新時代におけるパウロの研究 旧約から新約、そして成約へ
- matsuura-t
- 6月5日
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更新日:7 日前
◯徒然日誌(令和7年6月4日) 新時代におけるパウロの研究ー旧約から新約、そして成約へ
ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」(使徒9.3~6)

聖パウロ(カラバッジョ画)
プロローグ
実は筆者は、ここ1ヶ月、次の研究テーマを見出だせず、今一意欲が出ない中で思考は低迷していた。この年齢で二冊の本(異邦人と久保木本)を出し、ホームページに467本の記事も投稿できたし、UCの解散問題にも語るべきことは語りつくしたという思いがあり、「もうこれでいいのではないか」と感じたからである。また、よき信徒の交わりを通して深い友情の絆を得た。「足るを知る」と老子が言うように、これ以上、何を得ようというのか、人間の欲求には切りがなく、現状に満足することも時には必要である。
そのような中で、6月1日の朝、月はじめの祈祷の最中、「成約版パウロの研究」に取り組んではどうかという神の声が本心に聞こえてきた。今、何故パウロの研究なのだろうか。
【今、何故パウロか】
神は筆者に、何故パウロの研究を命じられたのだろうか。端的に言えば、パウロが身をもって旧約から新約へ、即ち、律法から福音への橋渡しを果たしたことに倣って、新約から成約へ、即ち福音から原理への橋渡しを私たちが担わなければならないからである。
<パウロの自己証言>
パウロは自ら四大書簡(ローマの信徒への手紙、コリントの信徒への手紙第一・第二、ガラテヤの信徒への手紙)などを残したキリストの使徒であるが、パウロは聖書の中で以下のように自己紹介している。
「わたしは八日目に割礼を受けた者、イスラエルの民族に属する者、ベニヤミン族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法の上ではパリサイ人、 熱心の点では教会の迫害者、律法の義については落ち度のない者である」(ピリピ3.5~6)
「わたしはキリキヤのタルソで生れたユダヤ人であるが、この都で育てられ、ガマリエルのひざもとで先祖伝来の律法について、きびしい薫陶を受け、今日の皆さんと同じく神に対して熱心な者であった。そして、この道を迫害し、男であれ女であれ、縛りあげて獄に投じ、彼らを死に至らせた」(使徒22.3~4)
つまりパウロは、ローマ市民権を持つイスラエルのベニアミンの出自で、パリサイ人であり、比較的裕福なキリキアのタルソで生まれ、イエスより10才くらい年下だったと思われる。教会を迫害した人物であり、故に「実際わたしは、神の教会を迫害したのであるから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者である」(1コリント15.9)と告白している。しかし次の通り、パウロはキリスト教徒を捕らえようとダマスコへ向かう途中で、復活されたイエス・キリストに出会い、劇的な回心をし、以後卓越したキリストの証人となった。「目から鱗」とはこのことである。
「ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。彼は地に倒れたが、その時『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた。そこで彼は『主よ、あなたは、どなたですか』と尋ねた。すると答があった、『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう』」(使徒9.3~6)
そしてパウロは次の通り、自らを使徒と呼ばれる値うちのない者であると告白した。
「 すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、三日目によみがえったこと、 ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。 そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、そして最後に、いわば、月足らずに生れたようなわたしにも、現れたのである。実際わたしは、神の教会を迫害したのであるから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者である。 しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである」(1コリント15.3~10)
そうして神はパウロを異邦人の使徒に任命されたのである。
「主は(アナニアに)仰せになった、『さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である』」(使徒9.15)
パウロは、65年ころ(60才?)、皇帝ネロの手によって処刑されたと言われているが、宣教活動の中で、如何に試練を受けたかについて、次のように証言している。
「苦労したことはもっと多く、投獄されたことももっと多く、むち打たれたことは、はるかにおびただしく、死に面したこともしばしばあった。ユダヤ人からむちを受けたことが五度、 ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。 幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、 労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった」(2コリント11.23~27)。
<神学の基礎の確立、多大な影響>
パウロは異邦人の使徒として、3回の世界宣教で、地中海全域にわたり宣教を成功させたが、ロマ書に代表されるように、パウロはキリスト教の「最初の神学者」であり、基本的教義の礎を作った。即ち、神の唯一性、人類全体の罪責、キリストの救いの普遍性を拠り所に、信仰義認論、十字架による贖罪論、甦りの復活論などの教義を確立し、世界宗教へと成長していく礎を築いた。
教祖イエスとキリスト教の創始者パウロの関係を、大本教の開祖出口ナオと聖師出口王仁三郎との関係に準えた宗教学者がいる。ナオの啓示を体系化したのが王仁三郎だというのである。ナオの啓示を王仁三郎が体系化したように、パウロはイエスの福音を体系化したというのである。つまりパウロはイエスの福音に神学的基礎を与えたのである。
パウロは、「神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる」(ロマ3.28)と述べ、「わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである」(ロマ3.28)として信仰義認の教理を打ち立てた。
また、「神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった」(ロマ3.25~26)と告白し、十字架贖罪論を主張した。そして、「このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである」(ロマ5.18)と述べて原罪論の神学に寄与したのである。
更に、「 その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである」(ロマ6.4)として復活の意義を述べ、「 わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである」(ロマ6.6)として、新生の希望を宣言した。
こうして、信仰義認、原罪思想、十字架による贖罪、復活による新生など、終末論を除くキリスト教神学のほぼ全ての分野の基礎を確立した。
そしてパウロは、アウグスティヌス、ルター、バルト、内村鑑三など大神学者に多大な影響を与えた人物でもある。アウグスティヌスはロマ書13章12節から14節の「 やみのわざを捨てて、光の武具を着けようではないか。そして、宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いとねたみを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。 あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない」の聖句で回心し、ルターはロマ書1章17節から18節の「神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、『信仰による義人は生きる』と書いてあるとおりである」の聖句で回心した。
また新正統神学(弁証法神学)の父バルトは、「ロマ書の注釈書」を書き、内村鑑三は『ロマ書の研究』を書いた。『ロマ書の研究』は、内村の生涯最大の書と言われるが、その中で「神はパウロに贖罪の理論を示され、イエスの十字架に理論的基礎を与えた。ロマ書は、この贖罪の理論的根拠を開示する類いまれな大著と言える」(『ロマ書の研究』いのちのことば社P22)と記している。このようにロマ書は、キリスト教の真髄を記した書であり、この書を理解せずしてキリスト教を理解することはできないという。また、新約聖書のヨハネ書やヘブル書にも影響を与えた。
即ち、ユダヤ人でガチガチの律法主義者であったパウロが、復活されたイエス・キリストと劇的な出会いをして回心し、一転キリストの迫害者から福音の大宣教師になったのである。パウロの主な業績には、①異邦人世界への福音大宣教、②キリスト教神学の基礎を確立したこと、③律法から福音への転換を図ったこと、が挙げられる。
<最大の役割ー律法と福音の架け橋>
そしてこのパウロの業績の中で、筆者が最も注目するのが、律法から福音への転換を図ったこと、即ち律法と福音の架け橋となり、旧約から新約への産婆役を務めたことである。即ち、律法から福音へ、割礼から洗礼へ、自力救済から他力救済へ、そして選民救済から万民救済への道を開いたことである(大田俊寛著『一神教全史上』河出新書P155)。
つまり、当時のキリスト教徒には異邦人キリスト教徒とユダヤ人キリスト教徒がいて、異邦人のキリスト教徒はユダヤ教の律法(安息日・割礼)をどう考えればいいか、またユダヤ人キリスト教徒は律法と福音の関係をどう調和させるかが重要問題であった。
パウロは、「わたしたちは律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えているのである」(ロマ7.6)と宣言して律法からの解放を説き、ユダヤ人もギリシャ人(異邦人)も同様に救われると次のように主張した。
「それとも、神はユダヤ人だけの神であろうか。また、異邦人の神であるのではないか。まことに、神は唯一であって、割礼のある者を信仰によって義とし、また、無割礼の者をも信仰のゆえに義とされるのである」(ロマ3.29~30)
こうしてパウロが、旧約と新約の架け橋となったように、私たちには新約から成約への架け橋となる神学と実践が必須である。筆者もその一人として、今後、この課題、即ち「成約版パウロの研究」に改めて挑むことにした。成約版とは、成約的視点、即ち原理的視点からパウロを再検証・再理解するという意味である。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず」と諺にある通り、神が準備されたキリスト教と和解一致するためにはキリスト教を理解することが肝心であり、キリスト教を理解するためには、キリスト教神学の基礎を作ったパウロを研究するのが最適である。かって拙著『異邦人の体験的神学思想』において、「使徒信条」を叩き台に、使徒信条を再解釈するという仕方でキリスト教教理を紐解いたが、今度はパウロを紐解くという形でキリスト教を再理解するということになる。そしてこの作業は自らの信仰を検証し、再理解する機会にもなる。
<パウロにおける罪咎と弱さ>
一方パウロは、自らが罪人であること、そして肉体的な刺(とげ)があることを告白した。先ずパウロは自らの内的矛盾性を告白し、次のように述べている。かの偉大な宣教師にして神学者のパウロでさえ、内なる罪に苦しんだのである。
「すなわち、わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。わたし自身は、心では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えているのである」(ロマ7.22~24)
そしてパウロは肉体的な刺(=ハンディキャップ)があったことを告白している。2コリント書には「そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである」(2コリント12.7) とある。
この聖句は、パウロが持っていた「とげ」についての告白だが、パウロの「肉体に与えられたとげ」が何だったのかについては諸説ある。例えば、それが絶え間ない誘惑だったとか、多くの反対者達だったとか、目、マラリア、偏頭痛やてんかんなどの持病だったとか、言語障害だったなど諸説あるが、身体的な「とげ」であったことは確かである。パウロは、力強くみ言を語る反面、テント職人の風采の上がらない(背も低かった)、持病持ちの男だったようだ。
パウロはこの「とげ」を、自分が傲慢になって高ぶることのないように、神が自分に与えられた試練だと理解したのである。しかしパウロは、「 神はご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さる」(ロマ8.28)とある通り、文字通りマイナスをプラスに転じるポジティブシンキングの持ち主だった。「わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである」(2コリント12.10)とある通り、神の力は人間の弱さ、つまり「砕けた悔いた心」(詩篇51.17)にこそ顕れるからである。
<パウロの原点ー信仰体験>
さてパウロには2回の神秘的体験がある。2コリント書12章2~4節で「 この人は十四年前に第三の天にまで引き上げられた。それが、からだのままであったか、からだを離れてであったか知らない。パラダイスに引き上げられ、そして口に言い表わせない、人間が語ってはならない言葉を聞いたのを、わたしは知っている」と記している。ダマスコの神秘体験の8年くらい後のことである。
パウロが「第三の天」と表現した場所は、神様の御国、つまり天の領域を指し、パウロは、肉体を離れて第三の天に昇り、そこで霊的な体験をしたのである。「第三の天」とは、ユダヤ人が信じていた地上から見える「第一の天」と、宇宙的な「第二の天」の他に、神様に近い「第三の天」(楽園)のことである。
そしてもう一つの神秘体験は、前述したダマスコ途上で復活のイエスとの出会いである(32年頃)。突然、天から光がさして、彼をめぐり照し、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いたあの体験である(使徒9.3~6)。パウロはこの復活のイエス・キリストとの出会いで劇的回心を遂げ、そしてこれらの体験がパウロの信仰的原点になった。筆者には、このパウロの体験は、空海と久保木修己元UC会長の神秘的体験とだぶって見える。
若い修行中の空海は、室戸岬の洞窟(御厨人窟)で100万回の求聞持法を唱えていた時、「輝く明けの明星が口の中に飛び込んでくる」という神秘体験をした。この体験こそ虚空蔵菩薩と一体化した瞬間であり、原理でいう「神人愛一体理想」という信仰体験だった。空海の24才の時の処女作『三教指帰』(さんごうしき)には、「阿波の大滝岳に登りよじ、土佐の室戸岬に勤念す。谷響きを惜しまず、明星来影す」 と記しており、まさに空海の真言密教探求の「一丁目一番地」となった。
この空海の室戸岬洞窟での神秘体験は、久保木会長の厚木大山山頂での神秘体験と強い同質的があると筆者は感じる。久保木会長は、40日修練会を終了したあと、厚木大山での断食祈祷で空海と同じような神体験をした。 凍てつく厚木の大山に登り、「神の回答を得るまで祈り続ける」との決死の覚悟で断食談判祈祷し、あげく、断食5日目の最後の祈りで遂に「神と一対一の出会いという神秘体験」をしたというのである(『愛天愛国愛人』P80~85)。
即ち、諦めて山を下ろうかと思いかけたその瞬間、目の前の空が急に赤焼けしたと思うと、それはやがて渦巻いた紅蓮(ぐれん)の雲のようなものが金色となって、ぐるぐると口から吹き込まれたという。ワッと叫んで大地に叩きつけられた会長はその場で暫く意識を失ったようになり、その後宙を舞うような足取りで「別人となって」山を降りたと証言された。会長にとって、この山頂での劇的な神秘体験こそ、神への帰依と、その後の宗教活動の原点、即ち、信仰者としての「一丁目一番地」となるものだった。
こうしてパウロにとって、復活されたイエスとの出会いは、空海や久保木会長がそうだったように、その後の信仰人生に決定的な転換点となったのである。パウロの神学が如実に示されているロマ書やガラテヤ書は、パウロ個人の霊的神秘体験に客観的な裏付けを与えたものである。
【パウロへの批判】
しかし一方、キリスト教の伝統的な罪と救済の概念(パウロの神学)を否定した19世紀のシュライアマッハーに代表される自由主義神学は、パウロ神学を批判した。自由主義神学者のハルナックは、キリスト教をイエス教とパウロ教に分け、十字架の贖罪の教理はパウロの神学に過ぎず、キリスト教の本質はイエスの人格的感化と倫理的教えにあると説いた(梅本憲二著『やさしいキリスト教史』光言社P178)。
また宗教学者の野村健二氏は、著書『誤解されたイエスの福音』(光言社)の中で、パウロの神観と十字架の贖罪観について、その問題点を指摘している。
伝統的なキリスト教では、イエスは神であり、十字架で贖罪死することが神のみ心だったという見解をとっており、この「イエスは神」との教理や「十字架の贖罪」の教理は、「信仰義認」の教理と共に、パウロが唱えたと言われている。
野村氏は、コロサイ信徒への手紙1章15節~17節「御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである」、「 万物は、みな御子にあって造られたからである」、「彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている」を引用し、パウロがキリストを万物に先住する創造者たる神の立場に立てて神格化したと苦言を呈した。(但し、コロサイ書はパウロの真筆ではないとする見解がある) またロマ書にも「キリストは万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神」(ロマ9.5)とある。
ではパウロが何故イエスを神格化したのかについて、野村氏は、パウロがキリストの迫害者であったことの負い目や、復活したイエスとの神秘的出会いが強烈だったことがあるのではないかと指摘している。また「基督教とはイエス・キリストを天的な神の子と信じる信仰であり、このようなキリスト教を創始したのは、主としてパウロだった」とのアルノルト・マイヤーの言葉を引用して述べ、イエスの福音への無知と(ロマ書が書かれた57年頃はまだ4福音書は書かれていない)、霊的召命という神秘体験が、イエスを神と同一視してしまったと批判した。なお福音書の成立年代は、マルコ書が70年前後、マタイ書が70年から85年頃、ルカ書が80年から95年頃、ヨハネ書は90年代から100年前後、使徒行伝は85年頃と推定されている。
このようにパウロは、イエスを神と捉え、大工の子イエスを神格化して、後のイエスの神性を強調する三位一体の教理の土壌となったとして、三位一体論を批判する立場からは、苦言が呈されている。イエスの神聖化は、「イエスの価値は神に等しい」というだけで十分であり、その「創造能力までも神に等しい」、いや「神そのものである」とする必要はなかったのではないかというのである。
次の一見非合理的に見える1テサロニケの聖句は、パウロのキリスト観、再臨観、終末観の限界を端的に示すものと指摘されている。ただ 、1テサロニケはパウロの書簡の中で最も早い時期(50年~52年頃)に書かれたもので、パウロの初期伝道活動の時期は、濃厚な終末論に包まれた再臨待望の時期であったことを斟酌する必要がある。
「すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう」(1テサロニケ4.16~17)
こうして前述したように、パウロの数々の業績は高く評価されるが、一方では批判もある。しかし、パウロの宣教、パウロの神学が2000年間キリスト教を牽引したことは確かであり、これらパウロに寄せられる批判や葛藤を解決して、新約から成約(原理)への橋を架けることが急務である。故宮原享牧師の著書『新約聖書の真実』(グッドタイム出版)は、この課題を先駆けた労作である。
以上、筆者が新たなテーマとして神から付与されたパウロについて述べた。少なくとも向こう一年はパウロを軸とした研究、しかも成約版パウロの研究に費やすことになる。何故なら、前述した通り、パウロが旧約(律法)から新約(福音)への扉を開き橋を架けたように、成約版パウロは、更に新約から成約(原理)への架橋になるからである。神が共にあって導かれることを切に祈りたい。
最後に李相軒先生の霊界からのメッセージ『霊界からきた使徒パウロの手紙』(光言社。レポーター金英順女史)におけるパウロの証言を参考に記しておく。(本書P109~P114を抜粋し編集した)
「ある時『あなたが胸に抱いているその本は、偉大な師が天の秘密を明らかにしたものです』と語られたのち、主、イエスは消えてしまわれました。地獄の現場と、サタンが蠢いている中で、一人のお方が、目も耳も口も血と汗にまみれた姿で泥だらけの中、あちこち引き裂かれて踏まれながら、その片手に『原理教本』を持っていたのです。その師は血だらけの体でパウロを抱いて下さり『あなたの聖徒たちを救いなさい』と言って消えていかれました。『原理教本を片手に持って、血だらけの姿でパウロを抱いて下さった方がメシアというのですか』と言うと、李相軒先生は頷いて手をつかみました。まさに『原理教本』は師が地獄で闘って奪ってきた、人間の再創造の指針書です」 (了)
牧師・宣教師. 吉田宏