌われつつ独立自尊の道を行くのが預言者の仕事だというのです。


守破離(しゅはり)という言葉があります。守破離とは、剣道や茶道などで、修業における段階を示したもので、「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階、「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階、「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階、の3段階をいいます。


その段から言えば、今や私たちは、「離」の段階、つまり、乳離れというか、政権党(自民党)離れの段階にきたと思われます。そしてこの安倍事件はそのよい機会だというのです。


即ち、国家に神の意思を伝達し、国政全体に影響を与えんがために、また政策的にも合致することで、政権党にすり寄って存在を示すという従来の在り方を脱皮し、「来るもの拒まず、去るもの追わず」の格言通り、超然として自民党から「独立宣言」して我が道を行くこと、これが第一の起死回生の方案であります。


次に重要な起死回生の方案は、福音的な教会に大転換し、自力をつけることです。半世紀くらい前、5万、50万の教勢確保が叫ばれましたが、これからは、50万、500万の教勢確保のために福音伝道に徹せよというのです。


聖書が、「御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、よく教え勧めなさい」(2テモテ4.2)と言っている通りです。


そのためには、真理に立つ福音的な教会に転換しなければなりません。ある宗教学者が、「UCは今や、先祖解怨教に変質した」と指摘していますが、このような汚名を返上し、み言、即ち原理の福音で勝負する教会に大転換しなければならないと、筆者は思います。


即ち、救いは、悔い改めること、回心し赦されること、そして重生・復活し永遠の命に至ることであり、これこそ救いの本筋に他ならず、この救いの本質を宣べる教会への回帰です。


UCは、聖書の奥義を明らかにしたメシアのみ言を委ねられ、これを所有する稀有な存在、「聖なる民」「宝の民」(申命記7.6) であるというのです。臆せずに聖書の奥義、真理のみ言を語り、救いを宣べ伝え、大胆にキリスト(真の父母)を証していきたいと思います。


以上の起死回生の方案、即ち、政権党(自民党)から独立し預言者としての道を行くこと、福音的なみ言で勝負する教会に大転換すること、そして数的基盤を確保し自力をつけること、を提言いたします。この3つの改革方案に賛同される方はその意思表示を、異論がある方は意見を是非お聞かせください。


【超教派・超宗教ムーブメント】


さてUC創始者は、その生涯の活動の中で、キリスト教を中心とした超教派・超宗教運動は、最も力を入れられた分野であり、エネルギーと時間と金銭を惜しみなく注がれました。宗教の和合一致、とりわけキリスト教の和合一致に心血を注がれました。そしてこれはUCだけでなく全ての宗教の夢であります。


それは、創始者自身が、誰よりも真正のキリスト者であり、UC創始者である前に純然たるクリスチャンであったからに他なりません。


<万教一致運動>


そもそも全ての宗教は、神の救済摂理をそれぞれある段階とある分野で担うもので、時・程度・範囲・役割が違うだけで、「神の創造理想を担う」という点では共通の役割と目標を持っていると信じるものです。


そしてキリスト教では、教派を超えた結束を目指し、キリスト教の教会一致を掲げる「エキュメニカル運動」(世界教会主義)が提唱されました。これはまた、広くはキリスト教相互のみならず、より幅広くキリスト教を含む諸宗教間の対話と協力を目指す運動のことを指す場合もあります。日本でも、大本教教祖の出口王仁三郎は「万教同根」を唱え、成長の家教祖の谷口雅春は「万教帰一」を宣言しました。


UCは、1970年、韓国宗教協議会に加入し、1974年、「超宗派基督教協会」を設立しました。1981年には、新超教派研究協会(New ERA)、神様会議、国際クリスチャン教授協会(ICPA)、国際基督教学生連合会((ICSA)を立ち上げ、1985年、世界宗教議会、1991年、世界平和宗教連合(IRFWP)、1999年、世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)、2000年米国聖職者指導者会議(ACLA)、2003年超宗教超国家平和協議会(IIPC)を設立し、そして2019年には世界聖職者指導者協議会」(WCLA)が創設されました。その間、1991年には神学者グループによる「世界経典」が編纂されています。


<メシア宣言と摂理の完結宣布>


そして1992年8月24日、ソウルで行われた世界文化体育大典の合同晩餐会において、創始者は「メシア宣言」をされました。満を持して「私と妻は、人類の真の父母、救世主、再臨主、メシアであります」と宣言されたのです。そして2012年8月13日、「最終的な復帰摂理を完成、完結、完了し、全てを成し遂げました」との最後の宣布と祈りを捧げられたのであります。


無論、このような宣言は、「あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」(使徒行伝1.11)とある通り、来たるべきメシアはラッパの音と共に天から降りて来られると固く信じるクリスチャンには、到底受け入れがたい事実でありましょう。


しかるに創始者は、宗教、思想、学術、言論、文化、芸術、政治、経済などあらゆる分野でビジョンを示され、その広範な活動を通して、神の国の雛形、天国の方案を預言者的に示して、2012年9月3日午前1時54分、聖和(死去)されました。


今後、これらの理念と理想は、50年後、100年後、200年後には、徐々にその全貌が形を整えて顕れてくることでありましょう。(了)