○つれづれ日誌(7月14日)-日光聖書セミナーに参加して(1)
こうして、律法は私たちをキリストに導く養育係となりました。それは、私たちが信仰によって義と認められるためです。しかし、信仰が現れたので、私たちはもはや養育係の下にはいません。(ガラテヤ3.24~25)
さて7月9日から10日にかけて、「聖書と日本フォーラム」が総会をかねて主宰した聖書セミナーが、日光にある「オリーブの里」というキリスト教施設で行われ、筆者も参加してきました。
聖書と日本フォーラムとは、日本的精神とキリスト教を対立構造として捉えず、ヘブル文化と日本との繋がりを意識し、聖書に基づく信仰を日本人の立場から見直して福音の土着化(文脈化)を図っていこうという牧師、クリスチャンら超教派的なキリスト者の集まりであります。
コロナ騒動の中でしたが、約50人くらいの牧師やクリスチャンが参加し、長老牧師による四つの講演(説教)がありました。
講師は、総会総括を兼ねた当フォーラム会長の島田秀夫牧師(81歳)、世界宣教師訓練センター所長の奥山実牧師(89歳)、高砂教会の手束正昭牧師(77歳)、雑誌レムナントを主宰する久保有政牧師(66歳)です。老いてなお意気軒昂、皆さんそれぞれの分野で実績もあり、一家言の持ち主で、話しもなかなかのものがあり、筆者も大いに刺激を受けました。
【よき交流の時間】
筆者はかねてより、これらの牧師の思想傾向については、ユーチューブ動画や著書などを通じてよく知っていましたが、今回講演の合間や食事の時間を利用して、顔と顔を合わせた深い交流ができ、親交を暖めることができました。
以下、講師をされた奥山実、手束正昭、久保有政各氏について、プロフィールや神学思想などを簡単に紹介いたします。
<奥山実牧師>
特に奥山実氏は世界宣教会議の議長をされた人物で、また「日本民族総福音化運動協議会」総裁であった重鎮であり、筆者もユーチューブでかなりの動画を視聴して注目していましたので、この度の直接の交流は今後につながる大きな出会いになりました。
奥山氏は、骨を埋める覚悟でインドネシアの宣教に献身され、帰国後は超教派の働きと指導にもあたられ、手束正昭氏と共に、「聖霊の第三の波」の主唱者の一人として知られています。
その奥山氏ですが、89歳の高齢にも係わらず、自分がスピーチしない時は、一人の受講者として、一番前で最後までメモを取りながら聞いておられました。筆者は講義内容もさることながら、むしろこのような謙虚な姿勢に大変感銘を受けたものです。
奥山氏は常々「人生の目的は神を礼拝することだ。人間は神を礼拝するために生まれてきた」と言われていますが、謙虚に人の説教に耳を傾けられる姿に、その人生観を見るようでした。
また、スピーチの締めくくりに、「自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる」(ロマ書10.9)を引用し、「我らは生涯キリストのよき証し人たらん」と訴えられ、当に「宣教の鬼」の面目躍如でした。
<手束正昭牧師>
また、手束正昭牧師ともよい出会いをすることが出来ました。
手束 正昭氏(1944年生れ)は、関西学院大学神学部修士課程を卒業した日本の牧師、神学者、日本基督教団高砂教会元老牧師であり、「日本基督教団聖霊刷新協議会」の創立者であります。
また「日本民族総福音化運動協議会」の総裁、「日本を愛するキリスト者の会」の副総裁でもあり、日本のカリスマ運動のリーダーであります。
一方、ネストリウス派の研究者であり、ネストリウス派を初期のカリスマ聖霊運動だと位置づけました。
著書『日本宣教の突破口ー醒めよ日本』には、「大東亜戦争は本当に侵略戦争だったのか」と題する一章があり、大東亜戦争(太平洋戦争)の日本悪玉論はGHQのウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムによる洗脳であるとし、また、南京事件の数字にも疑義を呈しています。
つまり大東亜戦争は、欧米の支配からアジアを解放するという目的を持った自存自衛の戦いであると共に、中国による華夷秩序の形成を阻止し、アジアに自由互恵の新秩序を打ち立んとした戦いだったと主張しました。(『日本宣教の突破口』P293)
ただし戦争とは「敗戦した側が悪い」という原則が存在しているとの現実的な見方も持たれています。
著書には、ベストセラーになった『キリスト教の第三の波―カリスマ運動とは何か』、歴史認識を示した『日本宣教の突破口ー醒めよ日本ー』、自叙伝である『恩寵燦々- 聖霊論的自叙伝』など多数あります。
この自叙伝『恩寵燦々』の推奨の辞で、元カネボウ特別顧問の大門秀樹氏は、「私はこれまでにかなりの数にのぼる自叙伝を読んできたが、そのほとんどが『自画自讃』型で『説教調』のものであった。あまりにも自己本位の文章に辟易して、最後まで読み通すことができなかった。しかし本書には、そのような臭味が全く感じられない稀少なものだ」と記し、手束氏本人も「私の人生に起こった神の恩寵の素晴らしさを証したい衝動に駆られて書き続けてきた」と語られています。自叙伝はあくまで神を証すもので自分を証すものであってはならないと言うことを肝に銘じたいものです。
手束氏は、当該セミナーにおいて、「日本文化の文脈化(土着化)による宣教」と題して講演されましたが、この詳細については、次回のつれづれ日誌で紹介したいと思います。
また筆者は当日手束氏に、431年のエフェソス公会議において異端とされたネストリウス派が、キリスト論との関係で、「何故異端とされたのか」について、かなり突っ込んだ質問をいたしました。この点も次回論じることにいたします。
<久保有政牧師>
久保 有政(1955年生れ)牧師は、日本のプロテスタント系の聖書解説家でレムナント出版代表を務め、月刊誌『レムナント』の主筆とし、誌上で求道者、クリスチャン向けに、聖書の基本的な教えを解説しています。また、キリスト教に関する著述や講演も行なっています。兵庫県伊丹市生まれ。
久保氏とは、やはりユーチューブ動画を通して、その聖書思想はかなり理解していましたが、面と向かっての出会いは初めてでした。しかし気さくな人柄で親しく交流出来、神社のご神体の意味などについて意見を交換することが出来ました。
久保氏は、米国カリフォルニア州立大学留学を経て、東京聖書学院を卒業し、「日本を愛するキリスト者の会」事務局長、「聖書と日本フォーラム」理事、手束正昭氏の「日本民族総福音化運動協議会」理事を務められています。
久保氏は『レムナント』誌において、「イスラエル人の古代来日説」を提唱。日本の伝統文化、特に神社の多くが、渡来した古代イスラエル人(失われた10部族)に由来しているとして、多くの著書を書いています。そして古代イスラエル人だけでなく古代東方キリスト教徒(ネストリウス派・景教徒)も多く日本に渡来し、日本の伝統文化に影響を与えたと主張しています。
死後の世界についても聖書から解説し、今まで教会でも混同されることの多かった「地獄」(ゲヘナ)と、「よみ」(黄泉、陰府、ハデス)は別の場所であるとし、この理解に立って「死後のセカンドチャンス論」(未信者が死後に福音を聞いて救われるチャンスはあるとする立場)を提唱しました。
さらに、日本人が東京裁判史観や左翼の自虐史観を脱する必要があるとも主張。「先の戦争は侵略戦争」ではなく、「アジア解放のための戦い」であったとし、「朝鮮や台湾を近代化し、中国を共産主義や欧米の植民地主義から守ろうとした」ものだと捉えています。南京事件については「日本兵による犯罪は少数あったものの、日本軍による“大虐殺”はなかった」としており、この点、手束正昭氏と同じ歴史認識に立ち、百田尚樹もこの主張を支持しています。(Wikipedia)
久保氏は、セミナー当日、「日本文化の基にある聖書」と題して講演され、剣山の神輿の神事や諏訪大社のイサク献祭に酷似する神事など、多くの事例を挙げ、聖書と日本文化の密接なつながりを説明されました。著書『神道の中のユダヤ文化 -聖書に隠された日本人のルーツと神社・お祭りの秘密』にその詳細があります。
【三者共通の認識】
さて上記三人の牧師には、二つの強い共通認識がみられます。
一つはいわゆる2030年問題への危機感であり、もう一つは、文脈化(文化の土着)を通しての飽くなき福音宣教への意欲であります。
2030年問題とは、信者の高齢化などによる信徒数の激減とそれに伴う教会存続の危機であります。この危機をいかに乗り越えるか、そして新しいリバイバルをいかにもたらすか、という深刻な課題を抱えているというのです。これは私たちにおいても決して他人事ではありません。
次に日本の福音宣教には、文脈化伝道が必須であるという共通認識であります。文脈化伝道とは、日本の文化や伝統に寄り添い、むしろ大胆にキリスト教の中にこれを取り込んでいくという土着化宣教の在り方であります。
例えば、カソリックがローマのミトラ教を取り込んで、ミトラ教の祭日である12月25日の冬至を、キリストの聖誕祭(クリスマス)にしたというようにです。
日本の神社を悪霊の棲みかなどと言ってむげに否定するのではなく、かって律法がパウロをキリストに導く養育係になったように(ガラテヤ3.24)、神社の神々を真の神に至る「養育係」(途中神)として、むしろ抱き抱えていく姿勢が大事だというのです。
なお、「聖書と日本フォーラム」会長である島田秀夫牧師については、筆者HPの「つれづれ日誌(12月13日)- 畠田秀生牧師の『聖書と古事記』出版記念懇談会に参加して」」(https://www.reiwa-revival.com/)で紹介していますので、ご参照下さい。
【二荒山神社、東照宮への参拝】
こうして、二日に渡る総会兼セミナーが終わりました。
そして10日の午後、私たちは近くにある「二荒山神社」と「日光東照宮」の観光に出かけました。
日光東照宮とは、言うまでもなく東照大権現こと徳川家康を祭神とする神社であります。ややキンキラ金の神社らしからぬ神社でありますが、これは家康の権力の大きさを象徴しているということであります。
また、二荒山神社は東照宮よりもっと古い、更に格式ある神社で、祭神が大己貴命(おおなむちのみこと)こと大国主命(おおくにぬしのみこと)であり、背後に聳える男体山自体がご神体であると言われています。
この神社には手束牧師、久保牧師も参拝され、キリスト教と神社の一致を、自ら参拝することで手本を示されました。
午後4時頃、全ての行事が終了し、三々五々帰途についた次第です。
次回は、「日光聖書セミナーに参加して」第二弾として、手束正昭牧師の講演内容を掘り下げ、手束氏の神学思想を考察することにいたします。(了)