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新約聖書の解説㉑ ぺテロの第一の手紙

🔷聖書の知識148ー新約聖書の解説㉑ーぺテロの第一の手紙


あなたがたが新たに生れたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生ける御言によったのである。 「人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は、とこしえに残る」(1.23~24。イザヤ40.8)



「ペトロの第一の手紙」は使徒ペテロによって書かれた「公同書簡」と呼ばれるものの一つであります。


公同書簡とは、新約聖書中の、ヤコブの手紙、ペトロの手紙一、ペトロの手紙二、ヨハネの手紙一、ヨハネの手紙二、ヨハネの手紙三、ユダの手紙の7書を指し、公同というのは,これらの手紙が特定個人や教会にあててでなく,教会全体のために書かれた内容をもっているという意味であります。


1ペテロ書は「ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤおよびビテニヤに離散し寄留している人たち」(小アジアの五州)へとなっていますが、ディアスポラや異邦人に向けて、迫害に苦しむ信者たちを励ますための手紙であります。


著者は新生の恵みと試練に耐えること(1.2~10)、キリスト者らしい聖なる生活を送ること(2.11~3.13)、キリストにならって忍耐と聖性を示すこと(3.14~4.19)、最後は指導者たちへの助言によって締めくくっています(5章)。


本書には旧約聖書からの引用が35箇所あり、七十人訳聖書(ギリシア語旧約聖書)からの引用で、著者についてはペテロ以外の他者説もありますが、ここでは、ガリラヤ湖の漁師をしていた使徒シモン・ペトロによって、64年前後に書かれたとしておきます。


著者ペテロは、自分のことを、「イエス・キリストの使徒ペテロ」(1.1)と紹介し、元はシモンという名であったが、イエスによってケファ(ヨハネ1.42)と呼ばれ、ケファはアラム語、ペテロはギリシア語で、ともに「岩」という意味であります。


「彼らはペテロとヨハネの大胆さを見、また二人が無学な普通の人であるのを知って驚いた」(使徒4.13)とある通り、正式なラビ教育を受けていない一介の漁師でしたが、「わたしの羊を飼いなさい」(ヨハネ21.17)というキリストの命令に従いました。


「忠実な兄弟として私が信頼しているシルワノによって、私は簡潔に書き送り、勧めをし、これが神のまことの恵みであることを証ししました。この恵みの中にしっかりと立っていなさい」(5.12)とある通り、この「神の恵み」が本書簡の核心です。


【注目聖句解説】


「神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さったのである」(1.3~5)


ここでペテロは、救いの本質について語っています。即ち、私たちの救いは、キリストの復活により、「新しく生まれる」(新生)ということであり、これらは父なる神の「大きなあわれみ」(恵み)のゆえであることが語られています。そして私たちは、天に蓄えられている永遠の資産を受け継ぐ者となるというのです。


また、「あなたがたが新たに生れたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生ける御言によったのである」(2.23)というフレーズにも、み言による新生が強調されています。私たちは、神の言葉、そしてキリストの贖罪と復活により新生し救われるというのです。


即ち、救いは、先祖を供養し、願い事をすることだけではなく、むしろ「悔い改めと回心、贖いと新生、復活と永遠の命」という救いの本筋の中にこそあることを肝に銘じたいと思います。成約的に言えば祝福重生ということになります。


先祖供養や願い事は、寺社に見られるように歴史的に日本人の信仰の在り方と相性がよく、福音の土着化という意味では、パウロのいう「養育係」(ガラテヤ3.21)、或いは一種の「方便」と言えるでしょう。


但し、方便とは「嘘も方便」と言った浅薄な意味ではなく、本来的には、「真実の教えに導くための仮の教え」、あるいは「人々を仏に導くために、機根に応じて解かれる巧みな教え」という仏教用語であります。


私たちは、宗教学者から「UCは、今や先祖解怨教に変質した」と指摘されており、このような汚名を返上し、救いの大道に回帰した成約の福音的な教会に引き上がらなければならないと思料するものです。そしてこれが「リバイバル」であります。


「あなたがたは、すべて人の立てた制度に、主のゆえに従いなさい。主権者としての王であろうと、あるいは、悪を行う者を罰し善を行う者を賞するために、王からつかわされた長官であろうと、これに従いなさい」(2.13~14)


「同じように、妻たる者よ。夫に仕えなさい。そうすれば、たとい御言に従わない夫であっても、あなたがたのうやうやしく清い行いを見て、その妻の無言の行いによって、救いに入れられるようになるであろう」(3.1~2)


ここでペテロは、公の権威、即ち世の秩序に従うよう諭しています。人の立てたすべての制度は、神の許しによって、悪を罰し、善を立てるために定められているというのです。唯一の例外は、世の権威が神の御心に反することを強要した場合であり、「人に従うより、神に従うべきです」(使徒5.29)と述べられています。


また、たとい不信者の夫であっても、妻は従順に振る舞うべきであり、妻の無言の「神を恐れかしこむ清い生き方」を見た夫は、神の元に導かれ救われる

というのです。

「キリストも、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである。こうして、彼は獄に捕われている霊どものところに下って行き、宣べ伝えることをされた」(3.18~19)


「死人にさえ福音が宣べ伝えられたのは、彼らは肉においては人間としてさばきを受けるが、霊においては神に従って生きるようになるためである」(4.6)


この聖句は、キリストは正しい方であったが、罪人の身代わりとなって一度死なれた、即ち肉においては死に渡されたが、霊においては生かされたと証言し、肉体の死と霊人の霊的復活を主張する原理観と親和性があります。


また、キリストは死後3日間「獄に捕われている霊どものところ」、即ち「黄泉」(ハデス)に下り、福音を「宣べ伝えた」とあり、これが、地上でクリスチャンになる機会がなく死んで霊界に行った死人にも、福音を聞くチャンスがあるとする「セカンドチャンス論」の根拠聖句になっています。原理は、死後の霊人が福音を聞き救われることを認めています。


またこの聖句は、マダイ(16.18)、使徒行伝(2.27)、ヨハネ黙示録(1.18)に出てくる「黄泉」(ハデス)の存在根拠のひとつとされています。


「キリストの名のためにそしられるなら、あなたがたはさいわいである。その時には、栄光の霊、神の霊が、あなたがたに宿るからである」(4.14)


この聖句は、試練に直面した信徒の内的姿勢を語り、また「キリストの苦難にあずかればあずかるほど、いっそう喜びなさい」(2.4)ともあり、試練の中でこそ、聖霊の力を経験するようになると教えています。


以上、「ペテロの第一の手紙」を解説いたしました。次回は、「ペテロの第二の手紙」の解説です。(了)




上記絵画*聖ペテロ(ピーテル・パウル・ルーベンス画)