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新約聖書の解説28 ヨハネの黙示録②

🔷聖書の知識155ー新約聖書の解説28ーヨハネの黙示録②


わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。(21.1~2、新天新地)


「ヨハネの黙示録」の解説ですが、前回その①として、ダビデの若枝が七つの封印を解く場面(5章)を経て、再臨を迎えるまでの大患難(6章~18章)を概観いたしました。


ヨハネ黙示録は、ローマ帝国下で迫害に遭っている信者を励ますために、これから終末に向けて起こることを預言した書で、95年頃、使徒ヨハネによって書かれたと言われています。


ローマ帝国の迫害によって、殉教の死を遂げる者も出始め(2.13)、信者たちは、未来に希望の光を見る必要がありました。つまり、黙示録は、忍耐をもって迫害を耐え忍ぶようにという励ましの書であると共に、終わりの日には、悪は滅ぼされ、再臨による新天新地が到来するという希望の書であるというのです。


今回は、大患難 (6章~18章)を経て、キリストの再臨(19章)、千年王国(20章)、新天新地(21章~22章)、という古い時代から新しい時代へ の大円団を展望いたします。


【再臨主の到来とハルマゲドン】


大患難時代の前半3年半(6章~9章)から中間期(10章~14章)を経て、大患難時代の後半3年半(15章~16章 )へと続き、大淫婦バビロンが滅亡 (17章~18章)して、いよいよ次の聖句の通り、再臨を迎えます(19章)。


「またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、『忠実で真実な者』と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである。その目は燃える炎であり、その頭には多くの冠があった。その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、その着物にも、そのももにも、『王の王、主の主』という名がしるされていた」(19.11~16、再臨主の到来)


上記の剣(つるぎ)は、敵を打ち破るキリストの権威を象徴し、鉄の杖とは、み言葉をもって分別し悪を滅ぼされるという意味です。詩篇にも「あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする」(詩篇2.9)とあります。


こうして再臨主の到来によって、「見よ、わたしは、すぐに来る。この書の預言の言葉を守る者は、さいわいである」(22.7)、「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう」(22.12)との預言が成就しました。


そして子羊の婚宴がひらかれます。「さあ、きなさい。小羊の妻なる花嫁を見せよう」(21.9)とあるように、再臨が新婦と出会い、結婚して、歴史の目的である真の父母となって霊肉の重生摂理をされることになります。


「わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。それから、御使はわたしに言った、書きしるせ。小羊の婚宴に招かれた者は、さいわいである」(19.6~9、子羊の婚姻)


そして、19章19節~21節は、いわゆる「ハルマゲドン」の決戦です。獣とは反キリストのことを指し、反キリストは、地上の王たちとその軍勢を招集し、再臨のキリストと戦います。結局、獣(反キリスト)は、捕らえられ、偽預言者共々、生きたままで「硫黄の燃えている火の池」に投げ込まれました。


「なお見ていると、獣と地の王たちと彼らの軍勢とが集まり、馬に乗っているかたとその軍勢とに対して、戦いをいどんだ。しかし、獣は捕えられ、また、この獣の前でしるしを行って、獣の刻印を受けた者とその像を拝む者とを惑わしたにせ預言者も、獣と共に捕えられた。そして、この両者とも、生きながら、硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。それ以外の者たちは、馬に乗っておられるかたの口から出るつるぎで切り殺され、その肉を、すべての鳥が飽きるまで食べた」(19.19~21)


ハルマゲドンは「メギドの山」という意味があり、メギドとは,古代イスラエルの町で、そこでは幾つもの大きな戦いが行われました(2列王9.27、23.29)。


しかし,ハルマゲドンという言葉は,古代メギドを指しているのではなく、国々が結集して神の統治に最後の抵抗をする世界の最終戦争のことを象徴しています。即ち、世界の終末における善と悪の最後の戦いを終わらせる戦争で、現代で言えば、共産主義との決戦を象徴します。


なお、再臨主は鉄の杖、即ち神の言葉を以て「最後の審判」をされる方でもあります。最後の審判とは、終末に再臨のキリストが、善悪の裁きを行い、永遠の生命を与えられる者と、地獄に墜ちる者を分ける事をいいます。生前に悔い改めなかったものは黄泉(ハデス)に、重大な悪行を犯した者は地獄(ゲヘナ)にいくとされています(22.15)。


【千年王国】


千年王国(20.1~6)とは、再臨がもたらす国で、キリストは、地上に千年王国を建設されます。それは、キリストが支配する正義の王国で、そこには、回復された自然界があり、私たちは、復活の体をもってその王国の住民となります。


「また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。また、イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。(それ以外の死人は、千年の期間が終るまで生きかえらなかった。)これが第一の復活である」(20.4~5)


いわゆる千年王国論には、千年期前再臨説、千年期後再臨説、無千年王国説、などの各説があります。


「千年期前再臨説]とは、先ずメシアの再臨があって、次に千年王国が建設されるとするもので、その王国は、地上でキリストが王として、聖徒たちとともに千年間全世界を統治される王国です。


筆者はこの説を支持しています。只千年とは文字通りの千年ではなく、再臨主により天一国が宣言され、千年という象徴的な一定の期間を経て、次第に神の国の雛型が顕れ、遂に完全な神の国(新天新地)が完成するという意味であります。


また「千年期後再臨説」とは、千年王国(神の国)が成就した後にキリストが再臨されるとし、教会は、神の国を出現させるための中心的役割を担います。更に「無千年王国説」とは、地上に文字通りの神の国が出現するわけではなく、霊的な神の国は、今の時代の教会からなっているとします。キリストの再臨とともに、すぐに永遠の秩序が始まるとしています。


【新しい天と新しい地】


いよいよ黙示録黙21章~22章において、新天地(新しいエルサレム)が到来いたします。再臨主により宣言された天一国が、一定の期間を経て完成し、神の創造理想が成就するというのです。


即ち、創世3章以来続いていた罪悪世界は、やがて過ぎ去り、新しい天と新しい地(21.1)が創造され、新しいエルサレム(21.2)が天から下って来るというのであり、これは、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない(21.4)、罪の影の全くない新しい宇宙の秩序、理想郷であります。


「わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た」(21.1~2)


そして、「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」(21.5)と言われ。「事はすでに成った」(21.6)と宣言されます。これは、「最終的な復帰摂理を完成、完結、完了し、全てを成し遂げました」(2012年8月24日)との最後の祈りを捧げられた文鮮明先生の宣布を想起いたします。


そして天から夫のために飾られた花嫁のように整えられて下ってきた新しいエルサレムの美しさが描写されます(21.11~21)。


その都の輝きは、宝石、碧玉のようであり、 碧玉で築かれた城壁と十二の門があり、それらの門には、小羊の十二使徒の十二の名が書いてありました。またその都は、すきとおったガラスのような純金で造られて、十二の門はそれぞれ一つの真珠で造られ、都の大通りは、すきとおったガラスのような純金でした。


しかしこの都の中には神殿を見なかったと証言されています(21.22)。全能者にして主なる神と小羊自身が既に神殿であること、即ち神こそ神殿、主こそ神殿であり、何よりも祭壇は我が心の内にあるというのです。


またこれらの新しいエルサレムの情景を見せてくれた御使(天使)にヨハネが拝そうとすると、「そのようなことをしてはいけない。ただ神だけを拝しなさい」と語りました。即ち、礼拝されるのは天使でも人間でもなく、神と主のみということです。


そして、「いのちの木にあずかる特権を与えられるものは幸いである」(22.14)とされ、渇いていて、いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けることができるというのです。


「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。(了)



黙示録の4騎士(ヴィクトル・ヴァスネツォフ画)ヨハネの黙示録6章~7章