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新約聖書の解説① マタイによる福音書

🔷聖書の知識128ー新約聖書の解説①ーマタイによる福音書


わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。(マタイ5.17)


今回から、新約聖書27巻を順次解説することにいたします。はじめは『マタイによる福音書』(以下、マタイ書と呼ぶ)であります。


【マタイ書の目的】


マタイ書は、12使徒の一人である取税人の使徒マタイによって、80年代に書かれたとされており(但し、異説もあります)、旧約時代と新約時代をつなぐブリッジであるとされ、それゆえ、新約聖書の最初に置かれていると言われています。


本書の目的は、イエスこそが「モーセと預言者たちによって」予言され、約束されたイスラエルの救い主(キリスト)であると示すことにあり、イエスを旧約聖書の預言の完成者、すなわちメシア(救世主)として証すことにありました。


マタイ書には旧約聖書(ギリシア語訳・70人訳)の引用が65箇所にも及び、それらの多くはキリストの到来を予告したものとして解釈されています。


第1章1節〜17節のイエスの系図によれば、ユダヤ民族の父祖と呼ばれているアブラハムの末裔であり、またイスラエルの王の資格を持つダビデの末裔として示され、本書は、正にイエスこそキリスト(救い主)であると証言する文書です。


そしてこの福音書の律法観は、「すべての預言者と律法とが預言したのは、ヨハネの時までである」(11.13)とし、「わたしが律法や預言者を廃するためにきたと思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである」(マタイ5.17) に象徴されています。


このようなイエス理解から、マタイ書は「ユダヤ人、及びユダヤ人キリスト教徒」を対象に書かれたと考えられています。こうしてマタイは、イエスが旧約を廃止しに来たのではなく、その目的に導き、成就させに来たことを示そうと努め、さらにイエスの教えだけでなく、イエスの生涯そのものが旧約の成就であることを強調しました。


「すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである」(1.22、他)


しかし一方では、反ユダヤ的色彩もあり、そのユダヤ人観がキリスト教徒、特に中世のキリスト教徒のユダヤ人に対する視点をゆがめてきたという見方もあります。


つまりイエスの言葉の中に、当時のユダヤ人社会で主導的地位を示していたパリサイ派への批判が多々あり、「偽善的な律法学者、パリサイ人」(23.17)といった批判が、ユダヤ教理解をゆがめることになったというのです。


【著者・構成・特徴】


次に、マタイ書の著者、構成、特徴について、述べたいと思います。


<著者>

この福音書の著者は、教会の伝承では取税人マタイで、後にイエスの招きに答えて使徒となったマタイであるとされています。


その理由として、福音書の特徴より、著者が「ユダヤ人クリスチャンであること」、「旧約聖書についての知識、興味があること」、「律法学者の伝承に通じていること」があげられ、内容的に金銭問題や、取税人について多々触れられていることなどがあげられています。


一方、近現代の高等批評の立場に立つ聖書学者の多くはこの伝承を疑問視し、いわゆる「二資料説」を唱えています。


二資料説ではマタイ書は「マルコによる福音書」と「イエスの言葉資料(Q資料)から成立したと考えられ、律法に詳しいラビ出身のクリスチャンが書いたのではないかというのです。ちなみにQ資料とは、ドイツ語のQuelle(源泉)から取られた仮説上の仮想資料で、存在は証明されてはいません。


ただし、伝統的な聖書信仰の立場に立つ福音派の多くは、このような高等批評の立場に立つ学者たちの仮説を受け入れているわけではありません。いずれにせよ、神の霊感を受けて書かれた文書であり、正に福音であることには間違いありません。


<構成>

マタイ書は構成上、5つの部分に分けることができます。


・イエス・キリストの系図、誕生の次第、幼年時代、公生涯の準備(1~-4.16)


・ガリラヤ及びその周辺での公の活動(4.17~16.20)


・ガリラヤにおける私的な活動(16.21~18)


・ユダヤにおける活動(19~25)


・イエスの死と復活(26~28)


執筆言語としては、伝承では最初アラム語で書かれ、ギリシャ語へと翻訳されたとされていますが、しかし、ギリシャ語で書かれたと考えるのが順当であると思われます。


マタイ書の全1071節のうち、387節のみが独自のもので、130節がマルコ福音書と共通であり、184節がルカ福音書と共通していると言われています。


<特徴>

マタイの福音書の特徴としては、時間順ではなく「テーマ別」に書かれていること、旧約聖書からの引用が多いこと、イエスの教え(5章~7章)や、神の国のプログラムを多々語っていること、が挙げられるでしょう。


マタイの福音書は、時間順に配列されたメシアの生涯の記録ではなく、その点、時間の流れに忠実に物語が配列されているルカの福音書とは異なっています。


つまり、マタイの福音書は、テーマ別にまとめられたメシアの生涯の記録であります。

例えば、「イエスの系図」は3区分され、各区分は14代になっていること、「奇跡の記録」は8章~10章に集中していること、「たとえ話」は13章に集中していること、「イエスへの敵対」は11章~16章に集中している、といったようにです。


確かに8章~10章には奇跡の記録が集中しています。即ち、らい病人の清め(8.3)、百卒長の僕の中風の癒し(8.13)、ペテロのしゅうとめの熱病の癒し(8.15)、悪霊の追い出し(8.16)、暴風の静め(8.26)、悪霊どもを豚に入れる奇跡(8.32)、中風の者の癒し(9.7)、12年間長血の女の癒し(9.22)、会堂司の娘の死からの復活(9.25)、二人の盲人の癒し(9.30)、悪霊につかれたおしの癒し(9.33)、十二弟子に悪霊の追い出し、病気をいやす権威を授ける(10.1)、などであります。


ヤイロの娘の復活(イリヤ・レーピン画) 盲人を癒やすイエス(カール・ブロッホ画)



またマタイ13章3節には、「イエスは譬で多くの事を語り」(13.3)とある通り、13章には譬えの話しが多々あります。


種まきの譬え(13.4~30)、からし種の譬え(13.31~32)、パン種の譬え(13.33)、天国の譬え(13.44~50)、などです。マタイは旧約聖書の「わたしは口を開いて譬を語り、世の初めから隠されていることを語り出そう」(詩篇78.2)を引用してその理由を説明しました。


イエスへの敵対感情を表すものとしては、イエスは悲しい心情を次のように吐露しました。


「今の時代を何に比べようか。それは子供たちが広場にすわって、ほかの子供たちに呼びかけ、


『わたしたちが笛を吹いたのに、あなたたちは踊ってくれなかった。弔いの歌を歌ったのに、胸を打ってくれなかった』


と言うのに似ている。なぜなら、ヨハネがきて、食べることも、飲むこともしないと、あれは悪霊につかれているのだ、と言い、また人の子がきて、食べたり飲んだりしていると、見よ、あれは食をむさぼる者、大酒を飲む者、また取税人、罪人の仲間だ、と言う」(11.16~19)


そして旧約聖書からの引用の代表例としては、次のようなものがあります。


マタイ1章23節の処女降誕は、イザヤ7章14節「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」から引用され、マタイ2章6節のベツレヘムで誕生は、ミカ書5章2節「ベツレヘム・エフラテよ、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る」から取られています。


旧約聖書からの引用で最も注目すべき箇所は、イエスが荒野でサタンの3つの誘惑にあった時、これ、を退けられた聖句です。


「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」(4.3)の誘惑には、申命記8章3節の「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」でサタンを退けました。


また、「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい」(4.6)の誘惑には申命記6章16節の「主なるあなたの神を試みてはならない」で分別しました。


そして、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」(4.9)の誘惑には、申命記6章13節「主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」でサタンを撃退しました。


【考察ーイエスの系図の4人の女性】


マタイ書1章のイエスの系図には、4人の異邦人女性が出てきます。男系重視のイスラエルにあっては珍しいことであります。


即ち、舅ユダと関係を持ってペレヅとゼラを産んだタマル、ルツの夫ボアズを産んだ神殿娼婦だったラハブ、ダビデの曾祖母にあたるルツ、そしてダビデと不倫したウリアの妻(バテシバ)の4人です。


これらの女性は、皆、異邦人女性であり、また普通でない仕方で結婚し子を産んでいます。しかもこの4人の女性の子孫はメシアの家系を形成しました。


<従来の諸説>

マタイがこの訳あり女とも言うべき4人の女性を、何故メシアの系図にいれたかについては、諸説あります。


4大ラテン教父の一人であるヒエロニムスは、神は姦淫を犯した罪人をも救われることを示されたとする「罪人説」を唱え、ルターは、異邦人をも救われるイエスを示したという「異邦人説」を唱えました。


またカソリック神学者のレイモンド・ブラウンは、従来の罪人説や異邦人説と違って、4人の女とマリアを関連付け、「メシアの家系を残すために寄与した女性」として4人を評価しました。即ち、マタイはマリアの聖霊による身籠り・処女生誕を証すために、4人の女性を普通でない男性(パートナー)との関係で身籠りをした事例として記載したと主張しました。


<真相>

更に進んで、マタイはイエスが私生児である事実を知っていたとも言われ、普通でない仕方で出産した4人の女性を登場させることによって、マリアの処女懐胎の予型・布石としたのではないか、との説があります。 


この4人の共通点は、普通でない仕方で身籠ったこと、4人はイスラエル歴史の重要な転換点に係わり、メシアの家系を形成したことであり、マタイは、4人(特にタマル)をイエス誕生の予型と考えメシアの系図に入れたというのです。


しかし、「たとえ私生児であってもイエスのメシアとしての価値を引き下げることにはならない」ということが教理的に明確になるまでは事実を明らかにすることは出来ないという事情があったというのです。


マタイのインスピレーションにより、マリアの普通でない妊娠の布石として、同様の不規則的な妊娠をした4人を系図に入れ、そうして、聖霊によってという暗示的表現をとりました。


またマタイはイエス誕生の真の事情(イエスが私生児であること)を知っていたので、その事実を書くことでさらなる迫害を恐れたというのです。つまり処女生誕神話には、イエスの命を防御する意図があったというのです。もし私生児だとなれば法律問題に引っ掛かり、死罪は免れません。


そして神学的には、イエスが私生児であっても、メシアとしての価値を引き下げることにはならないという教理的説明が出来ない以上、私生児であることを明らかにすることは危険でした。


つまり、聖母マリアの処女懐胎説はイエスの神聖を強調するための創作であるというのです。処女教説によって、キリスト教の発展のためにイエスの神性を担保する必要性があり、処女懐胎説はキリスト教のために一定の役割を果たしました。


この点、原罪淫行説を否定したカトリックの立場と類似します。カトリックは原罪淫行説に関心を 寄せながらも、これを採用しませんでした。原罪淫行説は、解決策が示されない以上、「結婚出来ない説」になるからです。しかし、解決策(祝福)が示されれば、今や事実が明らかになってもいい時であると思われます。


結局マタイは、聖霊によって身籠ったとして、神の不可思議な働きで生まれたという玉虫色の解決を図ったのでした。しかしマタイが苦しんだ、「罪ある血統から如何にして無原罪のメシアが生まれ得るか」という神学上の最大の難問は、原理が示したいわゆる「血統の転換の法理」で解決されている通りです。


【親しまれている聖句】


おしまいに、クリスチャンらに、よく親しまれている聖句を、以下の通り紹介いたします。


この時からイエスは教を宣べはじめて言われた、「悔い改めよ、天国は近づいた」(4.17)


あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。(5.14)


まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。(6.33)


求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。(7.7)


だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。(7.12)


狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。(7.13)


これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。(11.25)


こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。悲しんでいる人たちは、さいわいである。彼らは慰められるであろう。(5.3~4、山上の垂訓)


しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。(5.44)


すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。(11.25)


自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。(16.25)



以上、マタイによる福音書を解説いたしました。次回は「マルコによる福音書」の解説になります。



画像*上段:天使に霊感を与えられる聖マタイ(レンブラント・ファン・レイン画)、中段:試みを受けられるイエス、下段:山上の垂訓(共にカール・ハインリッヒ・ブロッホ画)